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テーマ:政治について(19773)
カテゴリ:カテゴリ未分類
先日、衆院で可決された臓器移植法改正案(A案)であるが、こ
のベースには「国内の臓器移植を増やすため」という考え方があ る。実際に提案議員たちは事前の勉強会で「国内の臓器提供を増 やすためにはA案成立が不可欠」とする決議を採択している。 この「増やす」という表現は、非常に違和感と怒りを覚える。 これによって救われる命も多いかも知れないが、それは理解する ものの、それによって「死」と断定される人もそれだけ多いとい うことなのだ。A案に賛成した議員たちは、このようなことにま で思い至ったのだろうか? そもそも、このよう事情があることについて「増やす」と、まる で工業製品の増産のようなニュアンスで表現する無神経さには、 あきれるというか・・・。ここには生命への、人への尊厳は全く 感じられない。 「脳死が人の死」と決まれば、感情的に納得できずにそれを拒否 する患者や家族の権利は一切守られないであろう。 そのうちに「法律を守れ」とずかずかと迫って全国からバッシング を受けることになるだろう。 今の日本ならそういうことは必ず起きる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
仰られている事は、まったく同感です。
この臓器移植論議では、まだ使えるものが再利用的な発想があるようですが、昨今の科学万能と資本主義(商業)が合体したような考え方で、『人への尊厳』とか命の意味とかに対する無頓着を感じる。 A案が成立して現在の10倍になっても移植用臓器はまったく足りないので、脳死臓器移植は根本的な問題解決からは程遠い。 (2009年06月23日 09時06分00秒)
すみません。トラックバックをいただいたのですが、記事が映画の内容でしたので、こちらの記事のトラバを以下へお願いいたします。
http://hizjihizji.blog85.fc2.com/blog-entry-519.html (2009年06月23日 16時04分59秒)
コメントとトラックバックをありがとうございます。
脳死臓器移植の根底には「強欲」を感じます。 「人への尊厳」とは全く感じられません。 そもそも人の死を期待する医療というものが あっていいのでしょうか? (2009年06月24日 07時31分09秒)
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