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言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

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《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和二年で満54歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


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2016.03.17
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日本で普通「集団的アイデンティティー」というと「郷土愛」とか「愛国心」という言葉を発想する人が多いだろう。これは、日本語を話して、それが日本という国に結びつくという非常に簡単な構造になっているのが理由だろうが、世界でこういうのは逆に珍しい。フランス語を話しているからフランス人というのは当てはまらないし、英語に関してはもっと極端である。朝鮮語は、南北にわかれているし、中国にも朝鮮民族がいる。

「アイデンティティー」を持つということは、他人と比較して、自分を優先して考えるということである。自分が生きたい、自分がいい思いをしたいという基準で行動が律される。しかし、そうなって全ての他人が敵になるわけではない。ここに「集団的アイデンティティー」が生まれるからである。

まず自分のアイデンティティー、つまり「個人的アイデンティティー」を確立した時、「集団的アイデンティティー」の及ぶ範囲は、まず家族であり、同じ界隈に住む住人である。そして、自分の使う言葉が通じる地理的人的範囲が、その人間の集団的アイデンティティーの及ぶところとなる。しかし、単に同じ言葉を使うことだけでは、同じアイデンティティーを持てなくなる。「政治的アイデンティティー」が発生するからである。

記憶言語学では、言語というのは「個人的/集団的アイデンティティー」を確立するものだとするが、日本語が日本を作るというような単純なものではない。特に「集団的アイデンティティー」に関しては、言語が重要な媒体であるが、その言語で表現される、文化や歴史、そして社会制度や法律などに至るまでの全てが「集団の記憶」が関わってくるのであり、それを受け入れ実行するのが「集団的アイデンティティー」なのである。

今の言語学は「文法言語学」である。将来、「アイデンティティーの言語学」が確立した時、一体言語学者は何を研究するようになるのだろうか。文法学を切り離し、全く別物としてやっていく必要があるのか。

その時、言語の特異性をどう説明するかというのも問題になる。いわゆる国民性を科学することができるかということである。例えば、日本語のもつ可能性をどのように説明したらいいのか、今後の課題になるだろう。





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Last updated  2016.03.17 23:23:19
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道徳、語るべからず   ともちゃん さん
佐藤さん

私が、申し上げたいことは、「学問」と「思想」は、
分けて考えなければ、ならないのではないのか。
こう言う事なのです。

嫌韓思想を全面に押し出す佐藤さんの
「思想」が間違っていると、
私は一言も言っていません。

しかし、それは、「学問」ではなくて、
「思想」の範疇に入るのではないか?
私は、そのように申しあげているのです。

つまり、「思想」と言うのは、議論のしようがありません。
なぜならば、善悪が初めから決まっているからです。
「道徳を語るべからず」とはそういう意味なのです。

以前私は、日本などどうなっても構わないと申しました。
私は、自分の家族だけが大事なのです。
他人など、どうでも良いのです。
これが、一般生活者の普通の考え方です。

生活者の感覚で話している分には、
「学問」と矛盾しません。
しかし、「思想」が入ると、
「学問」が語れなくなるのです。
なぜならば「思想」は「宗教」と一緒です。
最初から答えが出ているのです。

しかし、ここは佐藤さんのブログです。
佐藤さんのアジ演説を止めるわけにはいきません。

ただ私は、佐藤さんほど、頭が良くて疑い深い人が、
なんで、こんな単純な事が理解できないのだろうか?
私は、そのことに興味をもっています。

一度、佐藤さんの頭をこじ開けて
それを調べてみたいのです。
私は、私の人間研究の一環として、
そのことを、佐藤さんに教えていただきたいだけなのです。
どうか、よろしく、お願いいたします。
(2016.03.18 07:16:58)

一般受けのキャッチ・フレーズ   ともちゃん さん
佐藤さん

『今、ふと思ったのだが普段、我々が
「時間」と認識しているのは、
そのまま「正のエントロピー」であって、
それに逆らう「負のエントロピー」が
「離散融合更新循環」ではないかと。
時間を、所与のものとして扱うから、
物事が見えなくなっているのかも知れない。
「時間」は存在しない。あるのは、何?』

3月16日に佐藤さんは、このように書かれています。
これが一番わかりやすいです。
「離散融合更新循環」とは何か?
それはマイナス・エントロピーである。

プラス・エントロピーとは、死のエントロピーである。
マイナス・エントロピーとは、生命のエントロピーである。

「離散融合更新循環」とは、生命のエントロピーなのである。
一般の人には、これが一番ぴったり来ます。
凡人でも理解できますよ。
(2016.03.18 07:29:49)

Re:道徳、語るべからず(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>私が、申し上げたいことは、「学問」と「思想」は、
>分けて考えなければ、ならないのではないのか。
>こう言う事なのです。

西洋社会では、政教分離により、カトリックとプロテスタントの共存が可能になりました。ユダヤとイスラムとの共存は、かなり危ういです。

ともちゃんさんは、学問と思想を分離させよということですね。でも、今の学問にはサヨク的な思想がはびこっていますよ。人類皆平等という名の下に、言語が全く同じであるということが常識になっています。言語(それの作る記憶全てを含む)は、1つ1つ違います。それを全て同じ、平等と見るところに中国などの独裁国家の台頭を許す土壌があると思います。


>つまり、「思想」と言うのは、議論のしようがありません。
>なぜならば、善悪が初めから決まっているからです。
>「道徳を語るべからず」とはそういう意味なのです。


>以前私は、日本などどうなっても構わないと申しました。
>私は、自分の家族だけが大事なのです。
>他人など、どうでも良いのです。
>これが、一般生活者の普通の考え方です。

ともちゃんさんの場合は、一般的な経済難民の考えと同じですね。自分と自分の家族の暮らしが良くなるのであれば、どんなところにでも移民します。移民先の国のためになることは全く考えません。ヨーロッパの国々には、元々、こういう人達がモザイク状に存在し、常に迫害の危機と隣り合わせでした。ところがドイツのユダヤ人や少数民族(ジプシー等)を抹殺しようとしたことに対する反動(反省?)で、そういう人達が自分の国の中にいても、目立って問題を起こさなければ「容認する」政策を取りました。「容認」というのは、かっこいいですが、言ってみれば「無視」するわけです。3K仕事の働き手になってくれますし、消費もしてくれる。経済優先主義の政府にとっては金の卵です。


>生活者の感覚で話している分には、
>「学問」と矛盾しません。
>しかし、「思想」が入ると、
>「学問」が語れなくなるのです。
>なぜならば「思想」は「宗教」と一緒です。
>最初から答えが出ているのです。

私は自分で宗教を始めようとは思いませんが、私が唱える記憶科学は新しい宗教の体裁を取る可能性は十分あります。なぜなら、今まで人類が普通に考えていたことが通用しなくなるからです。人類の存在理由が理解された時、普通の人達がどのような行動に走るか、まだ私は想像がつきません。しかし、サヨク的(リベラル)な思想にせっけんされた欧米(日本も一部含む)の見直しが始まるだろうことは予想できます。見直しとはすなわち反動です。これは一種の暴力を伴うであることは容易に想像がつきます。だからといって、私は自分の理論を封印するつもりはありません。真実を知ってどうするかは、一人一人が決めればいいことです。そして、私は既にその決断をしました。


>一度、佐藤さんの頭をこじ開けて
>それを調べてみたいのです。
>私は、私の人間研究の一環として、
>そのことを、佐藤さんに教えていただきたいだけなのです。
>どうか、よろしく、お願いいたします。

ともちゃんさんは、多分「個人のアイデンティティー」を追求しているのだと思います。私は、「集団のアイデンティティー」ですね。2つの視点は、切っても切り離せません。これからも議論を通じてお互いに刺激を与え合えればいいと思っています。


(2016.03.18 08:03:07)

Re:一般受けのキャッチ・フレーズ(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

>『今、ふと思ったのだが普段、我々が
>「時間」と認識しているのは、
>そのまま「正のエントロピー」であって、
>それに逆らう「負のエントロピー」が
>「離散融合更新循環」ではないかと。
>時間を、所与のものとして扱うから、
>物事が見えなくなっているのかも知れない。
>「時間」は存在しない。あるのは、何?』

>3月16日に佐藤さんは、このように書かれています。
>これが一番わかりやすいです。
>「離散融合更新循環」とは何か?
>それはマイナス・エントロピーである。

>プラス・エントロピーとは、死のエントロピーである。
>マイナス・エントロピーとは、生命のエントロピーである。

>「離散融合更新循環」とは、生命のエントロピーなのである。
>一般の人には、これが一番ぴったり来ます。
>凡人でも理解できますよ。

「負の」とつけるとネガティブですが「生命の」とするとポジティブですね。

プラス・エントロピーは、離散化するだけ。マイナス・エントロピーは離散化+融合更新というところでしょうか。これはいつか使わせていただくことがあるかも知れません。ありがとうございます。 (2016.03.18 08:14:23)

自己の内部へ   ともちゃん さん
佐藤さん

私は、個人のアイデンティティー。
佐藤さんは、集団のアイデンティティー。
そこで、話がかみ合わないんでしょうね。

私のような、個人主義者から見ると、
佐藤さんのご意見は、綺麗ごとにしか聞こえないのです。

faractalemodeさんは、私が日本の総理大臣になったら、
間違いなく日本は滅びると書いておられます。
たぶん私だったら、総理大臣と言う地位を
食い物にすることしか考えないと思います。
だから総理大臣と言う発想が、
そもそも成り立たないのです。

自分とは何か?
それを徹底的に追及すると、
私のような思考の流れになります。

かといって、私が悪質な人間かと言うと
そうでもありません。
悪質な人間は、社会に対して何らかの働きかけを
求めているのではないかと思います。

私の場合、もう社会に働きかけると言う、
エネルギーがありません。
ひたすら、自己へ自己へともぐりこむだけです。

奥羽地方に即身成仏と言って、
断食してミイラになった人がたくさんいるそうです。
私は、そこまでの精神力はありませんが、
個人の中へもぐりこむと言う方向性は
似ているのではないかと思います。

自分の中へもぐりこむために、
他人様の精神構造を知りたがっている。
私を、そんな人間だと理解していただければ、
ありがたいです。
(2016.03.18 19:27:26)

第3の解釈   ともちゃん さん
佐藤さん
faractalemodeさん

シュレディンガーの猫は、
死んだ猫と生きた猫が、重なり合っています。
これを、コペンハーゲン解釈と言います。

これを「死んだ猫の世界」と
「生きた猫の世界」とする解釈もあります。
要するに、世界そのものが二つに分裂しているのです。

これがSFでよく登場する「平行宇宙」です。
これをエバレット解釈と言います。
数学的には何の矛盾もありません。
ただ問題は、そんな世界が
本当に存在するのかしないのかと言う事です。

私は、コペンハーゲン解釈でも、
エバレット解釈でもない、第三の解釈を考えています。
みなさんのご意見が参考になります。
(2016.03.18 19:31:04)

Re:自己の内部へ(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>私は、個人のアイデンティティー。
>佐藤さんは、集団のアイデンティティー。
>そこで、話がかみ合わないんでしょうね。

とりあえずは共通認識ができたようですね。

>私のような、個人主義者から見ると、
>佐藤さんのご意見は、綺麗ごとにしか聞こえないのです。

集団的アイデンティティーは、利己的の意味が変わります。
個人主義者から見ると、利他的な行動も、集団アイデンティティーにとっては十分「利己的」です。

>自分とは何か?
>それを徹底的に追及すると、
>私のような思考の流れになります。

>かといって、私が悪質な人間かと言うと
>そうでもありません。
>悪質な人間は、社会に対して何らかの働きかけを
>求めているのではないかと思います。

>私の場合、もう社会に働きかけると言う、
>エネルギーがありません。
>ひたすら、自己へ自己へともぐりこむだけです。

我々と議論しているという点に関しては、十分は社会に働きかけていると思います。出家したところであまり変わらないから出家なさらないと思いますが、何かが得られると思ったら、直ぐにそうなさるでしょう。

>奥羽地方に即身成仏と言って、
>断食してミイラになった人がたくさんいるそうです。
>私は、そこまでの精神力はありませんが、
>個人の中へもぐりこむと言う方向性は
>似ているのではないかと思います。

>自分の中へもぐりこむために、
>他人様の精神構造を知りたがっている。
>私を、そんな人間だと理解していただければ、
>ありがたいです。

私も、自分の心が全部分かるわけではありません。人の心は自分の心の鏡でもあります。ともちゃんさんの「自分の中へもぐりこむ」を私なりに見させていただいています。お互い様ですね。
(2016.03.18 20:33:22)

Re:第3の解釈(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
fractalemodeさん


>私は、コペンハーゲン解釈でも、
>エバレット解釈でもない、第三の解釈を考えています。
>みなさんのご意見が参考になります。

SF映画を見ていて思うのですが、時間のパラドックスには常に同じ人が出てきます。だからこそパラドックスになるのですが、それはある時点までは同じで、ある時点から離散したことになります。そして、離散したまま融合しない世界が2つ存在していると。

この宇宙にどのくらい人類の誕生まで達した太陽系があるかわかりませんが、私は太陽を持つ太陽系は全て、我々の住む太陽系と平行に存在しているものだと理解しています。なぜなら、始まりは全く同じはずだからです。しかし、それが様々なパラメータの違いで別のものに進化する可能性はありますが、佐野教授のカオスフラクタルを使うと、結局最後は同じものに到達するはずです。とすると、全ての太陽系には生命が宿り、人間が存在していることになります。

佐藤直幹という人間は、地球上にしか存在しないでしょう。しかし、別の太陽系には、私と同じような考えを持った別人がいる可能性はあります。見た目には全く違っても、最初は同じだったとかんがえるとパラレルワールドであると言えます。初期値が大きく作用するわけです。



(2016.03.18 20:50:40)

リトル・バン   ともちゃん さん
佐藤さん

『時間を、所与のものとして扱うから、
物事が見えなくなっているのかも知れない。
「時間」は存在しない。あるのは、何?』

佐藤さんの言われるリトル・バンは、無数の太陽系が、
平行宇宙として存在していると言う事ですね。
こう言ってもらったら、判りやすいです。

我々がよく知っている、ニュートン的な時間。
こんな時間が存在するとしたら、
他の太陽系に別の時間が流れているという発想は不自然です。

しかし、そもそも時間が流れていないとしたら、
リトル・バンの発想が生きて来るのではないか?
今、そんなことを感じました。
(2016.03.18 21:19:47)

Re:リトル・バン(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
>佐藤さん

>『時間を、所与のものとして扱うから、
>物事が見えなくなっているのかも知れない。
>「時間」は存在しない。あるのは、何?』

>佐藤さんの言われるリトル・バンは、無数の太陽系が、
>平行宇宙として存在していると言う事ですね。
>こう言ってもらったら、判りやすいです。

>我々がよく知っている、ニュートン的な時間。
>こんな時間が存在するとしたら、
>他の太陽系に別の時間が流れているという発想は不自然です。

>しかし、そもそも時間が流れていないとしたら、
>リトル・バンの発想が生きて来るのではないか?
>今、そんなことを感じました。

私のリトルバンで、問題になるのは地球上に降り注ぐ星の光です。

何光年も先から来ているとされていますが、我々の太陽系の時間と、他の星星との時間が新クルするのか、いやしないのか、まだ結論が出ていません。

でも、1つの共通の時間が流れているというのは私は違うと感じています。 (2016.03.18 22:51:33)

時間とは何か?   ともちゃん さん
佐藤さん

『時間を、所与のものとして扱うから、
物事が見えなくなっているのかも知れない。
「時間」は存在しない。あるのは、何?』

こういう話を、以前佐藤さんとしませんでしたか?
フィリップ・K・ディックの『トータル・リコール』です。
我々が「記憶」と思っているものは、
実は偽の記憶かも知れません。

佐藤さんは、ピダハンから
過去は存在しないと言うことを学びました。
それが、朝鮮や中国の偽の歴史と言う
発想につながりました。

歴史とは、「集団の記憶」です。
ピダハンは「集団の記憶」を否定します。
しかし、いくらピダハンでも、
「自己の記憶」は否定できません。
それを否定するのが、ディック哲学です。

私は、古代史を研究ました。
ひょっとしたら、過去は
存在しないのかもしれないと感じました。

佐藤さんが言われるように、
「他人の語る歴史」など、信用できないと言う立場です。
これはピダハン的な立場と言えます。

しかし私の場合は「偽の歴史」、
つまり「人類の偽の記憶」が信じられないと言う立場。
そこを突き抜けてしまったのです。

ひょっとしたら、「自分の記憶」も
信用できないのではないか?
まさにこれは、『トータル・リコール』の
ディック哲学です。

未来は、まだ存在していない。
これは、誰にでもわかります。
しかし、過去も存在していないのではないか?
そもそも「時間」そのモノが、
存在していないのかもしれません。

あるのは、ただ「自分の記憶」だけかもしれません。
しかし、その「記憶」は、
ディックがいう所の「偽の記憶」と同じで、
客観的な世界とは、
シンクロ(合一)していないかも知れないのです。 (2016.03.19 03:09:57)

Re:SFの世界   fractalemode さん
SFと記憶科学
ともちゃんさん
佐藤さん

>ひょっとしたら、「自分の記憶」も
>信用できないのではないか?
>まさにこれは、『トータル・リコール』の
>ディック哲学です。

ついにSFに突入ですね。(^-^)
オカルトよりは良いかもしれませんね。

佐藤さんの脱人間視点による記憶科学の到着点はSFになるのかなとは漠然とは思っていましたが、ともちゃんさんはそれを先取りしましたね。ディック哲学をよく表しているのはトータル・リコールの原作である「追憶売ります」よりは、宇宙を情報としてとらえたヴァリスではないでしょうか。情報を記憶と言い変えると佐藤理論のSF化です。そのディックはフィボナッチ数列の奥にグノーシス的な叡知を感じたのですが、それをプラステマ=精神・魂と言い、宇宙のエントロピーはプラスマテである考えたわけです。しかし、これは過去の人間の記憶(哲学や宗教)を受けついでいます。宇宙生物学、遺伝論、ヘラクレイトス、ゾロアスター教、インド哲学、新プラトン主義、カバラ文、パスカル、スピノザなどです。プラスマテとはアヌとかヌースとか般若とか六現観といった言葉の言い換えに過ぎないのですね。

