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2016年11月12日
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カテゴリ:カテゴリ未分類

国会議員選挙のたびに一票の格差が問題にされて。「違憲」だ、として裁判沙汰になる。その結果、選挙区の区割りの変更や定数是正が行われる。今の日本の社会経済状態では、人口の大都市への移動、とくに首都圏への集中がますます進むだろう。そして「違憲」状態は国政選挙のたびに果てしなく続き、首都圏から遠い道府県は人口減少の結果、選出国会議員定数がさらに削られるだろう。

         日本の県別人口密度
      (総務省統計局2011年資料より引用)

現在の議員定数配分が「違憲」だという根拠は、日本国憲法第14条にある。

14 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

この現行憲法第14条によれば、確かに今の都道府県別定数配分は「違憲」と.言われてもやむを得ない。

しかし、もっと根本的な視点から、国家というものを考えてみよう。

国家というものは、国民と国土(領土・領海) から成り立っている国土がなければ国家は存続できない。現在でも国土を持たない民族はいくつもある。そしてそれらの民族は、常に差別や迫害を受けている。過去の歴史を見ても、他国からの侵略や恫喝による領土の喪失、異民族からの圧政、迫害、殺戮は数えきれないほどある。日本でも、固有の領土のいくつかの離島が、現に他国に占領されたり、領海を侵犯されたりしている。


          日本の領土と領海等
         (海上保安庁の資料より引用)

国会でも、地方議会でも、議員は自分の選挙区の利害を第一に考えるのが常だ。議員は当選しなければ何にもならないからだ。その結果、人口減少の進む地域への目配りや予算配分はおのずと乏しくなる。それがまた、その地域での人口減少を加速する。そうした地域へは、異民族が不法に入り込み、住み着いて占拠されてしまう恐れも出てくる。古来、我が国は海が自然の防壁となって、異民族の侵入を防いできたが、艦船や航空機の発達した現代では、もはやその力も薄れている。

一方、明治以来築かれてきた都道府県制にも、住民の根強い意識がある。今年の参議院選挙で、中国地方と四国で2県を合わせた選挙区の合区が行われた。このうち、徳島県と高知県の2県一区では、四国の東北端から西南端までの長距離選挙区となった。それに加えて、支持する政党の候補者でも、隣の県の人だから投票しない、という人が多かったとも聞いている。道州制という話もあるが、当面、とても実現は難しいだろう。

国土保全・国土防衛という国家の存立基盤を確固とするためには、国会議員定数に領土領海面積を加味することが必要だと強く思う。

具体的には、まず国会議員定数を二分し、半分は領海を含む都道府県の面積割で配分し、あとの半分を人口割で配分するのが妥当ではないか。また、参議院議員定数については、各都道府県にまず一人を先取りし、あとを人口割で配分するという考え方もある。

しかし、うした改正には、まず現行憲法とそれにつながる諸法を改正しなければならない。憲法改正の必要性は、第九条だけの問題ではない。

       
私のホームページアドレス http://chusan.info/ 







最終更新日  2017年03月20日 21時24分45秒
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2016年01月15日
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨年、安全保障関連法 が成立した。その時、反対側の主たる論拠は、現行憲法に違反する、ということだった。日本国憲法第9条は、次のような内容だ。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


しかし、今の憲法が、それほどありがたい絶対的なものか。第9条だけでなく、今の憲法全体、日本人が制定したものではない。

1945年、第2次世界大戦で、連合国に無条件降伏した敗戦国日本は、連合国占領軍の支配下にあった。マッカーサー元帥を頂点とする連合国占領軍は、ほとんどがアメリカ軍、一部がイギリス軍だった。

          マッカーサー元帥
               マッカーサー元帥

当時のアメリカ、イギリスの国情は、日本に対する憎しみに満ちていた。それは当然だろう。アメリカは、緒戦にハワイ真珠湾を爆撃され、当時アメリカ領だったフィリピンをはじめグアム島・ウェーク島も占領され、その後の南太平洋の激闘で多数の艦船や航空機と将兵の生命を失ったし、イギリスは、香港・マレー半島・シンガポール・ビルマ・ボルネオを攻略され、現地軍は降伏させられたのだから・・・・・。戦争中は、日本でも、アメリカ、イギリスを「鬼畜米英」と言っていた。

