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言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

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《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和二年で満54歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


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2017.03.27
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フランス人達は自国を移民の国であると主張しているが、私にはそうは思えない。

確かにフランスは、昔から欧州の民族移動の交差点のようなものであり、北から南から西から東から、いろんな民族が流入してきた。ただ、その時代の移民たちは、ほとんどが欧州系、つまり白人である。顔つきの多少の違いはあるが、同じ民族的グループを作るのには問題がなかった。

19世紀から20世紀にかけては、特に南ヨーロッパ(イタリア、スペイン、ポルトガル)からの移民が入ってきた。彼らは、国を難民として追われたり、貧困から脱出するために比較的豊かだったフランスに移民してきたのだ。当時の彼らが土着のフランス人たちから差別されたという話はよく聞く。実際、出身地を隠すためもあって、子供たちのほとんどは、フランス流の名前がつけられた。例えば、スペインのホルヘはフランスではジョージ、イタリアのマルコはフランスではマルクになると言った具合である。

しかし、20世紀も後半に入ると、ヨーロッパ全体としてのアイデンティティーが生まれていてくる。これによって、今までは差別されていた南欧系の移民も普通のフランス人と全く変わらない地位を獲得出来るようになってくる。そして、面白いことに、子供たちに今度は逆に、フランス的ではなない出身国風の名前をつけるようになる。F1パイロットのジャン・アレジと後藤久美子の間に生まれた長男は、ジュリアンではなく、イタリア風のジュリアーノである。もう、名前をフランス流にすることで同化しようとする必要が無くなったのである。

これに対して、最近の移民たちは全く違っている。まず、出身地が、アラブ系、中華系、アフリカ系、東南アジア系、インド・パキスタン系と様々であり、欧州以外である(東欧のロマ人は、欧州系ではないのが例外)。彼らは、ヨーロッパ系の移民と同じように集団で住み、フランス国内に「民族コロニー」を形成する。欧州系が、出身国との繋がりを保ちながらも、フランスへの忠誠を誓うことに問題がないのに対し、新しい移民たちは、フランス人の持つ文化とは一線を画している。

フランスでは、国内で問題を起こさず「仲良く」やっていくことが「融和」や「同化」であると考えている。従って、ほとんど問題を起こさない中華系は問題視されない。だから、パリや近郊のほとんどのタバコ屋が中華系に買収されてしまった現状を見てもあまり危機感を持たない。ポルトガル系が、家政婦やアパートの管理人に特化したのと同列に見ているのだ。

アラブ系の一番の問題点は、彼らがイスラム教を捨てずに信仰するということである。昔は、改宗することで移民することを許される場合もあったが、自由・平等・友愛のフランス共和国では、イスラム教徒たちの信仰の自由を保証することが、フランス人の責任であり誇りであると思っている。フランス国土のイスラム化が静かに、しかし確実に進行している中、こういう態度をとるフランスの政治家やマスコミは、「idiot utile(役に立つ馬鹿)」であると形容することが出来るだろう。自分達の国家の理想に目が眩んで、将来的に自国のアイデンティティーを破壊しかねない移民たちをどんどん入れて喜んでいるのだから。

私はフランスに住んでいるが、自分の生活圏内にも非欧州の移民出身の人たちが多くいる。例えば職場であったり、同じ地域に住む隣人たちであったりする。高度に知的な職業についている人たちは、往々にしてフランス文化をよく理解し、フランス社会に同化しているようである。しかし、私が自分の目で確認出来るのは、彼らの文化の一部でしかない。彼らが家に帰ったら、家族や同国出身者と一緒になった時に、どのような文化に浸っているかを知ることは難しい。いろんな経験から私が導き出す結論は、移民の家族やコミュニティーでは、出身国の価値観が通用している空間が存在しているということである。例えば、家庭に入ってしまえば、そこはプライベートな空間であり、フランスは介入できなくなる。フランスのことを知らずに家族の呼び寄せできたお年寄りがいたら、その傾向は更に強くなる。フランスは個人主義だが、移民達の文化では大体年上の人間に従うことが常であるからだ。

今のフランスは確実に、多民族共同体が併存する社会になりつつある。私が、共存でなく併存としたのは、フランスという国に遠慮することなく、自分たちの文化や価値観を振りかざすことに躊躇しなくなっているからである。ドイツのトルコ系は
この傾向が更に強いと聞く。つまり、トルコ系が集中して住む地域ではドイツ語を学ぶ必要さえ感じなくなっているのである。国の中から、外国に蝕まれているという状況が始まっているのである。

フランス人は、移民たちにフランス共和国の一員になることを期待しているのだが、白人系以外の移民の子孫たちがフランス人であるというアイデンティティーを得ることは私は非常に難しいと思う。特にアラブ系に関しては、不可能であるとも思う。見た目の違いは、非常に大きい。しかも、アラブ系はイスラム教徒であり、カトリック系の文明であるフランス文化と共通点が非常に少ない。知的レベルが高かったり、芸能の世界で秀でた人間たちは、フランス人からの評価も高いから、頭でそれを理解することも出来るだろうが、そうでない普通の移民の子供たちには、それは不可能である。そして、自分がフランス社会で成功しないのは、フランス人たちが差別しているからだ、悪いのはフランスだフランス人だという論理に流れていく。

フランスが自国の理想によって破壊されつつあるのを見るのは、フランスが好きで住んでいる私にとってはいたたまれないことであるが、それはフランス人達の選択であるし、私が介入することではないであろう。しかし、近い将来か遠い将来か分からないが、フランス共和国が世界地図から来て無くなる日が来るような気がして仕方がない。せめて、日本は欧州のこのような傾向から学んで日本という国を存続させるための選択をしていくしかないだろう。





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Last updated  2017.03.27 21:59:35
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Re:非欧州系移民は本当にフランス人になれるか。。。(03/27)   桜葉佳代 さん
個人主義と言うのは、文化としてはあまりにも脆弱なのです。
それは人間関係が希薄になりやすく共有する力が弱いから。
キリスト教文化といっても、宗教コミュニティがしっかりしていればいいんですが、個人の思想信条の自由を尊重するとなると、コミュニティ内部も空洞化していくと思います。
人間同士のつながりの中に言語が共鳴しているのですから共鳴力も弱くなって乱れていきます。

日本も戦前の家族主義や氏神様を中心にした地域社会のつながりが壊れ、言語もかなり乱れています。
乱して喜んでいるのが馬鹿なマスメディア...何の役にも立っていない気がする。
日本も安泰ではありません。 (2017.03.28 12:22:36)

Re[1]:非欧州系移民は本当にフランス人になれるか。。。(03/27)   CLG2009 さん
桜葉佳代さん

>個人主義と言うのは、文化としてはあまりにも脆弱なのです。
>それは人間関係が希薄になりやすく共有する力が弱いから。

フランスは今、個人主義に蝕まれている気がします。

自分の権利を守るためには他人の権利も守るというのは聞こえがいいですが、それがイスラム教徒がフランスでのテリトリーを広めるのに逆に利用されています。ただ、フランス人は、非常に近視眼的で、目先のことしか見えていないので、そうは思っておらず、理想のフランス共和国を作るのだと息巻いています。そういう「努力」が、フランスに複数の移民コミュニティーを作り出し、将来的に自分たち白人系のフランス人の居場所が無くなることは全く考えていません。これはフランス病とでも言ったほうがいいかも知れません。


>キリスト教文化といっても、宗教コミュニティがしっかりしていればいいんですが、個人の思想信条の自由を尊重するとなると、コミュニティ内部も空洞化していくと思います。
>人間同士のつながりの中に言語が共鳴しているのですから共鳴力も弱くなって乱れていきます。