ですから、結論としては佐藤理論としてはディックでは不十分ですね。

>未来は、まだ存在していない。
>これは、誰にでもわかります。
>しかし、過去も存在していないのではないか?
>そもそも「時間」そのモノが、
>存在していないのかもしれません。
>あるのは、ただ「自分の記憶」だけかもしれません。
>しかし、その「記憶」は、
>ディックがいう所の「偽の記憶」と同じで、
>客観的な世界とは、
>シンクロ(合一)していないかも知れないのです。

佐藤理論の脱人間主義の極限はSFかもしれませんね。それを実現したのがイーガンのディアスポラ(深宇宙をオデッセイ的に離散化する物語)ではないでしょうか。ただし、時間と空間のスケールが笑ってしまうぐらいに桁外れです。多元宇宙を猛スピードで駆け登っていく終盤のラストスパートもあります。と言ってもまだ読んでいません。佐藤理論を科学するためにはこれを読まないだめだな感じました。しかし、ものすごい数学がたくさん出てきて超難解です。

純粋な数学的思考によってアイデンティティを獲得していた主人公ヤチマが到達した宇宙観はつまるところ、すべては数学なのだという数学的宇宙観です。人類が肉体を捨て、人格や記憶をソフトウェア化して、コンピュータ内の仮想現実都市で暮らすという設定があります。人格のソフトウェアのよってコピーが可能となるのですが、みんなソフトウェアになってしまえば不老不死になるわけですが、新しい人間が生まれず、知ってる人間ばかりと一緒に永遠に生き続ける、ってのはちょっとイヤな世界ですね。それを防ぐには新しい人格を「発生」させるしかありません。そんなところがテーマですね。

デッックでは記憶が偽物ですが、イーガンではアイデンティティまで偽物なんですね。
----- (2016.03.19 07:57:00)

Re:時間とは何か?(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

最近街を歩いていて、よく思うのですが、今さっき自分が見ていたものを忘れてしまったら自分は歩き続けることができるかということです。

ユーチューブのテレビ番組で、アルツハイマー病の特集を見ました。これにかかると、さっきまでしていたことが思い出せなくなります。受験勉強の暗記のレベルではなくて、用事があってエレベータの前まで来たので、上に行くのか下に行くのか分からなくなり、どのボタンを押していいか分からなくなります。終いには、用事があることも忘れてしまってエレベータに乗らずに引き返します。これがリンクです。

https://www.youtube.com/watch?v=kjAw1hZdNDA

私も、あれをしようと思って立ち上がったのに、他のことを始めてしまって最初の用事を忘れてしまうことはたまにありますが、歩くという日常的な動作で、自分が歩き始めたことを忘れてしまったら、自分が歩き続けることができるのかわからないのではと考えようになりました。

実は、ここで「歩く」という動作を一貫したものとして感じることによって、我々は「時間」の流れを感じ取っています。動物の場合、刺激によって行動が促されますが、関心が別のものに移動してしまうと前のことを忘れます。犬の躾をするのに「直ぐに叱らないといけない」のはそのためです。前のことを「思い出して反省」はできないのです。

自分の持つ記憶が、本当に自分がしたことかどうかを確認する前に、我々の意識の一瞬一瞬が、記憶の連続によって辛うじて保たれているということを知ることが大事だと思います。ただ、あまり考えすぎると、頭が回らなくなって発狂しそうになるかも知れないので、あまり今詰めて考えないでください。

私は、運動は記憶が先にあってその繰り返しであると考えています。パーキンソン病になると、走るほうが楽なのだそうです。なぜなら歩きより単純な動作であるからです。

動きは動物的な機能ですが、意識や思考は人間的な機能です。これが具体的にどのような記憶の更新によって成立しているかを突き止めるのが記憶科学です。人間の場合、意識の更新は何秒に1回起きているのか、これを測ることができるかという問いにつながります。

集団の記憶、つまり他人の記憶が嘘である可能性は十分あります。しかし、そこにこだわり過ぎると、何もできなくなります。まず、自分の物にした記憶を更新することで人間は生きているからです。嘘の記憶でも当然更新は可能ですが、これは必ず破綻します。日本語には「嘘から出た真」という諺もありますが、大抵の場合、嘘は嘘のままです。

最近、歴史は繰り返すのだと本当に感じるのは、支那と朝鮮と日本を比較してです。最近、韓国で「ヘル(地獄)朝鮮」という言葉が若い人に流行っているようですが、これは両班に支配されていた李氏朝鮮の社会の再来です。北朝鮮に関しては、既にそれが終わって何十年にもなりますが、今戦後70年経って先祖帰りが始まっています。

韓国人は、日本に植民地にされたとか、ひどい扱いを受けたと言っていますが、朝鮮の歴史の中で本当に朝鮮人にひどい扱いをしたのは、歴代の支那王朝であり、朝鮮内の両班階級です。つまり、批判する相手をすげ替えてしまったため、自分たちがまた支那王朝の属国になりつつあることもわかりませんし、財閥という形で両班階級が復活していることも実感が無いのです。そして、当時の人達が何の努力もすることなく日本に併合されて近代化を実現したように、今でも日本頼みで、自分たちの力で解決しようとしません。

ヨーロッパでは、自分たちが行ったような植民地支配を日本人もやったと考えています。しかし、今の日本人の行動を見ていると、当時ヨーロッパ人と同じことをやったとはとても思えません。実際に、いろんな資料を当たってみると、そうではないと思うことが多く出てきます。私はその当時生まれてもいませんから、想像するだけです。しかし、感覚として同じ日本人としうてこういうことをしただろう、こういう気持ちだったんだろうと推し量ることができます。私は、そうやって自分の中の集団の記憶を少しずつ検証しています。事実かどうかは、ここではあまり関係なくなります。自分が共感できるかどうかです。そしてそれを実行に移すことができるかです。

続く (2016.03.19 09:49:40)

Re:時間とは何か?(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

集団の記憶のリレーというのは、単に言い伝えを信じるだけでは無いはずです。まだうまく表現できませんが、気持ちを受け継ぐことができるかどうかにかかってきます。そうして、自分たちの社会に貢献した人達を覚えていて感謝しながら生きていくことで、自分たちが社会に貢献できるようになるのだと思います。この更新のサイクルのモーターとなるのが「言語活動」です。今は、コミュニケーションよりは「知ること」に重きを置いています。知ったことをどう意識の中で更新していくのかです。それができるのは人間だけですし、このメカニズムに言語の持っている価値システムが大いに関係します。

ピダハンは、進歩するということを放棄した人達です。本を読むと分かりますが、道具が全然進歩しません。技術も芸術もいい加減のままです。でも、そういう生き方であり、それを大大可能にしているのがピダハン語なのです。でも今、子どもたちはポルトガル語を覚えているようです。そうなると、時間や色、数の概念が入ってきます。その時の彼らがどう反応するのか。それは彼らだけが選択する権利を持っています。

私は、客観的に言えば嘘になるものでも、自分たちを高める記憶になるのであれば、それは自分の記憶として採用します。なぜなら、自分が進化したいからです。

うまく言えませんが、いかがでしょうか。 (2016.03.19 09:50:33)

Re[1]:SFの世界(03/17)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん

>佐藤さんの脱人間視点による記憶科学の到着点はSFになるのかなとは漠然とは思っていましたが、ともちゃんさんはそれを先取りしましたね。

SFで表現できるかなと考えたことはあります。まだ、今後何か可能性があるかも知れませんが。

私の「脱人間視点」は、結局は人間に戻ってくるようです。ともちゃんさんへのリプライを書いていて、人間の視点から脱したのに、わざわざ戻っている自分に気が付きました。自分のやる気を実は科学していることになるのですから心境は複雑です。


>純粋な数学的思考によってアイデンティティを獲得していた主人公ヤチマが到達した宇宙観はつまるところ、すべては数学なのだという数学的宇宙観です。人類が肉体を捨て、人格や記憶をソフトウェア化して、コンピュータ内の仮想現実都市で暮らすという設定があります。人格のソフトウェアのよってコピーが可能となるのですが、みんなソフトウェアになってしまえば不老不死になるわけですが、新しい人間が生まれず、知ってる人間ばかりと一緒に永遠に生き続ける、ってのはちょっとイヤな世界ですね。それを防ぐには新しい人格を「発生」させるしかありません。そんなところがテーマですね。

実は我々も、「意識の更新」によって、毎日新しい人格に生まれかわっているということを忘れないでください。思考というは、直接アイデンティティーの更新につながります。それができないのであれば人形と一緒です。同じことを繰り返すだけですから。コミュニケーションというのは、情報のやりとりをして互いのアイデンティティーを進化させていると言えます。

また火の鳥ですが、地球上から動物が全て死滅した後、一人残ったマサトが人工的に生命を培養することに成功するが、試験管から出ると組織が崩れてしまい、人間を作っても、思考ができるようにはならず、幼稚な漫画を見て大笑いしかいないというお話があります。結局、人工的に作ることはやめにして、海の中に培養液を垂らして、それが生命のスープになって種の進化が始めからリピートされるのです。

>デッックでは記憶が偽物ですが、イーガンではアイデンティティまで偽物なんですね。

記憶の偽物はあっても、アイデンティティーの偽物は無いでしょう。もう少し、整理する必要があると思いますが。


(2016.03.19 10:03:45)

平行宇宙   ともちゃん さん
佐藤さん

『メメント』と言う映画があります。
これは、3分前の事しか記憶できない人の物語です。
サスペンス映画ですが、
記憶とは何かという事がテーマです。

fractalemodeさんから紹介していただいた
『ディアスポラ』は面白そうです。
私たちの論議になんかヒントがありそうです。
いつか、感想を書きます。

佐藤さんには、黙っておこうと思ったのですが、
私の経験を語ります。
昔、アルバイトをしていた時の事です。
親父ほどの年配の人と組んで仕事をしました。
寒い時で、休憩の時はストーブを囲みます。
人の良い、優しそうな人でした。

俺の子供が中国にいるかも知れないと言いだすのです。
戦争で中国へ行ったそうです。
民家へ押し入って女を漁ると言っていました。

そばに親がいるのです。
娘は泣き叫ぶのですが、
銃剣を突き付けたら抵抗はできないと言っていました。
抵抗する親は、殺したと言っていました。

我々も、命がけで戦争をしているんだ。
明日は死ぬかも知れない。
これぐらいの事は許されるべきだ。
その時は、そう思ったと言っていました。

終戦後、中国から引き揚げて来たころ、
ヤクザに絡まれたそうです。
一度、命を捨てた身の自分に、
怖いものは何もなかったと言っていました。

私は、現場を見たわけではありません。
しかし、このおじさんの体験には、
生なましいものがありました。
戦争は、狂気の世界です。
たぶん自分も、同じことをやっていたと思います。

若いころにそんな話を聞いた私と、
聞かなかった佐藤さんでは、
歴史の受け取り方が違います。
歴史は一つではありません。
まさに平行宇宙なのです。 (2016.03.19 11:27:32)

Re[2]:アイデンティティーだけは本物というは本当か?   fractalemode さん
CLG2009さん
ともちゃんさん

>SFで表現できるかなと考えたことはあります。まだ、今後何か可能性があるかも知れませんが。

>私の「脱人間視点」は、結局は人間に戻ってくるようです。ともちゃんさんへのリプライを書いていて、人間の視点から脱したのに、わざわざ戻っている自分に気が付きました。自分のやる気を実は科学していることになるのですから心境は複雑です。

全てのSFは現在の文明批判のような気がします。結局警告なのですね。そこで、徹底して脱人間化をする。その上で、人間とは何か、アイデンティティートは何かを考えさせる。そんなストリーになっているのかと思います。


>実は我々も、「意識の更新」によって、毎日新しい人格に生まれかわっているということを忘れないでください。思考というは、直接アイデンティティーの更新につながります。それができないのであれば人形と一緒です。同じことを繰り返すだけですから。コミュニケーションというのは、情報のやりとりをして互いのアイデンティティーを進化させていると言えます。

その通りです。

>また火の鳥ですが、地球上から動物が全て死滅した後、一人残ったマサトが人工的に生命を培養することに成功するが、試験管から出ると組織が崩れてしまい、人間を作っても、思考ができるようにはならず、幼稚な漫画を見て大笑いしかいないというお話があります。結局、人工的に作ることはやめにして、海の中に培養液を垂らして、それが生命のスープになって種の進化が始めからリピートされるのです。

進化的な方法以外はいかに難しいかですね。

>>デッックでは記憶が偽物ですが、イーガンではアイデンティティまで偽物なんですね。

>記憶の偽物はあっても、アイデンティティーの偽物は無いでしょう。もう少し、整理する必要があると思いますが。

私もともちゃんさん釣られて偽物呼ばわりをしました、偽物本物という離散化概念は人間の基準なのですね。その意味からすると、今現存する生命は皆偽物です。何故ならコピーだからです。フラクタルコピーがクーロンと違うのは、必ず脚色されるからですね。同じだけれども違うのですね。しかし、コピーでしかないという基準に照らすとそれは偽物になってしまいます。これから逃れるためには私達が使う概念(シニアン)を徹底して漂白すべきですね。
-----
(2016.03.19 11:42:17)

仏典と聖書   ともちゃん さん
fractalemode さん

仏典はSFです。
聖書もSFです。

哲学を物語風に書けば、SFになります。
たぶん、『ディアスポラ』はそんな小説だと思います。

早速、注文しました。
いつか、感想を書かせていただきます。 (2016.03.19 11:43:16)

Re:仏典と聖書(03/17)   fractalemode さん
ともちゃんさん


>仏典はSFです。
>聖書もSFです。

そのような見方をするとは面白ですね。私もそういう見てみましょう。新たな発見があるかも知れませんね。

>哲学を物語風に書けば、SFになります。
>たぶん、『ディアスポラ』はそんな小説だと思います。

ディアスポラ=離散
ディスクリート=離散
佐藤さんの離散はどっちでしょうかね。


>早速、注文しました。
>いつか、感想を書かせていただきます。

凄いですね。私は本を買うことはめったにないです。ほとんどインターネットで間に合わせです。
感想を期待します。
----- (2016.03.19 12:42:54)

Re:自己の内部へ(03/17)野球野球は確率重視   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>faractalemodeさんは、私が日本の総理大臣になったら、
中略
>だから総理大臣と言う発想が、
>そもそも成り立たないのです。

それならともちゃんさんでもなくても良いです。それは議論の趣旨とはあまり関係ないことですから。これはお互いの思考実験です。言葉上のことで問題の本質をそらすと噛み合わなくなりますね。個人のアイデンティティー(主観から攻める)と集団のアイデンティティー(客観から攻める)と同じ議論かもしれませんね。

私が言いたいのは客観的確率統計的世界観です。こう言う人が集団のリーダーになったらどうなるかということです。ともちゃんさんの好きな阪神に野村監督がなったらどうなるのかということです。彼の野球信念はID野球ですが、これはIDentityではなくImportantDataです。個性重視でなく確率統計のデータ重視です。これは阪神のチームカラーにはあわなかったでしょうね。野球は短期勝負ですからその評価は難しいですが、これは文化という視点で見たらいいことではありません。
野村監督は自身のアイデンティティーは重視したのですが集団(チーム)の個々人のアイデンティティーは重要しななかったのですね。だから、集団のアイデンティティーは存在しないのです。その結果、信頼関係も生まれませんよね。
続く (2016.03.19 16:10:02)

Re[1]:ひも理論も怪しい。   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>自分とは何か?
>それを徹底的に追及すると、
>私のような思考の流れになります。

自分を徹底して追及したのはデカルトですが、彼はともちゃんさんのように独我論になりましたが、確率統計的になりませんでしたね。この違いは何でしょうか。

ともちゃんさんは主観確率と客観確率を混同しているように思われます。主観を客観にするためには厳しいテストを受けなければなりません。むやみに客観を主観の土俵に持ち込んではなりません。何故ならともちゃんさんはすべてが偽物だと言っているのですから。

その上に量子論でさえまだ合格していません。それは根本的欠陥があるからです。それは特異点問題です。これが解決できないので超ひも理論が出てきたのですね。これも怪しいのですね。

自然数の和が負のある値になるというのを知っていますか。

1+2+3+4,,,,=-1/12

です。超ひもはこれを使っているのですね。この数学を信じられますか。
続く (2016.03.19 16:20:01)

Re[2]:何故、確率論的世界観に嵌ったのかの思考を解明する。   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

ラプラスは決定論によって事象は説明がつくと言いながら結構確率論を研究しました。それは人間はすべてを知ることはできない。だから確率で人間の無知を補完するのだと言っています。しかし、決してこの世界の真実が確率だとは言っていません。ともちゃんさんは決定されたとしてもそれは偽物だと言います。

何を持って偽物というかですが、生命は遺伝子によるコピーなのですからすべて偽物ですよね。もっと言えば、イデアとは、存在の「真実の姿」を示す言葉です。

たとえば目の前に一輪の秋桜(コスモス)があるとします。そのコスマスは実は偽物で、イデアにある真実のコスモスから生まれたものでしかないというのがプラトンの言い方です。現実のコスモスはなぜ偽物なのでしょうか。イデアのコピーだからです。