そのゆえに、連合国軍は、日本が軍事的にはもちろん、産業でも経済でも、二度とアメリカ、イギリスに対抗できない国にしようとした。

1945年10月に、占領軍は日本政府(東久邇宮内閣)に対して、「大日本帝国憲法(明治憲法)」を廃止し新たな憲法を制定するよう指令した。1946年2月、日本政府(幣原内閣)は「憲法改正要綱」をGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に提出したが、GHQから拒否され、逆にGHQ案を渡されて、これに基づいて憲法を制定するように指示された。GHQ案マッカーサー草案とも呼ばれていた。

      占領下のGHQ本部
                占領下のGHQ本部          

このGHQ案を基に、幣原内閣は1946年2月に憲法改正草案文を発表。同年10月、次の第一次吉田茂内閣のもとで、憲法改正案が衆議院・貴族院で可決し成立、11月3日に公布、翌1947年5月3日から施行された。

現行憲法の特色は、第9条の「戦争放棄・交戦権の否認」、第25条の「国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」などだ。これを基に「平和憲法」「福祉憲法」などと言われている。一方、憲法に書いてある「納税の義務」「勤労の義務」については誰も言わない。

                     現行憲法公布文
           日本国憲法」公布文書

敗戦後70年間、日本が平和で来られたのは現行憲法のおかげではない。1951年以来締結継続されている「日米安全保障条約」によってアメリカ軍が駐留しているからだ。それでも今、国土の一部は、他国に占拠されたり、領海侵犯されたりしている。

また、第25条に基づいて、納税しない人たちへの給付や補助金などが膨れ上がって、国債発行額(国の借金)は1100兆円にも達している。日本政府の財政状態は、もはや限界に来ているのではないか。

現行憲法は理想主義に走りすぎている、と私は思う。一見結構ずくめのように見えるが、実は日本にペナルティを科した憲法だ、と私は思う。

そして第96条で、憲法の改正は衆参両院の総議員の三分の二以上の賛成を要するという、高いハードルを付けた。そのため、制定後69年間「日本国憲法」は一度も改正できないままだ。この間、ドイツは、時勢の変化に合わせて、60回も憲法改正が行われているとのことだ。

このままで行けば、近い将来、国土防衛も、国家経済も、破綻してしまうのではないかと、心配でならない。早く、現行憲法を改正して、自国民と領土と国家経済を自主的に守る「自主憲法」を制定すべきだ。






最終更新日  2016年01月17日 11時12分02秒
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2015年09月19日
カテゴリ:カテゴリ未分類
今朝、未明に、集団的自衛権の行使を限定的に容認する安全保障関連法が、国会で成立した。ほんとに長い日数をかけたものだと思う。安倍総理は、同じ内容の説明を何回繰り返しただろうか。最後は民主党をはじめとする野党が、理屈抜きの反対のための動議をいくつも出して抵抗した。安倍総理をはじめ関係閣僚はよく辛抱したものだ、と感心する。

          安倍総理大臣
               安倍総理大臣

この様子を見ていて、昭和35年の安保改定騒動を思い出した。当時の改定阻止行動はもっと激しかった。当時の野党・日本社会党はデモ隊を率いて国会内に乱入するようなことまでした。デモ隊には死人も出たし、岸信介総理も傷を負った。岸信介総理は安倍晋三総理の祖父にあたる。

          岸信介
               岸信介元総理

あの時、もし日米安保条約の改定継続がなかったら、日本はどうなっていただろうか。外国に侵略されていただろうとも思う。そしてその後の技術と経済の発展もなかっただろう。

