2008/05/03(土)05:49
ランボー 怒りの脱出
「君はもう自由だ。我々の所へ戻って来い。」
「(戻ったところで)何がある。友達はここで死に・・・おれの心も死んだ。」
「間違った戦争だったが国を憎むな。」
「憎む? (おれは)命を捧げます。」
「では何が望みだ。」
「彼らが・・・望んだことです。彼らはこの土地へ来て戦いに身を投じながら一つのことを願った。国への想いが報われることです。・・・おれも同じだ。」
これほどまで主人公のセリフが少ないシリーズも珍しい。
だがスタローンは自己分析の長けている知的な俳優なので、「ロッキー」シリーズにしろ「ランボー」シリーズにしろその作品が何をメインとしているのかをよく認識している。
「ランボー」にストーリーなんかいらない。
いかに強くたくましい勇者であるかをスクリーンに映し出す、それがこの作品のメインなのだから。
そしてスタローンは“ランボー”という強い男のイメージを、そっくりそのまま我がものにすることに成功した。
どんなに過酷な状況でも屈することなく、やがて己の足で立ち上がってリベンジする精神力。
この打たれ強さ、忍耐力は、日本人の眠れる魂を揺さぶるのかもしれない。
その証拠に80年代の日本では、「ランボー」が大ヒット。
名実ともに“ランボー”イコール“スタローン”という図式ができ上がったのだ。
服役中のランボーのもとに、ベトナム戦争時代の元上官であるトラウトマン大佐が訪れる。
ランボーにしかできない極秘任務の依頼のためだった。
それは、ベトナムの捕虜収容所付近に潜入し、いまだ囚われの身となっている戦争捕虜の姿を証拠写真として撮影して帰ることだった。
任務を承諾したランボーは、タイの米軍基地から軍用ヘリでベトナムへ潜入。
決死の覚悟で収容所に到着すると、その凄まじい劣悪な環境にがく然とする。
檻の中でアメリカ兵たちはやせ細り、マラリアにかかって熱にうなされ、あるいは化膿した傷口をねずみがかじっているという驚愕の惨状だったのだ。
任務はあくまで“証拠写真の撮影のみ”で、決して捕虜の救出ではなかったが、ランボーは命令を無視して囚われの身となっている全てのアメリカ兵を助け出すことを決意する。
印象に残るのは、ランボーが泥に同化して目だけがギョロリと動き、次の瞬間敵を容易く倒して、たった一人でゲリラ戦を続けていくシーン。
ランボー一人に対し、敵は何百、何千人体制で交戦するのだから、いかにランボーが屈強であるかお分かりであろう。
そんな人間兵器“ランボー”は、肩の力を入れずに勧善懲悪のアクション映画として多いに楽しみたい作品なのだ。
1985年公開
【監督】ジョージ・P・コスマトス
【出演】シルヴェスター・スタローン
また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。
See you next time !(^^)