|
全て
| カテゴリ未分類
| 浜んまち映画祭
| 「甘い人生」
| 作品レビュー(日本映画)
| 読書レビュー
| 時事
| 作品レビュー(外国映画)
| 映画の話題全般
| 映画スタッフ
| 映画俳優
| 長崎の話題
| 映画監督
| 作品レビュー(中国、香港、韓国、台湾)
| 硫黄島2部作
| 実録・連合赤軍
| 映画「靖国」
| 演劇
| アクセス数
| 哲学カフェ
| ソーシャルネットワーク
テーマ:映画から何かがはじまる(571)
カテゴリ:作品レビュー(外国映画)
ナチスとヒトラーが登場する映画で常に描かれるのは
彼らを熱狂的に支持する民衆の姿である。 ヒトラー率いるナチスが党勢を拡大していったのは決 して彼らの独裁的な圧力だけではなく、こうした民衆 の熱い支持もまたその大きな要因ではなかったのか。 「愛を読むひと」でハンナが裁かれるシーンで感じた のは、では、ハンナをナチスに関わらせることになっ た時代の空気を作っていった彼女の周辺の人々は裁か れる必要はないのだろうかということだ。 ハンナが裁判官に投げかけた「じゃあ、あなただったら どうしたの?」という問いは、裁判の事案となっていた 教会の火災の件だけではなく、自分がナチスに関わる に至った経緯も含めてのことではなかったのだろうか。 ハンナを追い込んでいったものは、彼女が自分が文盲で あることを隠していった個人的なことのように描きなが ら、実は、彼女の周辺の人々の卑怯な沈黙にあることを この映画は描いているのではなかろうか。 この映画が図らずも浮かび上がらせたのは、歴史の当事 者とその背景にいる人々の沈黙である。 判っていながら勇気を出せなかった人も含めての罪をあ ぶり出したのではなかろうか。 知っていながら、もうひとつ勇気を出すことが出来なか ったマイケルは、その代表として描かれているのではな かろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[作品レビュー(外国映画)] カテゴリの最新記事
|
|