共通して言えることは、反対闘争は東京だけのことで、地方は冷ややかな眼で騒動を見ていたことだ。

そして、今回の国会の状況を見て分かったことは、民主党が抵抗政党になってしまったことと、参議院がもはや良識の府でないことを露呈したことだ。

安全保障関連法への反対の主たる論拠は、現行憲法に違反する、ということだった。憲法についてはまた日を改めて意見を述べてみよう。

安倍総理、そして関係閣僚各位、ほんとにご苦労様でした。ゆっくり体を休めてください。






最終更新日  2015年09月19日 16時52分17秒
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2015年05月31日
カテゴリ:カテゴリ未分類
ワヤクチャ てなんだ? ワヤクチャ とは、「めちゃくちゃ」という意味の方言。西日本で広く使われている言葉だ。北海道でも言うらしい。

沖縄の嘉手納米軍基地の周辺に住宅や学校が増えたので、もっと北の辺野古へ移転しようという計画が早くに決まっていて、沖縄県も了承していた。ところが、5年前に民主党に政権が移り、鳩山由紀夫が総理大臣になって、基地の県外移転を言い出した。そして鹿児島県の徳之島などに声をかけたところ、猛反対にあって、やっぱり元の辺野古に戻すことにした。でも今度は沖縄県が承知しない。すったもんだの末に、自民党が政権を取り戻してから、ようやく沖縄県も辺野古で再度了解と話がついた。ところが選挙で知事が替わって、また基地移転反対と言い出した。

             yukiohatoyama-s.jpg
                鳩山由紀夫元首相

嘉手納基地周辺が危険だ、ということから、辺野古への移転ということになったはず。それに反対ということは、これからも嘉手納基地が存続するということだ。「どちらも嫌だ、ほかの県へ移転しろ 」というのは、日本の国土と国民の防衛を知らない者の言うことだ。

沖縄は、第2次大戦時に、唯一米軍が日本国土に上陸して地上戦が行われたところ。そのころ、ドイツは崩壊寸前、日本は軍艦も航空機もなくなっていた。アメリカは日本全土の空爆を続けるだけで日本を降伏させられるとわかっていただろう。それなのに、なぜ犠牲を覚悟で沖縄に上陸したのか。

         okinawasen-s.jpg
                沖縄戦のアメリカ兵

それは、戦後を見据えて、未来の東アジア全体に睨みを利かせるには、地理的に沖縄に軍事基地を置くのが最適と考えたからだ、と私は思う。

沖縄本島から、半径1,000km圏内には、福岡、上海、福州、台湾が含まれる。1,500km圏内には、大阪、南京、ソウル、平壌、マニラ、香港、などが入る。2000km圏内には、東京、仙台、北京、瀋陽、海南島、ロシアのウラジオストク、が入る。2500km圏内には北海道、重慶、成都、ハノイ、グアム、マリアナ諸島、が入る。まさに日本全土と東アジア、東南アジア全域を視野に入れられる場所だ。

沖縄戦では、日本の将兵も沖縄県人も多く亡くなっている。一方、アメリカ軍人も多くが戦死している。戦争で多くの自国民将兵の血を流して占領した敵地は、戦後に戦勝国が領有するのが昔からのならいだ。だから、戦後、アメリカは、沖縄を日本に返還する気などなかった。昭和30年代に入ってからも、ケネディ大統領もジョンソン大統領も沖縄を日本に帰す気はなかったようだ。

沖縄の北、奄美諸島は、昭和28年ごろに日本に返還されている。奄美諸島には戦時中に米軍は上陸せず、地上戦が行われていないから、アメリカも沖縄とは別扱いにしたのだと思う。

当時の沖縄はアメリカの軍政のもとにあって、沖縄人は沖縄をアメリカの領土としてアメリカ人になる道もあったはずだ。日本でも、沖縄はグアム島のように、アメリカが領有を続けると思う人が多かった。しかし当時の沖縄人は、日本への復帰を望んで、早くからその活動を始めた。1965年(昭和40年)に日本の総理大臣として初めて沖縄を訪問した佐藤栄作首相は、日本復帰のデモに囲まれて身動きができなかったほどだった。