この偽物の定義とともちゃんさん偽物とはどう違うでしょうか。

>かといって、私が悪質な人間かと言うと
>そうでもありません。
>悪質な人間は、社会に対して何らかの働きかけを
>求めているのではないかと思います。

悪質の定義がないと何とも言えませんね。道徳論ではだめなのですよね。正のエントロピーをまき散らすのが悪だとします。おっしゃる通り社会に働きかける行為は生活するということであり、汚くすることです。人間はすべて不浄な存在なのですね。ですからすべての人間は正のエントロピー的存在です。だから仏教は浄化することに力を注いだのですね。

生命は負のエントロピー的存在なのに人間は正のエントロピー的存在です。これはこれから議論したいところです。特に佐藤さんの議論と通じるところでしょう。佐藤さんは正のエントロピーと負のエントロピー的存在(民族)が存在しているということなのですから。

>私の場合、もう社会に働きかけると言う、
>エネルギーがありません。
>ひたすら、自己へ自己へともぐりこむだけです。

社会に出なくても生活はしています。ですから不浄です。それを自己へ自己へともぐりこむことで解決しようとしているのですが、それが自閉を意味するなら間違いです。その理由はこの後で。

>奥羽地方に即身成仏と言って、
>断食してミイラになった人がたくさんいるそうです。
>私は、そこまでの精神力はありませんが、
>個人の中へもぐりこむと言う方向性は
>似ているのではないかと思います。

自己の中へもぐりこむことを内観ととらえるとそうですが、それでも二通りがあって自らを図って証するは迷なり、万法(宇宙)に証せられるのが悟りなりと言いますね。自らを図る=独我論によっては悟れないという意味です。

>自分の中へもぐりこむために、
>他人様の精神構造を知りたがっている。
>私を、そんな人間だと理解していただければ、
>ありがたいです。

理解しようとしてともちゃんさんの論理思考を図示してみました。


      ともちゃんさんの経験(認識を信じられない)
              ↓
量子論的宇宙論=確率統計論⇒↓←唯識的世界観(この世界はすべて幻想である) ↓
客観の総合         ↓  主観の総合
ともちゃんさんの結論:主観の確率統計の世界観

自己の世界観が確率統計論的だから、他人もそうだと確認したいのですね。それなら三人称的です。そしてそれなら、ラプラスと同じになるはずです。

しかそうならないのは客観を主観かしているとしか思えません。しかし、その客観が偽物だとしたらどうしますか。歴史の捏造どころではありません。

自己から進んで証するのは迷い、万法に証されるのが悟りだというのは、自分の考えが正しいと先に思い込むのではなく、宇宙の真理が何かということを内観で知るべきであるということです。それには宇宙の声なき声に耳を傾けなければならなりません。そのためにはデータ重視ではなく、データ配列(数列)を重視するべきですね。これは大きな違いですね。
----- (2016.03.19 16:48:43)

Re[1]:パラレルワールドは存在する?   fractalemode さん
CLG2009さん
ともちゃんさん

このグロテスクな宇宙を見て下さい。中毒になります。
手の指のフラクタル
http://sfcclip.net/series2011052003/

>佐藤直幹という人間は、地球上にしか存在しないでしょう。しかし、別の太陽系には、私と同じような考えを持った別人がいる可能性はあります。見た目には全く違っても、最初は同じだったとかんがえるとパラレルワールドであると言えます。初期値が大きく作用するわけです。

メンガーのスポンジを根源宇宙としましょう。その一つ一つのが部屋が一つの宇宙ですね。隣の部屋に私と同じ私がいるかもしれませんね。しかし、隣の部屋には絶対にいけません。ともちゃんさんの理論では認識できないなら存在できないですから佐藤さんのパラレルワールドはなり立ちません。

しかし、イデアだけが実在するのであり、現象は偽物だとするとどうなるでしょうか。認識されたものだけが存在するというなら存在する者が偽物だろうと認識しているのですから存在するとも言えます。となりの家に住んでいる人は存在しているのでしょうか。見たこともなければ存在はしていないでしょう。
しかし、存在していると想像することはできます。それが信じられるところまで達したら認識できたことになり存在となります。

ともちゃんさんには幽霊だって存在します。聖徳太子が捏造だとしても私達の心には存在しています。

この議論はどう進めればよいのでしょうか。

----- (2016.03.19 17:59:09)

Re:リトル・バン(03/17)とビッグサン   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>『時間を、所与のものとして扱うから、
>物事が見えなくなっているのかも知れない。
>「時間」は存在しない。あるのは、何?』

時間を所与のものとしたのは人間の認識の限界があったからです。ニュートン時代は宇宙は既に存在していました。子供が生まれたときにスマホが存在するのと同じです。スマホには時を刻む仕掛けが内蔵しています。宇宙はすでに時がスタートしていたのです。これでは時間を所与のものとせざるをえないでしょう。

それを破ったのがアインシュタインです。その発想は単純で光の速度が一定なら時間にしわ寄せするしかないのですね。L1=ct1,L2=ct2としたときcが一定(1)ならL1/L2=t1/t2ですから、L2=L1/2とするt2=2t1となり、距離が短くなった分時間が間延びしなければ帳尻が合いません。この計算は正しくはありませんが、速度一定とすると、しわ寄せを時間にもっていかないというころだけを示したいので、端折りました。

しかし、アはそこからビッグバンを結論しました。物が存在すると場をゆがめると考えたのですね。現在の宇宙には物がたくさんあります。物が小さい方から大きい方へ形成されることが分かっていますから時間軸に並べると原点は何もない点になりますね。つまり、時間はそこでスタートしたとなります。まるで運動会のスタートの合図です。これで時間が進むのです。これによって時間は所与のもとは言えなくなったのです。

>佐藤さんの言われるリトル・バンは、無数の太陽系が、
>平行宇宙として存在していると言う事ですね。
>こう言ってもらったら、判りやすいです。

佐藤理論はエバレット解釈(多世界)ではなく、フラクタル宇宙論(細胞的単体として同時並行)ですから平行宇宙という言葉は不味いのではないでしょうか。その上に多元宇宙論というのもあります。
なかなか言葉だけでは差別化できませんね。
続く (2016.03.19 22:41:13)

ビッグサン   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>我々がよく知っている、ニュートン的な時間。
>こんな時間が存在するとしたら、
>他の太陽系に別の時間が流れているという発想は不自然です。

運動会場がたくさんあって、みんなそれぞれスタートすると時間はそれぞれですよね。互いに交流がないのですから自分たちの時間が絶対だと思うでしょう。

>しかし、そもそも時間が流れていないとしたら、
>リトル・バンの発想が生きて来るのではないか?
>今、そんなことを感じました。

絶対時間だろうと相対時間だろうと時間が変化しないというのは理屈に合いません。運動会で走ることが運動であり変化ですから、それを時間という物差しを作って測ったわけです。その変化を認めるなら時間も認めないと話になりません。時間は認識の媒体なのです。だから、時間は宇宙に実在するのではありません。時間をイデアとすると時間は流れていないでしょう。ですからどんな時間も偽物です。その偽物の時間を使って物理(生活)は成り立っているのです。

更にその偽物の時間についての議論がアの相対論とSの相対論なのです。どっちが本物に近いのかということですが、それでもイデアの前では本物とは言えないでしょうね。

スピ系や宗教や神秘主義や心理学や哲学がアの相対論や量子論を何の批判もせずに受け入れて、自分たちの主張を正当化するのが今日の傾向です。それらと差別化する意味でも時間とは何かをクリアにする必要がありますね。

ビッグサンを認めるなら時間の問題は簡単です。巨大な太陽が存在すると仮定しましょう。中身はありません。真空です。そのときに引力が存在します。その時、まだ正の世界は存在しません。ですから負の世界だけです。ですから-Fv=1です。引力をF=1/x^2(計算のために簡単にします)とします。

代入すると
-1/x^2(dx/dt)=1(積分が間違った数学であると言いながら使います。大きな距離では問題ありません)ですので、
-1/x^2*dx=dt
積分すると
∫-1/x^2(dx)=∫dt
1/x=t
となります。この式がとても重要です。アの相対論からは出てこない式です。

積分というのは面積(和=Σ)を求めることですので、トータル時間tを100としてその1/100をdtとすると∫dt=Σ1(1)=1*1*100=tですね。当たり前のことです。塵(1)も積もれば山(100)となるです。右辺は少し難しいので公式を使って1/xとします。従って
1/x=tとなります。
これはとてもァの相対論からは出てこない式です。
xは事件が起きる現場です。それが1/xに反転してtとなるということです。空間の逆数が時間になるということです。その逆も言えます。数学の縛りはきついですから、これを勝手に拡大解釈することは許されません。それが数学の信頼性を担保しているのですね。
続く
(2016.03.19 22:58:20)

Re:1/x=tの意味でとても重要です。   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

-Fv=1とF=1/x^2から1/x=tを導きました。
空間距離の逆数が時間であるとは何を意味するのでしょうか。

t=0としたときに何が起きまか。それがx=∞です。つまり、事件が起きた場所は無限大の位置だっということです。しかもそこは引力が働く場所です。つまり、物質が何もない宇宙で引力がxで働いたということです。つまりF=-/x^2=maですから、宇宙の中心には負の質量が存在していたということです。そこから時間がスータトしたのです。

これはビッグバンとは違います。最初の宇宙は巨大な太陽(アナロジー)だったのです。何故なら時間がスタートしたのは中心ではなく、縁だったからです。ゴールからスタートしてくるという感じですね。そんなマラソンは見たことがありませんが。

体積だけが大きく正の質量のない負の質量の太陽が存在したのです。そこからフラクタル分割で体積が収縮して今日にきているのですから起源はビッグサンなのです。

この物語はたった-Fv=1とF=1/x^2から導かれたのです。-Fv=1を否定するならともかく、それはあまりにもシンプルすぎて反論さえできません。こんな簡単な式から宇宙論から精神論や進化論まで語れるというのは素晴らしいとは思いませんか。こういうSFや哲学や宗教はかつて存在したことがありません。

相対論や量子論だって宇宙がこうなっているということからはスタートとしていません。ビッグバン理論は後出しじゃんけんであり、幽霊の波も苦し紛れに捏造したものです。ですから相対論と量子論とが融合して統一論となる可能性はないのです。相対論は光速度が一定であることからの矛盾を無理やりこじつけするために出てきたのであり、量子論は電子単体の動きを表現するために作った式であり、それが多数の電子になるとそれらの振る舞いには説明ができないので、やむなく確率を持ち込んだのです。刑事が犯人を追い詰めるときにその犯人の性格とか特徴を知りたくなるでしょうが、それだけでは逮捕できません。交友関係・怨念・寄りそうなところ・その他あらゆる関係を調べますよね。量子論は静的idだけで良いとしてしまったのです。関係を無視したことでロストしたこと間違いありません。

Fv=1はE=tと置くと簡単導けます。ΔS=ΔE/Tからエントロピーは情報であり、エントロピーはエネルギーでもあるので、情報を記憶とするとエネルギーは記憶となり、時間であるということになり、全て-Fv=1にブリッジされます。ここから負のエントロピーさえ導かれます。これは宿題になっています。

なかなかそこまでいけませんね。
---
(2016.03.19 23:02:58)

逃げられない言葉   ともちゃん さん
fractalemode さん

私を分析していただき、ありがとうございます。
fractalemode さんが、おっしゃっている事は、
非常に難解です。

だから、判りやすい所から、答えていきます。
意味の分からない所は、こちらから質問します。
どうか、よろしく、お願いいたします。

(2016.03.19 16:10:02)のご質問に対してです。
総理大臣より、野球監督の方が判りやすいです。
私の会社では、毎年進級テストがあります。
巨人の川上監督の采配について論文を書け。
昔、こんな問題が出ました。

川上さんの著書を読んで、試験会場で論文を書きます。
論文と言うより、A4用紙1枚ぐらいの感想文です。

川上は、別所を切りました。広岡も切りました。
広岡はその著書で、川上を殺そうと思ったと書いています。

アメリカに、ゴーストタウンのような所があります。
川上の死体をここへほり込めば、
だれも気が付かないだろうと思った。
広岡は、そんな事を書いています。
こんな人たちでないと、野球の監督は務まりません。

広岡も冷たい人間です。
西武ライオンズでは、その冷たさで成功しました。
心が鬼でなければ、監督は務まらないのです。

「人情」は、あくまでも「見せる」為です。
本当に「人情」をもってしまったら、
管理者は失格です。

しかし、人間は弱いのです。
部下から慕われたいのです。
だから、みんな失敗します。
こんな、意味の事を書きました。
その時の試験はスベリました。
しかし私は、正しい事を書いたと
今でも思っています。

結論を言いますと、「人情」はすべて「偽物」です。
そのように見せ掛ける為だけの物です。
「確率的に見て」ダメな奴を切り捨てる。
これが、強い心です。
これしか、成功の秘訣はありません。

(2016.03.19 16:20:01) のご質問が判りません。

ともちゃんさんは主観確立と客観確立を
混同しているように思われます。
主観を客観にするためには
厳しいてテストを受けなければなりません。
むやみに客観を主観の土俵に持ち込んではなりません。
何故ならともちゃんさんは
すべてが偽物だと言っているのですから。

この意味がよく理解できません。
もう少し具体的に、説明していただければ幸甚です。

1+2+3+4,,,,=-1/12
この意味は、まったく理解できません。

何を持って偽物というかですが、
生命は遺伝子によるコピーなのですから
すべて偽物ですよね。

遺伝子のコピーが偽物であると言う発想は、
私にはまったくありません。

fractalemode さんに頂いたコメントは、
私に理解できない所が多いのです。
もっと具体的に書いてくだされば、すべてお答えできます。

野球の例とか、親子の愛とか、セックスの話とか、
銭金の話とか、誰が聞いても、
これ以上、誤解のしようがない。
そんな話でないと、私は答える事ができません。

なぜならば抽象的な言葉は、
どうにでも逃げる事ができるからです。
逃げることができない言葉で、お願いしたいのです。

私は、逃げることの出来ない言葉で、正直に答えます。
どうか、よろしくお願いいたします。 (2016.03.20 00:55:37)

Re:平行宇宙(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>佐藤さんには、黙っておこうと思ったのですが、
>私の経験を語ります。
>昔、アルバイトをしていた時の事です。
>親父ほどの年配の人と組んで仕事をしました。
>寒い時で、休憩の時はストーブを囲みます。
>人の良い、優しそうな人でした。

>俺の子供が中国にいるかも知れないと言いだすのです。
>戦争で中国へ行ったそうです。
>民家へ押し入って女を漁ると言っていました。

>そばに親がいるのです。
>娘は泣き叫ぶのですが、
>銃剣を突き付けたら抵抗はできないと言っていました。
>抵抗する親は、殺したと言っていました。


こういう話は聞いて知っていました。
戦争状態に置かれた人間が何をするかというのは、確かに重いテーマです。ヨーロッパに進駐したアメリカ兵はフランス女性やドイツ女性を犯しました。日本女性は大陸から引き上げの際に、中国人、朝鮮人、ソ連人に犯されました。そして進駐軍のアメリカ兵にも犯されました。日本人だってやった、だからみんなといっしょだというのだとしたら、日本人以外の兵士はなぜ糾弾されないのでしょうか。

日本の軍部は、こういうことが再発しないようにと慰安婦制度を作ったと聞きました。若い兵士が、戦場でそういう行為に走らないように、プロの娼婦を軍で管理して、兵士にあてがうことにしたのです。つまり日本軍は、日本帝国軍の名誉を重んじるために、慰安婦制度を作り、状況を改善しようとしたわけです。それに朝鮮で女衒が人さらいのような形で女性が扱われているのを取り締まったのは日本の警察です。強制連行などありませんでした。

慰安婦問題の本質は、日本軍が良かった悪かったの問題ではありません。これは、中華主義と小中華主義の中国と韓国が国際世論を味方につけて日本を貶めるプロパガンダでしかありません。これにせっせとネタを提供しているのが、朝日新聞を始めとする反日勢力です。

慰安婦を歴史問題と見るのは間違っています。これは、中国と韓国から仕掛けられているプロパガンダ戦争なのです。





(2016.03.20 08:02:08)

中国問題   ともちゃん さん
佐藤さん

南京大虐殺が30万人は、嘘だと思います。
しかし、ゼロと言う事はありません。
3万人か?  3000人か?  300人か?
あるいは30人か? それとも3人か?

