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この「チューさんの今昔ばなし」、今は敗戦直後の時代の出来事を書いています。今日から、昭和21年(1946年)に入ります。 昭和21年(1946年)5月19日、東京の皇居前で、飯米(はんまい)獲得人民大会が開催され、25万人が集まって、米の配給遅延に抗議しました。一般には ”食糧メーデー” と呼ばれています。 このころ、都会での食糧不足はひどいものでした。1日一人2合1勺の米の配給は何日も滞り、市民は、自分で農家へ行って食べ物を売ってもらうか、運び屋がこっそり運んで来る高価な闇米(やみごめ)やイモ類を買わざるをえませんでした。 といっても、失業や預金封鎖で現金はなく、また農家の方も、物価の高騰が続くので、「金はいらん、物を持って来い」 と言ってました。都市住民は、持っている衣類などを農家へ持って行き、米や芋と交換してもらうことが多かったのです。 食糧の買出しに行く人たち この時期、私の家では、統制前に父が買い込んでおいた石鹸や足袋(たび)が、とても役に立ちました(2010年8月20日のブログ参照)。石鹸や足袋を農家へ持っていくと、大喜びで、質の良い白米やサツマイモと交換してくれました。 さて、東京の食糧メーデーでは事件が起きました。デモ隊は、社会党や共産党の幹部に率いられて、皇居内や首相官邸に押し寄せ、天皇や総理大臣に面会を求めました。 その際、デモ隊のなかの松島という共産党員が、下の画像のように書いたプラカードを掲げました。 プラカードの模写画像 これが、天皇を誹謗(ひぼう)した行為とされて、当時まだ存在した不敬罪に問われました。世にいう “プラカード事件” です。 松島は不敬罪で起訴されましたが、東京地方裁判所は不敬罪を認めず、天皇個人に対する名誉毀損としました。これに対して、東京高等裁判所は不敬罪を認めたものの、新憲法公布に伴う大赦令(たいしゃれい)によって免訴としました。 被告は、免訴ではなく、あくまでも無罪を求めて、裁判は最高裁判所まで持ち込まれ、2年後の昭和23年(1948年)5月になって、最高裁判所は上告を棄却しました。棄却理由は、「大赦令により公訴権が消滅しているので、これ以上審理ができない」ということでした。 昭和21年(1946年)から22年(1947年)にかけて、日本の食糧事情はとてもひどい状況でした。幣原内閣の大蔵大臣・渋沢敬三は、餓死と病死を合わせて、日本では1千万人が死ぬだろう、と言いました。 この食糧デモを見て、マッカーサーは 「組織的な指導の下に行われつつある大衆的暴力と物理的な脅迫手段を認めない」 と声明を出しました。 しかし、その一方で、これが全国的な食糧暴動に広がり、日本占領に連合国軍隊の追加派遣要請が必要になるのを恐れたGHQ (連合国軍総司令部) は、アメリカなどからの食糧の輸入を実施しました。 でも、輸入された食糧の多くは粗悪なものでした。アメリカ産の乾燥サツマイモの角切りや、ふすま (小麦の皮) の多く混じった小麦粉、椰子粉 (やしこ) などが、米の代用食として配給されました。 サゴ椰子の粉で作ったパンケーキ(ニューギニア) 椰子粉とは、2010年10月14日のブログ に書いた、ニューギニアの日本軍将兵が、現地で飢えをしのぐために食べた、サゴ椰子のデンプンです。椰子粉は今でも販売されていますが、当時のものは、今のものよりも、ずっと品質の劣る粉末でした。 昭和20年(1945年)の日本での米の生産量は、気候不順、人手不足、肥料不足などが重なって、大きく落ち込み、およそ3千万石といわれました。3千万石といえば、江戸時代の生産高と同じで、7千万人を超える人口を養うにはとても足りません。 さらに、将兵の復員、外地からの引揚げなどで、人口はますます増えてゆくのに、生産農家は、敗戦後、国からの米穀の供出要請に、素直に応じなくなりました。 政府は、GHQ の力を借りて、主要食糧の供出や流通をきびしくし、違反者は、単なる経済犯ではなく、占領軍に対する敵対行為だ、とする緊急勅令を発動したりしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんにちは。
今、帰宅しました~ 読み方を教えて頂き、((ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.ァリガトゥございます 昭和21年から22年にかけての日本の食糧事情、そんなにひどいものだったんですね。 今は、贅沢ですよね。好き嫌いなんか言ってられないと思います。 サゴ椰子の粉で作ったパンケーキ、ぱさぱさしてそうです。 この時代には、貴重だったんでしょうね。 (2011年02月23日 15時38分58秒)
https://youtu.be/Xwjg9jGcOuw
https://youtu.be/0-PHAszxmlY https://youtu.be/o3qyYx4YzKQ 「ムッソリーニ万歳」 こういっただけで逮捕される国があったら、その国末期。 どういう体制で、どういう政策をしようが、その国の終わりは近い。 枢軸国のどの国よりもひどい。 事実上の不敬罪が、既に存在する我が国に無関係の話ではない。 (2019年10月23日 15時55分22秒) |