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                 佐藤栄作元首相

ニクソン大統領の時代になって.アメリカは沖縄返還の意向を示して、返還交渉が始まった。
当時の沖縄米軍基地には核兵器が存在していて、それをどうするかで交渉が長引いたらしい。数年をかけた交渉ののち、沖縄は、米軍の基地はそのまま残すが核兵器は他に移すという、いわゆる「核抜き本土並み返還」に決まって、晴れて日本に返還された。

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              ニクソン元アメリカ大統領

沖縄返還 に際して、アメリカ 占領中に建設した施設などの資産引継ぎ費という名目で、返還協定 に基づき3億2000万ドル (当時の為替レート換算で約960億円)をアメリカに支払ったと聞いている。これは当時の日本国民の税金を使ったのだ。当時の沖縄政府は何も支払っていない。

長かった東西冷戦の中で、日本はアメリカと「日米安全保障条約」を結び、その軍事的保護下、いわゆる「核の傘」の下にいて、奇跡的な経済成長を遂げた。そしてそのアメリカの軍事基地のかなめが、沖縄の基地だ。

沖縄の軍事基地としての重要性は今も変わっていない。むしろ以前よりも重要性を増していると思う。これは東アジアの近隣諸国の現状と行動を見れば誰でもわかることだ。この重要性と基地の現状変更の兼ね合いを調整しようとするのが、基地の「辺野古への移転計画」だ。そして、それをワヤクチャにしたのが鳩山由紀夫だ。

当時、鳩山由紀夫は民主党の党首であり、総理大臣だった。今、鳩山由紀夫は民主党を離党し、国政にも関与していないと聞く。しかし、この基地移転をワヤクチャにした責任は消えない。そして日本の民主党も、元総裁のこの失政を自分たちの失態と認識して、あらためて反省し国民に謝罪しなければ、二度と政権の座に就くことはできないだろう。







最終更新日  2015年08月12日 21時38分15秒
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2015年04月23日
カテゴリ:カテゴリ未分類
今の日本では、人口減少の対策として 子育て支援 が声高に叫ばれている。地方の県でも、その中の田舎町でも、子育て支援 に大きな支出をしているところが多い。しかし今の日本の社会情勢のなかでは、これがかえって地方を疲弊させるように思う。

      kosodate
                
なぜなら、
こうした地方財源を使って成長した若者は、優秀な者ほど首都圏を中心とした大都会の大学に進学する。その在学中に、親は多額の仕送りをする。そして卒業後、大企業に就職してそのまま大都会に住み続ける。そして生活物資を大都会で買い、住民税を大都会に納める。出身の田舎町には税金を納めない。買い物もしない。

つまり地方の自治体も、個人も、乏しいお金を大都会のために払い続け、結果的に大都会に若い人材と富が集まる。それに反して地方には優秀な若者はいなくなり、経済的にも貧しいままとなる。

政府は 平衡交付税 を地方の県や市町村に交付しているが、地方からの持ち出しには及ばない。ふるさと納税など微々たるもので、地方の景品目当てが多い。

子供が定年退職しても田舎へは帰らないので、歳とった親が、仕方なく大都会周辺へ移る例もある。昨年、中国地方の町に住んでいた私の友人が、息子の住む首都圏へ転居した。90歳近くなっての引っ越しは、大変だったろうと思う。

つい先日、近くの町で県議会議員の選挙があった。一人の定数に二人が立候補した。候補者の一人は女性で、現職の町長や地区選出の民主党衆議院議員の積極的な応援を受けて、もっぱら「子育て支援 ! 子育て支援 !」と叫び続けて車で走り回った。それで、この女性候補が当選すると思った人が多かったが、落選した。

どうやら、首都圏から遠く離れた地方に住む中高年者は、子育て支援 が、自分たちにとっても、住んでいる自治体にとっても、マイナスになる、ということを知り始めたようだ。