ここで大事なことは数字です。
中国の戦後処理を歴史問題として、
歴史家に正確な数字を出させなければなりません。
なぜなら、賠償問題では数字がモノを言うのです。

これだけ金をやるから、そのことはもう言うな。
これでよかったのです。
1人1000万円としても3000人なら、わずか300億円です。

中国侵略に対して、我々はまったく無罪です。
なぜならば、当時我々は、まだ生まれていません。
今からでも金をやって、
中国問題は処理すべきだと思います。
一筆とっておけば、
後からうるさく言ってくることはありません。

日本の政治家が、無能だっただけだと思います。
佐藤さんは、そのような金銭問題を、
思想問題に発展させようと
されているような気がして仕方がないのです。

これは、あくまでも、利己主義者「ともちゃん」の
目を通して見た中国問題です。
決して佐藤さんを、非難しているわけではありません。
お間違えの無いように、よろしくお願いいたします。 (2016.03.20 09:31:53)

Re:逃げられない言葉(03/17)   fractalemode さん
ともちゃんさん

>結論を言いますと、「人情」はすべて「偽物」です。
>そのように見せ掛ける為だけの物です。
>「確率的に見て」ダメな奴を切り捨てる。
>これが、強い心です。
>これしか、成功の秘訣はありません。

それは偏った見方です。プロ野球のように短い期間で成果を出さなければならないものはすべてそうです。それが正しいとは言えないのです。今私達が議論しなければならないのは、真善美とは何かということです。それを科学的に定義すべきだと言っているのです。偽善やごまかしが成功の秘訣ならそれでも良いでしょうが、それは正のエントロピーの増大に繋がります。だからダメなのです。社会の正義が何かを議論しているのではなく、何が正義の基準なのかの議論をしていると思うのです。

このブログで記憶を科学するというのはそういうことなのではないでしょうか。私やともちゃんさんの正義の主張や成功の秘訣を議論しているところではないと思うのです。それをやるならもっと違う場があると思うのですね。

> (2016.03.19 16:20:01) のご質問が判りません。
>ともちゃんさんは主観確立と客観確立を
>混同しているように思われます。
>主観を客観にするためには
>厳しいてテストを受けなければなりません。
>むやみに客観を主観の土俵に持ち込んではなりません。
>何故ならともちゃんさんは
>すべてが偽物だと言っているのですから。
>この意味がよく理解できません。
>もう少し具体的に、説明していただければ幸甚です。

それは確率統計的世界観のことです。現実に確定的に存在するものは何もなく、すべては決定されてはいない。過去でさえ偽物である。記憶は偽物である。私の心でさえ確定できない。こうしたともちゃんさんの表現を総合すると、全ては幻のようなものだ。確率的にしか存在しない。だからこの世界の存在は偽物だ。といっていますが、これで正しいですよね。間違っているでしょうか。今このブログで一番問題となっているのはアイデンティティーです。アイデンティティーは記憶をベースに自己を確立する離散融合更新循環の(精神)運動だということに定義されました。ところが、ともちゃんさんはアイデンティティーさえ偽物だ。だから、離散融合更新循は嘘だと言っているように見えるのです。それはともちゃんさんが確率統計的世界観を基準にしているのからではないでしょうか。私の表現は難しいのは誤ります。私も頭がよくまとまっていないのかもしれません。それで極端な言い方をすることで、その問題点を明らかにしようとしています。私達は何を議論しようとしているのか。そこにフォーカスすれば、ともちゃんさんはアイデンティティーを否定しているようにみえます。この世界が確率統計に従うなら正のエントロピー増大しかないからです。
続く (2016.03.20 09:41:49)

Re[1]:超ひも理論   fractalemode さん
ともちゃんさん

>1+2+3+4,,,,=-1/12
>この意味は、まったく理解できません。

簡単に説明します。

1+x+x^2+… = 1/(1-x)・・・等比級数の和(公式です)
これを微分します。
1+2x+3x^2+… = 1/(1-x)^2
x=-1のとき
1-2+3-4+5-… = ¼

左辺に「1+2+3+4+…」が出てくると都合がよいですね。負の符号を正にしたいですね。

そこで、
1-2+3-4+…
= (1+2+3+4+…) -2×(2+4+6+…)
= (1+2+3+4+…) -4×(1+2+3+…)
= -3×(1+2+3+4+…)


変形すると
1+2+3+4,,,,=-1/12

この式は間違いであるともいわれていますが、それでも有名です。

ファインマンはこれは無限大の悪用だと言っています。

1-2+3-4+…=発散する式=小さ値(¼)+∞1=∞2

として、
¼=∞1-∞2
として
1+2+3+,,,=-1/12
を導いているからです。

論理的には文句のつけようようがないのですが、どうもねっていう感じです。
数学のプロでさえ❔を提示しています。それが超ひもでは使われているとなると話が別です。
もし、超ひもが瓦解したら現代物理はどうなるのでしょうか。
続く (2016.03.20 09:45:21)

Re[2]:確率統計論はアイデンティティ―を否定せざるを得ない   fractalemode さん
ともちゃんさん

>何を持って偽物というかですが、
>生命は遺伝子によるコピーなのですから
>すべて偽物ですよね。
>遺伝子のコピーが偽物であると言う発想は、
>私にはまったくありません。

発想うんぬんより、定義問題です。ともちゃんさんの定義によれば過去(記憶)はすべてあてにならないでしたよね。だから最初の遺伝子(記憶)はあてにならない。だからそのコピーもあてにならない。となりませんか。全て確率統計的世界観とアイデンティティ―(記憶)との関連で始まった議論です。

>fractalemode さんに頂いたコメントは、
>私に理解できない所が多いのです。
>もっと具体的に書いてくだされば、すべてお答えできます。
>野球の例とか、親子の愛とか、セックスの話とか、
>銭金の話とか、誰が聞いても、
>これ以上、誤解のしようがない。
>そんな話でないと、私は答える事ができません。
>なぜならば抽象的な言葉は、
>どうにでも逃げる事ができるからです。
>逃げることができない言葉で、お願いしたいのです。
>私は、逃げることの出来ない言葉で、正直に答えます。
>どうか、よろしくお願いいたします。

逃げているつもりは全くありません。何を議論しているのかがはっきりしているからそれに照らしているだけですね。ともちゃんさんは個人のアイデンティティ―(記憶)はあると言いますが、それはご自身の定義(確率統計)からくる結論と矛盾しませんか。アイデンティティ―とは自己を規定、確定することです。それがともちゃんさんはそんなものはないと言っておきながら、自分には個人のアイデンティティ―があると言っているわけです。ですからこれはすべて、根っこは確率統計の世界観からきているのです。いくら具体的な例を上げても、そこが矛盾しているのですから、あるときは確定、あるときは不確定として矛盾だけが再生産されるだけではないでしょうか。

アイデンティティ―とは自己を規定、確定できるのですか、それとも規定・確定できないのですか。そこをはっきりしましょう。

----- (2016.03.20 09:50:11)

アイデンティティー   ともちゃん さん
fractalemodeさん

問題の所在が、だんだん判ってきました。
それは、以下の文章に要約されていませんか?

アイデンティティ―とは自己を規定、確定できるのですか、
それとも規定・確定できないのですか。
そこをはっきりしましょう。(2016.03.20 09:50:11)

実を言いますと、私は、アイデンティティーの意味が
よく判らないのです。
パソコンで、引くと「主体性」とか「自己同一性」、
あるいは「帰属意識」と翻訳されています。
そのことは、以前から知っていました。

アイデンティティーを私なりに語ります。
(1)私は、タイガース・ファンです。
私は、タイガースに対してアイデンティティーをもっています。
タイガースと私は一体です。

(2)私は、T社の社員でした。
しかしT社には、アイデンティティーをもっていません。
今、企業年金をもらっています。
その金をもらい終わったら、T社は潰れても構いません。

(3)私は日本の国籍を持っています。
しかし、日本が滅びても構いません。
私には、金があります。
外国へ移住すればいいだけの話です。

私の帰属相手は、国家でもなく企業でもありません。
それは阪神タイガースです。
普通、「アイデンティティー」とは、こう言う使い方をします。
これは「帰属意識」ですね。

佐藤さんの使われる「アイデンティティー」は
非常に特殊な使い方です。
哲学用語としての使い方は、以下の通りです。

「ものがそれ自身に対して同じであって、
一個のものとして存在すること」

私には、これが、まったく理解できません。
そこで私は、佐藤さんの言われる「アイデンティティー」とは何か?
これを考えたのです。

佐藤さんは、日本の国家に対して
どんなアイデンティティーをもっているのか?
フランスに対しては、
どのようなアイデンティティーをもっているのか?

佐藤さんが「反アイデンティティー」をもっている、
朝鮮とか中国は、佐藤さんにとってどんな国家なのだろうか?
いったい佐藤さんと、どんな関係にあるのだろうか?
それを知ることにより、
「佐藤的アイデンティティー」に探りを入れているわけです。

fractalemodeさんがここで言っておられる
アイデンティティーとは、
「佐藤的アイデンティティー」の事だと思います。
したがって、アイデンティティーの意味は、
私にはまったく判りません。
今の所、こう言うより仕方がありません。

その次にfractalemodeさんは、
「自己を規定、確定」と書いておられます。
私にとって、アイデンティティーが、
「自己を確定」するとは、タイガースが勝った時です。
天にも昇る気持ちです。

特攻隊が、アメリカの軍艦に突撃した。
その瞬間、彼の魂は、「自己を確定」して天に昇った。
こんなイメージです。

「1+2+3+4,,,,=-1/12」は、
むつかしい記号が使ってありません。
だから私にも、なんとなくわかったような気がしました。
ありがとうございました。
また記号抜きで、よろしくお願いいたします。
(2016.03.20 11:49:14)

Re:確率論的アイデンティティ―は存在しない   fractalemode さん
ともちゃんさん

>問題の所在が、だんだん判ってきました。
>それは、以下の文章に要約されていませんか?
>アイデンティティ―とは自己を規定、確定できるのですか、
>それとも規定・確定できないのですか。
>そこをはっきりしましょう。(2016.03.20 09:50:11)

その通りです。

>実を言いますと、私は、アイデンティティーの意味が
>よく判らないのです。
>パソコンで、引くと「主体性」とか「自己同一性」、
>あるいは「帰属意識」と翻訳されています。
>そのことは、以前から知っていました。

それでいいのではないかと思います。原点はそこです。しかし、それを文字通りと信じてはいけないのですね。アイデンティティーとはこうだと決めつけるなら従来通りの解釈でやればよいのです。ともちゃんさんはかなり決めつけ型ですね。佐藤さんはそれがいやなのですね。佐藤さんは意味のパイオニアなのです。そのことを私も最初は分からなかったのですが、たぶんこうだろうと決めつけてリプライしてきてようやくおぼろげながら輪郭をつかんだかもしれないという感じです。

佐藤さんの記憶の科学は完成されたものではないことをまず頭に入れておかなければなりません。ですからともちゃんさん流の解釈をいくらしても柳に腕押しになると思います。

そういう中で、ともちゃんさんの確率解釈はアイデンティティーの意味をはっきりさせる絶好のチャンスだと思ったわけです。佐藤さんのパラドックスは意味を剥奪するとことから始めますが、結局意味を確定しないと先に進めないわけです。それは佐藤理論の抱えた悩みでもあるのですが。

そんな悩みを避けるなら、ソシュールと同じ路線を歩めばよいのですが、それではそれこそ意味(価値)がありません。私は文章で「意味」という言葉をよく使いますが、それはまさにこの意味の戦いの生成場だからです。意味を捨て意味を生成する。これが離散融合更新循環だと思いました。

ともちゃんさんの具体的な例の中に佐藤さんの記憶を科学する支援するサンプルは沢山あるでしょう。しかし、過去の古い価値観で意味を解釈するなら、それは佐藤さんとは違う意味となるはずです。しかし、それはともちゃんさんの責任ではありません。それは佐藤さんの言葉の定義がまだはっきりしていないために起きる齟齬です。私達は古い定義を持ち出して解釈しているだけなのです。そいうのをやめて定義を互いに確かめあいながら佐藤さんの閃きをまつしかないのが私達二人の立場ではないでしょうか。
>アイデンティティーを私なりに語ります。
>(1)私は、タイガース・ファンです。
>私は、タイガースに対してアイデンティティーをもっています。
>タイガースと私は一体です。
一体感がアイデンティティーなのですね。確率はどこにいきました。確率的人間ということは幽霊人間ですね。ともちゃんさんは幽霊ですか。神出鬼没で何を考えているか分からない。しかし、これまでのところそういうことは全くありませんね。
続く (2016.03.20 17:02:50)

Re[1]:アイデンティティーとは気質ではないのか   fractalemode さん
ともちゃんさん

>(2)私は、T社の社員でした。
>しかしT社には、アイデンティティーをもっていません。
>今、企業年金をもらっています。
>その金をもらい終わったら、T社は潰れても構いません。

それは誰にもとがめれませんし、所詮雇われた身のアイデンティティーでしかありません。
ということはアイデンティティーというのはかりそめの自己なのかもしれませんね。しかし、それでも確率的自我ではないと思います。

>(3)私は日本の国籍を持っています。
>しかし、日本が滅びても構いません。
>私には、金があります。
>外国へ移住すればいいだけの話です。

中国人と同じですね。アイデンティティーというのはそういう縛りがないのですね。生成流転するですかね。しかし幽霊ではありません。ともちゃんさんは明らかに物理的実体(国家)とは関係なくアイデンティティーを持っています。それは確率的ではありません。大阪の人は昔から海外に自由に出ていく人が多いですね。国家という境界が意識にあまりないのですね。お上概念が嫌なのでしょうね。まるで遊牧民のようですね。現代はボーダーレスの時代ですね。インターネットがアイデンティティーも流動性を加速してきているのではないでしょうか。中国人をダメ人間と断罪するなら大阪人も同じですね。かろうじて大阪人は日本のスタンダードになった京都文化によって守られていると言って良いでしょう。それを大阪人は全く気が付いていないと思います。日本は京都文化を衣にした玉石混合の国(その代表が東京)なのですね。中国はその衣がないのですね。それは気質由来ですから人がいなければ始まりません。それを言語に求めるところが佐藤理論の弱いところのような気がします。

>私の帰属相手は、国家でもなく企業でもありません。
>それは阪神タイガースです。
>普通、「アイデンティティー」とは、こう言う使い方をします。
>これは「帰属意識」ですね。

同一視するということですね。感情移入でもあります。長嶋監督が退任の時巨人は永遠に不滅ですと言いました。笑ってしまいました。そういう意味ではこれもアイデンティティーですね。しかし、帰属意識が本当にアイデンティティーなのでしょうか。ここは佐藤理論の範疇から外れるかもしれませんが、しかし大事なところですね。帰属するということは自分が他者に乗っ取られているとも言えませす。マザコンと同じですね。自分が自分ではないのですね。今、日本国家に帰属する人はいないでしょうね。集団的アイデンティティーというのは不確実な時代(だからといって確率統計ではありませんが)に突入したように思いますね。無党派が増えてのはその証拠でしょうね。

一体アイデンティティーとは何なのでしょうかね。それを定義するためには大阪と京都の文化の違いに着目するべきでしょう。アイデンティティーの違いを探求するのには格好の材料ですからね。何故、大阪と京都はあれだけ地理的に近いのに異質なのでしょうか。大阪に住んでいるともちゃんさんはそのことに不思議さを感じたことはありませんか。京都に住んでで見たいと思ったことはありませんか。私はそこに気質の違いを見るのですね。アイデンティティーとは気質ではないのだろうかということです。それが記憶とつ
ながっているのではないでしょうか。
続く (2016.03.20 17:17:11)

Re[2]:もうそろそろ確率の旗を降ろした方がよいのではないでしょうか?   fractalemode さん
ともちゃんさん

>fractalemodeさんがここで言っておられる
>アイデンティティーとは、
>「佐藤的アイデンティティー」の事だと思います。
>したがって、アイデンティティーの意味は、
>私にはまったく判りません。
>今の所、こう言うより仕方がありません。

少なくとも確率論的なアイデンティティーではないと思います。上の議論でともちゃんさんも決して確率(幽霊)でないことが分かりました。結構自己を持って判断していますよね。大阪人ってすごく自己主張が強いですよね。

>その次にfractalemodeさんは、
>「自己を規定、確定」と書いておられます。
>私にとって、アイデンティティーが、
>「自己を確定」するとは、タイガースが勝った時です。
>天にも昇る気持ちです。

ともちゃんさんのアイデンティティーはタイガースがもたらしてくれたということですね。ギャンブラーと同じですね。そうすると確率論的なアイデンティティーはどうなってしまったのでしょうか。タイガースが負けたときは自己喪失になるのでしょうか。他の自己がその穴を埋めてくれるのでしょうか。結局、アイデンティティーとは変幻自在であり、固定していない。それを確率的と見るのは間違いである。確率とは他者が決めることである。ということになりませんか。ともちゃんさんはタイガースが負けたときでも、タイガースファンですよね。ですから感情の起伏は別としてアイデンティティーは保たれていますよね。だって、タイガースファンをやめていないのですから。もうそろそろ確率の旗を降ろした方がよいのではないでしょうか。

>特攻隊が、アメリカの軍艦に突撃した。
>その瞬間、彼の魂は、「自己を確定」して天に昇った。
>こんなイメージです。

特攻隊のアイデンティティーは強制されたものですね。確率的なものではありません。
----- (2016.03.20 17:20:29)

Re[3]:もうそろそろ確率の旗を降ろした方がよいのではないでしょうか?(03/17)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん

アイデンティティーに関するお二人の熱い議論を読ませていただきました。

私はアイデンティティーという言葉を使いますが、その定義が曖昧なのも事実です。

私は最初はアイデンティティーではなく「記憶」に注目していました。この用語の方が汎用性があると考えたわけです。しかし、人間に関してはアイデンティティーでないと実感が無いのでこちらを使いますが、そのために誤解が生まれているようです。

リトルバン(ビッグバンでもいいですが)の起爆剤となった「離散融合更新循環」は、最初に時空間の支えとなる「物質的記憶」を生み出しました。この時点で「アイデンティティー」という用語は使いにくいのは、「物質の心」を普通は考えないからです。

ともちゃんさんが良く話題にする「物質の心」とは、そのまま「離散融合更新循環」であると考えています。つまり、自分自身の存在を確認する行為、自分が自分であるかを知りたい気持ちが最初の記憶の進化のステップ「物質」を作ったわけです。

この時点で言う「記憶」は、そのまま、人間から見ると「(客観的な)存在」になります。この視点の移動は、我々が人間であり、言語が「視点の移動が可能」であるからです。人間は「意味/動機」がないと何もできないと思っているので、「記憶」がなにもしないと考える場合、人間が「存在」という「シーニュ」を与えて、それを意識の中で顕在化させます。

「自分を知りたい気持ち」は、実は最初から「純粋に自分を知る」ことができません。なぜなら、自分の知るためには必ず「他者」を通さなくてはならないからです。もし最初に生まれた原子(ヘリウムでしょうか)が、自己完結型であったらそこでゲーム・オーバーです。自分の殻に閉じこもったまま、自分を知ったと叫ぶのですから。

ところが、そう簡単には生きません。原子は、離散して自分と違うものを確認し、更に融合して自己を更新をすることでようやく自分を知ることができます。原子が離散し、それが融合するまでのズレが「時間」になり、離散して単一ではなくなったり同じ場所を占拠できなくなった時「空間」が生まれます。

