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テーマ:映画から何かがはじまる(570)
カテゴリ:映画監督
題名の「フィクサー」とは日本で付けられたものであるが、
これと同じ題名の作品がある。 1968年のアメリカ映画。監督はジョン・フランケンハイマー で、脚本はダルトン・トランボ。 内容は帝政ロシアの時代、冤罪と戦うユダヤ人の物語である。 非常に重量感のあるエンターテイメントであった。 今回の作品もまた、優れた知的あるいは社会派エンターテイ メントである。 「フィクサー」という題名を意識したせいか、この映画を見 ながら、ジョージ・クルーニーは60年代のジョン・フランケン ハイマーと彼とコンビを組んだバート・ランカスターの役割を 果たしているのではないかと思った。 そういえば、今回は役者として出演のシドニー・ポラックは フランケンハイマーによって監督の道を歩みだしたという経歴 の持ち主。 ジョージ・クルーニーの作品「シリアナ」、「グッドナイト・ グッドラック」、そしてこの「フィクサー」も、フランケンハ イマー監督作品であったとしてもおかしくない内容である。 もし、彼ならどんな作品になったのか想像するのも楽しい。 後半は決して恵まれたといえないフランケンハイマーを偲びな がら見た今回の「フィクサー」であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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