今の高年者が 子育て をした時代には、子育て支援子供手当 もなかった。「それでも、夫婦が努力し倹約して、何人もの子供を育てたのだ。今の若い者たちは、支援してもらわないと、自分の子供も育てられないのか ! 」という気持ちが強くなったのだろう。

大都市から遠く離れた地方では子育て支援 による自治体の財政支出によって、かえって地域が疲弊し、老年者は捨て置かれてしまうという結果をもたらす感じがしてならない。

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私は「チューさんの今昔ばなしと野菜ワールド」というホームページも書いています。そちらもぜひご覧ください。






最終更新日  2015年04月25日 17時48分27秒
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2015年03月27日
カテゴリ:カテゴリ未分類
今の安倍内閣は、経済最優先として「アベノミックス」と称する経済政策をうたい文句にしている。しかしこれは通貨の価値を下げ、物価を上げるインフレ政策だ。インフレーションは一時的には景気を刺激するので、過去にもこの手段が使われた。池田内閣の「所得倍増政策」や田中内閣の「日本列島改造論」などだ。

             shinzou abe.jpg

所得倍増政策」も「日本列島改造論」も初めは歓迎されたが、収入増加よりも物価の高騰のほうがひどく、狂乱物価などと言われるほどになった。池田内閣も田中内閣も終わりは不評で短命に終わった。

政治家が、景気対策の声に押されて、インフレ政策を調子のよい言葉に変えて言うのはある程度わからないこともないが、日銀総裁までが「インフレ目標、年2パーセント」などと公言するのはおかしい。国の中央銀行は、自国通貨価値を安定的に保つのが最大の役目だと思うのに、その総裁が自国の通貨価値を意図的に下げてゆこうとするのは何事かと言いたい。

インフレ目標、年2パーセント というのなら、賃金だけでなく、年金支給も毎年2パーセントのベースアップ、預金金利も年利率2パーセントにしないと、停年退職者は物価高に苦しみ、命綱の退職金は年々目減りして、果ては生活困窮者になってしまうだろう。そしてその損害を最も大きく受けるのは、ここ数年間に定年をむかえた、いわゆる団塊の世代の高齢者だろう。

インフレ政策は、高齢者の生活を脅かす政策堅実な者が損をする政策国民の精神を荒らす政策 だと私は思う。

それに今、物価は2パーセントどころではなく、日銀総裁の掛け声より以上に上がり始めている。具体例としては乳製品がすでに5~20パーセント値上がりしている。メーカーは抜け目なく、商品の容量を減らして見かけの値段を据え置く、というような作戦をとっている。

この先、経済最優先を掲げる安倍内閣は、どんなかじ取りをするのだろうか。よく見守ってゆかねばならないと思う。

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今回から、このブログの文体を変えました。
私は「チューさんの今昔ばなしと野菜ワールド」というホームページも書いています。そちらもぜひご覧ください。






最終更新日  2015年04月21日 16時39分07秒
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2015年01月27日
カテゴリ:カテゴリ未分類
2015年に入り、1月も終わりになりました。永い間ブログから遠のいていましたが、私のホームページ「チューさんの今昔ばなし」の部分英訳がほぼ終わったので、また時々ブログを書いてみようと思います。

さて、今年は「ひつじ年」。ヒツジの絵や写真の入った年賀状を何枚もいただきました。ヒツジは高温多湿の日本では飼いにくい家畜ですが、乾燥していて草原の広がる地域では、太古から広く飼われている動物です。

私は植物愛好者なので、今年の年賀状と寒中見舞はがきに、次のような ヒツジグサ の写真を載せました。ヒツジグサ はスイレンと同じ仲間で、日本をはじめ北半球の温帯に広く分布している水草です。

        ヒツジグサと歌詞

写真の右の詩は私の作ったものではありません。これは今から百年前の大正4年(1915年)に、吉田千秋という人が、訳詞と作曲をした「ひつじぐさ」という歌の3番の歌詞です。吉田千秋氏は、この歌を残して24歳の若さで亡くなりました。

