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カテゴリ:離散化ループ
前回の投稿は、実は本当に言いたいことがまとまらないまま、消化不良の状態で出したのだが、先ほど1つ閃いたので投稿しておこうと思う。
今、私がイメージしているのが、穴の空いた丸い磁石二個を鉛筆を通した状態だ。N極とS極が反発することにより、磁石はくっつかず、揺らすと上下に動く。これが「離散化」のイメージとして使えるのではないかということだ。 この鉛筆は時間軸を表し、二つの磁石は離散した意識を表す。そしてこの二つの磁石の間隔には、何らかの周波数が関係していると考える。トマティスメソッドで言うところの「パスバンド」がこれに関係しているかも知れない。 知覚言語の場合、聞き手と見手が、物理現象としての音と光を「離散化」して、シニフィアンを認識し、それにあったシニフィエを記憶の中から呼び起こし、それを順に連鎖させることによって、1つの意味を作り上げていく。 この時の「離散化」のモデルが、人間の意識そのものであるのではないかということだ。つまり、自分の意識の方に、離散化モデルが始めから存在し、それを元に物理現象を言語に変換していくことになる。物理現象は知覚という形で認識されるが、これは同時に記憶になる。つまり、この離散化モデル上で記憶が操作され変形し、分節していくということである。 視覚言語の場合、音素という単位に分節されることはないが、一つ一つのサインはこの離散化モデルで「前後を区切った身体運動の視覚的軌跡」という形で認識される。手話の話者が、登場人物になりきっている場合は、そのシークエンス自体が1つのサインの様に認識される。この考えを発展させれば、「手話の音韻論」などという馬鹿げた理論を崩壊させることができるかも知れない。 とにかく言語というのは、記憶の操作、記憶のパラダイム的組織化によって成立している。後は、これをどうやって説明するかであるが、今日はひとまずここまで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.07.05 22:20:40
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