フランスは、既にその大多数が無神教と断言する民族です。ところが、移民たちはそうではありません。イスラムの戒律に従うかどうか関係なく、生まれで彼らはイスラム教徒であり、そこから抜け出す方法はありません。

白人系フランス人のコミュニティーが空洞化する中で、移民、特にイスラム教徒のコミュニティーはどんどん宗教的に強化されていきます。そして、この温度差にフランス人は気がついていない。本当に「ゆでガエル」になるのも時間の問題だと思います。


>日本も戦前の家族主義や氏神様を中心にした地域社会のつながりが壊れ、言語もかなり乱れています。
>乱して喜んでいるのが馬鹿なマスメディア...何の役にも立っていない気がする。
>日本も安泰ではありません。

日本の家族の文化を破壊しようとする運動は、今までもありましたが、最近それが顕著ですね。森友学園の報道は遠巻きに見ていますが、ああいうことでしか政府を攻撃できない、反日左翼もマスコミも馬脚を表しています。ただ、こう思うのはネット民だけで、一般の日本人は、その影響下にあります。

しかし、少なくとも、韓国国民よりは日本国民は賢いと思います。衆愚政治になりそうでならない。今、韓国は衆愚政治を地で行っていますからね。皆さん興味ないかも知れないですが、プチ易姓革命をリアルタイムで見ながら、一国の崩壊を観察できるいい機会です。韓国人がどんなひどい目に逢おうと、日本は、もう関わってはいけません。助けても彼らはそれを絶対に感謝しないことを日本人の多くが学びましたが、まだまだ親韓勢力は政府や外務省に強いようです。



(2017.03.29 02:18:39)

宗教と演劇   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

注文していた『ガラスの仮面』がきました。
50巻注文しましたが、ボタンを押し間違えました。
だから、1巻~26巻までしかきませんでした。
しかし、妻の実家には全巻そろっているそうです。
いつか取り寄せて読んでみます。

『ガラスの仮面』を読むと、
「自分の視点を離れる」と言う意味がよくわかります。
3巻の終わりに、大竹しのぶが解説を書いています。

彼女は、ある種のイタコです。
私たち宗教家も、心を無にすると、他人の「霊」が入って来ます。

fractalemode さんは、
佐藤さんを宗教的な方面からとらえています。
これも、決して間違いでは、ありません。
原始時代、演劇と宗教は同じモノだったのです。

統一教会では、精霊体験をする人が沢山います。
私の経験では、これも「霊が降りる」と言う感じでした。

佐藤さんの場合は、離人体験ですね。
自分であって、自分ではない。
「人間の視点が外れる」とは、こんな感じだと思います。 (2017.03.29 14:18:32)

Re:宗教と演劇(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん

>注文していた『ガラスの仮面』がきました。
>50巻注文しましたが、ボタンを押し間違えました。
>だから、1巻~26巻までしかきませんでした。
>しかし、妻の実家には全巻そろっているそうです。
>いつか取り寄せて読んでみます。

ぜひ読破してください。


>『ガラスの仮面』を読むと、
>「自分の視点を離れる」と言う意味がよくわかります。
>3巻の終わりに、大竹しのぶが解説を書いています。

北島マヤを演じられる女優は彼女以外にはいなかったと思います。前何処かで読んだのですが、ある映画かドラマの撮影で、彼女が全ての役者の台詞を暗記していたというのがありました。


>彼女は、ある種のイタコです。
>私たち宗教家も、心を無にすると、他人の「霊」が入って来ます。

本当に他人の霊が入ってくるのか、それとも自分の中に自分とは違うものがいたかのどちらかですね。


>fractalemode さんは、
>佐藤さんを宗教的な方面からとらえています。
>これも、決して間違いでは、ありません。
>原始時代、演劇と宗教は同じモノだったのです。

演劇は確かに宗教と大きな関わりを持っていたと思います。


>統一教会では、精霊体験をする人が沢山います。
>私の経験では、これも「霊が降りる」と言う感じでした。

>佐藤さんの場合は、離人体験ですね。
>自分であって、自分ではない。
>「人間の視点が外れる」とは、こんな感じだと思います。

「人間の視点が外れる」というのは、確かに一種の霊体験ですが、我々は言語を使いながら、これを毎日日常的に経験しています。

フランス人が日本語お学ぶ時、どうしても自分の事を話す時「私」と付けたがります。会話の中の役割がはっきりしていないと落ち着かないからです。日本人は、誰のことを話しているかを瞬時に判断します。前にブログでも書きましたが、日本語がは3人称だけで語られる言語です。つまり、視点の移動を無意識に行っているのです。

私は、天性の言語習得能力がありますが、これも一種のイタコのようなものです。外国語を話す時は、そこに別の人格を作っていますから。それを一般の人が、自分の話す言語とどういう形で向きあえば視点の移動を理解できるかですね。






(2017.03.29 17:11:14)

宗教と演劇(2)   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『本当に他人の霊が入ってくるのか、
それとも自分の中に自分とは違うものがいたかのどちらかですね。
(2017.03.29 17:11:14)』

私は霊能者ではありません。
従って霊が、人間の肉体に入る所を見ることが出来ません。

従って私のように、霊の見えない人間は、
「自分の中に自分とは違うものがいた」
この様に、正確に表現しなければなりません。
訂正させて頂きます。
さもなければ、オカルトになってしまいます。

この様に訂正しますと、
役者と霊媒は同じモノだと言うことが、正確に理解出来ます。
大河ドラマに限らず、長い期間その役に没頭すると、
自分の内なる何かが自分から離れない。
こう言う役者さんも多いです。

私は演劇の経験はありませんが、
この感覚は良く理解出来ます。
佐藤さんの離人体験も、これと似ていると思います。
(2017.03.29 23:55:06)

Re:宗教と演劇(2)(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん


>私は演劇の経験はありませんが、
>この感覚は良く理解出来ます。
>佐藤さんの離人体験も、これと似ていると思います。


昔聞いた話ですが、石原裕次郎の映画を見た後、男たちは肩で風を切るように歩いたそうです。役者の人となりが見るものにも乗り移るということでしょうか。

これは文化的にもあります。私の友人に数名アルジェリア人の女性がいるのですが、彼女たちは一様にして気が強く話し方も威圧的です。といっても彼女たちは非常に優しい心の持ち主であることを私は知っています。これは、彼女たちが生きているアルジェリア社会が男性中心であって、その中で女性が生きていくために、そういう性格を身につけ、それが知らず知らずのうちに次の世代に受け継がれているのだと思います。アルジェリア女性のアイデンティティーというわけです。

我々日本人も、日本人のアイデンティティーを受け入れ、それを背負うことで日本人になります。日本語を話すことは必須条件ですが、十分条件ではありません。日本生まれの外国人たちは、この狭間で葛藤することが多いようです。見た目が日本人であれば、名前もそれ風にすれば日本人になりすますことができますが、白人や黒人の親を持つ人たちはそうはいきません。日本人としてのアイデンティティーを持っていても、周りがそれを当たり前だとみなしてくれないわけです。しかし、大人になるにつれて、行動でアイデンティティーを示すことができるようになればこれは変わってきます。中には、日本人になることを放棄して外国に行く人もいるとは思いますが。

私がここで話しているアイデンティティーは、生活の中で獲得した裏付けのあるものです。死んだ人が乗り移るというようなものではありません。しかし、人間の意識が、どこかの世界とつながっていて、死んだ人間の意識に感応することがあるかもしれません。ただ、私はこういう可能性を話はしますが、その先には進みませんが。

ガラスの仮面の文庫版を注文したのであれば、もしかしたら載っているのは半分以上かもしれません。とにかく、お手持ちの巻を全て読んだ時の感想を楽しみにしています。




(2017.03.30 00:33:10)