レコードも著作権もない時代、この歌は口移しで旧制高等学校の学生間で歌われました。大正6年(1917年)、京都の旧制第三高等学校ボート部の小口太郎氏がこの曲を借りて替え歌を作詞しました。それが、今も叙情歌として歌われている「琵琶湖周航の歌」です。

元歌の「ひつじぐさ」は歌われなくなってしまいましたが、そのメロディは「琵琶湖周航の歌」として残り、吉田千秋氏は、この歌の作曲者として名を残しています。

曲は ここ をクリックすると聴くことができます。

では、またお会いしましょう。






最終更新日  2015年03月28日 12時54分50秒
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2014年06月27日
カテゴリ:カテゴリ未分類
2年前までこのブログに「チューさんの今昔ばなし」を書き続けて、いったんブログを終わりとしました。その後、「「チューさんの今昔ばなし」を私のホームページに編集し直し、部分的に英文も併記して公開しました。

それらが一段落したので、また、何か話題のできたときにこのブログを書いてみようと思っています。

ところで、この夏に、台湾国立博物院の至宝・翠玉白菜 が日本で展示されるそうです。翠玉白菜 は食べる白菜ではなく、翡翠の原石から彫りだした芸術品です。中国の国宝というだけでなく、世界でも稀にみる芸術作品です。さらにこの彫刻には近代現代の中国の歴史が絡んでいて、それがこの彫刻の存在価値をいっそう高めています。

以前、私は、この 翠玉白菜 についてホームページで紹介し、写真も掲載しました。その本物が初めて中国を出て日本で展示されることは、まことに意義深いことと思います。私のホームページチューさんの今昔ばなしと野菜ワールドでは、「野菜ワールド」の 野菜こぼれ話 第十五話 に記載しています。ご覧いただければ幸いです。

It is said that the Jade Chinese cabbage of the great treasure of the Taiwan National Museum is exhibited in Japan this summer. Jade Chinese cabbage is not the Chinese cabbage to eat but the sculpture engraved the ore of jade.

It not only calls it a Chinese national treasure, but it is a work of art seen rarely also in the world. Furthermore, this sculpture is used involving the history of China of the modern present age, and it is raising the existence value of this sculpture to it further.

Before, I introduced this Jade Chinese cabbage by the homepage, and also published the photograph.

the genuine article comes out of China for the first time, and is exhibited in Japan -- truly -- an objection -- I think a deep thing.

My homepage "Chu's tale, and the vegetable world ", it is "vegetable world" Vegetable titbit The 15th talk It has indicated. I am pleased if you take a look.






最終更新日  2014年06月30日 11時01分39秒
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2012年07月30日
カテゴリ:カテゴリ未分類


平成4年(1992年)3月 に 定年退職 してから、20年以上が過ぎました。平成11年(1999年) に 京都 へ行ってからも10数年が経ちました。年齢も 85歳 間近 になりました。その間、私 にも 日本 にも良いことはあまりなかった、と思います。

私の場合は、平成11年(1999年) の京都旅行の年の秋に 腹腔内腫瘍 が見つかり、入院して 開腹手術、またその3年後に、別の箇所の 良性腫瘍 で入院手術、その間に 膝痛 も起こって、旅行も出来なくなりました。それで、パソコン の扱いを習得して、楽しむことを始めました。

私は 老年者 ですから、これらの身体の障害の起こるのは仕方のないことですが、先進国 日本 も良くない事が続きました。

天災や事件としては、 香川県大渇水松本サリン事件阪神淡路大震災地下鉄サリン事件新潟県地震、そして 東日本大震災 と、大津波による 原子力発電所損壊・放射能汚染、などなど。

政治については、自民党 の長期政権が平成5年(1993年)の選挙に敗れ、日本新党 の 細川内閣 にとって代わられましたが、細川政権 も1年とは持たず、再び 自民党政権 に戻り、10年ほど続きました。それがまた、民主党 に政権を奪われて、今にいたっています。



