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昭和20年(1945年) 5月2日、ついに、ドイツの首都ベルリンが陥落。その2日前の4月30日、ヒトラー総統 が自殺しました。 ヒトラーは、ソ連軍がベルリンに侵攻したのを見て、もはやこれまでと、デーニッツ提督を大統領として後事を託し、遺体は焼却して、灰のひとかけらも残さぬように、と部下に命じ、官邸地下壕の中で服毒自殺した、と伝えられています。 総統官邸でのヒトラー(右)とデーニッツ(左) ドイツ全土は、東から攻めるソ連軍と、西からのアメリカ・イギリス軍とに蹂躙(じゅうりん)され、両軍は、戦後を見据えた占領地の拡大を争いました。ソ連軍は、首都ベルリンを含むドイツ東部を、アメリカ・イギリス軍は、ドイツ西部と南部を占領しました。 ソ連軍によるベルリン陥落 ヒトラーの死を報ずるアメリカの新聞 昭和20年(1945年)5月8日、ドイツは、デーニッツ提督のもとで、連合国に無条件降伏をしました。そして、ソ連と西側連合国に分割占領されることになりました。 ドイツの降伏により、日本はすべての同盟国を失い、世界中を敵として戦う破目に立ち至りました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ナチスの台頭からわずか10数年。ナチス・ドイツは降伏し、独裁者・ヒトラーは自殺して消え失せました。 無名の身から、なぜ、ヒトラーはこれほどの権力を持ちえたのか。 ひとつは、第1次大戦の敗戦で、莫大な賠償金を課せられたドイツ国民が絶望的になり、ナチスを頼ったこと。もうひとつは、ヒトラーの弁舌にあったと思います。 演説するヒトラー 私は、戦時中のニュース映画で、ヒトラーの演説を何回か聴きました。始めは静かに原稿に眼をやりながら語り出し、次第に口調は高揚して、まるで何かが乗り移ったかのように、手を振り、体全体で語り続けました。人々は、この演説を獅子吼(ししく)と称して感動したのです。 これに比べて、東条英機の演説などは、何ほどの迫力も感じませんでした。所業の善悪を別にして、ヒトラーは、20世紀前半の世界を揺るがした一大梟雄(きょうゆう)でした。 デーニッツは、降伏の15日後に逮捕され、戦後のニュールンベルク国際軍事裁判の被告となり、禁固10年の判決を受けましたが、のちに無罪となって釈放されました。1980年に89歳で死去。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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