Re[1]:宗教と演劇(2)(03/27)   桜葉佳代 さん
ともちゃんさん 佐藤さん

この話題、入りたくてうずうずしてます。
私「ガラスの仮面」は連載開始当初から高校卒業するまで雑誌で読んでいました。
1976年スタートですからまだ11歳...小学生のときからですね。つまり、何の疑問もなくその世界観を受け入れていたわけです。
だからお二人のやり取りを見ていて何がそんなに特殊な問題なのかが分かりません。そういう意味で私は異常かもしれません。
だから話題に入りきれない。
人生経験を積んでからあの漫画を読むとどういう感想になるのか、興味が湧きます。自分でも読み直せばまた違った世界が見えるのかもしれないとも思いますが、今、あれにはまっている時間はなさそうなので、いずれということにしておきます。 (2017.03.30 15:00:43)

Re[2]:宗教と演劇(2)(03/27)   CLG2009 さん
桜葉佳代さん
ともちゃんさん


>この話題、入りたくてうずうずしてます。
>私「ガラスの仮面」は連載開始当初から高校卒業するまで雑誌で読んでいました。
>1976年スタートですからまだ11歳...小学生のときからですね。つまり、何の疑問もなくその世界観を受け入れていたわけです。

1976年は私は10歳ですから、ほとんど同世代ですね。私は、確か小学生の時に女子からまとめて借りて読み始めました。中学や高校の演劇部には必ずおいてありましたね。

それから不定期の連載になっていましたが、とりあえず全部読んでました。ただ、本誌連載にたいして単行本では加筆されたりお話自体が変わることもあって、本当に全部は読んではいないと思います。多分ファンの人は全て集めているのだと思いますが。

>だからお二人のやり取りを見ていて何がそんなに特殊な問題なのかが分かりません。そういう意味で私は異常かもしれません。
>だから話題に入りきれない。

人間には変身願望があると思います。それを演劇という形で実現しているのが北島マヤ。しかも、展開は非常にドラマチックです。最近は、ドロドロの三角関係、四角関係も出てきて大変なのですが、中々次が出てこないというジレンマがあります。このまま未完で終わりにしてほしくは無いと思いますが。


>人生経験を積んでからあの漫画を読むとどういう感想になるのか、興味が湧きます。自分でも読み直せばまた違った世界が見えるのかもしれないとも思いますが、今、あれにはまっている時間はなさそうなので、いずれということにしておきます。

読み始めたら多分全巻欲しくなると思いますよ。今は紅天女のためのリハーサル中です。亜弓さんが大変なことになっていますが、ネタバレになるのでここでは控えます。

(2017.03.30 17:47:23)

ガラスの仮面   ともちゃん さん
桜葉さん

『だからお二人のやり取りを見ていて
何がそんなに特殊な問題なのかが分かりません。
(2017.03.30 15:00:43)』

去年の1月14日から、fractalemodeさんが参加されています。
1年ほど、3人で議論をしました。
問題点は一体何か。

第一点は、「人間の視点を消す」です。
第二点目が、「存在と記憶の関係」です。

fractalemodeさんは、どんどん佐藤さんを問い詰めていきます。
そして最後には、「人間の視点を消す」と言う所に行きつくのです。

佐藤さん曰く、あなた方は「人間の視点」で見ている。
だから、私の言う事が理解出来ない。
fractalemodeさん曰く、
それでは「人間の視点を消す」とは、いったい、どういう事なのか?
そう言う風に議論は、展開していきました。

fractalemodeさん曰く、
「人間の視点を消す」とは、
仏教で言う所の「無我の境地」ではないのか?
話は、このように進んだのですが、佐藤さんは言います。
私は宗教家ではない、ヒントは『ガラスの仮面』の中にある。
こう言う事になりました。

私は今、第6巻を読んでいます。
そろそろヘレン・ケラーが出てきます。
北島マヤが、ヘレン・ケラーを演じる時、
「人間の視点を消す」という意味が理解できる。
このような佐藤さんの予言です。

このような理由で、私は『ガラスの仮面』を読み始めました。
実はもう一つ、佐藤さんのおすすめ本があります。
それは『寄生獣』と言うマンガです。

主人公の新一に、ミギーと言う宇宙人が寄生します。
新一に寄生した宇宙人ミギーは、
新一にとっては、「自分であって自分ではない」存在です。

マヤと彼女が演じる「劇中人物」との関係も同じです。
マヤにとって、「劇中人物」は、自分であって、自分ではありません。
マヤは「劇中人物」によって「寄生」されているのです。

役者としての才能とは、
何者かに自分の肉体を与える事の出来る才能である。
これが『ガラスの仮面』のテーマです。

fractalemodeさんは、「人間の視点を外す」を、
西田幾多郎の『善の研究』から解明しました。
自分は宗教家ではない。
これが佐藤さんの答えです。
そこで私が、演劇論から
「人間の視点を外す」を解明する事になりました。

第5巻でマヤが、人形の役をやります。
舞台の上で、初めから終わりまで動くことが出来ません。
この時マヤは、禅寺に行きます。
自分が岩になり、山になり、森になる。
これが禅の修行です。
マヤも人形に成るために座禅の修行をします。
たぶん作者も、宗教と演劇は、
非常に近いものだと考えているのだと思います。
これが、私が『ガラスの仮面』を問題にする理由です。

そして第二の問題点。
これは、佐藤さんの言う「記憶」とは何か。
普通に考えると、「記憶」とは、何者かの記憶です。
「記憶」には、主体者が存在するのです。

ところが、佐藤さんの「記憶」には「主体者」が存在しません。
これは、論理的におかしいのではないか?

いや、そうではない。
あなた方が「人間の視点」を外さないから
私の言う事が理解できないのだ。

あなた方が「無」になり、「人間の視点」から飛び出せば、「記憶」が主体者であり、我々は「記憶」に操られている事が理解できる。
これが佐藤さんの主張です。
つまり「記憶」と「劇中人物」は、同じ存在なのです。

我々が「記憶」している。
我々が「劇中人物」を演じている。
普通は、このように考えます。
しかし佐藤さんの考えは、その逆です。

我々が「記憶」に操られている。
役者が「登場人物」に操られている。
たぶん佐藤さんは、
このように考えておられるのではないかと思います。
『ガラスの仮面』を読み進む内に、
もう少し詳しい事がわかって来るとおもいます。
(2017.03.30 21:56:01)

Re:ガラスの仮面(03/27)   桜葉佳代 さん
ともちゃんさん


解説をありがとうございます

>第一点は、「人間の視点を消す」です。
>第二点目が、「存在と記憶の関係」です。

人間の視点を消すというのはずっと書いていらしたからそうなんだろうとは思ってました。
「ガラスの仮面」はヘレンケラーの話から手話がらみのテーマで取り上げてるのかと思ってました。
「物には名前があることを思い出した」なんて、印象的でしたから。
でも、異なるアイデンティティに入り込むことの方がテーマなのかなと見えてきつつありましたが、そもそも人間の視点の問題ですか…確かに、紅天女という役も、人間の役ではなかったように記憶しています。

fractalemodeさんのコメントは少し読みましたが難しいです。
彼の視点が人間の視点だというのも凄いと思うんですが、人間もいろいろいるという事。

ともちゃんさんもカルト経験者ならば、常識を捨てていた時期があると思います。
私も捨てて信仰をしていました。
人間的常識を捨てて信仰を求めたんですが、その教団の中にいることさえ否定される形で出てきました。
でも、元の人間的常識には帰れなかったので、二重の否定を受けたのか、あるいは自分でしていたのかは分からないけれど、生きるためには新たな視点を求める必要がありました。
求めたのは神の視点です。
きちんと神に行き着いたかどうかはさておき、とりあえずは人間らしい視点を私も置き忘れているような気がします。
だから逆に人間の視点に興味を持っているのかもしれません。