多分、この離散現象が「正のエントロピー」だと思います。のべつ幕なしに広がっていく感じです。これに反旗をひるがえすのが「融合現象」つまり「負のエントロピー」だとしたらどうでしょうか。ビッグバンは正のエントロピー、リトルバンは負のエントロピーと言えるかも知れません。しかし2つの現象は必ずワンセットです。ですから私は「離散融合更新循環」という長ったらし名前を使うのです。「絶対矛盾的自己同一性」よりはわかりやすいと自分では思っていますが。

続く (2016.03.20 20:19:45)

Re[3]:もうそろそろ確率の旗を降ろした方がよいのではないでしょうか?(03/17)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん

ともちゃんさんは、自分のアイデンティティーを他に依存することを極端に嫌いますが、それはおかしな話です。自分を定義するためには他者が絶対的に必要だからです。

ともちゃんさんの集団的アイデンティティーは、自分と家族で止まっているようですね。タイガースを応援するのですから、一応大阪人という意識はありそうですが、日本人という意識は無いとおっしゃいます。しかし、ともちゃんさんは日本に住んでいます。日本の政府の恩恵を受けています。自分が日本人でないというのであれば、そこから脱出することを何故考えないのでしょうか。ともちゃんさんが日本を感じないのは、日本以外の人達との接触が少ないからでしょうが、もう鎖国は終わりました。

人間は、純粋に利己的な行動だけでは生きていけません。仲間がいないとダメなのです。そういう意味で、ともちゃんの奥さんやお子さんは家族という仲間です。それが発展して「国家」にいたります。「世界市民」というのは、元々のイデンティティーのない人が、その自分の弱さを画すためにでっち上げたものです。

人間は言語によって一定のアイデンティティーの確立を保証されますが、その後の人生において、自己のアイデンティティーの更新は日課です。それは、自分の行動によって、自分のアイデンティティーを更新するわけです。私は、パリでは韓国系のお店では買い物をしないことにしました。これも私の日本人としてのアイデンティティー更新の日課の1つです。

特攻隊のアイデンティティーは究極のものです。ルーズベルトが人種差別主義者でなかったら日米開戦はなかったという人もいます。あの時代、(今でも当然ありますが)まだまだそういうことで人と人が対立していました。そのような状況で作られたアイデンティティーでしたが、彼らが国を故郷を家族を思って特攻したことを我々は重く受け止めなくてはいけません。しかし、暴走する軍部の犠牲になったかわいそうな人達という解釈は、彼らを冒涜することにもなります。本気で戦争をしたということは、お互いに守るべきものがあったということです。その後、平和な時代がくれば、互いに戦った兵士同士の和解もあります。中国と韓国が今でも日本にいちゃもんをつけているのは、彼らが本当に自分たちの国を民族を守るために戦ったことがないからです。特に韓国の場合、日本との戦闘はありません。日本に反対する勢力が散発的なテロ活動を行っていただけです。

アイデンティティーには人間としての「意味・動機」が入ってしまいます。「記憶」には入りません。そして我々が生きている限り、このアイデンティティーの更新は続きます。更新されるアイデンティティーは、言語によって一定のベクトルが出来上がっています。つまり、最初に確立したアイデンティティーを進化させる方向に行動するわけです。中には、与えられたアイデンティティーを否定する人もいます。私の様に、1つのアイデンティティーでは満足できずに、複数のアイデンティティーを求める人達もいます。

私が人間の意識の進化のレベルで、意味を排除して考えようというのは、この意味が人間の意識の「離散融合更新循環」の動機になっているのは事実なのですが、純粋に「離散融合更新循環」を理解しようと思ったら、意味の存在が邪魔になるのです。しかし、完全に排除するのではありません。別々に考えようというだけです。
(2016.03.20 20:21:54)

二重のアイデンティティー   ともちゃん さん
佐藤さん

私は、佐藤さんが言われる「アイデンティティー」を、
「帰属意識」と翻訳していました。
これは、かなりポピュラーな解釈だと思います。

しかし、それでは、佐藤さんが言われる所の、
「記憶」の別の側面であると言う
「アイデンティティー」の意味とは、
整合性がなくなって来ます。

「記憶」の別の側面である「アイデンティティー」には、
もっと哲学的な翻訳が必要だと思います。

パソコンで調べますと、
「アイデンティティー」の哲学的な翻訳は、
「ものがそれ自身に対して同じであって、
一個のものとして存在すること」と書いてありました。

こちらの方が、「記憶」の別の側面である、
「アイデンティティー」の翻訳としてはピッタリきます。
fractalemode さんからのご指摘で、
その事に気が付きました。

しかし佐藤さんが、朝鮮・中国問題を語るときの
「アイデンティティー」は、
ポピィユラーに使用されている「帰属意識」です。
この辺に、問題点があるのではないかと思います。

佐藤さんの生い立ちや双子意識。
そういう佐藤さんの人間性を、私が知りたかったのは、
佐藤さんの「帰属意識」が、
いったいどこにあるのだろうかと言う問題意識からなのです。

佐藤さんは、朝鮮・中国問題でも、
「アイデンティティー」と言う言葉を使っておられます。
「記憶」の別の側面と言う意味でも、
「アイデンティティー」と言う言葉を使っています。

たぶん佐藤さんの頭の中では、
どちらのアイデンティティーも同じモノだと思います。
佐藤さんの頭の中で、二重になっているアイデンティティー。
その辺を、整理していただけないでしょうか。 (2016.03.21 03:16:06)

エルゴード定理   ともちゃん さん
fractalemodeさん

私には、fractalemodさんのような、緻密な頭はありません。
ただ、自分の感じた事を、正直に語っているだけです。

この世界は、「確率の世界」ではないのか?
私が、そのように感じる「感じ」を率直に語ります。
fractalemodeさんの知性で、
私の頭を分析していただけたら幸甚です。

時速160kmで、ピッチャーがキャッチャーにボールを投げます。
ボールはミットに収まります。
ミットの中のボールは動きません。

ピッチャーがボールに与えたエネルギーは、
どこへ行ってしまったのでしょうか?
熱となって、ミットの中へ逃げたのです。

その逆は、あるのでしょうか?
つまりキャッチャーのミットの中の熱エネルギーが、
ボールにエネルギーを与えます。

ボールは、時速160kmのスピードでピッチャーに帰って行きます。
ピッチャーは投球動作の、まったく逆のフォームで、
時速160kmのボールを素手で受け取ります。

非常に、まれなケースですが、こう言う事も起こるのです。
大谷投手の投球を、ビデオで逆回しにすれば、
そういう光景が見られます。

こんな光景を見る為には、大谷投手は宇宙が始まって以来、
一瞬も休むことなく、現在まで投げ続けなければなりません。
そうすると1回ぐらいは、そういう事が起こるかも知れません。

エントロピーは、増大の方向へ流れています。
しかし、それはあくまでも「確率」の問題なのです。
ミットのボールが大谷投手めがけて、時速160kmで飛び出す。それは「確率的には」、次の瞬間に起こるかもしれません。

つまり、この宇宙に「確率的ゼロ」はありません。
「∞/1」かも知れませんが、「確率ゼロ」ではありません。
そういう意味で私は、この宇宙に「決定」は存在しないと考えます。

fractalemodeさんの方から、「これが決定だ」と言える、
事例を示していただけませんか。
私が、それに反論をして行きます。 (2016.03.21 03:27:02)

Re:二重のアイデンティティー(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

>私は、佐藤さんが言われる「アイデンティティー」を、
>「帰属意識」と翻訳していました。
>これは、かなりポピュラーな解釈だと思います。

>しかし、それでは、佐藤さんが言われる所の、
>「記憶」の別の側面であると言う
>「アイデンティティー」の意味とは、
>整合性がなくなって来ます。

おっしゃる通りです。アイデンティティーという言葉は、元々人間の持つ「帰属意識」のことです。しかし「ID」となると、その人が何であるかを証明する書類になります。その先に「記憶の別の側面としてのアイデンティティー」があると考えています。

>「記憶」の別の側面である「アイデンティティー」には、
>もっと哲学的な翻訳が必要だと思います。

今のところは「離散融合更新循環」です。哲学的かどうかはわかりませんが。


>パソコンで調べますと、
>「アイデンティティー」の哲学的な翻訳は、
>「ものがそれ自身に対して同じであって、
>一個のものとして存在すること」と書いてありました。

>こちらの方が、「記憶」の別の側面である、
>「アイデンティティー」の翻訳としてはピッタリきます。
>fractalemode さんからのご指摘で、
>その事に気が付きました。

哲学では、既にそういう使い方をしているのですね。知りませんでした。

>しかし佐藤さんが、朝鮮・中国問題を語るときの
>「アイデンティティー」は、
>ポピィユラーに使用されている「帰属意識」です。
>この辺に、問題点があるのではないかと思います。

私が朝鮮・支那を語るのは、記憶科学から少し離れたところにありますが、言語が個人と集団のアイデンティティーの形成に関係あるという点で関連はあります。

ただ朝鮮・支那の場合、日本に比べて「帰属意識」の希薄なところが目につきます。それでも国を運営するには人工的に帰属意識を作らなくてはなりません。朝鮮や支那の愛国心は、非常に脆いものであることがわかります。


>佐藤さんの生い立ちや双子意識。
>そういう佐藤さんの人間性を、私が知りたかったのは、
>佐藤さんの「帰属意識」が、
>いったいどこにあるのだろうかと言う問題意識からなのです。

日本人であるというアイデンティティーは結構昔からあります。

>佐藤さんは、朝鮮・中国問題でも、
>「アイデンティティー」と言う言葉を使っておられます。
>「記憶」の別の側面と言う意味でも、
>「アイデンティティー」と言う言葉を使っています。

>たぶん佐藤さんの頭の中では、
>どちらのアイデンティティーも同じモノだと思います。
>佐藤さんの頭の中で、二重になっているアイデンティティー。
>その辺を、整理していただけないでしょうか。

そうですね、整理して何か答えが出るかも知れません。もう少しお待ちいただけますか。
(2016.03.21 08:08:29)

Re:エルゴード的=非アイデンティティー   fractalemode さん
ともちゃんさん

ともちゃんさんは何も知らない振りをして何でも知っているようですね。それも非確率的アイデンティティーを構成していますね。

大谷投手の例は、いただけません。現代物理では正のエントロピーしか認めていません。時間の矢を反対にすることはできませんから、それはあり得ません。まして負の確率なんてないのですね。

エルゴードの定理ですか。凄いものを持ち出してきますね。これを持ち出してきたことで、ともちゃんさんは墓穴を掘ってしましました。

エルゴードの定理はエルゴード仮説を証明するための理論ですがまだ成功していません。その大元がエルゴード性です。エルゴード性(的)とは個性がないことです。ですから、非アイデンティティーなのです。しかし、ともちゃんさんは極めて個性的大阪人(個人主義)です。どうしてそのともちゃんさんがエルゴード性を持ち出すのでしょうか。自分が自分の矛盾に気が付いていないということですよ。

エルゴード的とは時系列の平均とサンプルをとった平均が等しいという性質です。これでは何のことやらわからないので、ともちゃんさんの大好きなセックスを例にとって説明しましょう。性行動は人によって異なるのが当たり前ですよね。ともちゃんさんのセックスの結果をもって、全ての人が同じことをするととは言えませんよね。ともちゃんさんのことは分からないので、ポリネシアンセックスを参考にします。セックスは5日に1度、中4日は性器の接触はしないで、しっかりと抱き合い肌を密着させて眠る。 前戯や抱擁や愛撫に最低1時間をかけるようですね。しかし、これをすべての人に一般化することはできないことは理解できるでしょう。集団を構成する要素に個性があるときは個の振舞いから全体の統計を推測することはできないのです。ポリネシアンセックスの場合も実際に調査したのではなく、聞き取りでしかありません。話として面白いということだけですね。その傾向はあるでしょう。しかし、個々には違いがあるでしょう。このような現象は非エルゴード的と言います。ですから、非エルゴード的=非確率的アイデンティティーなのです。サイコロの場合はエルゴード的ですね。

ともちゃんさんの間違いは人間の性行動をサイコロと見立てて話していることです。更に言えば、佐藤理論はそのようなサイコロにも非確率的アイデンティティーがあると言っているのです。こには私も戸惑いますが、それなりの理由はあると思います。だからそれを頭から否定するのではなく、探求しているところです。

例えば、小さな容器の粒子の運動は再び元の状態近くに戻ってくるまでには宇宙の年齢の10の何十乗倍もの長い時間が掛かります。しかし、実際に測定するのはほんの一瞬です。果たして十分なサンプルと言えるでしょうか。逆に言えば、どれだけの時間をかけても確率は計算できないということです。これはエルゴード定理にとっては致命的です。ですから佐藤理論は正しいかもしれないのです。

それに対してところがともちゃんさんはエルゴードが成り立たない自分にエルゴードを持ち込んでいるのです。しかもそれに気が付いていないのです。
--- (2016.03.21 09:39:54)

宝くじの法則   たもちゃん さん
fractalemodeさん

『例えば、小さな容器の粒子の運動は
再び元の状態近くに戻ってくるまでには
宇宙の年齢の10の何十乗倍もの長い時間が掛かります』

いや、これは、そんなに長い時間が
かかると言っているのではありません。
ただ起こる確率が、非常に小さいと言っているだけなのです。
つまり、宇宙の年齢の10の何十乗倍もの長い時間に一度起こる。
これだけの確率しか、存在しないと言っているのです。

宝くじの事を考えてください。
10億円のジャンボ宝くじを、
絶対に自分が手にしようと思ったらどうしますか?
それは全国の宝くじ売り場をくまなく回ることです。
そして、すべての宝くじを買い占めればいいのです。
そうすれば10億円の宝くじは、確実に私の物です。

これが「宇宙の年齢の10の何十乗倍もの長い時間が掛かります」
と言う意味なのです。
しかし、運が良ければ、目の前の売り場で買った1枚の宝くじ。
このクジが、10億円の当たりくじかも知れません。

10の何十乗倍もの長い時間を待たなくてもいいのです。
確率的には次の瞬間に、それが起こるかも知れません。
次の瞬間に起こる確率はゼロではありません。
この宇宙に「確率ゼロ」は存在しないのです。
そのことを私は「決定は存在しない」と言っているのです。

宇宙の年齢の10の何十乗倍もの長い時間、
人間は生きているわけではありません。
だからエルゴード定理は、実験的に証明できない。
fractalemodeさんが言っておられることは、
こう言う事だと思います。

しかしエルゴード定理が証明できないと言うことは、
「決定論」も証明できないと言うことになります。
そしてまた、数学の平行線の公理なども証明できません。

なぜならば「公理」とは、証明する必要のない自明な法則の事です。
証明する必要がないと言うより、証明のしようがないのです。
本当に平行線は、どこまで行っても交わらないのか?
こう言う疑問が出てくるのです。

二本の光の平行線は、遠くまで飛んで行っても、
本当に交われないのか。
宇宙の年齢の10の何十乗倍もの長い時間、
お前は、その距離を本当に測ったのか?
fractalemodeさんが言っておられる事はこう言う事なのです。
fractalemodeさんは、墓穴を掘ったと言いながら、
本当は自分の墓穴を、掘ってしまわれたのではないのですか?

