言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

2016/03/16(水)22:04

言語の目的:コミュニケーションによって、個人と集団のアイデンティティーを確立する。。。

アイデンティティー(41)

一般的には、コミュニケーションが言語の目的であるとされている。私も、言語とコミュニケーションの深いつながりを否定するわけではない。しかし、コミュニケーションというのは、言語が誕生する前から存在していたのであるし、言語の登場によって、その質が変わり、人間の個人と集団のアイデンティティーの確立のために使われているとしたほうが自然だ。 ソシュールは、「ランガージュ(言語活動)」を「パロール」と「ラング」に分けたが、「個人のアイデンティティー」と「パロール」、そして「集団のアイデンティティー」が「ラング」になるかどうかは、今後検証してみる必要がある。 どちらにしろ、私が考える「個人と集団のアイデンティティー」は、言語活動だけに限らない。歴史や文化というものも含むが、必ず言語によって伝えられ、発展していく性質のものである。 ただ、ここで「集団のアイデンティティー」というのが「国のアイデンティティー」になるかどうかは、甚だ怪しい。「国への帰属感」を持っている「個人」は、世界中を見ても私は少数派だと見ている。でなければ、世界中なあんな数の難民や不法滞在者が出てくるわけはないからだ。 自分たちの住んでいる地域にある「国家や政府」が悪かったら自分で直せばいいのであるが、それをせずに他国に寄生するかたちで生きようとする。そして間違いなく、何らかの形でその「国家や政府」が倒れたとしても、後から続くものは、その前のものと同じ性質のものをもっている。直接選挙をして選んだとしてもあまり効果はない。賄賂や選挙妨害が横行するのは目に見えているからだ。 言語の目的を「アイデンティティーの確立」とすることで、今まで文法云々でお茶を濁していた言語学者たちが、社会の現実に直ぐに目を向けるとは思えないが、一つ一つ始めなくてはいけない。 今世紀のパラダイムシフトは、言語学から起きる。

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