佐藤さんが狂人か天才かと書いていましたが、狂人は他者との共感を一切持てない人、天才は一人でも誰か他者との共感を得て他者へ利益をもたらした人ではないかと思います。

私もミイラにならずに誰かの益になりたいと最近は思うので、(そもそも私ごときに有益性があるかどうかも不明ですが)超越視点と人間の視点のすり合わせが必要です。
でも、人間の視点からズレていても、佐藤さんが書かれている視点と同じに立っているとは限りません。
少しずつ理解したいと思います。


記憶が何者かという事、佐藤さんは『波形』という表現に反応されましたが、もしかすると『形』なのでしょうか?
人間は『型』にはまることが可能です。
現代劇には『型』はあまり意識されませんが伝統芸能は『型』で演じるものが多いですよね。
物でも型を押し付けると跡が残るものもあります。
どんな素材でも(硬度が高ければ跡にはなりませんが)押し付けたのと同じ型が付きます。
人間の視覚で認識できるような形では無いとは思いますが。

これはちょっと思い付きの域を出ないかもしれません。 (2017.03.31 01:56:05)

Re:ガラスの仮面(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん


>役者としての才能とは、
>何者かに自分の肉体を与える事の出来る才能である。
>これが『ガラスの仮面』のテーマです。

これは、ともちゃんさんの言葉ですね。その通りだと思います。


>そして第二の問題点。
>これは、佐藤さんの言う「記憶」とは何か。
>普通に考えると、「記憶」とは、何者かの記憶です。
>「記憶」には、主体者が存在するのです。

>ところが、佐藤さんの「記憶」には「主体者」が存在しません。
>これは、論理的におかしいのではないか?

>いや、そうではない。
>あなた方が「人間の視点」を外さないから
>私の言う事が理解できないのだ。

>あなた方が「無」になり、「人間の視点」から飛び出せば、「記憶」が主体者であり、我々は「記憶」に操られている事が理解できる。
>これが佐藤さんの主張です。
>つまり「記憶」と「劇中人物」は、同じ存在なのです。

記憶は、ビッグバン(あるいはリトルバン)から始まった進化を遂げ、今、この地球上では、記憶を語ることの出来る人間にまで到達しました。

人間は自分で記憶を操作していると考えていますが、本当に記憶を操作しているのは記憶自体です。我々は、その記憶操作装置の単に1つに過ぎないのです。

と行っても、記憶が我々をどうしようとか思ってやっているのではありません。進化記憶と人間とでは次元が違いすぎるのです。しかし、人間一人一人のとる記憶操作の行動は、進化記憶自体にも影響を与えます。人間の歴史を作っているのは確かに人間です。しかし、この宇宙の中では人間の歴史などどうでもいいのです。問題は、それを通じて発展する記憶の進化です。


>我々が「記憶」している。
>我々が「劇中人物」を演じている。
>普通は、このように考えます。
>しかし佐藤さんの考えは、その逆です。

>我々が「記憶」に操られている。
>役者が「登場人物」に操られている。
>たぶん佐藤さんは、
>このように考えておられるのではないかと思います。
>『ガラスの仮面』を読み進む内に、
>もう少し詳しい事がわかって来るとおもいます。

直接操られてはいません。そこに「神の意志」のようなものは存在しないのです。

北島マヤとライバルの姫川あゆみが、最終的に演じたいと思っている紅天女は人間ではありません。梅の木です。しかし、人間に恋をしてしまうのです。今は、そのリハーサルというクライマックスなのですが、中々新刊が出てきませんし、連載もされません。このまま終わらなかったらどうしようとファンなら一度は考えたことがあると思います。

この漫画は壮大な叙事詩なのです。
(2017.03.31 20:21:14)

Re[1]:ガラスの仮面(03/27)   CLG2009 さん
桜葉佳代さん
ともちゃんさん

>fractalemodeさんのコメントは少し読みましたが難しいです。
>彼の視点が人間の視点だというのも凄いと思うんですが、人間もいろいろいるという事。

彼の視点は特に数学者の視点ですね。


>でも、元の人間的常識には帰れなかったので、二重の否定を受けたのか、あるいは自分でしていたのかは分からないけれど、生きるためには新たな視点を求める必要がありました。
>求めたのは神の視点です。
>きちんと神に行き着いたかどうかはさておき、とりあえずは人間らしい視点を私も置き忘れているような気がします。
>だから逆に人間の視点に興味を持っているのかもしれません。

私は神の視点という表現は使いません。人間が神という存在を概念化し、それにある種の力も見ているということは知っていますから、私の考えている記憶の視点と重なることはあると思いますが、私の場合「神」のように擬人化された主体は存在しないからです。


>佐藤さんが狂人か天才かと書いていましたが、狂人は他者との共感を一切持てない人、天才は一人でも誰か他者との共感を得て他者へ利益をもたらした人ではないかと思います。

私も世界とはつながっていたいなという願望もありますが、別にどうでもいいやと思う時もあります。二面性が交互にやってくる感じです。


>私もミイラにならずに誰かの益になりたいと最近は思うので、(そもそも私ごときに有益性があるかどうかも不明ですが)超越視点と人間の視点のすり合わせが必要です。
>でも、人間の視点からズレていても、佐藤さんが書かれている視点と同じに立っているとは限りません。
>少しずつ理解したいと思います。

この世に、そして誰かに有益かどうかというのは、私もずっと考えています。折り紙に関してはそれは顕著で、自分だけが出来る折り紙作品は、自分での評価は低いです。本をだしましたが、その中でもできるだけ誰でも折れるようにと気を配っています。この点で、私は表現者ではなく、職人的な面があります。


>記憶が何者かという事、佐藤さんは『波形』という表現に反応されましたが、もしかすると『形』なのでしょうか?

形が残るというのが記憶の大前提です。ビッグバンで最初に生まれたのが時空間ですが、その空間に刻まれる形がないと記憶が誕生したとは言えませんから。


>人間は『型』にはまることが可能です。
>現代劇には『型』はあまり意識されませんが伝統芸能は『型』で演じるものが多いですよね。

型から入ることは非常に重要だと思います。再現性もありますし、最小化を図る中で洗練されていったということではないでしょうか。


>物でも型を押し付けると跡が残るものもあります。
>どんな素材でも(硬度が高ければ跡にはなりませんが)押し付けたのと同じ型が付きます。
>人間の視覚で認識できるような形では無いとは思いますが。

五十嵐氏の漫画「ディザインズ」でも、人間は世界の認識を視覚に頼っているという記述があります。しかし、動物たちの中には視覚以外で「環世界」を作っている種があります。我々には絶対にわからないであろう、その「環世界」を、作者のイマジネーションと画力で美しい映像として垣間見せてくれる漫画です。


>これはちょっと思い付きの域を出ないかもしれません。

このブログは私にとって思いつきを淡々と綴る場所です。しかし、なるべく不必要な思いつきの垂れ流しを避けるために、片っ端から書き込んでいるわけではありません。何か思いついても、二三日何も書き込まずにほっておきます。それでも、書きたくなったら書き込むという形です。それでも、何年か経つと、自分でも全く意味がわからないような書き込みになることもありますが。

皆さんの思いつきは私にとっては非常に美味しいので、限度はありますが、歓迎します。
(2017.03.31 20:40:35)

アイデンティティ(自己同一化)   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『石原裕次郎の映画を見た後、
男たちは肩で風を切るように歩いたそうです。
(2017.03.30 00:33:10)』

