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2008/01/10(木)07:46

パンズ・ラビリンス■現実世界と物語世界の残酷な関係

作品レビュー(外国映画)(769)

この映画には大変にひきつけられた。 周辺の方々も含めて、この映画の素晴らしさとすごさを伝えたい のであるが、どのような言葉でそれが出来るのか、心乱れている。 スペイン戦争について、スペインの歴史、そこに住む人々の生き方、 宗教、そしてギリシア神話についてもっと知れば、もっと深く見る ことが出来るのではないかと悔しい思いでもある。 オフェリアがパンから与えたれた「3つの試練」、この「3つの試 練」とは様々な英雄譚、伝承に登場するものだ。 ここでは「姫君であること」を「確かめるため」に、この「3つの 試練」を果たさねばならない。物語の展開上はこれでもいいのだが、 よく考えると、また映画を見た後も非常に疑問が残る。「3つの試 練」と「姫君であること」とは何の関係もないのである。「3つの 試練」を経て宮殿への地図が入手できるなどという説得力あるつな がりはないのである。 彼女の左肩にある赤い痣が、その証拠であれば、それを見せれば、 済む話ではないかとも思う。 このようなことを考えるとパンがオフェリアに与えた試練は、パン のいたずらであり、余計なことのような気がする。 このことを現実の世界のことで当てはめて考えてみよう。 我々は、誰しも個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対 する権利については、最大の尊重を必要とされ、健康で文化的な最 低限度の生活を営む権利を有しているはずであるが、現実はどうで あろうか? 救済法案は無事に成立する見通しだが、そこに至るまでに彼らは あそこまで権力に翻弄されなばならないのだろうか? それは岩国市民、旧国鉄労働者、失政による様々な被害者にも言え ることである。これらはまさにパンが悪戯に与えた試練のようなも のだ。 「パンズ・ラビリンス」の現実世界と物語の世界は、補完でも正反 対でもなく、相似であり同一の関係にある。 現実のビダル大尉は物語世界のいかなる怪物よりも恐怖を与える存 在である。 この映画は、まさに安らぎのファンタジー映画ではなく、残酷で厳 しい現実を非常にリアルに描いた映画である。

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