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テーマ:今日聴いた音楽(73696)
カテゴリ:音楽
指揮者の若杉弘さんがなくなりました。
初めて氏のお名前を聞いたのは、 まだクラシックを聞き始めて間もない頃、 音楽ではなく、NHKの普通のニュースのなかで、 「日本人指揮者が、ライン・ドイツ・オペラの音楽監督に就任!!」 というものを通してでした。 今となっては、「日本人指揮者」という肩書きも、 さほど必要としなくなってきたほど、もうあちこちで、いろんな人が活躍するようになり、 あのウィーンのシュターツオパーの音楽監督に、小澤征爾が就任してたほどですが、 当時としては、「とうとう、日本人指揮者もここまで!!」という感じでした。 とはいえ、 当時すでに小澤征爾がボストンシンフォニーの監督なって10年くらいたってた時期だったはずですが、本家ヨーロッパのオペラハウスの監督というものは別格のとりあげられかたでした。 それからほどなく、氏が当時、音楽監督をやっていたケルン放送交響楽団(今もWDR交響楽団)の初来日を率いてのコンサートが、かなり大々的にFMで特集され生中継もされました。 (「大々的にFMで」という感じは、今の若い方には全く想像つかないでしょうが) FM雑誌でも来日前のインタビューも掲載され、本当に、新進気鋭の実力派として、頼もしく登場したのでした。 来日公演で放送されたのは、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(独奏はコンサートマスターだったウルフ・ヘルシャー)、それに別の日かもしれませんが、マーラーの5番などだったと思います。 ただ、じつは、これらには、僕は強い印象を持ちませんでした。 FMのことですし、僕自身、これらの曲そのものもさほど知らなかった時期(とくにマーラー)でもありますし、なにより、「鳴り物入り」で登場したコンビ!!としては、よほどのあざとい特徴でもなかったら、当時の僕は、「!!」とは思えなかったのかもしれません。 その後、一時的に、ドレスデンのシュターツカペレを振って、マーラーの1番をSONY(当時のCBS?)で録音したりして(音楽監督に近い地位にひところあったのかも)、やはり、小澤とはまた違った角度からの、華々しい「日本を代表する」指揮者としての地位を確立しながら、 特に、活動としては、 このところは石原知事から攻撃されまくってますが、 東京都交響楽団の音楽監督として、マーラーの交響曲全曲演奏会を行ない、ライブ録音も発売したことは、その楽譜の検討・選択から、演奏の質まで、日本の音楽界にとって、画期的なことでした。 現代音楽にも特に理解が深く、その紹介者としても実績を多く積まれた方のようでしたが、 僕自身が、「現代音楽」に疎いので、その内容については、印象でしかありません。 氏の音楽は、特別に、形容詞で語れるような、単純な特徴は余り無いように思えます。 緻密で、きっちりとしている、、くらいかも。 その分、オケの技量がハッキリと演奏解釈の印象に出てしまうのかもしれません。 そんなわけで、ずっと「気になる存在」であった氏ではあるものの、 好んで、その演奏会を選んで行く、、、ということはありませんでした。 それでも、 結果的にというか、意外と、何度か氏のナマ演奏に触れることができました。 ただ、思い返せば、技量のしっかりした一流オケではなかった、、、のですが。 初めて聴いたのは、 もう20年以上前、、京都市交響楽団が、それまでの歴代の音楽監督を招いて順番に定期演奏会を行うというシリーズをしたことがあって、氏の回では、ブルックナーの8番だったので、この曲をナマで聴きたい!!ということもあって行ったものでした。 会場は、全く響かないことで有名な(今はクラシックに使われることはほぼ無い)京都会館第一ホール。当時の京都市交響楽団のホームでした。その2階席でした。 とにかく、音がこじんまりとしていて、前へ音が飛んでこない、、、 という印象でした。 