裕次郎だけではなく、
鶴田浩二や高倉健なども、こんな感じでした。
これが演劇の醍醐味でしょう。

マヤは、つまらない人間です。
しかし、一度舞台に上がるとヒロインです。
それを見る観客も、ヒロインに自分を同一化します。
この感じが味わえなければ、
誰もカネを出して劇場には来ませんよ。

プロ野球も同じです。
私は、阪神タイガースのメンバーです。
私が、ホームランを打つのです。
この感じが味わえなければ、私は球場には足を運びません。
そう言う意味で、
スポーツ観戦と演劇鑑賞は同じモノだと思います。

『私の友人に、数名アルジェリア人の女性がいるのですが・・・・・・・・・・・。(2017.03.30 00:33:10)』

これも、「アイデンティティ(自己同一化)」です。
本来、心の優しい彼女たちです。
しかし彼女たちも、アルジェリア人の激しい民族性と、
「自己同一化」の関係を作ります。

中国人は中国に、朝鮮人は朝鮮に「自己同一化」している。
その国に生れた人間は、その国に
「アイデンティティ(自己同一化)」をする。
佐藤さんの仰っている事はこう言う事ではないかと、
私は理解しております。 (2017.03.31 22:28:44)

無の境地   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『私も、世界とはつながっていたいなという願望もあります。
しかし、別にどうでもいいやと思う時もあります。
二面性が交互にやってくる感じです。
(2017.03.31 20:40:35)』

佐藤さんは、「世界とつながる」と言う想いを、
一度捨てればいいのではないかと想います。
マヤも、苦しい修行に明け暮れます。
しかし彼女には、
華やかなスポットライトを浴びたいと言う願望があります。
その願望が、マヤのエネルギーの源泉です。

それではダメなのです。
「紅天女」は、梅の花です。
梅の花は、スポットライトを浴びたいとは想いません。

だからマヤは、栄光への願望があるかぎり
「紅天女」を演じる事が出来ないのです。
これは美内さんも同じです。

彼女は、ある情念に導かれて、
『ガラスの仮面』を書き続けて来ました。
その情念は、自分が漫画家として認められたいと言う想いです。
これではダメなのです。
この想いがある限り、
美内さんは、「紅天女」と一体には成れません。

作者自身が「紅天女」と一体化していない。
なのに、「紅天女」と一体化した主人公を描けるはずがありません。
だから『ガラスの仮面』は、未だに未完なのです。

佐藤さんも「世界と繋(つな)がっていたい」と言う願望を、一度捨てたらどうですか。
自分が探し当てた真理を自分だけのモノとして死んでいく。
この覚悟がなければ、これから一歩も、前進することは出来ません。 (2017.03.31 22:35:57)

Re:無の境地(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん


>佐藤さんも「世界と繋(つな)がっていたい」と言う願望を、一度捨てたらどうですか。
>自分が探し当てた真理を自分だけのモノとして死んでいく。
>この覚悟がなければ、これから一歩も、前進することは出来ません。

これは、寄生獣のミギーのセリフに通じますね。

外部との接触を遮断し、ここだけにある材料でやってみたくなったんだ、というような内容だったと思います。そして、彼は右手をシンイチに返し、寄生生活と決別します。

寄生獣の2部が始まったら、ミギーの思索がどういう方向に行ったかどうかが気になるところです。そのころには、もしかしたら自分自身を守るという意味さえ失っている可能性があります。そうなると田宮良子と同じです。彼女はただ立ち止まっただけなのです。そして死にました。


私は、今仕事をいくつも掛け持ちしていますし、折り紙関係のつながりも多くあります。つながっていることで自分の中に気づきがあることも多いのは実感していますが、それは自分の探しているもののバリエーションを見ているだけで、本質に近づいているのではないと思います。つまり、堂々巡りをしているのです。

ネットでのつながりも大きいですね。中毒まではいかないと思いますが、結構つながっていないと不安になったりします。

そういう願望を取り除いて自分ができることと言ったら、このブログ内に散在している言語学関係の記述をまとめることでしょうか。


(2017.03.31 23:41:55)

Re:アイデンティティ(自己同一化)(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん


>中国人は中国に、朝鮮人は朝鮮に「自己同一化」している。
>その国に生れた人間は、その国に
>「アイデンティティ(自己同一化)」をする。
>佐藤さんの仰っている事はこう言う事ではないかと、
>私は理解しております。

その自己同一化に一番貢献するのが言語です。

といっても在日朝鮮人のように、日本語しか使えないのに日本人としてのアイデンティティーが無い人もいますし、日本人に生まれてきても、日本人であることを否定する反日日本人達もいます。人それぞれですね。

シンシアリーさんが、ついに韓国を脱出し日本に移住しました。移住してほぼ一か月で新しい著作も発表されます。タイトルは「朴槿恵と亡国の民」です。

彼のアイデンティティーは、これからどうなるんでしょうか。 (2017.03.31 23:48:44)

言語と民族   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『シンシアリーさんが、ついに韓国を脱出し日本に移住しました。
移住してほぼ一か月で新しい著作も発表されます。
タイトルは「朴槿恵と亡国の民」です。
彼のアイデンティティーは、これからどうなるんでしょうか。 (2017.03.31 23:48:44)』

アイデンティティの研究という意味で、佐藤さんにはぜひ、
「シンシアリーさんのその後」を追求して頂きたいですね。

シンシアリー
民族・・・朝鮮人
言語・・・朝鮮語

母から日本語を習ったと言うことですが、
在日朝鮮人より遥(はる)かに、朝鮮人に近い立場の人だと想います。

こう言う人が日本に移住したからと言って、
本当に日本人になれるのか?
私は、そこに興味を持っています。

シンシアリーさんと対照的な人物に、
政治家の辻元清美さんがおられます。
彼女は日本人であって、思想的には日本人ではありません。
ちょうどシンシアリーさんとは、逆の立場だと想います。

辻元清美さん
民族・・・・日本人
言語・・・・日本語

このお二人を対比することにより
日本人とは何か?
民族とは何か?
と言う問題が浮き彫りにされます。

そして民族と言語が、どのように関係しているのか?
それが浮き彫りになるのではないかと想います。 (2017.04.01 13:45:28)

Re:無の境地(03/27)   桜葉佳代 さん
ともちゃんさん 佐藤さん

なんだかテーマが壮大にとっ散らかっていますね。
佐藤さんが神様を外して考える姿勢を変えないからです。
人間はよく分からないものを幽霊と呼んだりUFOと呼んだりして分類してます。
神様はたぶんその親玉なのだと思います。
また、神様については、個々人がそれぞれ定義している世界が強く、意味において共通認識がなされていません。
だから科学的検証には神様という単語はNGになります。

とはいえ、ビッグバン(リトルバン・天地創造?)の時から続く『進化する記憶』というのは、一神教が語る全知全能の神の記憶と何ら変わることがない。
だから佐藤さんの試みは神への挑戦です。
私も自分の立場を明確にしたいが故に神様という言葉を使ったけれど控えるべきですね。
アイデンティティを捨て去って...語り得るのだろうか?
そこもちょっと引っかかるので…捨て去るのではなく自由に乗り替われればいいのですね。
千の仮面を持つオバサンになればいいのか。普通には出来なさそうです。
散らかしているのは私でしょうか?