ともちゃんさんの経験(認識を信じられない)
              ↓
量子論的宇宙論=確率統計論⇒↓←唯識的世界
             (この世界はすべて幻想である)
客観の総合         ↓  主観の総合
              ↓
    ともちゃんさんの結論:主観の確率統計の世界観

私の世界観を、うまくまとめて頂きありがとうございます。
左がカントの言う「物自体」の世界です。
右がデカルトの言う、われ思う「我」の世界です。
次回、この表を元に自説を述べてみます。
よろしくお願いいたします。 (2016.03.21 12:00:37)

Re:全体は不確定   fractalemode さん
ともちゃんさん

>非常に、まれなケースですが、こう言う事も起こるのです。
>大谷投手の投球を、ビデオで逆回しにすれば、
>そういう光景が見られます。

それが現実に起きるとどうして証明できるのでしょうか。神が存在する確率はどのくらいでしょうか。創造説をとると100%です。科学者にとっては0%です。ここに確率論が出る幕はないと思うのですが。

>こんな光景を見る為には、大谷投手は宇宙が始まって以来、
>一瞬も休むことなく、現在まで投げ続けなければなりません。
>そうすると1回ぐらいは、そういう事が起こるかも知れません。

想像の世界に確率を持ち込むことは確率論を否定することになります。

>エントロピーは、増大の方向へ流れています。
>しかし、それはあくまでも「確率」の問題なのです。

エントロピー増大則はそれ自身で矛盾しています。宇宙が無限に増大すると熱的死となります。確率的に一様となるわけですね。しかし、実際は膨張が永遠に続けば低温な状態になりまから、低エントロピーとなります。これが矛盾で、現代物理もこれにはまいっているようですね。

>ミットのボールが大谷投手めがけて、時速160kmで飛び出す。それは「確率的には」、次の瞬間に起こるかもしれません。

空想を確率計算に入れると確率を否定することになります。

>つまり、この宇宙に「確率的ゼロ」はありません。
>「∞/1」かも知れませんが、「確率ゼロ」ではありません。
>そういう意味で私は、この宇宙に「決定」は存在しないと考えます。

そう考えるのは自由ですが、矛盾を含んでいます。サイコロの場合、出る目は6個ですね。つまり起こりうることが初めから決まっているのです。そこから確率を計算しているのです。しかし、想定できないことは確率計算ができないのです。ですから、もし、想定外のことが起きるとしたら確率は意味がありません。進化とはそういうことです。奇跡的体験も同様ですね。神が人間を作ったとするとする説も確率では説明できないですよね。何故なら決定論ですから。想定外の事態をどう扱うのかが確率論の弱いところです。例えば相反する事象が起きる確率はどうなるのでしょうか。サイコロの目が同時に二つ出る確率はどう計算するのでしょうか。想像はできるのですから確率は0ではありません。そうすると確率論は地獄に落ちます。何故なら、相反することが起きる事象は無限に存在するからです。

確率の式はn/Nです。部分/全体です。起こりうる全体が決まらないと確率計算ができないのです。常識ではサイコロの目が出る確率は1/6ですが、もし、1/100とすると、どっちが本当の確率なのでしょうか。これでは確率は信用できないということになりませんか。1/∞≒0とすると、ともちゃんさんは0ではないから起きると言いますが、それは認めたとして、1/6≠1/100≠0です。同じサイコロという対象に対して値が違うということはその理論が成り立たないということを意味します。

全てに心があるとする汎心論に於いてはアイデンティティーがありますから、エルゴード性が成り立ちません。これを電子に一個に拡張したのが佐藤理論です。エルゴード性が成り立たなければ確率論は成り立ちません。宇宙はエルゴード性(非アイデンティティー)ではなく、非エルゴード性(アイデンティティー)であるというのは、この宇宙に「確率的ゼロ」はないとするともちゃんさんにとっては不味いですよね。

付け足しですが、確率の式:n/N(部分/全体)の全体というのが曲者なのです。全体というのは誰がどうやって決めるのかという問題です。サイコロの場合は6でもいいでしょう。しかし、大谷投手の場合はどうでしょうか。その確率は0に近いが0ではないとしましょう。しかしその確率はどうして決まったのでしょうか。データもないのに計算できませんよね。更にそのボールの軌道は無限にあります。こうなると手の打ちようがありません。全体の問題は今世紀最大の哲学的問題です。全体とは何かですね。全体こそ不確定なのです。不確定性原理はこの全体概念に用いられるのがふさわしい原理でしょね。
--- (2016.03.21 12:03:03)

決定論   ともちゃん さん
fractalemode さん

コメントとありがとうございました。
それでは、未来は決定されていると言う論証をお願いします。
(2016.03.21 14:04:09)

Re:非エルゴード性にエルゴード性を持ち込むことの間違い   fractalemode さん
ともちゃんさん

>いや、これは、そんなに長い時間が
>かかると言っているのではありません。
>ただ起こる確率が、非常に小さいと言っているだけなのです。

それはエルゴード性の定理とは違います。

エルゴード性とは
確率a=bが等しいと言っているのです。
t1:a=Σn/M--任意の時間t1でのすべての空間的平均
ti:b=n/M(t1)+n/M(t2)+...n/M(ti)--時系列の平均

a=bでしかエルゴード性は成り立ちません。片方だけではダメなのですね。
ですから、時間的平均が必要なのです。

>つまり、宇宙の年齢の10の何十乗倍もの長い時間に一度起こる。
>これだけの確率しか、存在しないと言っているのです。

ですから現実に観測するのは無理です。だから当てにならないのです。

>宝くじの事を考えてください。
>10億円のジャンボ宝くじを、
>絶対に自分が手にしようと思ったらどうしますか?
>それは全国の宝くじ売り場をくまなく回ることです。
>そして、すべての宝くじを買い占めればいいのです。
>そうすれば10億円の宝くじは、確実に私の物です。

その場合、時間がかかってはダメのです。同時にではなくてはなりません。ともちゃんさんのクーロンが宝くじ売り場数だけいればいいですけどね。それが空間平均です。実際はサンプルでよいので、代理人を立てて調査はできるでしょうが、宝くじ売り場がエルゴード性かどうかは疑問です。

セックスの時間の調査があてにならないのと同じです。非エルゴード性にエルゴード性を持ち込むことが問題なのです。一人の人のセックス時間にしてもその時間平均を測定して、それを他の人全部に当てはめるのも無理がありますよね。

>これが「宇宙の年齢の10の何十乗倍もの長い時間が掛かります」
>と言う意味なのです。
>しかし、運が良ければ、目の前の売り場で買った1枚の宝くじ。
>このクジが、10億円の当たりくじかも知れません。

運を信じて買うのは勝手ですが、その確率は現実を反映していないということです。非エルゴード性にエルゴード性を持ち込むことの間違いにまだ気が付いていないようですね。
続く (2016.03.21 16:45:10)

Re[1]:背理法は卑怯のシンボル   fractlemode さん
ともちゃんさん

>10の何十乗倍もの長い時間を待たなくてもいいのです。
>この宇宙に「確率ゼロ」は存在しないのです。
>そのことを私は「決定は存在しない」と言っているのです。

その暗黙の前提は粒子の非平衡の状態(非エルゴード性)が含まれないことです。サイコロと同じでなければなりません。しかし、それを確率的にはそれが起こるかも知れないといっているのです。ルールを破っているのです。

非エルゴード性を無視しておいて、それでいながら確率的には存在すると言っているのです。除いておきなが可能性はあると言っているのと同じです。そういうレトリックは世の中に沢山ありますね。良い例は店頭欠品率=0ですね。これは嘘のデータです。何故なら、商品がなくて買わなかった客がカウントとされていないからです。それは分かっていますから欠品率0は存在しない。買わなかった客を含めると欠品率0はではない。という理屈です。しかしではそれはいくらかというと不明となります。何故なら、買わなかった客は測定できないからです。こうなるとエルゴード仮説なんてものはやはり気休め程度の話だということです。

>しかしエルゴード定理が証明できないと言うことは、
>「決定論」も証明できないと言うことになります。
>そしてまた、数学の平行線の公理なども証明できません。

背理法を使ってきましたね。背理法は卑怯のシンボルです。神の存在を証明できないけど、否定もできない。だから神は存在すると言っているようなものです。

エルゴード定理にはエルゴード性の定義があります。それに従えば上に述べたように気休め程度の話になってしまうのです。何も証明できないことを決定論のせいにする必要はないのです。自爆しているのです。

決定論の場合は決定される式があるということを決定論と定義していますから、それで証明は十分です。未来が予測できないから決定論ではないというのはそれは違います。定義に忠実に判断するなら決定されているのです。

平行線の公理は証明できないのではなく、証明する必要のない、明らかに自明な法則です。決定論も証明は必要がないのです。それは定義(ルール)だからです。野球のルールをどうして証明できますか。エルゴード定理はエルゴード性を証明しようとして失敗したのです。エルゴード性は定義だから証明の必要がないと突っぱねればよかったのです。

しかし定義の仕方に問題がありました。ルールですから自明性が必要なのです。野球でストライク・ボールの判定をエルゴード的確率で決めるとしたらどうなるでしょうか。成り立たないでしょうね。だから証明する必要があったのです。しかし、自爆しました。

>なぜならば「公理」とは、証明する必要のない自明な法則の事です。
>証明する必要がないと言うより、証明のしようがないのです。
>本当に平行線は、どこまで行っても交わらないのか?
>こう言う疑問が出てくるのです。

上に述べた通りです。ルールなんだから受け入れるしかないのです。しかし、エルゴード性はひどいルールだったのですね。草野球のルールのようなものですね。

>fractalemodeさんは、墓穴を掘ったと言いながら、
>本当は自分の墓穴を、掘ってしまわれたのではないのですか?

さあどうでしょうか。

平行線のルールを変えるだけで、別の世界(非ユークリッド幾何学)が存在しますね。これには暗黙の前提が隠れているのです。平行線を描く平面が平らであるという前提です。非ユークリッドは平らではないという前提です。ルールだけでは見えてこないところですね。

エルゴード性の暗黙の前提は非平衡を含まないということです。平行線の場合は誰かが気がついて、非ユークリッド幾何学を作りましたが、エルゴード性の場合は、エルゴード性が成り立たない対象まで拡張して使って大やけどをしたということではないでしょうか。原発事故は想定外だったと言いますが、想定外を無視して事故が起きたのですから被害を受けた方はたまりませんね。宝くじなら自分だけの被害ですみますから良いでしょうがね。

>私の世界観を、うまくまとめて頂きありがとうございます。
>左がカントの言う「物自体」の世界です。
>右がデカルトの言う、われ思う「我」の世界です。

>次回、この表を元に自説を述べてみます。

カントの世界が確率になるのですね。楽しみしています。

----- (2016.03.21 16:56:01)

Re:決定論(03/17)   fractalemde さん
ともちゃんさん

ともちゃんさん

>コメントとありがとうございました。
>それでは、未来は決定されていると言う論証をお願いします。

確率論も決定論も論です。ですから論理的証明せよということですね。それは簡単です。すべての論には前提(公理=自明なルール)がありますね。

私の決定論のルールは「未来が一義的に決定されるという式が存在する」ということです。ここで言う式とはy=f(x)のように変数を決めれば結果が決まるというものです。式で表現できる確率論的式でも変数が確率変数なら決定論とは言わないということが条件としてきます。

古典物理のような機械的な決定論では面白くないので、フラクタルな決定論をとりあげましょう。フラクタルは決定論的非線形フラクタルと言われるように呪文の様に長い説明が必要になります。簡単に言えば、先が読めないが未来は決まっているということを計算式で与えられるということでしょう。言い換えればやってみなければ分かないです。そんな闇夜のカラスのようなことで、どうして決定論というのかという反論が予想できます。それはそう定義したからという説明で十分です。他の理由などないのですから。だからといって宇宙が「未来は決定されている」というのが真理かというのは別問題です。それは決定論的宇宙論というべきでしょうね。この辺が決定論というときに誤解されてしまうのですね。宇宙が決定されているという場合は、証明ではなく、実証される必要があるでしょうね。ですから、フラクタルな現象(証拠)を集めたりしてそれを試みているという段階ですね。物質的にはほぼ間違いないという感触は得ましたが、次は精神現象ですね。いずれにしてもここまで来たということです。

フラクタルな決定論の実際の応用をとりあげると分かりやすいかもしれません。それはフラクタル暗号です。暗号というのは盗まれては台無しですね。ですから鍵が必要です。しかし、単純な式ではハッカーに見破られてしまいます。そこでフラクタルの出番です。式は例えば、Zn+1=Zn^2+Cです。この時点で未来は決定されているのです。鍵はCです。これによって発信された情報はハッカーでも手が出せません。いくら情報を分析してもCがないと復元できないからです。ここに少し手を加えて複雑にすれば、手にした情報から暗号を取り出すのは不可能なのです。しかし、Cが分かれば必ず暗号を一義的に復元できます。これが決定されているという意味です。

ともちゃんさんとの論議でまだ残っているのはブラウン運動に対する解釈です。ブラウン運動(もにょもにょ)は水中で花粉が動くというものです。しかし、これ誤った表現です。そんなイメージと捉えるとよいでしょう。ところがアインシュタインはこのもにょもにょをランダムと考えたのです。確かに見た目はその通りですし、神はサイコロを振らないと言っていたアインシュタインがこれを確率現象として証明してしまったのですから大変です。

しかし、このブラウン運動(もにょもにょ)ですらランダムではないことが分かったのです。 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2006jiku_design/sano.html

もし、ブラウン運動がランダムなら星型を行きつ戻りつしなければならなくなります。しかし、実際にはそうなってはいません。必ずある程度の方向があり、偏在してしまうのです。 ブラウン運動は離散と非線形なフラクタルな現象なのです。これはこの世界に現れる一見出鱈目に見える現象でも、その裏には規則があるということを暗示した事件だったのです。
----- (2016.03.21 18:49:37)

Re:アイデンティティの生成メカニズム(memo)   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>たぶん佐藤さんの頭の中では、
>どちらのアイデンティティーも同じモノだと思います。
>佐藤さんの頭の中で、二重になっているアイデンティティー。
>その辺を、整理していただけないでしょうか。

そうですね。私も思います。

ただ、アイデンティティーの日本語訳から接近しても混迷の深みにはまると思います。もう少しクリアカットに行きたいですね。それでは記憶の逆探査です。つまり、語源です。語源をさかのぼると意味が生成されてきた歴史がありますから、既成観念の意味を剥奪することができます。考古学の手法ですね。

Identityの語源はラテン語のidemです。idemとは同一人物、同様のものにすることにあります。

その後、Identitasを経て、フランス語のidentiteから英語になったそうです。佐藤さんにこういうのは釈迦の説法かもしれませんが私の理解のためのつぶやきです。

結局は成りすましだと思うのです。コピーですね。そいう欲求があったのではないかと思うのですね。他者になりたかったかったのですね。その極限が神と一体化することです。どうしてそのような心理になったのでしょうかね。それはあまりにも現実が過酷だったからです。地上は楽園だと思っていたら失楽園だったのです。このことが自己とは何かを考える契機になったのだと思います。こうして語源的に見ると、他者に依存するしかない自分と自律したいという自分との葛藤が起きていることが伺えます。当然様々な打算が働きます。その葛藤こそが、アイデンティティの生成する場なのではのでしょうか。

アイデンティティが精神分析学の用語として登場したのは1950年で極めて新しいのですね。ですから極めて心理学的な用語です。自分とは何者かなどという疑問を持つ人はかつての日本には少なかったでしょうが、西洋化が進みこれが自己同一性として翻訳されました。まさか他者依存性などとは翻訳できなかったでしょうね。

ところが佐藤理論はこの用語を別様に、つまり、記憶の概念として持ち込みました。佐藤さんは言語は認知領域にはかかわらないと言っていたと思います。しかし、それなのに敵の言語を持ち込むのはどうしてでしょうか。私が持ち込むなら簡単です。節操がないからです。それの語源がどうであれ使用価値(マルクス)があるなら、こちらの文脈の組み込むだけです。遺伝子操作のような編集技です。

アイデンティティの生成メカニズムを図式化してみました。

地上の楽園  地上の失楽園

自律ー>>葛藤<<ーー依存
個人主義  ┃  家族・組織・文化
自由    ┃  感情(好き嫌い)

アイデンティティ(二重化)⇒佐藤理論


精神分析・認知心理学のフィールド
----- (2016.03.21 21:43:13)

Re[1]:アイデンティティの生成メカニズム(memo)(03/17)   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

アイデンティティの生成メカニズム

図が乱れていますね。縦線は中央です。

地上の楽園  地上の失楽園

自律ー>>葛藤<<ーー依存
個人主義  ┃  家族・組織・文化
自由    ┃  感情(好き嫌い)
      ┃
アイデンティティ(二重化)⇒佐藤理論

精神分析・認知心理学のフィールド

-----
(2016.03.21 21:47:27)

ドジョウ論法   ともちゃん さん
fractalemode さん

fractalemodeさんの論法は、ドジョウ論法です。
私の知能では、うまく捕まりません。
論点がかみ合わないのです。

(1) この人物は、何もわかっていないのだろうか?
(2) この人物は、すべてが判っているのだけれど、
     判らないふりをしているのだろうか?

私が感じた「足元がふらついている」とは、
こんなイメージからの発言です。

今では、(2)だと感じます。
たぶんfractalemodeさんは、
議論で相手に勝つことを目的とされているのだと思います。
だから、相手の言う事を判らないふりをして
詭弁に持ち込もうとされています。

いったいどこが詭弁なのか?
すべての証拠が残っています。
時間を掛ければ、そこを指摘する事ができます。

今の私の知能で、fractalemodeさんには勝てません。
大きなドジョウがすくえる網を用意いたします。
今少し、お待ちください。
(2016.03.22 00:35:15)

国外脱出   ともちゃん さん
佐藤さん

(2016.03.20 20:21:54)で佐藤さんは
私に次のように言っておられます。

『日本の国家にアイデンティティーが持てないなら、
そこから脱出することを、なぜ考えないのでしょうか』

たぶん佐藤さんは、
そんな思いで日本を脱出されたのではないかと思います。
私は、日本国家に税金を払ってあげています。
国家と国民はギブ・アンド・テイクです。
だから国家は、私にサービスを怠ってはなりません。

私はT社で働いてあげました。
だからT社は私に給料をくれました。
これと同じ関係なのです。

私が無理に、国外に脱出する必要はまったくありません。
佐藤さんの国家観は、私から見たら、かなりユニークです。
この辺りに「佐藤流アイデンティティー」の秘密が
あるのではないかと思いました。
いかがでしょうか? (2016.03.22 08:13:40)

Re:プロによる厳しいテスト(反論)のリハーサル   fractalemode さん
ともちゃんさん
佐藤さん

>いったいどこが詭弁なのか?
>すべての証拠が残っています。
>時間を掛ければ、そこを指摘する事ができます。
>今の私の知能で、fractalemodeさんには勝てません。
>大きなドジョウがすくえる網を用意いたします。
>今少し、お待ちください。

いくらでもお待ちします。しかし、議論のための議論はしたいとは思いません。何が真理かの一点だけです。論理矛盾はすぐに見るかるでしょう。論戦を相手に勝つためのものというなら弁論ですね。政治家は皆そうしていますよね。いい加減な論理して適当にまあまあと言って妥協してしまたら政治家は務まりませんね。日常生活ならそれでもいでしょうが、特に科学ではそれは許されませんね。科学は反証可能性(いずれ実験や観察によって反論される可能性を持つ)によって存在してきましたよね。反証可能性があるからこそ信頼を担保してきたわけですね。しかし、最近の量子論とか超ひもとなるとどうでしょうか。観測や実験ができない仮説がどんどん飛び出してきます。反証ができないのです。ですから最近は説明合理性という基準に替わった?ように思います。

記憶を科学するというこの佐藤ブログは記憶科学を世に問うという目的があります。当然、プロによる厳しいテスト(反論)を受けなければなりません。反論をすり抜けなければ舞台から降りなければなりません。アイデンティティが確率によって決まるのだという考えが正しければ佐藤理論の崩壊を意味することだということをともちゃんさんはどれだけ意識していますか。