             ブログ日の丸.jpg


その間、どの政権も 国家財政 を建て直しできず、政権維持のためにバラマキを続け、今や 日本国財政累積赤字、つまり 「国の借金」 は 千兆円 を超えています。この先、日本経済と国民の暮らし は、いったいどうなるのでしょうか ・・・・・。

さて、2年あまり続けてきた、私の ブログチューさんの今昔ばなし」 も、昭和3年 のころのことから書き始めて、今の時代 に来てしまいました。現在のことは、若い方々もよくご存知のことばかり。、私の  想い出日記  もそろそろ終わりにしたいと思います。

ブログは、 「始めのころに書いた箇所が見にくい、面倒だ」 と、よく言われます。それで、この ブログ を、私の ホームページ に組み込んで、見ていただくことにしました。

このブログを、書き初めの 昭和3年 から 最終ページまで、ホームページ 用 に改訂し、内容も書き加えて、公開しています。  目次 から、どのページでも見られます。

  新ホームページアドレスは ・・・・・ http://chusan.info/

     題 名 は   「チューさんの今昔ばなしと野菜ワールド」


なお、このエピローグ以後のことは、 ホームページ  の方に書いていますので、そちらでご覧ください。   

永い間、私のブログをご覧いただき、コメントも数々頂戴して、ありがとうございました。この ブログ は、このまま置いておきます。
私の寿命があって体力が続くようでしたら、また テーマ を替えて、新しい ブログ を書き始めたいと思っています。

では、最後に、皆々様のご健勝をお祈りいたします









最終更新日  2014年06月07日 17時35分15秒
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2012年07月25日
カテゴリ:カテゴリ未分類

平成11年(1999年)3月、若いときから引き立てていただいた先輩・TM先生米寿祝賀会 に出席のため 京都 へ出かけました。

この年の2年前、顔に異物ができて、診断の結果、皮膚がん と分かりました。すぐに手術を受けて、患部を切除してもらいました。入院はせず、通院で事後の処置と追加観察を続けましたが、自分ももうこんなものができる年代に入ったかと感しました。

兄姉も、みな世を去り、私の体にも異物ができるようになったことから、京都 に来るのも終わりかもしれない、との思いがしました。京都 も、繁華なところは以前よりも美しくなったなと思っていましたが、昔を知る者としては、ずいぶん派手なけばけばしい街になったな、とも感じていました。

以前から、京都 へ来て帰る日には、円山公園 のなかの料理店で、昼食をとるようにしていました。この店は公園内の奥の南端にあって、その南側には長い白い土塀が続いています。土塀には狭い入口があって、一歩南へ入れば、東大谷本廟 の 墓地。東山 の中腹に見渡すかぎり 墓石また墓石。私の姉二人 もここに眠っています。

この1枚の土塀を隔てて、こちら側 は、桜が咲き観光客のざわめきがにぎやかな、この世の世界。そして、あちら側 は、この世のつとめを終えた人たちの眠る、静寂安楽 の世界。私はここへ来るとき、いつもその思いがしました。年とってからはなおさらです。


         長楽寺門前
                        長楽寺門前

この境界の公園側を奥へ登っていくと、お寺があります。名は 長楽寺。小さいお寺ですが、歴史は古く、源平合戦 で敗れて都へ連れ戻された、平清盛 の娘・中宮徳子 (建礼門院) は、ここで落飾したと伝えられています。


       安徳天皇遺品
                        安徳天皇遺品


       崇徳上皇念持仏
                       崇徳上皇念持仏

お寺には、安徳天皇崇徳上皇 の遺品が今も残されています。最奥には 鐘楼 があって、遺品を拝観したものは、鐘を突いてもよいということでした。この釣鐘は、まさに “祇園精舎の鐘” 。突き鳴らす鐘の音は “諸行無常” と響いているように聞こえました。


         長楽寺の鐘を突く妻                                  
                         長楽寺の鐘を突く妻







最終更新日  2012年07月25日 14時39分43秒
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