繋がりの全てを捨て去ると、“差”も消え去りそうに思います。
それでは“差”を語ることができません。
私はずっと『差異』だと思ってましたが、『差位』だったんですね。
つまり、ソシュールの『差異の体系』から抜け出せていなかったという事です。『差位』の意味はまた考え直さないといけません。大きさなのか、レベルなのか難問です。 (2017.04.01 13:56:53)

言語の始まりと民族意識   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『ガラスの仮面』の第7巻を読み終わりました。
ヘレンケラーの物語が終わりましたが、
この物語には、『我が指のオーケストラ』以上の
言語に対する示唆(しさ)があります。

『我が指のオーケストラ』は、これもまた佐藤さんのお勧め本です。
これは、聾唖(ろうあ)教育がテーマです。
「指のオーケストラ」とは「手話」の事です。

今、私の家に生後8ヶ月の孫が来ています。
外国人に日本語を教える場合を考えてください。
外国人は、「モノには名前がある」と言う事を知っています。

日本語は理解出来なくても、
「モノには名前がある」と言う事だけは知っているのです。
しかし生後8ヶ月の私の孫は、
「モノには名前がある」と言う事を知りません。

外国人には、モノを指させばいいだけです。
「山」を指さし、「やま」と発音すればいいのです。
しかし、生後8ヶ月では、「指さす」ことの意味を知りません。

私の孫に、あるモノを指指すと、私の指先を見ています。
私の「人さし指」の、
その「先にあるモノ」を見ようとはしません。
私の孫はまだ、指さすと言う事の意味が理解出来ないのです。

サリバン先生は、
モノに名前があることを、ヘレンに教えようとしました。
私の孫が、モノに名前がある事を知るのはいつか?
それを注意深く観察しなければ、成らないと想います。

シンシアリーさんと辻元清美さん。
彼らの言う事は、正しいと想います。
しかし彼らの言動が、
国家や民族に対する裏切りであることは間違いありません。

事の善し悪しにかかわらず、やはり家族は裏切れません。
これと同じで、民族は裏切れないのです。
彼らは、「言語には名前がある」と知った最初の言語認識の時点で、
自分の国家へのアイデンティティ(自己同一化)を
失敗したのかも知れません。 (2017.04.01 15:49:19)

「神」とは何か?   ともちゃん さん
桜葉さん

『なんだかテーマが壮大にとっ散らかっていますね。
佐藤さんが神様を外して考える姿勢を変えないからです。
(2017.04.01 13:56:53)』

まさに、その通りだと想います。
「神様」と言う言葉を使えば、すべてがスッキリします。
しかし、佐藤さんは「違う」と仰います。

たぶん佐藤さんは、一般的に使用される「神」と言う言葉で
括(く)れる対象では、シックリと来ないのではないかと想います。

よく考えて見ると、桜葉さんの「神」と、私の「神」は、
同じモノか違うモノか?
それは、わかりません。

同一の言葉で、同一の対象を指せるのか?
それは、わかりません。

テレビや時計、ベッドや机。
身近な対象では、「指し示す内容の誤差」は少ないと想います。
しかし「神」と言った漠然としたものでは、
人によってかなり狂いが生じているのではないかと想います。
その狂いが行き着く果てが、
宗教戦争、自爆テロへと発展してゆきます。

私は、佐藤さんのような「神解釈」も、
面白いのではないかと想います。
佐藤さんは、私たちが「神」を定義したとき、
必ず「それは違う」と言います。
そこで私たちは、また別の「神」を提案します。

そして、また「それは違う」と言う答えが返って来ます。
この様な事を繰り返す内に、
自分は本当の神に近づいている。
私は、そんな気持ちで、
このブログに参加させて頂いています。 (2017.04.01 16:19:00)

Re:言語と民族(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん

>アイデンティティの研究という意味で、佐藤さんにはぜひ、
>「シンシアリーさんのその後」を追求して頂きたいですね。

彼のブログは今後も購読しようと思っています。

日本に長期滞在するのは、今回が初めてでしょうから、今後色々と経験なさると思います。イギリス人がアメリカに住むとか、フランス人がスイスのフランス語圏に住むとかと同じようなものですね。


>シンシアリーさんと対照的な人物に、
>政治家の辻元清美さんがおられます。
>彼女は日本人であって、思想的には日本人ではありません。
>ちょうどシンシアリーさんとは、逆の立場だと想います。

ネットでちょっとだけ見てますが、反日日本人というのは彼女だけではないですね。共産主義に染まってしまった人間には、日本のような国に生まれたことが鬱陶しいのでしょう。


>辻元清美さん
>民族・・・・日本人
>言語・・・・日本語

>このお二人を対比することにより
>日本人とは何か?
>民族とは何か?
>と言う問題が浮き彫りにされます。

>そして民族と言語が、どのように関係しているのか?
>それが浮き彫りになるのではないかと想います。

辻元さんの言動をネットで追うこともできますが、あまり生産的でないのでやめておきます。


(2017.04.02 06:52:19)

Re[1]:無の境地(03/27)   CLG2009 さん
桜葉佳代さん
ともちゃんさん

>なんだかテーマが壮大にとっ散らかっていますね。

ここ一年くらい、三人でやってた時は、もっと大変でしたが、最近は私のいいたいことは大分整理されて伝わっているようで安心して読んでます。

>佐藤さんが神様を外して考える姿勢を変えないからです。

そうですね。私はあらゆる「神」という存在は肯定しませんが、それを望む人間の気持ちは認めます。人それぞれ「神」があるはずですが、そこから「ずらして」語ることによって、神の本質が見えてくる気がします。


>人間はよく分からないものを幽霊と呼んだりUFOと呼んだりして分類してます。
>神様はたぶんその親玉なのだと思います。

私もオカルト大好きですから、この表現は好きです。オカルトの親玉ですね。


>また、神様については、個々人がそれぞれ定義している世界が強く、意味において共通認識がなされていません。
>だから科学的検証には神様という単語はNGになります。

ここで西洋の科学者は二者択一を迫られます。神はいるか、いないかのどちらかしか無いのです。私のやり方は、中途半端ですし、ちょっとずるしているかも知れませんが、肯定派も否定派も除外することがありません。


>とはいえ、ビッグバン(リトルバン・天地創造?)の時から続く『進化する記憶』というのは、一神教が語る全知全能の神の記憶と何ら変わることがない。
>だから佐藤さんの試みは神への挑戦です。

リトルバンというのは私の造語で、宇宙は無数の太陽系が生まれてそして死んでいくことを繰り返していると考えています。つまり、リトルバンは我々の太陽系を含む無数の太陽系の誕生のことを指します。ビッグバンとすると、時空間の誕生は一点からですが、リトル版とすることで複数になります。

「神への挑戦」ですか。そうかも知れません。最初に、これに気がついた時、3日くらい悩みに悩みました。研究を続けるべきか、それとも放棄すべきか考えぬいた結果、そう簡単に分かるものでは無いだろうから、取り敢えず行き着くところまで行こうと決めました。今は、自分の限界が見えてきたので、その中でどうしようかあがいているところです。F

ractalemodeさんとはツイッターで議論をしていますが、私の理解を超える議論がなされています。何かそこから生まれることを祈っています。


>私も自分の立場を明確にしたいが故に神様という言葉を使ったけれど控えるべきですね。
>アイデンティティを捨て去って...語り得るのだろうか?
>そこもちょっと引っかかるので…捨て去るのではなく自由に乗り替われればいいのですね。
>千の仮面を持つオバサンになればいいのか。普通には出来なさそうです。
>散らかしているのは私でしょうか?