私ごときがこれに反論できなくて、記憶科学の将来があるでしょうか。これは死活問題なのです。ですから反論したのです。それをともちゃんさんは奇弁とか、ドジョウ論法と言いました。それはそれで甘んじましょう。

是非お願いしたいのは佐藤理論を科学的合理性で強化することに尽力してください。私はともちゃんさんを個人的に攻撃したいわけではありません。佐藤理論の仮想敵と想定しての反論なのです。私は韓国・中国論議にはあまり反応はしません。それはまだ佐藤理論と直結していない(佐藤さんの中ではあると思いますが)からです。

しかし、確率論的世界観はあまりにも赤裸々な佐藤理論の直接的攻撃です。今日、量子論は正当だと認められている科学です。当然、この先、それをバックにしたともちゃんさんのような反論が来ることは予想できます。その意味で、佐藤さんはともちゃんさんに感謝しなければならないと思います。将来を先取りしてくれたのですからね。量子論をバックにしたアイデンティティ攻撃は手ごわいでしょう。私が展開したような幼稚な反論ではもたないかもしれません。

でもとにかく、アイデンティティが確率で決まるなどと言うのはとても認められませんよね。記憶はすべて確率だというわけです。記憶は幽霊の波(波動関数)である。それが言語として発話されたときに実体となる。量子論的解釈を受け入れればこうした物語が可能となるでしょう。量子論に乗るか反るか。それは佐藤理論の分岐点になると思われます。乗るなら確率的アイデンティティとなり、記憶の進化もなくなりますし、私という存在はなくなりますし、私は誰かに見られない限り存在しないことになり、私はどこにでも存在できる確率的な存在ですからまさに幽霊人間です。私は他人に中にしか生きられないのです。それも意識の中にしかです。量子の世界は量子を実体と見ません。まして個々に違いがあるとは考えません。個性は認めないのです。では本当の私はどこに言ったのでしょうか。闇の中でしょうか。量子論的言語による物語とはこのようなことになります。佐藤理論はこのような物語をしたいのでしょうか。

----- (2016.03.22 08:19:28)

リハーサル   ともちゃん さん
佐藤さん
fractalemode さん

fractalemode さんが言われる、プロによる厳しい批判への
リハーサルと言う意味は、よく分かります。
そう言う意味で、どんどん佐藤さんを
批判してあげるべきだと思います。

しかし私は、量子力学的に
佐藤理論を批判しょうとは考えていません。
と言うより、私にはアイデンティティーの意味が
「帰属意識」と言う意味でしか理解できないのです。

だから、佐藤さんの「帰属意識」とは、
いかなるものなのか?
それが知りたいのです。

私などより、はるかに日本に対する「愛国心」を持った
佐藤さんが、なぜ日本を捨てたのか?
それが判ったら、佐藤さんの言われる
アイデンティティーの意味が理解できるのではないか?
私はこのように考えています。

私が、量子力学の話をするのは、
fractalemode さんが来られたからです。
fractalemode さんのおっしゃっている事を
理解するためには、S科学を理解しなければなりません。
S科学を理解するためには、
量子力学を理解しなければなりません。
なぜならば、S科学は微分積分と
量子力学を目の敵(かたき)にしているからです。
おおよそ、こんな流れになっております。

したがって私は、量子力学の立場から、
佐藤さんを批判しようと考えた覚えはまったくありません。
私は、佐藤さんの頭の中を、覗き込んでみたいだけなのです。
あくまでも、佐藤さんの人間性から、佐藤さんの
アイデンティティーに迫ろうとするスタンスなのです。
(2016.03.22 11:32:31)

Re:国外脱出(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

>(2016.03.20 20:21:54)で佐藤さんは
>私に次のように言っておられます。

>『日本の国家にアイデンティティーが持てないなら、
>そこから脱出することを、なぜ考えないのでしょうか』

>たぶん佐藤さんは、
>そんな思いで日本を脱出されたのではないかと思います。
>私は、日本国家に税金を払ってあげています。
>国家と国民はギブ・アンド・テイクです。
>だから国家は、私にサービスを怠ってはなりません。

ともちゃんさんの考える日本というのは、単に会社の上位組織くらいのものなのでしょうか。日本だけで生きている人達がそう感じるのは自然なことですし、そう思えることは日本が国家として非常に安定していることを示しているのだと思います。

国家を作るには、まずそれを支える多くの民が必要です。そして、その民が国の中で、生まれ、育ち、仕事をし、家族を養い、死んでいくというサイクルを、何の疑問もなく日本で行うことができることがとても重要なのです。つまり、ともちゃんさんのような人達が大勢いることが、国家にとっては最大の宝なのです。

日本も多くの移民を生み出した経済的に厳しい時期もありました。今、国外に出て行く人達は、全く別の個人的な理由です。中国や韓国からは移民という形で常に難民が発生しています。彼らには、民が安心して暮らせる国家運営ができないからです。

私は、小さい頃から、自分の居場所がここにはないと思っていました。何かしっくりこないのです。高校2年の冬に、アメリカに留学できるプログラムがあることを知り応募し受かりました。あの時の高揚感は忘れられません。

アメリカから帰ってきた後、日本の大学を出て、日本の会社に就職することにしました。これは、自分の日本人としての修行のためです。大学から外国に行く人達もいますが、私はその道を取りませんでした。少なくとも、日本人として働く経験が欲しかったのです。

29歳の時にフランスに来ましたが、その時もフランスに行きたいからやめるという発想ではなく、自分のやりたいことがはっきりするまでは仕事をすると決めていました。ある日、自分が言語学を極めるのだと悟り、その数日後に退職届を出しました。私が、会社を辞めてフランスに行くと友人に告げると異口同音に「まだいたの」と言われました。皆、私がどうしたいか薄々感づいていたようです。

外国に出ると、本当に日本とはなにか、日本人とは何かという問いが現実のものになります。私の日本に関する知識は、外国に出ることで増えたことも事実です。折り紙に関しても、それまでは興味を示さなかった資料にも目を通すようになりました。持論ですが、今では世界の折り紙の歴史と現在はこういうものであると大体説明ができるほどの知識があります。

アイデンティティーというのは、強い形で感じるのは他の存在があるからです。しかし、日本の中で、一家の長というアイデンティティーを持ったともちゃんさんは、それ以上のアイデンティティーを持つ必要が無いのです。しかし、外国はいっぱいあります。外国人もいっぱいやってきます。その中で、もまれれば何かしらの上位アイデンティティーを持つようになるかも知れません。

私は常に、外を外を見てきました。その分だけ、内を見つめることも多かったです。そのバランスを取るのが私のアイデンティティーです。でも、もうかなり複合的になっています。日本人としての自然で素朴なアイデンティティーというのはもうありません。私が、自分で作り上げったものですから、他の人のものとは違っていると思います。

私が「国際人」という言葉が嫌いなのは、私はまず「日本人」であって、それをベースに外国人と付き合う術を身につけたからです。始めから国際人なんていません。そういう人を私は「根無し草」と呼びます。














(2016.03.22 17:55:40)

Re[1]:プロによる厳しいテスト(反論)のリハーサル(03/17)   CLG2009 さん
fractalemodeさん
ともちゃんさん

お二人の議論にはとても感謝しています。

特に、これから来るであろう批判への準備である点において意味があります。

ただひとつ断っておくと、私の記憶科学も、進化論と同じで結論ありきなのです。

時間と空間があって、生命があって、人間がいる、これを我々は知っています。では、これがどうして起きたのかを探っていく上で私の理論なら説明ができるのではないか、そういうことです。

ダーウィンが進化を生命だけに限りましたが、私は全てに当てはめることにしました。つまり最初の発想はダーウィンと実際あまり変わりません。ただ、視点の位置が高くなっただけです。

私の目的は真理を言い当てることではありません。それはできないことを知っていますから。

そうではなく、人類が言語のメカニズムを知ったら、もっと科学が発展するだろう、そういうことです。それでも、この目標を達成するには相当の努力と時間がかかると思います。

今までの常識を打ち破る必要がありますから。 (2016.03.22 18:02:26)

Re:ハチの一刺し   ハチの一刺し さん
ともちゃんさん
>しかし私は、量子力学的に
>佐藤理論を批判しょうとは考えていません。
>と言うより、私にはアイデンティティーの意味が
>「帰属意識」と言う意味でしか理解できないのです。

了解しました。量子論は外します。

しかし、ともちゃんさんは確率的世界観(ともちゃんさんご自身が実感として語られたこと)をもっていることはには変わりがありませんね。一方で帰属意識は持っています。従って図式で表すと

「帰属意識・その他」ーーー確率的世界観(すべては不確かである)

ですね。ここに二人のともちゃんさんがいます。どっちが本物でしょうか。人間は誰でも二重性を持っていますから、これは誰でもが持つ意識状態でしょう。自分がどこかに属しているという意識とどこにも属してしていない意識とが葛藤しながら共存しているアンビバレントな状態です。この二つの葛藤からアイデンティティーが生まれてくるとすると

集団アイデンティティーー個人アイデンティティー

となって混線してくるのですね。佐藤さんとの議論では集団の方に、私との議論では個人のアイデンティティーの引き裂かれてしまったようですね。

私は確率というキワードに強く反応したこともあります。集団のアイデンティティーにはいろいろあるように、個人も色々あります。しかし、その中で確率的アイデンティティーが存在する可能性には疑いを持っています。それはともちゃんさんの実感ですから私がとやかく言う立場ではないのですが、やはり記憶科学の立場からすると、そういう個人のアイデンティティーの存在は気になるところです。

むしろ存在してはならないと思うのです。ですからともちゃんさんの確率がアイデンティティーと結びつくことはあり得ないと結論づけたいのです。それを根拠づけるためには私はこれから必死にならざるを得なくなりました。多くの人がそういう価値観を持っているという実証例があるならともかく、現段階ではともちゃんさんの一例のみです。しかし、一例(ハチの一刺し)でも科学の理論を破壊することができるのです。どんなに堅牢な理論体系でも否定できる例が一つあればその体系全体を否定できるからです。

続く (2016.03.22 20:54:54)

Re[1]:   fractalemode さん
ともちゃんさん

>だから、佐藤さんの「帰属意識」とは、いかなるものなのか?
>それが知りたいのです。

それは佐藤さんの過去のテキスト見ればおおよそは分かります。まだ私も途中ですが、要約すると、以下のような感じかと思います。

同じ言葉を使うからと言って同じ集団的アイデンティティが生まれるとは限らない。

日本ーーー日本語ーーー日本人ーーー郷土愛・愛国心
フランスーーーフランス語―――フランス人+アルファーーー?
アメリカ―――英語ーーー白人+黒人+もろもろーーー?

集団的アイデンティティー=仲間意識
政治的アイデンティティ=対立

個人的アイデンティティー⇒集団的アイデンティティー

集団的アイデンティティーの及ぶ範囲
家族⇒同じ界隈に住む住人⇒言葉が通じる地理的人的範囲

記憶言語学

言語が「個人的/集団的アイデンティティー」を確立する。
しかし、日本語が日本を作るというような単純なものではない。

集団的アイデンティティーでは言語が重要な媒体である。
集団的アイデンティティー⇔文化・歴史・社会制度・法律(集団の記憶)

記憶言語学>*<文法言語学
アイデンティティーの言語学>*<文法言語学に明日はない

言語の特異性⇒国民性の科学
日本語のもつ可能性=今後の課題
記憶言語学⇒記憶科学⇒アイデンティティーの科学

アイデンティティーの科学の条件
条件1)人間の視点を超える
条件2)シーニュからの意味の排除
条件3)離合融合更新循環
条件4)物質・生命・精神への進化
条件5)負のエントロピーの視点
条件6)?
続く (2016.03.22 21:04:30)

Re[2]:集団的アイデンティティに関する要約   fractalemode さん
ともちゃんさん

タイトルを忘れました。リプライは編集が効かないのですね。すみません。

>だから、佐藤さんの「帰属意識」とは、いかなるものなのか?
>それが知りたいのです。

それは佐藤さんの過去のテキスト見ればおおよそは分かります。まだ私も途中ですが、要約すると、以下のような感じかと思います。

同じ言葉を使うからと言って同じ集団的アイデンティティが生まれるとは限らない。

日本ーーー日本語ーーー日本人ーーー郷土愛・愛国心
フランスーーーフランス語―――フランス人+アルファーーー?
アメリカ―――英語ーーー白人+黒人+もろもろーーー?

集団的アイデンティティー=仲間意識
政治的アイデンティティ=対立

個人的アイデンティティー⇒集団的アイデンティティー

集団的アイデンティティーの及ぶ範囲
家族⇒同じ界隈に住む住人⇒言葉が通じる地理的人的範囲

記憶言語学

言語が「個人的/集団的アイデンティティー」を確立する。
しかし、日本語が日本を作るというような単純なものではない。

集団的アイデンティティーでは言語が重要な媒体である。
集団的アイデンティティー⇔文化・歴史・社会制度・法律(集団の記憶)

記憶言語学>*<文法言語学
アイデンティティーの言語学>*<文法言語学に明日はない

言語の特異性⇒国民性の科学
日本語のもつ可能性=今後の課題
記憶言語学⇒記憶科学⇒アイデンティティーの科学

アイデンティティーの科学の条件
条件1)人間の視点を超える
条件2)シーニュからの意味の排除
条件3)離合融合更新循環
条件4)物質・生命・精神への進化
条件5)負のエントロピーの視点
条件6)?
続く
-----
(2016.03.22 21:10:47)

遠くても近い   fractalemode さん
ともちゃんさん

>私などより、はるかに日本に対する「愛国心」を持った
>佐藤さんが、なぜ日本を捨てたのか?
>それが判ったら、佐藤さんの言われる
>アイデンティティーの意味が理解できるのではないか?
>私はこのように考えています。

この件に口を挟むとまた波紋を投げかけるような気がします。答えは佐藤さんが持っていると思いますが、私は違う視点で見ています。ともちゃんさんの視点はいつも即物的な視点に固定されています。もう少し柔軟になった方がよいでしょう。私をドジョウ論法と言いったことにそれが現れています。多様な視点を持つことをキュビズムといいますね。ともちゃんさんは視点が固定されていますから、キュビズムの視点に対して言い逃れとか、奇弁とか言いたくなるのです。視点を移動することは卑怯なことではないのです。

日本を捨てたと佐藤さんが直接言ったのでしょうか。そんなことなないと思います。私の考えですが、ともちゃんさんの様な常識的時空間というのはデカルト座標が前提です。遠ければ遠いです。しかし、遠くても近いという関係があります。マンションに住んでいる人は隣が誰かを気にしません。物理的には近いのですか心は遠いのです。その逆もあります。佐藤さんは集団的アイデンティティーを持っていますから別に物理的にどこにいても関係がないのです。遠くても近いのです。

個人のアイデンティティーはそれぞれですから、物理的な現実の地域で発揮すればよいのです。インターネット時代はそれを実現していますよね。私達は遠くて近い関係ではないでしょうか。こうしたことを表現する数学は位相幾何学ですが、それは今回は触れません。

>私が、量子力学の話をするのは、
>fractalemode さんが来られたからです。
>fractalemode さんのおっしゃっている事を
>理解するためには、S科学を理解しなければなりません。
>S科学を理解するためには、
>量子力学を理解しなければなりません。
>なぜならば、S科学は微分積分と
>量子力学を目の敵(かたき)にしているからです。
>おおよそ、こんな流れになっております。
>したがって私は、量子力学の立場から、
>佐藤さんを批判しようと考えた覚えはまったくありません。

自覚はしていなかったとは思いますが結果としてそうなっていましたね。その証拠にアイデンティティーは確率なのか決定なのかの言明がまだともちゃんさんから聞けていません。

>私は、佐藤さんの頭の中を、覗き込んでみたいだけなのです。
>あくまでも、佐藤さんの人間性から、佐藤さんの
>アイデンティティーに迫ろうとするスタンスなのです。

そのことに依存はありません。しかし、それと確率的アイデンティティーの決着はぜひほしいですね。それを棚上げにしましょうということでしょうか。
--- (2016.03.22 21:19:13)

アイデンティティー   ともちゃん さん
佐藤さん

佐藤さんは、子供のころから日本と言う場所に
違和感をもっていたのですか。
私は、小泉八雲を連想します。
当時のヨーロッパと日本では、まったくの異国です。
生活習慣など今以上だと思います。

八雲は39歳で来日し、54歳で亡くなります。
日本人に成りきって死んで行ったのではないか。
私は、そのように思っていました。

八雲はギリシャで生まれ、2歳でアイルランドにわたり、
16歳ごろフランスでも教育を受けました。
そして、19歳でアメリカに渡ります。

アインシュタインも、ドイツで生まれスイスで教育を受け、
その後ナチスに追われアメリカに渡ります。
白人にとって、ヨーロッパやアメリカは、
大西洋を真ん中に挟んだ、
一つの地域のようなものではないかと思います。

八雲は、どこにアイデンティティーをもっていたのか?
昔、そんな事を考えた事があります。
彼は、ヨーロッパを捨てたわけです。
だから当然、彼のアイデンティティーは日本にあった。
以前は、そのように考えていました。

しかし、佐藤さんを見て感じました。
やはり、八雲の心は、ヨーロッパにあったのではないか?
そんな気がしました。

私のアイデンティティーは、
生まれ育った生駒山の山麓にあります。
しかし私は今、そこに住んでみようとは思いません。
故郷とは、そんなものではないかと思います。

佐藤さんも、日本を故郷として
アイデンティティーを持ち続けているのだと思います。
しかし、もうそこには住みたくない。
こんな感じではないかと思います。

たぶん佐藤さんの言われる、
生物が生まれる以前からあった「記憶・アイデンティティー」。
それは、このようなものであると私は理解しております。 (2016.03.22 23:48:25)

売れる文章   ともちゃん さん
佐藤さん

先日、佐藤さんは、本を書くために、
文章をまとめたいと書いておられました。
私は、今すぐ本を書き始めたら良いと思います。

なぜなら、今まではメモ書きでした。
最近仲間が、2人参加してきたので、他人に見せる文章を、
意識してこられたのではないかと思います。

佐藤さんが書いた文章を私が批判します。
それを参考にして、佐藤さんは
人様に見せる文章を書く訓練をして行けば良いと思います。

ただ、私が言える事は、佐藤さんの言っている事が、
正しいか正しくないかではありません。
私に理解できるか出来ないか。
ただそれだけです。

そんな文章を書いていたら、他人様には理解できないですよ。
私は、そういう、アドバイスをするだけです。
論理が正しいか正しくないか。
それは、読者が判断する問題です。

自分では、自分の文章が判断できないのです。
なぜならば、自分が書いているからです。
自分が書いた文章は、自分には理解できます。
しかし、それが他人様にどういう印象を与えているのか?
これは、自分ではまったく判りません。

他人に判らせる事と、自分が判ることは表裏一体の関係です。
佐藤さんは、自分なりの考えを
まとめていかれたらよいと思います。
私も、そんな思いで、自分の文章を書いていきます。
(2016.03.23 00:11:59)

帰属意識と独我論   ともちゃん さん
fractalemode さん

fractalemode さんの言われる事は、
回りくどくて、頭が疲れます。
一言で言うと、こうなるのではありませんか?

