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昭和47年(1972年)5月15日、沖縄(琉球諸島および大東諸島) の 施政権 が アメリカ から 日本 に返還されました。 沖縄 の諸島には、第二次世界大戦 で アメリカ軍 が上陸。沖縄本島 では激戦が続いたあと、日本軍 が玉砕し、島民も多くが戦火で亡くなりました(2011年1月3日のブログ参照)。 その後 沖縄 は アメリカ が支配する地になり、サンフランシスコ講和条約でも アメリカの施政権下に置かれるもの とされました。そのころは私も、沖縄 は グアム島 のように、アメリカ の領土にされるものと思っていました。 沖縄占領後にアメリカ軍が設置した沖縄県民の仮設住居 沖縄 では、日本人 も軍民ともに多くの犠牲者を出しましたが、アメリカ軍 側も、多数の将兵が戦死しています。戦争で自国民の血を流して取った地は、自国の領土とするのが当然、とされていましたから、沖縄 は 日本 には復帰しないと思っていたのです。 日本 の敗戦後、アメリカ はまず 琉球列島米国軍政府 を設立して軍政を敷き、1950年から 琉球列島米国民政府 となって、アメリカ の 高等弁務官 が 米国民政府 の長となりました。 米国民政府 の下に島民の 琉球政府 を置き、一定の自治を認めましたが、最終的決定権は アメリカ の 高等弁務官 が握っていました。 琉球列島米国軍政府庁舎 沖縄(琉球 りゅうきゅう・沖縄の別名) の歴史を見ると、中世のころ、琉球 には小王朝がありましたが、王族間の争いがたびたび起こっていたそうです。 関ヶ原の戦い の9年後・慶長14年(1609年)、島津藩 は 徳川幕府 の命を受けて 琉球 に出兵し、全島を占領。以後260年もの間、王朝は名目的に存続しましたが、事実上 島津藩の実効支配 が続きました。 明治4年(1871年)の、明治新政府 による 廃藩置県 の翌年、琉球 だけは藩とされ、明治12年(1879年)の 琉球処分 で、いったん鹿児島県に編入、同年、沖縄県 として 日本 の県のひとつとなりました。琉球王 は東京に移り、侯爵 に列せられました。 第二次世界大戦後に起こった 朝鮮戦争 や ベトナム戦争、ソ連 や 中華人民共和国 に対する備えとして、アメリカは、沖縄 の軍事拠点としての重要性を認識し、いくつもの 軍事基地 を建設しました。1960年代末まで、アメリカ は 沖縄 を 日本 に返還する考えはなかったようです。 沖縄住民の多くは、早くから 日本復帰 を望んでいたようで、そのための署名活動も始まっていました。 沖縄での日本復帰要求署名活動 (昭和29年ごろ、出典 Wikipedia) 佐藤栄作 は、総理大臣就任の翌年(昭和40年・1965年)8月、戦後日本の総理として始めて 沖縄 を訪れ、日本復帰 を叫ぶデモ隊に囲まれて、 「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」 との声明を発しました。一方、日本社会党 や 日本共産党 は、日米安全保障条約 と抱き合わせの 沖縄返還 に反対しました。 昭和44年(1969年)、 アメリカ大統領 に就任した ニクソン は、佐藤総理 との会談で、日米安全保障条約 延長と引き換えに 沖縄返還 を約束しました。 佐藤総理大臣とニクソン大統領 当時、選挙で選ばれた島民側の 琉球政府主席・屋良朝苗(やら ちょうびょう) や、日本復帰賛成派の島民らは、アメリカ軍基地 の島外移転を期待しましたが、それはとてもかなわぬことでした。 琉球政府主席・屋良朝苗 こうして アメリカ軍基地 を 沖縄 に維持したまま “72年 核抜き・本土並み返還” が決定し、その約束どおり、昭和47年(1972年)5月15日、琉球諸島 と 大東諸島 は 日本 に返還され、沖縄県 として復帰しました。新しい 沖縄県知事 には、屋良朝苗 があらためて選出されました。 沖縄返還 に際し、アメリカ 占領中に建設した施設などの資産引継ぎ費として、返還協定 に基づき3億2000万ドル(当時の為替レート換算で約960億円)をアメリカに支払ったと聞いています。 沖縄 が “核抜き返還” となったことで、韓国 と 中華民国(台湾) は、東アジアの防衛上強い懸念を アメリカ と 日本 に表明したとも聞いています。 佐藤栄作 沖縄 の 日本 への返還が達成されたのを花道に、佐藤総理大臣 は昭和47年(1972年)6月17日、退陣を表明しました。佐藤栄作内閣 は昭和39年(1964年)11月から、7年8ヶ月の長期政権でした。 佐藤政権 が長期継続できたのは、河野一郎 が死去してライバルがなかったこと、次を担う 福田赳夫・田中角栄・三木武夫 ・大平正芳 らを競わせる人事が巧みだったこと、などが挙げられています。 しかし、何よりも、当時の 日本経済が至極順調だったこと が最大の理由だと、私は思います。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 沖縄返還 から40年、その間に、沖縄県 には多額の国費が投入されたと聞いています。昔の小王朝時代の 首里城 も復元されました。 守礼の門 復元された首里城 しかし、アメリカ軍基地移転問題 は、いまだに宙に浮いたままです。せっかく決着がつきかけたのを、近年の 民主党政権 になって、鳩山由紀夫・元総理 がご破算にしてしまいました。この問題、これからどうなるのでしょうか。 沖縄 の アメリカ軍基地 の存在が、日本と東アジアの防衛に不可欠なのは、昔も今も変わりないと私は思っています。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 佐藤栄作 は、総理退任の2年後、アジアの平和に貢献したとして、ノーベル平和賞 を受賞しました。そして、その翌年の昭和50年(1975年)6月3日、脳出血により74歳で死去しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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