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カテゴリ:チョムスキーの評価
チョムスキーは、言語に共通する深層構造があるとした。これが所謂、普遍文法である。そして、その1つの例として「リカージョン(再帰性)」を挙げている。
チョムスキーのいう「リカージョン」は、私の考える「意識における自己同一性の確立サイクル」のことである。この点では、彼の指摘は間違ってはいないが、彼の仮定の最大の問題は、これを人間が持っている固有の特徴としてしまい、それ以上の議論を受け付けなかったことにある。つまり、どうしてこの特徴が人間という種に生まれたのかに関してはチョムスキーは全く言及していない。 これに加えて、彼が「リカージョン」を1つの独立した「文」の中に起きると考えたことも、不毛な議論を生むことになった。これに対する「例外」として、既にアマゾンのピダハン語の例が挙げられる。ピダハン族は、「永遠に続くリカージョン」を、1つの文の中で実現は出来ないが、れっきとした言語を話す。これはチョムスキーが文法という人間(特に文字を発明し使用する人間)が作り上げた概念にとらわれてしまい、言語の本質を見失ってしまったを示している。 チョムスキーの犯した間違いのもう1つは、言語を定義するときに聴覚言語を優先し、視覚言語(手話)をないがしろにしたことである。このため、チョムスキー言語学をベースにしているアメリカの手話言語学者達は、手話を「聴覚言語の視覚バージョン」と見ている節がある。手話を、1つの独立した言語とみなしていないのである。 様々な言語に普遍的な共通点があるという指摘自体には私も賛同する。しかし、同じ人間であるのだから、これは一種当たり前のことである。わざわざ取り立てて指摘することではない。指摘するとすればどうしてその共通点が存在するのだということだろう。 チョムスキーが「リカージョン」に注目した点は評価して問題ない。しかし彼は、人間とは何か、宇宙とは何かという問いに至ることはなかった。まだ存命であるようだが、彼がこの疑問を持つことは無いだろう。 アメリカという歴史の浅い国で生まれた言語学は、やはり短命に終わる運命にあったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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最後の一文はいらないでしょう。
(2018.11.01 12:04:24)
アメイさんへ
さあ、どうでしょう。 アメリカ言語学は私は確実に将来葬り去られると思っています。いろんな意味で言語学に「貢献」したかもしれませんが、一つの歴史的な役割を終える時が必ず来るでしょう。 これは私の予言だと思ってください。 (2018.11.01 15:54:50) |