ここは記憶科学に関する思索であれば、何でも結構です。話題があちこちに飛んでも、私が何とかしますのでご安心ください。


>繋がりの全てを捨て去ると、“差”も消え去りそうに思います。
>それでは“差”を語ることができません。
>私はずっと『差異』だと思ってましたが、『差位』だったんですね。
>つまり、ソシュールの『差異の体系』から抜け出せていなかったという事です。『差位』の意味はまた考え直さないといけません。大きさなのか、レベルなのか難問です。

すいません「差位」というのも私の造語です。

ソシュールの「差異の体系」は私は不十分だと感じているので、それを1つ、いやそれ以上レベルアップさせたものが「差位」です。

「差位」とは、「離散系」、つまり離散的関係によって互いが定義されている(、故に存在する)システムの構成員(構成要素)同士の関係のことをいいますが、構成員を「単位」として見るのではなく、離散的な関係の「差位」として見ようという試みです。

離散系の一番身近な例は、もちろん「言語」です。しかし、これを成立させているのは「個としての人間」です。つまり、言語には単位と差位の両方が混在しているのです。

取り敢えずこんなところです。






(2017.04.02 07:13:26)

Re:言語の始まりと民族意識(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん

>『ガラスの仮面』の第7巻を読み終わりました。
>ヘレンケラーの物語が終わりましたが、
>この物語には、『我が指のオーケストラ』以上の
>言語に対する示唆(しさ)があります。

三重苦となったヘレンも、物に名前があることは知っていた。これは大きいですね。

誤解のないように付け加えておきますが、聾と盲で生まれてきても触覚があれば、世界に名前があることを知ることはできます。つまり、教育で十分にカバーできます。


>私の孫に、あるモノを指指すと、私の指先を見ています。
>私の「人さし指」の、
>その「先にあるモノ」を見ようとはしません。
>私の孫はまだ、指さすと言う事の意味が理解出来ないのです。

お孫さんが、初めて指の先を観る時の表情はどんなでしょうか。それは、言語人間への扉を開いたところです。

五十嵐大介さんの「ディザインズ」に、人間の様な単語の発音はできるが、脳自体は猿のままという個体が出てきます。この個体が、この作品の中で言葉を獲得することが出来るのなら、五十嵐さんがどのように表現なさるかどうか今から興味津々です。(最後まで話さないかも知れませんが)


>シンシアリーさんと辻元清美さん。
>彼らの言う事は、正しいと想います。
>しかし彼らの言動が、
>国家や民族に対する裏切りであることは間違いありません。

日本という国家は、非常に長い歴史がありますが、朝鮮に関しては、属国としての歴史しかありません。日清戦争で、折角「独立」できたのに、結局自滅して日本に併合され、36年の「世界最悪の植民地支配」を通して、教育も受け、インフラも整備され、衛生観念もある程度身につけましたが、日本から抜け出た後、70年経ってまた元に戻ろうとしているところです。

辻元さんは、非常に大きく打たれ強い日本という敵と戦っていますが、シンシアリーさんは、嘘と見栄で成り立っている国を見限りました。この二人の対比は確かに面白いです。

シンシアリーさんは、将来日本に帰化する可能性も否定していません。本当にそこまで行くのか行かないのか、それは今後の彼の日本での実生活にかかっています。


>事の善し悪しにかかわらず、やはり家族は裏切れません。
>これと同じで、民族は裏切れないのです。
>彼らは、「言語には名前がある」と知った最初の言語認識の時点で、
>自分の国家へのアイデンティティ(自己同一化)を
>失敗したのかも知れません。

家族と民族の結びつきは仰る通り強いと思います。しかし、支那人のようにあくまで家族を優先させる民族もいることはお忘れなく。「華人」というアイデンティティーは、日本人が日本人であるというものとは全く異質だと思っています。一種の血によって結びついた宗教的な要素があります。宗教というか呪術でしょう。日本人が、気持ちを大事にするのとは偉い違いです。彼らの神様は、なんと言っても「お金」ですから。

私も、若い頃は「左翼」っぽく振る舞うことがかっこいいと感じていた時期があります。しかし、小さい頃に日本の神話を読んでいてよかったと思います。しかも、母方は神道の家です。祖父のお葬式は神式でした。五十日祭を経て、祖父は「神様」になりました。

二人共、あそこまで自分が本来あるべき「生まれながら」のアイデンティティーから外れて行動するのは珍しいと思います。私は紆余曲折ありましたが、元のアイデンティティーに戻ることが出来ました。どちらも一種の悲劇ですね。辻元さんは、今後何処に魂の安らぎを得るのでしょうか。私が心配することではないですが、ちょっと気になります。また、ピースボートに乗り直すのでしょうか。 (2017.04.02 07:48:11)

Re:「神」とは何か?(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん

>『なんだかテーマが壮大にとっ散らかっていますね。
>佐藤さんが神様を外して考える姿勢を変えないからです。
>(2017.04.01 13:56:53)』

>まさに、その通りだと想います。
>「神様」と言う言葉を使えば、すべてがスッキリします。
>しかし、佐藤さんは「違う」と仰います。

>たぶん佐藤さんは、一般的に使用される「神」と言う言葉で
>括(く)れる対象では、シックリと来ないのではないかと想います。

言葉は便利ですが、自分と相手が同じものを概念として持っているかどうかはわかりません。それを確かめることは可能ですが、かなりの労力を要しますし、違うとわかったところで歩み寄りはできません。意味というのはあくまで最大公約数でしか無いということです。


>テレビや時計、ベッドや机。
>身近な対象では、「指し示す内容の誤差」は少ないと想います。
>しかし「神」と言った漠然としたものでは、
>人によってかなり狂いが生じているのではないかと想います。
>その狂いが行き着く果てが、
>宗教戦争、自爆テロへと発展してゆきます。

仰る通り、1つのボタンの掛け違いが、今風で言うなら「一匹の蝶々の羽ばたきが」、大惨事を招くこともあります。言葉というのは怖いものです。


>私は、佐藤さんのような「神解釈」も、
>面白いのではないかと想います。
>佐藤さんは、私たちが「神」を定義したとき、
>必ず「それは違う」と言います。
>そこで私たちは、また別の「神」を提案します。

>そして、また「それは違う」と言う答えが返って来ます。
>この様な事を繰り返す内に、
>自分は本当の神に近づいている。
>私は、そんな気持ちで、
>このブログに参加させて頂いています。

私は、「本当の神」に近づきたい、知りたいと思っているのかもしれません。しかし私は、宗教という迷路に入り込むことを拒みました。あくまで科学という王道をいきたいと思ったのです。それが、人類の唯一の救いではないのかと思ったかどうかは、よく覚えていませんが、「進化する記憶」を授かった人間の一人として、行き着くところまで行こうと思ってはいます。



(2017.04.02 08:02:31)

科学と宗教の統一   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『Fractalemodeさんとはツイッターで議論をしていますが、私の理解を超える議論がなされています。
何かそこから生まれることを祈っています。
(2017.04.02 07:13:26)』

佐藤さんはFractalemodeさんと議論されているのですか?
どこで議論されているのか、教えて頂けませんか。

『私は、「本当の神」に近づきたい、
知りたいと思っているのかもしれません。
しかし私は、宗教という迷路に入り込むことを拒みました。
あくまで科学という王道をいきたいと思ったのです。
(2017.04.02 08:02:31)』

佐藤さんは、「科学と言う王道」と書いておられます。
しかし、佐藤さんの「科学」は、
我々が一般に定義する科学とは、全然別のモノです。

まず、「科学の定義」からでしょうね。
佐藤さんの「科学の定義」を正確に知らなければ、
ボタンの掛け違いになって、迷路へ迷い込みます。

統一教会。
この「統一」の意味は
「科学」と「宗教」を統一した教えと言う意味なのです。

私は「統一原理」を学ぶ為に、
「科学と宗教の関係」を徹底的に考えました。
佐藤さんの考え方を理解する為にも、
「科学と宗教の関係」がどんなモノであるのか。
それを追求する必要がありますね。
(2017.04.02 12:05:04)

