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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:「甘い人生」
映画「甘い人生」にはキーになる場面が二つある。
ひとつは主人公が歩く場面。 彼が歩く場面のほとんどは狭く薄暗い路地と回廊である。 狭い道で、左右に曲がるという選択肢はない。 彼女に男が存在することが判ったときに、もうひとつの 選択もあったのかも知れないが、それはあくまで第三者の 考えで、彼としてはあの選択しかなかったのだ。 あの狭い路地や回廊は彼のそのような運命を暗示している。 もうひとつは、ラスト近くの主人公のシャドーボクシング の場面。 これは何を意味するのだろうか。 冒頭に師匠と弟子との会話がある。 「柳が揺れている。柳が動いているのか。風が動いているのか」 という弟子の問いに師匠は、 「それはお前の心が揺れているのだ」 と応える。 また、ラストにもこの二人の会話があり、 弟子の 「甘い夢でした。かなわない夢でした。」 という答えがある。 この二つの会話は、この映画のテーマに関わるものであることは 明確である。 すると、あのシャドーボクシングは、 主人公が死ぬ間際に見た幻なのか、 それとも、シャドーボクシングが現実で、 この映画で描かれたドラマが、主人公が彼の心の揺らぎの中で見た 幻なのか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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