今は大分違ってるのでしょうが、当時の京都市交響楽団は、確かに、全然ならない田舎のオケ、、、ではありましたから、ブルックナーの8番を、京都会館でやるのは任が重かったのかもしれません。 しかし、ありえないことですが、この時点でのこのオケを、朝比奈隆が振っていたら、 おそらくは、金管楽器が、それぞれの楽器のバランスが崩れて、和音が乱れようとも、 フォルティッシモでは、「それぞれ、出せるだけ出す!!」みたいな絶叫が聴かれたことかもしれません。 つまりは、若杉弘は、今にして思えば当然なのでしょうが、 オケの技量を見極め、その中で、再現しようとしている音楽の形が損なわれないようなバランスを選びながら、慎重に音楽をつくっていったのでした。 ご存知のとおり、ブルックナーの8番は、これまた、「カトリックの敬虔な精神性やオルガンの響き」、、、とか言おうと思えばいえるものの、まあ、最後には盛り上がるだけ盛り上がって、炸裂し、燃焼して、聴衆も煽りまくって終わる!!!という、結構、シアターピースな音楽でもありますので、「盛り上がろうぜぃ!!」的演奏にする、、、、というだけなら、プロのオケならそれなりにはできたでしょう。 それをしなかったところには、実は氏の特徴があったのだ、、と後からは思えます。 (当時は、「地味やし、鳴らないし、京響はやっぱり田舎のオケやなあ、、」くらいの印象でしたが。) 次に聴いたのは、多分、僕がはじめて「びわこホール」に行って聴いた(見た)オペラ公演で、 珍しい曲なのですが、ヴェルディの「ジャンヌ・ダルク」の日本初演(!)でした。 氏は、びわこホールの監督かアドバイザーかもしておられて、個々では経済的にも企画的にも自立しずらい、各地の劇場が共同で、演出のプロダクションを手がけ、それを順次回ることで、それぞれの水準の向上と、全体の企画力の向上と継続を目指しておられたようです。 その一環としての、ヴェルディ作品の全曲演奏シリーズだったかの1回でした。 これも、「ナマのオペラハウスでのプロのオペラを聴いた(見た)ことないから、いっぺん行ってみよう」というだけの動機で行ったら、たまたま指揮者が若杉さんだったのでした。 オケはまた京都市交響楽団だったのですが、 先に聴いてから15年ほどを経たことによる技術の向上が著しいのか、 また、ホールもよかったのか、 そして、オペラに対する、指揮者とオケの熟練度にもよるのか、 とにかく、 オケも含めて、劇場の空間を緻密なスキの無い緊張に満ちた響きからなる音楽が 埋め尽くし支配していた、、、そんなオペラ公演でした。 合唱も、いかにもオペラの合唱といった、アタックのキツの硬い倍音の少なそうな響きながら、ピシッと揃って、オケや独唱とのスキを感じさせないものでした。 (東京オペラシンガーズという団体でした。合唱単体のコンサートだったら、聴き疲れのするであろう響きではありましたが、、) どこからどこまでが指揮者の功績なのか、、、ということは、常に難しい問題ではありますが、今にしておもえば、奇曲といってもいいほど珍しい初演曲を、 あそこまで緻密にスキなくまとめあげて、舞台として立ち上げるにいたった、 具体イメージの創造力と提示力は、舞台経験が豊富でかつ、その企画・経営・運営にも長年にわたって責任者として携わってきた氏の力量を余すことなく発揮した果実であったのでした。 普通は、散漫で混乱はしたが、初演だし、珍しい曲だし、仕方ない、、、その意欲に拍手、、、くらいなものになりそうなところを、 オケ、合唱、独唱者の全てに対して、実演し表現するだけのイメージを徹底して、 「スキが無い」という印象をハッキリと与えるほどのものにしたですから。(もちろん、公演そのもの、、もですし、演出家、舞台、美術、全てですが) 氏を最後にナマで聞いたのは、大フィルの定期演奏会でした。 朝比奈隆氏が、ブラームスの4番を振る予定にしていたコンサートでしたが、 そのしばらく前に、朝比奈隆氏が亡くなり、替わりに振った「代演」でした。 