ともちゃんはタイガースに帰属意識をもっています。
家族に対して帰属意識をもっています。
ともちゃんは、自分だけが「絶対者」だと言っています。
外の世界は、存在しないと言っています。
その存在しない、タイガースをなぜ応援するのですか。
存在しない家族をなぜ愛せるのですか?
帰属意識と独我論は矛盾しませんか?

fractalemodeさんが、おっしゃりたい事は、
こういう事ではありませんか?
もし違うようでしたら、訂正をお願いいたします。 (2016.03.23 01:58:15)

Re:回りくどさは続く(離散融合更新循環)   fractalemode さん
ともちゃんさん

回りくどくてすみませんね。それがどうしてなのかを説明をします。 そうなる必然性があるのです。問題は簡単ではないということですね。

まず、生命矛盾は良いですが、論理矛盾はダメだと言っているところから始めます。

生命矛盾とは絶対矛盾的自己同一性です。言い換えると、今このブログで定着した離散融合更新循環ですね。

個人と集団のアイデンティティーは矛盾します。それは生きるためですから仕方がありません。

一方、論理矛盾も誰にでもあります。ですから切磋琢磨して自己更新していくわけですね。

生命の矛盾はその矛盾に気が付かなくても生きていけます。ただ悩んだりわめいたりして人生を終わるだけですね。それでも仕方がありません。その人の人生ですから。


論理矛盾も大したことではありません。日常生活では誰でも結構矛盾したことを平気でやっている思いますよ。その良い例がワンマン社長の朝令暮改ですかね。

私が問題とするのは理論形成上の矛盾です。

それはともちゃんさんの問題ではなく佐藤さん問題だからです。佐藤理論では、ともちゃんさんが露出させた矛盾を記憶科学の理論でどう捌けるのかということが課題となるでしょう。

存在しない(正確に表現すると、確率的にしか存在しない)家族をどう愛せるのかというのは、確かに矛盾です。しかし、ともちゃんさんがそのように愛しているのが現実なら認めるしかありません。いずれにしてもどのような答えが出ようとも新たな問題が出てくるでしょう。それはともちゃんさんの問題ではなく、記憶科学の問題だからです。

ただ、ともちゃんさんはどっかの無関心な人ではなく、記憶科学とはなにかを考える人となって関与しているのですよね。当然、自己の認識が記憶の科学に与えることを気にしていると思うのです。私はそのことを指摘しているのです。そのもっとも重要なことが確率でしか存在しないという考え方です。その考え方が正しいなら記憶科学が成り立たなくなると言っているのです。ですから、存在しない人が存在しない人を愛することが可能なのか可能でないかという問題ではないのです。答えがどうであれ、存在しない人にはアイデンティティーは存在しないということが問題なのです。この時点でともやんさんの問題ではないということがお判りでしょうか。ともちゃんさんを超えてしまったのです。

佐藤理論の要は記憶によって学習してアイデンティティーが進化する理論なのです。学習するということは確率ではないのです。学習と確率とは相反する概念でありこれが同時に成り立つことはないのです。ですから、存在しない人にアイデンティティーが存在するというのは論理矛盾なのです。これが分かってもらえないと話が進みません。

極めて回りくどい説明ですが、問題構造が分かっていないと理解できないと思うので説明しました。ともちゃんさんは哲学論議が大好きだと思いますので理解していただけることを期待します。

本当にこの世界は確率的にしか存在しないと思っているのでしょうか。そのことをもう一度明確にして下さい。ともちゃんさんは典型的な大阪人ですよね。挨拶が「儲かりまっか」の実利的な世界ですよね。大阪人の性格を一般化すると

*東京への対抗意識が強い
*上方意識がある
*マナーは悪く、口も悪い
*物言いは激しい
*おおらかであけっぴろげ
*周りから見られても気にしない
*ノリとツッコミ
*お人好し
*人懐っこい

あくまで最大公約数ですから一人ひとりには個性があります。これは確率によって生成されたのではなく歴的な学習によって形成されたものです。京都・神戸・名古屋・奈良・などとの関係によって醸成されてきたものです。特に異質なのは大阪弁です。これほど強力な個性を持ったアイデンティティーがある人ないし、集団は他にはいません。これでもアイデンティティーは実体ではない。単なる幻想だというのでしょうか。唯識ならそう言うでしょうが。

そのところをはっきりしたいのです。
ーーー (2016.03.23 09:30:06)

学習と確率   ともちゃん さん
fractalemode さん

fractalemode さんのおっしゃる事は、まだむつかしいです。
fractalemode さんのおっしゃる
「学習と確率とは相反する概念」と言う所に、
問題があるんではないのでしょうか?

学習と確率が、なぜ相反するのか?
そこを、教えていただけないでしょうか。

私の祖先は、朝鮮からやって来ました。
とは言っても、もう1000年以上も前の話です。
公家顔(くげがお)と言う言葉があります。
あれは朝鮮顔と言う意味です。
目が細くて、お雛様の顔です。

関東の人は、日本原住民です。
我々の先祖が、関東・東北へと追いつめました。
もともと人種が違います。
fractalemode さんの言われる、個性の違いは、
たぶん人種の違いだと、私は理解しています。 (2016.03.23 10:27:28)

売れる歌手   ともちゃん さん
佐藤さん
fractalemodeさん

今までの経験から言います。
議論では、絶対に白黒はつきません。
ああ言えば、こう言うです。
反論の道はいくらでもあります。

たまたま、相手が黙ったとします。
相手の考えが変わったのか?
そんな事はありません。
彼は、ただ言葉を探しているだけです。

どんな学術論文も、所詮(しょせん)は、人気投票です。
提案者が死んだ後、
その学説を支持する者がいなくなれば、消えて行きます。
支持する者がいる限り、その学説は生き続けます。

学説とはこんなものです。
正しいか、正しくないか?
そんな事は、判定のしようがありません。

俺のいう事が理解できるのか、できないのか?
私は、こんな事を、よく友人に聞きました。
判らないと言えば、表現方法を変えなければなりません。

私は、ステージに立つ歌手です。
ウケるか、ウケけないか!
それしか、考えていません。 (2016.03.23 17:15:41)

Re:売れる歌手(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
fractalemodeさん


>どんな学術論文も、所詮(しょせん)は、人気投票です。
>提案者が死んだ後、
>その学説を支持する者がいなくなれば、消えて行きます。
>支持する者がいる限り、その学説は生き続けます。

そうですね。ソシュールは誤解されたまま100年も珍重されてきましたから。

>学説とはこんなものです。
>正しいか、正しくないか?
>そんな事は、判定のしようがありません。

私が考えている言語学は、単なる学説で終わらないものにしようと思っています。ですから記憶科学の一部として扱うことを考えています。

>俺のいう事が理解できるのか、できないのか?
>私は、こんな事を、よく友人に聞きました。
>判らないと言えば、表現方法を変えなければなりません。

>私は、ステージに立つ歌手です。
>ウケるか、ウケけないか!
>それしか、考えていません。

これはアドバイスとして心に留めておきます。ただウケ狙いをし過ぎると墓穴を掘る危険性もありますから、そこは注意するつもりです。

(2016.03.24 01:55:44)

最初の生命   ともちっゃん さん
佐藤さん

以前のブログを読み返していました。
佐藤さんの、以下の文章が出てきました。

『「認知する主体」を生む、第二段階目の
「離散融合更新循環」のメカニズムが完成した段階で、
これを持っているものを生物、
それ以外は無機物という区別はできます。
(2016.03.10 07:33:59)』

佐藤理論によりますと
『第二段階目の「離散融合更新循環」の
メカニズムが完成した段階』ではありません。

『第一段階目の「離散融合更新循環」の
メカニズムが完成した段階』
つまりビッグバン(リトルバン)の段階で、
すでにそれは生物なのです。

なぜならば、それは、「離散融合更新循環」と言う
アイデンティティーを持って生まれて来ているからです。
アイデンティティー(記憶)を持ったものが、
ただの物質であるわけがありません。

つまり、ビッグバン(リトルバン)で出来た最初の水素は、
佐藤理論によると、それは「最初の生物」なのです。

佐藤理論によりますと、我々が物理学でいう所の「物質」は
最初から存在していません。
最初から、宇宙のすべてが生物なのです。

普通、我々は生命を持たない物質を
「無機物」と呼んでいます。
したがって、佐藤さんが使われた「無機物」と言う表現は、
非常に誤解を招きやすいと思います。

なぜならば、佐藤理論では、
この宇宙に「無機物」は存在しないのです。
何か、別の言葉で表現していただけないでしょうか。
お待ちしております。 (2016.03.24 08:26:10)

Re:学習と確率(03/17)   fractalemode さん
ともちゃんさん

>「学習と確率とは相反する概念」と言う所に、
>問題があるんではないのでしょうか?
>学習と確率が、なぜ相反するのか?
>そこを、教えていただけないでしょうか。

議論のための議論になりましたね。もはや、記憶科学に対する脅威はなくなりましたので、この議論はこれでやめます。

どこに問題があるのか指摘してください。それによっては再開します。

>fractalemode さんの言われる、個性の違いは、
>たぶん人種の違いだと、私は理解しています。

すでに何度も議論しましたので、回避します。というより、確率と学習の問題には全く関係ないと思います。
-----
(2016.03.24 08:55:37)

カオスとフラクタル   ともちゃん さん
fractalemode さん

私は、他人様と議論する気持ちは、まったくありません。
ただ、単純に教えてほしいだけなのです。
なぜ、ならば私は、今までの人生で、議論は、
まったくムダだと言う事を骨身にしみて知っているからです。

fractalemode さんに、教えて頂きたいことが一つあります。
カオスとフラクタルは、まったく同じ事なのですか?
あるいは、そうではありませんか?

どちらも、「複雑系」と言う系統に入るのでしょうか?
最近、ずっと、そのことをパソコンで調べていました。

fractalemode さんが、「確率」を極端に嫌うのも、
「複雑系」と「確率」が、相入れないからだと思います。
その辺の所をを、教えて頂けないでしょうか。

私は、議論はしたくありません。
誰もが理解できる単純な言葉で、
「カオス」「フラクタル」「複雑系」「確率」の関係を
fractalemode さんが理解されている範囲で結構です。
判りやすく、教えて頂きたいだけないでしょうか。

私は、反論はいたしません。
教えて頂けるだけでありがたいのです。
どうか、よろしくお願いいたします。 (2016.03.24 10:24:35)

Reディベートとレトリック   fractalemode さん
>私は、他人様と議論する気持ちは、まったくありません。
>ただ、単純に教えてほしいだけなのです。

はぐらかしてきましたね。なかなかともちゃんさんらしいアイデンティティですね。

>なぜ、ならば私は、今までの人生で、議論は、
>まったくムダだと言う事を骨身にしみて知っているからです。

それは日本人はディベートべたということがあります。情的なのですね。ですから鍛錬しなければなりません。それには論理的に思考することです。ともちゃんさんは私に最初、私のスタンスは何かと聞きましたが、それがそもそもの間違いです。スタンス=視点であり、固定されないものです。

私のメタスタンスは記憶科学の正当性が真理かどうかにあります。真理といっても超越的なものではなく、私なりの科学的な合理性=納得性ですね。メタスタンスはゆらぎません。

ですから記憶が確率というというともちゃんさの主張は私のメタスタンスからみると、アイデンティティ=確率ということになり、確率=連続ですから、離散値の言語学である佐藤理論のコア部分と相入れないないので議論になったのです。議論したくないと言いながら、議論の種をまいているのです。その自覚がないというところが問題ですが、ご自分の性格(アイデンティティというと難しいので)がこの世界を確率的だと本当に言わせているのですか。それをご自身で検証してほしいのです。無駄な議論をしたくないというのは本心だろうと思いますが、それは経験から得られた教訓(帰納的に学習された記憶)ですよね。あらかじめそういう性格があり、それはあらゆる性格の可能性の中の一つであり、たまたま偶然にその議論する気持ちが生まれてということではないですよね。私との関係の中で文脈的(成り行き)に出てきたのですよね。記憶の科学はこれらのすべて(はぐらかす、強弁する・ふりをするなど)が対象になり、私もともちゃんさんもその研究対象から逃れることはできないのですね。ありがたいことですが。
続く (2016.03.24 15:00:36)

Re:複雑系とカオスとフラクタル   fractalemode さん
>カオスとフラクタルは、まったく同じ事なのですか?
>あるいは、そうではありませんか?

式で見ると違いますが、概念的には同じですね。非線形の決定論というカテゴリーですね。カオスは一見不規則な変動のことを言いますが、その中にフラクタルな性質(自己相似)が現れることがありますから、全く同じとは言えませんが、親戚という感じではないでしょうか。一見不規則な変動(カオス)をする株価や社会的な現象にもフラクタルな性質が現れます。

>どちらも、「複雑系」と言う系統に入るのでしょうか?
入るでしょうね。
>fractalemode さんが、「確率」を極端に嫌うのも、
>「複雑系」と「確率」が、相入れないからだと思います。
>その辺の所をを、教えて頂けないでしょうか。

ともちゃんさんはなんでも論理を情的に変換してしまいますね。嫌っているのではなく間違っていると言っているのです。それはゲーデルが不完全性定理によって証明してしまったからです。何故、確率は間違っているかと言うと、存在しない実数の上に作られた数学だからです。実数は再帰的に数え上げできないのですね。

自然数は再帰的に数えられます。
再帰的に数える式を

Xn+1=1+Xn

とします。

n=0のときX0=0とすると、X1=1です。

以下同様にして

X1=1+0=1
X2=1+X1=2
X3=1+X2=3

Xn+1=1+Xn

ですね。これが実数の場合できないのですね。Xを実数としてみましょう。

X1=1+X0で、X0が決まらないのです。0.1でもよいし、0.00001でもよいし、それこそ無限にあります。要するに実数という数は数学者の頭の中にあるだけで実は存在しないのです。実数(実際に存在する数)というネーミングがよくないのですね。騙されてしまうのですね。ともちゃんさんがこの世界は存在しないというのは正しいのです。ただし、実数世界を認めるならです。

しかし、この世界は実数的じゃなかったのですね。20世紀初頭に私達の物理世界は離散値の世界であって連続実数値の世界ではない事が発見されたのですね。つまり時間とか距離とか質量とかエネルギーとか運動量とかには最小単位の粒があることがプランク定数やハイゼンベルグの(不)確定性原理の中に発見されました。それはご存知の通りです。

>「複雑系」と「確率」が、相入れないからだと思います。

複雑系の普遍的な定義の意見の一致を見ていないので何とも言えませんが、確率論を招き入れる科学者も出てくるでしょう。ついで言いますと、離散型確率もありますが最後は実数型に変換してしまいます。

>私は、議論はしたくありません。
>誰もが理解できる単純な言葉で、
>「カオス」「フラクタル」「複雑系」「確率」の関係を
>fractalemode さんが理解されている範囲で結構です。
>判りやすく、教えて頂きたいだけないでしょうか。

私が理解していないのでわかりやすくは無理でしょう。私自身探検中なのですから。それでも誤解が生まれるかもしれませんがやってみましょう。

多数関係=確率統計=微分積分=連続値=線形・・・・・・・多体関係=非線形=差分和分=離散値=複雑系>カオス>フラクタル

こんな感じでしょうか。

>私は、反論はいたしません。
反論は大いに結構です。互いにレベルを上げることになるのですから。すべて離散の言語学=記憶の科学の検証のためです。それ以外にこのブログに私達がとどまる理由がありませんよね。
(2016.03.24 15:11:09)

Re:最初の生命(03/17)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

私が「記憶」という表現を選んだのは、それが「存在」の代わりになるということと、持続し進化するという属性を与えてもうまく行きそうだと考えたからです。

我々は、言語を使って思考をしています。つまり、既に知っている言葉や概念を使って説明するしかありません。このことは、ともちゃんの方がよくご存知だと思います。

最初に生まれたものが「生物」であるかどうかですが、記憶科学では、第二ステージが「生命」であることもあり、ここで生命が生まれたとするのはどうも具合が悪いです。その折衷案として、遺伝子は物質の進化の一部でもあると考えています。

ここでは生命ですが、私は「認知」という別の概念に鞍替えしようと思っています。つまり、物質>認知>人間の順に進化します。

物質自体が生きているというよりは「離散融合更新循環」という宇宙の摂理があって、これにより全てのもの(記憶)が進化しているとすれば、どれにも公平ではないでしょうか。 (2016.03.24 21:51:59)


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