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カテゴリ:恣意性 arbitraire
ソシュール言語学の記事の一部に以下の事を書いた。今回はもう少し詳しく説明したいと思う。
恣意性とは、実は、それぞれ、signifiant(シニフィアン)なら、他の全てのsignifiant(シニフィアン)と、また、signifie(シニフィエ)なら、他の全てのsignifie(シニフィエ)と価値の体系を作っており、この両方の1つづつが出会う場、signe内においては、2つの関係はarbitraire radical(ラディカルに恣意的)ということになっている。動機づけ云々とは次元が違うのである。これはフランスの手話言語学者Christian Cuxac先生の論文にも紹介されている。これがおそらくソシュールの恣意性の本質を見極めた初めての論文であろう。 何故「イヌ」という発音が「人間社会で生きる、四つ足のよく吠える小動物」を指すのか。つまり、言葉の形と意味の関係はずっと人間を悩ましてきた。ソシュールの恣意性は、この問題に1つの答えを出したといえる。しかし面白い事に、本当の答えを出したわけではないのに、それで皆が納得してしまった。arbitraireという非日常的な用語を使った事が、この原因と考えられる。なんか科学的な響きがあるからであろう。ほとんどの言語学者はここで知的好奇心を失ってしまい、それ以上の追求をせずに、他の実践的な言語学へと走ってしまった。 しかし「一般言語学講義」を読んでみると、ソシュールの恣意性はこれだけではないのが明らかである。別に隠されているわけではない。ちゃんと第2部第四章「言語的価値」に、ラディカルな恣意性(arbitraire radical)と書いてある。ただそこに関心がいかないだけである。 ただ私はそこに書かれている文章を取り上げて、それを「再解釈」しようとは思わない。それよりはきちんとした言語理論を別にもち、ソシュールの考えとの接点を探す方が、遥かに有意義だと考えるからである。(今一度精読すれば、またインスピレーションを得られるかもしれないが) さて、arbitraire radicalをもっと詳しく見てみよう。簡単に言うと、シニフィアンとシニフィエの両方が、それぞれ「座標」であって、それぞれの座標の一点一点同士が接点をもつ事をさす。 この座標という考えは、シニフィアンの場合、音韻システムを見てみればよくわかる。1つの言語、例えば日本語であれば、母音は5つしか存在しないから、全ての母音はこのどれかに落ち着いてしまう。「あ」を1番、「い」を2番としても、それぞれの番号がどの音に対応しているか分かっていれば、問題なく母音(音素)の識別が出来る。1から5までのどれかなのである。 手話の場合、体の生物学的構造がそれを支えている。顔、首、胴、腕、手、指など、同じ人間であれば、数と位置は基本的に同じであり、その運動の仕方も然りである。ただこれだけではない。話者が、対話者に対して、まっすぐに立って正面を向く事で、頭から足、背と腹の軸が対話者の視野に描かれる。左右の軸はこれに対して自然に付いてくる。まさに視覚上の座標である。時間の流れも座標内での各点の軌跡を追う事で認識出来る。このおかげで、本来は立体的な三次元の視野で展開する手話が、ビデオ画像等、二次元上でも十分通じることになる。体の向きが奥行きを補うのである。 シニフィエに関しても座標と言う考えは適応出来る。いわゆるカテゴリー化である。人間はこの世のものを全てカテゴリーに分けて考える。名詞の場合、いろんな基準があって、様々なものに分類される。イヌと一言でいっても、これは生物であり、ほ乳類でありと言った具合に、適応範囲が狭まれて定義される。目の前にいる、ハァハァ言っている小さな肉と骨の固まりのことではない、観念的なものなのである。 ソシュールの恣意性を説明するのに、イヌと言う音声と、目の前にいるイヌをイメージするようにする言語理論書もあるが、ソシュールのシーニュ理論には、このどちらも存在しないのである。このどちらも人間の活動にとってはポジティブなもの(その存在がそれだけで実感出来るもの)として認識できるが、言語の観点から見ると、ネガティブな関係で成立したシステムの要素しか存在しない、つまりシーニュ理論には音声と具体的な対象物(referent)は、居場所がないのである。説明する人間がきちんと理解していない所に、さらに単純化を進めようとすると、完全に本来の理論から脱線してしまういい例である。 arbitraire radicalという用語は、将来、別のもので置き換えたられる日が来ると思う。誰の胸にもしっくり来るものではないからである。恣意性という用語が誤解を生んだように、曖昧な用語は、曖昧な解釈を誘発する。もっときちんと再定義する必要があるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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初めまして、言語のタグを辿って参りました。
「言語学の嘘」というタイトルにどっきりしました。 パロールと申しますが、難しいお話なので、 ゆっくり読ませていただきます。 でも、私に分かるかな? (2009.04.26 10:01:11)
書き込みありがとうございます。
確かにタイトルは少々、荒っぽいですね。でも嘘は嘘です。 分からなくても分かった振りをするのが、一番よくないと思います。私も、本当に自分で納得いくところまで考えた末に作ったブログですから。 今後もおつきあいよろしくお願いします。 (2009.04.27 02:23:05) |