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言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

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《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和二年で満54歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


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2014.07.26
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カテゴリ:差異
「記憶」というものは、その定義からして「差」であることは、このブログでも何度となく書いた。そして、我々が思い出すものだけが記憶ではなく、知覚も運動も記憶で形成されている事も最近書いた。そして、今、「動きの認識」に関して考察を深めている。

「動き」というと視覚に限定されるが、感覚も全て「差」なのであるとすれば「五感全てが関係」してくるはずである。しかし「視覚情報」というのは、情報量が多く、まず「視覚の動き」を考察してから「他の感覚の動き」を考えてみたいと思う。

私事だが、私は小さい頃に「眼球振盪(がんきゅうしんとう)」と診断された。眼球が自分の意志とは関係なく動いてしまい、斜視をすると動きが収まるので小さい頃の写真はみな「やぶにらみ」で写っている。通常の生活にはなんら支障はないのだが、斜視を相手に悟られない様に緊張するとかえって眼球の動きが激しくなり、ついついあらぬ方向を見てしまい就職時の役員面接ではそれが原因で一度落とされた事があった(同じゼミの先輩の計らいで再面接の場を作ってもらい二回目はパス)。

なぜこの話を持ち出すかというと、眼球が振れる事によって私は人とは違った様に見えているだろうと思う事があるということ。特に、文字が流れるタイプの電光掲示板は、文字が途切れ途切れに見える。斜視をすれば普通に見えるのだが、時々おもしろがったどんな風に見えるのだろうかと観察してみたりする。

人の動きを「眼球振盪」状態で見ていると面白い事がある。目が動かない状態では滑らかに見えている動きが「かくかく」と下手なアニメを見ている様に見えるのである。こういう経験を持っているからかどうか、町で自動車やバイクが一定のスピードで目の前を横切るのを見ていると、一旦前に進んだ車が、次の瞬間に「後ろに後退」した用に見える事がある。最終的に前進しているのは確かなのだが「かくかく」と前後している様に見えてしまうのである。

同じ事は、アニメを見ている時に起きる。コンピュータグラフィックスでの滑らかな映像ではなく、一つ一つ手描きで描かれたアニメの場合、前のシークエンスの絵を、自分の頭で呼び起こしてしまい、ぎくしゃくした動きになる事がある。これは絵が下手だからという訳ではなく、一枚一枚の手描きの絵を楽しもうとして自分の頭が勝手に一旦見た画像を、今見ている画像にはさんで再生しているだと思う。他の人たちが、どのようにアニメを見ているかは分からないが、この視覚的経験が「動きの認識」に関して考える切っ掛けを与えてくれたのは事実である。

「記憶は差である」という所に戻るが、差が生じるためには「少なくとも2つのもの」が関係する事になる。ある状態から、別の状態への変化が差になるとすれば、これを瞬間、瞬間の差であると考えるのが普通である。しかし我々は、その「その差の連続」を単に追いかけているのではない。注意していなければ、単に目の前を流れて行き「記憶」もされないだろうが、注意して見るときは、何処から動きが始まり、その動きの一つ一つ、そしてその流れまで含めて、動きを見ている時でも思い出せるはずだ。聾の子どもに折紙を教えると、じっと私が折るのを眺めた後、自分の紙でそっくりそのまま再現する事がある。耳の聞こえる子どもは、一つ一つ言葉で教えないとほとんどの場合うまくいかない。

私は、「動きの認識」は、一種「錯綜する記憶の組織化」というオペレーションなのではないかと考えている。動物の段階と違うのは、動物が全ての記憶を一緒くたにして個体の記憶としているのに対して、人間の場合、記憶に順番を付け、自分の意志で特定の記憶を呼び起こすことが出来ると言う事だ。また、動物では「差」が物理的な刺激の知覚という時間軸に沿った連続であるのに対して、人間の場合、「時間軸を逆行する差」を手に入れた事により、一つ一つの経験としての記憶が「二極化」しシーニュが形成され、認知経験の「座標化」による知識の「組織化」が行われるのである。そして「同じ組織化された記憶を共有」する個体同士が、言語コミュニティーを作り、歴史を営んでいく。

動きはヴィジュアルで、比較的イメージしやすいと思うが、これを今後、聴覚、更には触覚、味覚、嗅覚にまで発展させる必要がある。この点からも、視覚を使う手話が、聴覚を使う音声言語と比較して初期の人類にとっては必要不可欠な存在であったということが引き出せることになると思う。





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Last updated  2014.07.26 06:58:56
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