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さて、また、私のブログは、昭和37年(1962年)の昔に戻ります。 この年の10月末の キューバ危機 がひとまず大事に至らなくて、我々も、世界中も、ほっと胸をなで降ろしました。 その翌年、昭和38年(1963年)6月、富山県・黒部川の上流に、関西電力 が7年の歳月をかけて建設を進めてきた、黒部川第四発電所 が完成しました。ダムの正式な名称は 黒部ダム ですが、一般には 黒四(くろよん) と呼ぶことが多いようです。 昭和30年代の 神武景気、岩戸景気 と続く経済発展によって、家庭電気器具が普及し、工場でも電気の需要が高まりました。関西電力 ではこれに対応するために、この山深いところに巨大ダムを建設したのです。 黒部ダム ダムの型は、アーチ式コンクリートダム。ダムの堤の高さは186mと全国第一位。発電出力は33万5千キロワット。当時としては、天竜川の 佐久間ダム と並ぶ発電用ダムでした。 場所が山深いところだけに難工事となり、総工事費は、当時の額で513億円。事故による殉職者は171人にもなったと聞いています。 コンクリートの壁でせき止められた 黒部川。ダムの上流は大きなダム湖となり、黒部湖(くろべこ) と命名されました。総貯水量は2億トン。 黒部湖 昭和29年(1954年)8月に、私が泊った 平の小屋(2011年8月5日のブログ参照) や、対岸へ渡ったつり橋は、この人造湖の底に潜ってしまいました。 その後も大型発電用ダムは建設されましたが、多くは既存のダムの水を利用する揚水発電用で、住民の立ち退きや難工事に多額の費用がかかる水力発電所の建設は、次第に行なわれなくなりました。 そして、ますます増大する電力需要に対応する発電は、水力から火力、さらに原子力へと移ってゆきました。 黒部ダム は 中部山岳国立公園 の中にあり、立山黒部アルペンルート の中のハイライトとして、観光にも大いに役立っているそうです。 でも、私は、平の小屋 の近くに、自分で掘って湯浴みした、川原の温泉が懐かしいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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