|
カテゴリ:アイデンティティー
どうも「人間の視点を消す」という表現の「人間」が誤解を招いているようである。
私が人間を使ったのは、「私は自分の視点を消すことで、記憶の視点にたどり着くことができた、だから同じ言語を使う他の人達も、そこにたどり着くことは可能である」という意味を込めての事だったのだが、どうも「人間の視点」がひとり歩きしているようである。 この視点で、もう一度考えてみたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[アイデンティティー] カテゴリの最新記事
佐藤さん
『2016.09.15 どうも「人間の視点を消す」という表現の、 「人間」が誤解を招いているようである。 私が「人間」と言う言葉を使ったのは、 以下の意味である。 私は「自分の視点を消す」ことで、 「佐藤記憶」の視点にたどり着くことができた。 だから同じ言語を使う他の人達も、 「自分の視点を消す」事で、 「佐藤記憶」にたどり着く事が出来る。 こういう意味を込めての事だったのだが、 どうも「人間の視点」がひとり歩きしているようである』 佐藤さんの「自分の視点を消す」が難しいのです。 「自分の視点」を消した佐藤さんが、 どのようにして「佐藤記憶の視点」にたどり着けたのか? これが第一の問題点です。 第二の問題点は、「佐藤記憶の視点」で見たモノが、 なぜ今、佐藤さんの記憶の中に存在するのか? この2点が疑問なのです。 これを、もっと判り安い比喩で言います。 (1)私は、私の視点を消すことにより、 ともちゃんの視点になれた。 (2)ともちゃんが認識した事実は、今私の意識の中に存在する。 佐藤さんは、こう言う事を言っておられます。 佐藤さんの幽体が、私の肉体に潜(もぐ)り込んだ。 そして、私の視点で何かを認識した。 その後、佐藤さんの幽体は、 私の身体を離れ、自分の肉体へ戻った。 佐藤さんのおっしゃっている事を、 合理的に判断すれば、このようになります。 前回、以下の質問をさせていただきました。 『一つ、重要な事をお聞きします。 佐藤さんは、「佐藤記憶」が、 個人の「脳」の中だけで起こっている 出来事だと考えているのでしょうか? それとも、「佐藤記憶」が、 この宇宙を作っているのでしょうか? その辺が、よく理解できないのです。 それを教えて下さい。 (2016.09.14 22:53:13)』 これは、「佐藤記憶」が、我々の肉体を超えたどこかに 存在するのかと言う事をお聞きしたのです。 私は今、幽体離脱の事を研究しています。 佐藤さんの仰る事を、論理的に考えた場合、 佐藤さんは、幽体離脱が出来るとしか考えられないのです。 これで、間違いありませんか? (2016.09.16 00:42:51)
ともちゃんさん
>佐藤さんの「自分の視点を消す」が難しいのです。 >「自分の視点」を消した佐藤さんが、 >どのようにして「佐藤記憶の視点」にたどり着けたのか? >これが第一の問題点です。 答えは記憶言語学にあります。 今のお二人のやりとりは、お二人が記憶言語学を理解しないままにここまで来ていることが大きな問題だと思います。 私は、記憶言語学という形で、記号同士が一種の意志をもって相互に関係を持ち合い、進化していくことを知りました。これをお二人は、表面的になぞりはしましたが、理解には至っていません。 これを抜きにして、私が次に進もうとしているところに対してお二人からコメントをいただくので、話が咬み合わないわけです。 幽体離脱等に私も興味がありますが、まだそこまで自分で語れる域まで達していません。 ここでは、まず記憶言語学のおさらいから始めましょう。でないと、全く話が進まずに、それぞれが自分の感想を述べているだけになっていますから。 (2016.09.16 01:19:38)
|