000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

極東三馬鹿調査委員会

竹島問題

【竹島】 アメリカから韓国への最後通達「最終的に韓国の領土ではない」

ヤン韓国大使とエモンズ北東アジア課朝鮮担当官による会談や書簡から解ること

この会談が始まる以前からの流れを、概観しておこう

1949年11月14日、日本側の要請を受けたシーボルト駐日政治顧問がアメリカ国務省に対して、「竹島はもともと日本領だった」と提言した。
1951年1月26日、韓国は独自に「対日講話会議に対する韓国政府の方針」を定める。
1951年6月初旬、韓国政府は独島と波浪島を「平和条約」の第二条に追加して韓国領にする意見書をアメリカに提出
1951年7月12日、アメリカに対して、日本が対馬に対する権利を放棄することなどを含めた10項目の覚書を送る
1951年7月18日、再度、アメリカに対して5項目の要求を行い、「独島・対馬島・波浪島」を韓国領に含めるように求めた。

その流れを把握したうえで、以下の会談や書簡を検討していこう。





北東アジア課朝鮮担当官(エモンズ)による会談覚書1951/7/19

FR1951年六巻1202頁以下
北東アジア課朝鮮担当官(エモンズ)による会談覚書
(ワシントン)1951年7月19日
秘密
主題 対日平和条約
出席者 ユーチャン・ヤン博士、韓国大使
ピョーウーク・ハン氏、韓国大使館一等書記官
ジョージフォレスター・ダレス大使
アーサー・B・エモンズ氏、朝鮮担当第三事務官

韓国大使は、本日午後二時、事前の面会約束によってダレス氏を訪問した。
ヤン博士は、会談の開始に際し、
韓国政府が対日平和条約に組み入れることを考慮してほしいと希望する
いくつかの点を掲げる国務長官あての公文(添付資料)をダレス氏に提出した。
(中略)
ダレス氏は韓国大使の伝達文第一項が対馬島に言及していないことを指摘し、
韓国大使はこれが落とされたことに同意した。

次いでダレス氏はドク島、パラン島二島の位置について尋ねた。
ヤン氏は、これらは日本海にある小島であり、大体鬱陵島の近くだと思うと述べた。
ダレス氏はこれらの島が日本の朝鮮併合前に朝鮮のものであったかどうかを尋ね、大使は肯定した。

ダレス氏は、もしそうであれば条約中の日本による韓国領土の領土権放棄に関する適当な箇所にこれらの島を入れることについて、
特に問題はないとした。
(中略)


ダレス氏は、この会談の席上で、
これらの島が日本の朝鮮併合前に朝鮮のものであったならば、
条約中の日本による韓国領土の領土権放棄に関する適当な箇所に、
これらの島を入れることについて、特に問題はないと言ったわけだ。

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/10FRUS.html





韓国大使(ヤン)から国務長官へ1951/7/19

添付資料
韓国大使(ヤン)から国務長官へ
〔ワシントン〕一九五一年七月一九日

書簡をもって啓上いたします。
本大使は、近時の改訂された対日平和条約草案に関する次の要望を国務省において検討されたく、
本国政府の訓令に基づき閣下に提出する光栄を有します。

一、大韓民国政府は、第二条a項の「放棄する」という語を、
「朝鮮ならびに済州島、巨文鳥、欝陸島、独島およびパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一郡であった島々に対する
すべての権利、隆原および請求権を、一九四五年八月九日に放棄したことを確認する」と置き換えるよう要望する。(略)


「一九四五年八月九日に放棄したことを確認」ここに着目ですね。

1951年における韓国政府の主張には3つのポイントがあります。
1 、ポツダム宣言受諾で日本は竹島を放棄(法実行)した、
2.、SF条約で、その実行を確認する、
3、 GHQではなく、米国国務長官への要求だったこと

まず、1のポイントについて考えてみます。
ポツダム宣言受諾により拘束されるのは、
日本と連合国のみであり、受諾時に存在しない韓国の意志は関係ありません。

当然、その宣言の解釈も当事国である連合国と日本のみが可能。
即ち、日本の放棄領土に関して、韓国には何ら権利も権限も有せず、
日本と連合国の判断に委ねていることを自ら表明しているに他なりません。


次に2のポイントについて考えてみます。
連合国ではアメリカだけが韓国をSF条約の署名国にしようと強力にpushした。
(戦勝国ではなく、当時ボロボロだった韓国の国際的な威信を高めるという意図だったが)
しかし、イギリスからの、韓国は交戦国ではないとの当然の猛反発をくらい、
1951年7月9日のラスク・梁裕燦韓国大使会談で署名国になれないと最終通告された上での書簡だったこと。
即ち、「放棄領土の確認行為」の国際法主体が日本と連合国にしかないことを表明しているにすぎません。


次に3のポイントについて考えてみます。
この領土に関する要求を連合国最高司令官ではなく米国国務長官にしているのは何故でしょうか?
竹島の領域権原を「国際法上の合法機関」であるGHQが有するのであれば、要求先はGHQ・連合国最高司令官のはずです。
即ち、当時の韓国政府は、「GHQには竹島に関する領域決定権はない」ということを認識をしていた、、、ということです。

以上、1、2、3より
「韓国政府には日本の放棄領土に関して何かを言う権利がないことを自覚して、アメリカと交渉している」
ということがわかります。

そして、韓国がその法的根拠を求めた日本と連合国によるポツダム宣言を履行した結果が
「(a) Japan, recognizing the independence of Korea, renounces all right, title, and claim to Korea, including the islands of Quelpart, Port Hamilton and Dagelet.」


韓国大使の要求では、「一九四五年八月九日に放棄したことを確認する」とするようにという求めでした。
しかし、「過去の時点で放棄したことを確認する」という韓国側の文案は受け入れられず、
「renounces(放棄します)」という現在形になっていることにも注意。

韓国の法的根拠であるポツダム宣言において、権限放棄の実行がなされていなかったことの証ですね。





1951年7月26日、韓国政府は三度目の修正要求を提出する。
そして、新たな日韓漁業協定が締結されるまで「マッカーサー・ライン」が存続するように要請した。

1951年8月10日、国務次官補(ラスク)から韓国大使への書簡が渡される。

国務次官補(ラスク)から韓国大使への書簡(1951年8月10日)

書簡をもって啓上いたします。
 本官は、対日平和条約草案に関し若干の点について
合衆国政府の検討を要請する1951年7月19日付け及び8月2日付けの閣下の書簡を
受領したことを確認する光栄を有します。
 草案第2条(a)を日本が「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島及びパラン島を含む
日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を、
1945年8月9日に放棄したことを確認する」と改訂するという韓国政府の要望に関しては、
合衆国政府は、遺憾ながら当該提案にかかる修正に賛同することができません。

合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が
同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を
条約がとるべきだとは思いません。

独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、
この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば
朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、
1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。
この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。

(中略) 

 本官は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かって敬意を表します。
                    国務長官に代わって ディーン・ラスク   



1951年8月16日、講和条約の最終案が発表される。韓国案の第二条A項の領土規定の修正は受けいれられなかった

1952年1月18日、韓国は李承晩ラインを宣言し、独島を韓国領に含む
そして、今に至る

1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約発効


© Rakuten Group, Inc.