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chuchusaku

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2009年10月04日
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カテゴリ:教育
苅谷剛彦『教育と平等』読了。

やっと、苅谷君も、現場のことがわかってきたなって感じですね。

ってとこで、東大を捨てて、オックスフォードですか?

せいぜい頑張ってください。

この本で彼がやっと気づいたのは、学校は学級が基本単位ということで、

そのことが大きいということです。

あたりまえだ!

で、今一歩突っ込めていないのが、この「学級単位=村社会」

大江健三郎流に言えば、「学級=村=小宇宙」になるのでしょうが、

学校運営、教員の業務、労務等、全般に大きな影響を与えているということ、

だから、さまざまな教育施策が空振りに終わってしまう(ここは突っ込んでました)ということ、

で、それを解消するには、どうすればいいかについては、全く触れていない。

まあ、わかんなくなっちゃったんだろうね、苅谷くん。

そこに澱む怨念のような民俗的なパワーは強力だよ、苅谷くん。

学校に子どもを通わせるようになって、地域と結びつくようになる実態、

あの、井戸端ならぬ公園やスーパーのレジでの母たちの会話を占める学校の話題の比率。

そこにひそむ、ねたみそねみひがみ。

ああいうものをどう処理していくのか、またはある程度引き受けていくのか、

そういうことが、ちっともわかっとらんよ、オックスフォード大学教授には。

でも、そのとば口にはついたね。

あとは、優秀な頭脳で、あきらめないで分析して欲しい。

あきらめて右に急旋回するお坊ちゃま学者が多いから、そうならないでくださいね。

なりそうな匂いをもっているからね、苅谷くんは。

ってなことで、『教育と平等』(中公新書)は、まあおもしろいです。

ちょっと、関係者以外には難しいかもしれないけど。





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最終更新日  2009年10月04日 18時58分39秒
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