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昭和25年(1950年)8月10日、私は見学旅行に出発しました。行き先は静岡と関東。この地域の大学や試験場などの研究機関見学のためです。 同行の仲間は、それまで共に附属農場に住み込み実習をしたMI君と、滋賀県大津市のKG君。あと二人は行き先で待つ静岡のMI君と埼玉県のTN君。 ・ 蒸気機関車で出発 私たちは、戦争のため、小学校卒業後は、修学旅行も家族旅行もできていない世代。東京はもちろん初めてです。 旅費は奨学資金を貯めたわずかな額。宿は、静岡のMI君と埼玉県のTK君の家に泊めてもらうのです。このころは、自分の食べる米を持参するのが普通でした。TK君の家は農家なので、食べさせてもらうことになっていました。 東海道本線の浜松までは蒸気機関車。ここで電気機関車に付け替えるためにしばらく停車。静岡に着いて、MI君の家に一泊。翌日、東京駅着。迎えに来てくれたTN君の案内で、少しだけ東京見物をしました。 東 京 駅 東京には、まだ戦災の爪あとが大きく残っていました。街のなかは、焼け跡や闇市のあとも残っていて、上野の地下道には、多くの家の無い人たちが、汚れた着物を着てたむろしていました。 街中で、とても低い屋根の下から普通の服装をした人が出てくるので、見ると、まだ家が建てられず、防空壕で暮らしている人でした。浅草には、いろいろな店や見世物小屋がありましたが、雑然とした場所でした。 TN君の家は、埼玉県の越谷(こしがや)です。当時の越谷はまだ農村地帯。樹林に囲まれた広い敷地の中の大きな家で、その中の一室に4人が泊めてもらいました。今の越谷は大都会の一郭になっているようですね。 現在の越谷市役所 関東で見学に訪れたところは、松戸の千葉大学園芸学部、農林省千葉試験地、鴻巣(こうのす)の農林省農事試験場、などです。そのころの松戸は、まだ田舎でした。 関東の見学を終えて、TN君宅を辞し、帰りに再度静岡市のMI君宅に泊めてもらい、興津の東海近畿農業試験場園芸部や、戦後いち早く始まっていた石垣イチゴの栽培を見学。清水の次郎長の墓へも参拝しました。 最後に三保の松原で海水浴。そしてMI君と別れ、京都に帰りました。 三保の松原 (静岡観光コンベンション協会より許可を受けて転載) * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 松戸の千葉大学園芸学部へは、その後何回も行っていますが、松戸の駅や市街、大学のどれも、行くたびに急速に都市化していったのに毎回驚きました。 この旅行を共にした4人は、クラスメートの中でも格別の親友です。しかし、この旅行からすでに60年以上経ち、同行した4人は世を去りました。私一人が残されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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