1039975 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

チューさんの今昔ばなし

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール


chusan55

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

初登場まりお~ flamenco22さん

コメント新着

 ゴールデンキャッスル@ Re:大政翼賛会発足・・・政党の消滅(08/12) 今のところ、政党は決めたくありません。…
 通りすがりの者@ Re:農地改革(農地解放)・・・地主の財産没収(03/18) 当方も、父から聞いています。 祖父の時代…
 更に補足@ Re:農地改革(農地解放)・・・地主の財産没収(03/18) 日本人は事実と向き合い小作人を美化し正…
 あああ@ Re:農地改革(農地解放)・・・地主の財産没収(03/18) 【補足情報】 ・当時の日本人の有職者の…
 匿名です@ Re:農地改革(農地解放)・・・地主の財産没収(03/18) 日本歴史の中でも大事なところですね。勉…

フリーページ

ニューストピックス

2012年04月13日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

昭和55年(1980年)7月末、私は 長野県高冷地野菜栽培視察 に行きました。おもな目的は 結球レタスの夏栽培状況視察 です。

最初に塩尻の近くの 洗馬(せば)農協 を訪問。ここは 准高冷地 で、真夏には レタス の栽培ができず、初夏と初秋の栽培地です。行ったときは、初夏どりレタス の収穫が終る時期でした。畑はよく整備され、次の栽培に備えて耕され始めていました。


       洗馬農協
                         洗馬農協


       洗馬農協の圃場
                        洗馬農協の圃場

洗馬 から次の目的地・野辺山 に向かいました。前もって頼んでおいた、専門学校・大学を通じての同級生で今は 信州大学農学部教授 になっている S君(2011年5月6日のブログ参照) と途中で落ち合い、野辺山 に着きました。ここには 信州大学農学部野辺山農場 があります。

野辺山高原 は、標高1300メートル以上。盛夏でもレタス が栽培できる 高冷地 です。国鉄(現・JR)の最高地点 も駅の南にありました。高原は畑地が広く展開し、レタス・ハクサイ・キャベツ・ダイコン・ベニバナインゲン などが栽培されていました。


              国鉄(現・JR)最高地点標
                    国鉄(現・JR)最高地点標


         野辺山高原野菜栽培地一望
                   野辺山高原野菜栽培地一望


       信州大学農場建物
                        信州大学農場建物


       信州大学農場の圃場
                      信州大学農場の圃場

その夜は 信州大学野辺山農場 の宿泊所に S君 とともに宿泊。S君 は若いときから呼吸器が弱くやせていました。彼は一時 香川大学 に勤務していたこともあり、信州大学 に移ってからは、細い体ながら頑丈になったように見えました。

翌朝、再会を約して S君 と別れ、松本市 から思い出の地・上高地 に行ってみました。途中の道路は広く整備され、釜トンネル も以前の何倍も広く、上高地河童橋 周辺は、登山者よりも観光客のほうがずっと多く見受けられました。25年ほどの間の大きな変わりようでした。


       上高地・大正池
                       上高地・大正池


         上高地・河童橋
                        上高地・河童橋


       上高地・田代池で
                       上高地・田代池で

上高地 から戻って、松本市 に宿泊し、安曇野(あずみの) にある ST種苗会社草花育種(いくしゅ)農場 を視察。国宝・松本城 も観ました。


         国宝・松本城
                       国宝・松本城

            * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

この 信州大学野辺山農場 での S君 との一夜から4年後、S君 は呼吸不全の状態になって 京都 に戻り、治療の甲斐なく死去しました。野辺山 での元気さからは考えられないことでした。

S君 の家は、京都 でも最高級住宅地帯の 下鴨(しもがも)泉川 にあり、父君は有名な画家。同じ 京都 でも、下町商店街生まれの私とは全く違った育ちでした。

S君 死去の年・昭和59年(1984年)に、静岡大学教授 になっていた大学同級の MI君(2011年7月6日のブログ参照) が、S君 に先立って亡くなりました。私よりもはるかに頑健だったのに。

その2年前ごろ、香川大学 でも、転職時に御世話になった TT氏 をはじめ数人の教授たちが、50歳代後半で亡くなり、また、野辺山高原野菜視察 の翌年には、義弟 が40歳代の若さで死去しました。

大学受験勉強を始めるときに、進め方を教えてくれた専門学校同級の I君(2011年4月22日のブログ参照) も亡くなりました。彼は農林省で行政官となり、中年以後は各県の 食糧事務所長 を勤めていました。

鳥取県 から 香川県 の 食糧事務所長 に転任して、香川大学農学部長 や私のところへ着任挨拶に来たころは元気でしたが、間もなく発病し、高松市 で死去しました。

老少不定(ろうしょうふじょう)、会者定離(えしゃじょうり)、とはいっても、親密だった人たちが、定年も待たずに世を去って逝くのを厳粛に見送りながら、私は、人の世のきびしい現実と向き合っていました。








最終更新日  2012年04月13日 17時22分22秒
コメント(0) | コメントを書く

Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.