2009/10/04(日)18:58
苅谷剛彦
苅谷剛彦『教育と平等』読了。
やっと、苅谷君も、現場のことがわかってきたなって感じですね。
ってとこで、東大を捨てて、オックスフォードですか?
せいぜい頑張ってください。
この本で彼がやっと気づいたのは、学校は学級が基本単位ということで、
そのことが大きいということです。
あたりまえだ!
で、今一歩突っ込めていないのが、この「学級単位=村社会」
大江健三郎流に言えば、「学級=村=小宇宙」になるのでしょうが、
学校運営、教員の業務、労務等、全般に大きな影響を与えているということ、
だから、さまざまな教育施策が空振りに終わってしまう(ここは突っ込んでました)ということ、
で、それを解消するには、どうすればいいかについては、全く触れていない。
まあ、わかんなくなっちゃったんだろうね、苅谷くん。
そこに澱む怨念のような民俗的なパワーは強力だよ、苅谷くん。
学校に子どもを通わせるようになって、地域と結びつくようになる実態、
あの、井戸端ならぬ公園やスーパーのレジでの母たちの会話を占める学校の話題の比率。
そこにひそむ、ねたみそねみひがみ。
ああいうものをどう処理していくのか、またはある程度引き受けていくのか、
そういうことが、ちっともわかっとらんよ、オックスフォード大学教授には。
でも、そのとば口にはついたね。
あとは、優秀な頭脳で、あきらめないで分析して欲しい。
あきらめて右に急旋回するお坊ちゃま学者が多いから、そうならないでくださいね。
なりそうな匂いをもっているからね、苅谷くんは。
ってなことで、『教育と平等』(中公新書)は、まあおもしろいです。
ちょっと、関係者以外には難しいかもしれないけど。