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カテゴリ:個人の記憶、集団の記憶
旧約聖書のアダムとイブは、「知恵の実」を食べたとされるが、私流に言えば「記憶の実」を食べたといえる。人間は、過去を知り、過去を利用することによって、知性を身につけてきたのだ。
過去というのは、我々の意識の中だけに存在するものであり、これを捏造することはたやすい。しかもそれを日常的に行っている民族さえある。 我々が「人間らしい」進化を遂げるためには、過去を真摯に見つめることが非常に大切である。 過去に目を背ける民族に未来はない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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「知恵の実」が「記憶の実」というアイデアは斬新な良いアイデアですね。「知恵の実」は「善悪を知る木の実」とも言いますが、とにかく、過去を振り返り、何が良かったのか悪かったのか反省することは大事ですし、動物にはない人間だけの能力だと思います・・・
(2015.09.27 18:00:42)
うーたんさん
正にその通りです。 善悪を判断するためには、自分の行いを省みなくてはなりません。この行為の根幹にあるのが、自発的は記憶喚起となるわけです。 時間というのは、人間のみが見ている幻想と考えることも出来ますが、これを活用することで人間の意識は進化しているわけです。ただ、進化を拒否する人たちもこの世界にはいるということが、私も最近ようやくわかりました。それを含めてすべてが人類なのかも知れませんが。 (2015.09.27 18:57:51)
自発的な記憶喚起をしているのは、果たして本当に人間だけなのか?と思うことがあるのですが、例えば、今日見たTVの動物番組で、アシカの親が、亡くなった子アシカの遺体のある場所に毎日来ては子アシカの死を悼むというのがありました。
わざわざ、子アシカの遺体の場所へ毎日弔いにきているというのは、自ら子どもの生きていた時のことを思い出しながら、また、死んだ子どもの遺体のある場所を思い出しながら、行っているという行為なんじゃないかと思うんです・・・ たぶん、他にも自発的に記憶を思い出している動物は少なくないんじゃないかと思われます・・・ さて、それはさておき、時間というものが、人間だけが認識する幻想、しかし、この時間の認識によって人間が進化できているという考察、参考になりました! (2015.09.27 20:15:15)
うーたんさん
我々は、どうしても動物の取る「人間らしい行動」を目の当たりにすると、論理的な思考が揺らいでしまう気がします。 動物にも確かに「母性本能」はあります。しかし母親は自分が「母親」だとは知りません。そういうプログラムがなされているだけなのです。 このアシカの例に関しても、きっとこのアシカのお母さんは情の厚い個体なのでしょう。それで、色んなものを見て、感じて、自分の子供の記憶が喚起されてしまう。そしてまた子供の場所に戻ってきてしまうのではないでしょうか。 私は感情に関しては、動物と人間は共有していると考えています。共有していないのは、自発的、かつ座標に沿ったな記憶喚起だけです。 (2015.09.27 23:04:27) |