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2011年03月21日
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昭和21年(1946年)10月8日、吉田内閣は復興金融公庫法 を公布し、復興金融公庫 という全額政府出資の金融機関が10月25日から急遽開業しました。復興金融公庫 とは、第二次世界大戦敗戦後の復興のために、全額政府出資で設立した銀行です。  

復興金融公庫 は、経済復興のために必要な基幹産業、石炭・鉄鋼・電力にしぼって資金を供給し、復興に大きく貢献したのですが、そのために通貨が大幅に増発され、インフレーション(インフレ・物価騰貴)をいっそう加速しました。

2011年2月18日のブログに書いた預金封鎖新円切替えでもインフレは収まらず、この復興金融公庫への融資が通貨価値を下げ、物価をさらに高騰させました。

戦時中、日本政府は、莫大な額の国債や債券を発行し、国民や金融機関に事実上強制的に買わせました。その額は国の財政の9倍にもなっていたといわれています。

戦時中はきびしい統制経済をしいて、物価上昇を抑えていましたが、敗戦で統制の仕組みが崩壊し、2011年3月2日のブログに書いた闇市などの黙認によって、インフレが一気に表面化しました。

敗戦直後の昭和20年(1945年)10月から昭和24年(1949年)4月までの、3年半の間の物価上昇率は、およそ100倍。こんな猛烈な物価上昇が、ハイパーインフレーション(超インフレ)です。

値段がいち早く上がったのは米などの食糧、もつとも遅かったのは公共料金でした。その後もインフレはありましたが、こんなすごい倍率ではありません。ハイパーインフレの原因は、戦災による物資不足が根本ですが、通貨増発がこれに輪をかけました。

復興金融公庫 の資金は全額政府出資、といっても、当時の政府にそれに見合う財源があるわけではなく、実態は日本銀行による新円(新しい通貨)紙幣の増発でまかなったので、通貨価値はいっそう下落していったのです。世間では、このインフレを “復金インフレ” と呼びました。

復興金融公庫 から融資を受けた産業は、それで息を吹き返しましたが、関係のない庶民は、ただただ生活に困るばかりでした。とくに、働いて収入を得られない高年者所帯は、この復金インフレで、生活継続にとどめを刺されることになりました。

私の家の近所に、戦前から茶葉の卸小売で繁盛していた店がありましたが、家屋強制疎開で店も家も失い、二人の息子は出征して、弟は戦死、兄は安否不明でした。老夫婦は裏長屋の古い家を借りて住んでいましたが、ある日、首吊り自殺しているのが見つかりました。

こういう悲しく哀れな例は、各所でありました。敗戦によって世の中が乱れ、ハイパーインフレが起こって、最も被害を受けたのは、生活弱者・体力弱者の老人でした。

老人の自殺は、庶民だけではありませんでした。三笠宮崇仁(たかひと)親王妃(旧名・高木百合子)の父・高木正得(たかぎまさなり)元子爵は、華族制度廃止で落魄(らくはく)し、昭和23年(1948年)7月、遺書を残して失踪(しっそう)、同年11月に、奥多摩の山中で白骨死体となって見つかりました。

高木元子爵の遺書には、爵位の剥奪やインフレによる生活苦がつづられていました。生活力のない元華族が、敗戦後の混乱とハイパーインフレの社会に放り出されて、死を選んだ悲劇でした。

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         日本政策投資銀行
             現在の日本政策投資銀行本店(東京都千代田区)

復興金融公庫 は、昭和26年(1951年)4月日本開発銀行に受け継がれ、平成11年(1999年)10月になって日本政策投資銀行が設立され、日本開発銀行の事業を引き継ぎました。その後、日本政策投資銀行は株式会社になりましたが、全額政府出資という点は変わっていません。 

 





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最終更新日  2011年03月21日 11時44分31秒
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