交響曲はそのままブラームスの4番だったのですが、 その前のプログラムが元々何の予定だったのか忘れましたが、 マックス・レーガーの「モーツァルトの主題による変奏曲」に変更になりました。 アノ、「トルコ行進曲つき」のピアノソナタの第一楽章の超有名なテーマから、 いかにも、戦前のドイツ、、、っぽい、独特の変奏を繰り返すもので、 オケからすると、リズムも響きも難しいようで、また、各パートがとても切れ切れに音の素材を鳴らし、それらが全体で組み合わさって初めて、ひとつの音楽に聴こえる、、という合奏テクニック上もかなり大変な曲です。 というか、大変な曲である、、ということを、その日の大フィルの演奏で思い知りました。 バラバラ、恐々で、やっとこさ、最後までたどりついた、、、というような印象を受けたのでした。 今にして思えば、大フィル(とくに朝比奈時代の)で、ああいった緻密な作業を求めることは、かなりのムリがありました。 メインプロは、ブラームスの4番でしたが、 こちらも、おそらくは、オケがバランスや響きや音程を崩さない範囲での表現を選んだ結果、とてもこじんまりとした地味な演奏であったような気がします。 氏は、「ボテボテのファーストゴロでも、泥まみれになって派手にヘッドスライディングしてみせて、客を沸かせる」というようなところが一切無い人であり、 また、おそらくは、本能や衝動のみに任せた結果、合奏としては崩壊するよう「演奏」や、濁ったまま平気な「響き」とか、そういったものをそもそも、自分の音楽の表現の中に、置いておられなかったのでしょう。 そう考えると、東京都交響楽団とのナマを聞いてみたかった、、、と今さらながらに思います。 僕の中では、初めて記事を見たころの颯爽とした印象がまだイメージのなかにあって、若手とはいわないけど、これからもずっと居る中堅の巨匠、、、という感じでいたので、死の報せは、本当にショックで、「え!!」と、声をあげてしまいました。 正直、こうして思い返すまでは、「地味で面白みの無い指揮者やから、わざわざ聴きに行かなくてもいいな、、、」くらいに思ってしまっていたのですが、思い返すにつれ、氏が求めていたであろう、緻密で反応性と合奏能力の高いオケとの共同作業の果実を聴くべきであった、、、 特徴が無い、、、と思ったそのことこそがヒントだったのだ、、、と気づかされます。 いまさらながら、、、、、、もう遅いのですが、、、 しかし、自分自身が、若いころに、若手として「未来」を当然のように担って登場しておられた方の死をの報せ、、、、 それも、不義理にも、思い返せば、お世話になっていたではないか、、、という人の死、、 寂しいです。 合掌。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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ご無沙汰しております。
Logばかりで書き込みをしておりませんでした。 若杉さんは地味なイメージでしたが、オペラに貢献され、若杉さんだからできた作品も多かったこと 今更ながら気づきました。 クラシカさんは生で聞かれたことがあるということは ラッキーだったと思います。 謹んでご冥福をお祈りいたします。 生の演奏で聞くことに意味があると思うので、これからも音楽を楽しみましょう (2009.09.21 17:55:47)
>おぺきちさん
おひさしぶりです。 パソコンを変えてから、しばらくこちらにログインしておらず、レス遅れて失礼しました。 「いつでも聴ける」「いつでもまた会える」 ということが、そうではない、、、ということを思い知らされることは音楽以外でも(のほうが)あるものですが、 若杉弘さんは、まさに、そういう思いを突き付けられた気がします。 おっしゃるとおり、ナマの音楽そのもののもつ、比較しようのない力と魅力を、しっかりと受け止められるようにずっとしていきたいですよね! (2009.10.08 01:10:51) |