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カテゴリ:離散系
ともちゃんさんへ
まず、離散化というのは、まるっきり均一の状態なものの中に極が生まれ、それが差になり、この差が、存在を支える記憶となる過程を指します。この点においては、離散化には二極化という現象を伴うと考えても大筋において差し支えないと思います。 さらに、価値というのは、この二極化による差によって生まれる個性のことを指します。価値とは、必ず対になっていることから生まれる概念です。つまり二極化がその成立条件です。図式化すると、以下の通りです。 二極化 ー> 差の発生 ー> 価値という個性の発生 離散化の代表的な例を挙げると、細胞分裂です。受精卵は、卵子という均一のものに精子が融合することによって、細胞分裂が始まります。受精後はまだ1つですが、分裂することで内部に2つの細胞を持った個体になります。細胞分裂の場合、無秩序に分裂するのではなく、極を作りながら成長します。例えば、脊椎生物の場合、前後、上下、左右という3つの軸があります。これらの極によって差異化された細胞が、それぞれ違った役割を持つことになり、全体として1つの個体として完成します。 また、自然数ですが、これは数列という極によって生じた軸の上に、それぞれ2つの要素が大小という二極配置をしながら、全体的に一本に連鎖する概念です。更にゼロの概念を盛り込むと、マイナス方向にも軸は伸びていきます。動物も量の大小を判断することはできますが、それぞれの対の関係を連鎖させて一本にすることはできません。サルやカラスが数が分かるといっても、それは大小の違いの対を複数、並行処理して、行動に移しているだけと考えます。 ここで差についてですが、両極にあるものの違いになります。自然数の場合は、それぞれ隣り合った数の大小の違いなので、差であることはわかりやすいですが、細胞分裂の場合の時の、前後、上下、左右という場合、それぞれが極として成立しているため、差として認識することはしっくりこないかも知れませんが、私はこれも差であると考えます。つまり、同じ1つのものを構成しているのに、それそれが違う個性をもっているということを意味します。 細胞分裂の、前後、上下、左右という軸は、それぞれ前があるから後ろがある、上があるから下がある、右があるから左があるという論理構成です。逆に、後ろがあるから前がある、下があるから上がある、左があるから右があるということも可能です。つまり、前後、上下、左右というのは価値です。辞書を見れば分かりますが、右の反対は左、左の反対は右です。 ソシュールが、言語は差でできていると言ったのは、シニフィアンとシニフィエの両者とも、価値の持つ差によって成立しているということです。ここからは私流の解釈が入っているので、ソシュールのものと違ってきます。最近ソシュールを読み返していないので、一般言語学講義にどのように書かれているか自信がないところもあります。 シニフィエに関しては、細胞分裂で出てくる、前後、上下、左右という概念はそのまま価値になります。他にも、生物を定義しようとすると、動物か植物か、脊椎があるかどうか、四足か日本足かなど様々なカテゴリーによって分けられますが、これも二極化による価値の生成が土台にあります。 シニフィアンに関しては、聴覚言語の場合、発声した音が時間軸に沿って前後に二極化することにより、子音/母音、あるいは、母音/子音といった配列になることが基本です。ただ、二極化が起きた最初から、子音や母音という概念は必要ありません。なぜならこれは、発生学から音韻論が引きずっている概念だからです。二極化によって生じたのは、前にあるものと後ろにあるものという違いだけです。これを、声帯が震えるかどうかの個性で分類すると母音と子音というものに分類できるという事になります。 思いつくままに、離散化と価値の関係を書いてみましたが、いかがでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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