言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

2016/07/07(木)01:49

非二元性(Non-duality)は、二人称/離散性と同じものか。。。

非二元性(Non-duality)という言葉自体は、かなり前から聞いたことがあったのだが、その意味を自分で探すこともなく、今までいわば「スルー」してきた。 今日、たまたま見ていた動画のスポンサーが「Science and Non-Duality」という団体で、色々と調べている内に、日本でもスピリチュアル系では結構前から既に「流行っている」概念らしいことがわかった。 たまたまヒットした「Nonduality Garden」というサイトからの引用: 「悟り」とは、「非二元ー主体と客体が無いこと」 「個人の自分が無くなること、全ての概念が無いこと」をいいます。 まだ、いろいろ調べていないので確信は持てないのだが、ここで言う「非二元ー主体と客体が無いこと」とは、このブログでも議論した「二人称性/離散性」と同じである可能性が高い。ということは、言語を話す人間は全て「非二元性」を日常的に実践していることになる。別の観点で説明すると、複数の概念を組み合わせて1つの統合した意味にする行為は、それぞれの概念の個性が無くなり新しい1つの概念に生まれ変わることである。 啓発用の動画がたくさんあったり、その目的のセミナーが開催されているところを見ると、「個人の自分が無くなること、全ての概念が無いこと」を実際に体験して、自分の人生を有意義に過ごそうということになるらしい。 ところが、前述したように全ての言語使用者が「非二元性」を実践していることになれば、セミナーなどに行く必要もないのではないかと思えてくる。 日本人に特別な教えを持つ宗教が要らないのは、この非二元性によって意識を進化させる力を日本語が持っているからであると言えるかも知れないと、ふと思った。そう考えると、全ての辻褄が合う。

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