2010/05/30(日)11:38
続 子どもの幸せ
ええっと、
前回の『幸せを重ねる』がとっても分かりやすい人たちから、分かりやすい反響があったので、もう少し詳しく書きます。”さざえさん”も判明しました。お知りになりたい方は直接お尋ねくださいマセ。
というのは前回は要約した状態で書いたので、内容は同じなんですが、ニュアンスがちょっと違うので、そこだけ切り取って書きますね。
実はあの話は『あるお母さんの話』(どうやらアメリカ人であるらしい)としてレスリーが紹介してくれたものだったんです。レスリー自身が『○○しましょう』と話したわけではないです。
こういう話でした。
あるお母さんが子どもの幸せとは何かと考えました。
子どもの将来の幸せを考えてみるんだけど、よく分からない、と。
どうしたら私は自分の子どもを将来幸せにしてあげることができるんだろう、と。
それで分割して考えてみたんだそうです。
『将来』とは毎日の積み重ねの結果よね。
だったら『将来の幸せ』は『毎日の幸せ』を重ねた結果でしかないのよね。
私は何ができる有能な母じゃないから。
子どもの『今日』が『幸せ』であるにように願うことしかできないわ。
朝のスタートが良くなかったら、『今日が幸せ』でなくなってしまう。
『今日の幸せ』がなれけば『明日の幸せ』もないのよね。
私にできることは
『アナタの今日が良い日でありますように』と願って『笑顔』で送り出すことだけ。
だから私はそうしているの。そしらきっとこの子達は将来幸せなんじゃないかって思うの。
そういう話でした。
『お母さんの笑顔』が大切です。
『お母さんの心』が子どもに影響を与えます。
いくらでもそんな話は巷に転がっていて、それでも半ば逆切れな私は『できないものはできないっ!』と思っていました。でもこのお母さんの話は内容は同じなのに私の心にストラーイク!。なんだろう、うまく説明できないんだけど、今までの私は無理してでも『笑顔』じゃなきゃいけないから、『笑わなきゃ』と思っていた気がするのね。
でもこのお母さんの話はだたひたすら『目の前にいるこの子の幸せ』を願っているんだな。って思うの。『笑顔』はその結果でしかない、というか。これこそ『愛』がないとそうはなれない。
うん、なれないよね。
きっとこのお母さんは懐が広いだけじゃなくて、本当はきっと有能でいろんな事ができるお母さんのような気がする。その説明はなかったから分からないけど、謙虚であれる人って能力が高い人が多いじゃない。
なのに、そんな人に限って『私にできることは笑顔で送り出すことだけ』だなんて。
そんな事すらなかなかできない私です。
きっと私にできることは色々あるはずだよね。
感謝すること。リスペクトすること。そのままを受け入れること。相手を受け止めること。話を聞くこと。大好きでいること。祈るトコ。願うこと。
それをするためには
人より賢くある必要も、りっぱな家に住む必要も、時間の余裕がある必要も、お金持ちである必要もない。私の心が澄んでさえいればきっとできることなんだろうね。
心が汚れてますが、よどんでますが、
朝日を浴びて浄化してみますわ。
マサミ