Re:科学と宗教の統一(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん


>佐藤さんはFractalemodeさんと議論されているのですか?
>どこで議論されているのか、教えて頂けませんか。

https://twitter.com/fractaleman74

これで検索すれば、閲覧だけはできます。ここに登場する「速度有りの作用反作用の法則」さんは、どうやら千田さんのようです。


>佐藤さんは、「科学と言う王道」と書いておられます。
>しかし、佐藤さんの「科学」は、
>我々が一般に定義する科学とは、全然別のモノです。

>まず、「科学の定義」からでしょうね。
>佐藤さんの「科学の定義」を正確に知らなければ、
>ボタンの掛け違いになって、迷路へ迷い込みます。

科学と宗教のどちらかを取るかと迫られて私は「科学」を取りました。

しかし仰るように私の「科学」の定義は、今の科学の枠を超えてしまっています。しかし、何としてでも科学に片足を突っ込んでおきたい、そんな気持ちです。


>統一教会。
>この「統一」の意味は
>「科学」と「宗教」を統一した教えと言う意味なのです。

それは知りませんでした。そういう意味があったんですね。


>私は「統一原理」を学ぶ為に、
>「科学と宗教の関係」を徹底的に考えました。
>佐藤さんの考え方を理解する為にも、
>「科学と宗教の関係」がどんなモノであるのか。
>それを追求する必要がありますね。

欧米では、科学者たちが科学の持つ限界を意識始めています。しかし、そうだからと言って、それに代わるものが見つかったわけではありません。ただ、限界を知り、それを公言する人たちが増えたというだけです。

私は、単位から差位へ移行することができれば、何か変わると思うのですが、そう簡単ではなさそうですね。 (2017.04.02 17:58:42)

簿記計算   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

https://twitter.com/fractaleman74
このブログを見ているのですが、
佐藤さんのコメントは見あたらないですね。
千田さんも、投稿されているのですか?
皆さん、「作用反作用」がお好きですね。

昨日の飲み代は、俺が出した。
今日は、お前が出せ。
こう言う金銭感覚は、日常的にはドンブリ勘定です。

しかし、銀行や企業の経理では、
1円単位までキチッと出します。
経理では四則計算(+-×÷)までしか使いません。
ルートの計算や微分積分を、
会社の経理で使うことはありません。

しかし天文学の計算も、簿記の計算も本質は同じですね。
「1+1=2」の世界です。
ドンブリ計算では、ロケットは飛ばせません。

佐藤さんは、こう言う簿記的な世界を超えたところで、
科学のスキーマチェンジ(大革命)を起こすつもりなのでしょうね。

私もFractalemodeさんのブログに参加したいのですが、
もう少し数学の勉強をしてからですね。
今の自分では、また迷路です。

佐藤さんとFractalemodeさんが、
どう言う討論をされているのか?
少し興味がありますね。 (2017.04.02 23:06:59)

Re[27]:非欧州系移民は本当にフランス人になれるか。。。(03/27)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさん
桜葉さん

> <small> <a href=" https://twitter.com/fractaleman74" ; target="_blank"> https://twitter.com/fractaleman74< ;/a></small>
>このブログを見ているのですが、
>佐藤さんのコメントは見あたらないですね。
>千田さんも、投稿されているのですか?
>皆さん、「作用反作用」がお好きですね。

投稿の下にアイコンが3つありますが、その一番左に数字が付いている場合、私か誰かが返信したという事です。アイコンをクリックすると返信メッセージが開きます。


>佐藤さんは、こう言う簿記的な世界を超えたところで、
>科学のスキーマチェンジ(大革命)を起こすつもりなのでしょうね。

そうかもしれません。


>佐藤さんとFractalemodeさんが、
>どう言う討論をされているのか?
>少し興味がありますね。

fractalemode さんの投稿は非常に多いですが、私の返信は一部に対してです。数式が出て来る投稿には、私はノーコメントです。 (2017.04.03 01:20:17)

メモと発散   ともちゃん さん
佐藤さん

このブログのFractalemodeさんの文章は
短くて読みにくいでしょう。
同じ事を、何度もつぶやいておられるような気がします。

たぶんこれは、「メモ書き」のようなモノだと想います。
あるいは、自分の心の中の何かを、
発散されているのでしょうね。
他人に読ませる為に書いておられるのではないと思います。

たぶんFractalemodeさんの頭の中は、
まだ、まとまっていないのだとおもいます。
1冊の完成された本となった時に、読んでみたいですね。 (2017.04.03 14:37:13)

演劇と憑依   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『ガラスの仮面』第11巻が終わりました。
この巻でマヤは、『通り雨』と言う一人芝居をやりました。
マヤが演技を始めると、髪の毛をいじる癖(くせ)が出てきます。

本来のマヤには、そんな癖はありません。
周りの者は、ゾッとしながら、
髪の毛を弄(もてあそ)ぶマヤの姿をみています。
これは、どう見ても何者かが憑依(ひょうい)しています。

第8巻の解説は、作家の林真理子です。
彼女はマヤの驚異的な記憶力に関して
次のように記(しる)しています。
「マヤの場合は、暗記力と言うより憑依(ひょうい)なのである」
彼女には、女優の友人も多いのですが、
マヤのような暗記力はあり得ないと、口をそろえて言うそうです。

『ガラスの仮面』を見ていると、演技と
憑依(ひょうい)の境界(きょうかい)がわからなく成ります。
こういう所を佐藤さんは、
「人間の視点」を外す事が美内さんはうまい。
この様に表現されているのだと想います。

統一教会でも、よく憑依現象が起こります。
私が立ち会ったのは、祈りの時でした。
統一教会の祈りは、みんなが、
いっせいに祈るわけではありません。
それぞれの都合に合わせて、祈りの部屋にやって来ます。

「おとうさま・おとうさま」と祈る女性の声は、艶(なま)めかしく、
今でも心の底で響(ひび)いています。

祈りが終わっても立ち上がらない女性がいます。
どうしたのかと近寄って見ますと、彼女が語り出すのです。

私は、シナイの荒野を彷徨(さまよ)っている。
おなかがすいた。何か食べさせてほしい。
彼女は、こんな事を言っていました。

シナイとは、
モーセが40年間彷徨(さまよ)い歩いたシナイ半島の事です。
大変な者が憑依して来たと、その時は皆が驚きました。
しかし、今にして想えば、あれはマヤの憑依現象と何ら変わりません。

統一教会の人間は、ほとんどの人が、何らかの形で憑依されています。
何度も言います。しかし私は、霊能者ではありません。
だから、霊など見えないのです。

そう言う私から見た場合、憑依現象もマヤの演技もどちらも同じです。
ただ、彼女をよく知っている私にすると、
そんな所で演技をする必然性など、彼女には全くありません。

佐藤さんの遊離人格も、
「何らか」に憑依された状態ではないかと想います。
憑依と演技に、境界はありません。
ただ演技の場合は、劇が終わったとき、すぐに元に戻ります。

宗教的な憑依現象は劇が終わっても終わらないのです。
佐藤さんも、ご自分をそのような存在と規定された場合、
今まで見えなかった
いろんなモノが見えて来るのではないかと想います。
(2017.04.03 19:18:14)

Re:メモと発散(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん


>このブログのFractalemodeさんの文章は
>短くて読みにくいでしょう。
>同じ事を、何度もつぶやいておられるような気がします。

>たぶんこれは、「メモ書き」のようなモノだと想います。
>あるいは、自分の心の中の何かを、
>発散されているのでしょうね。
>他人に読ませる為に書いておられるのではないと思います。

その通りですね。日本語でのつぶやきは、英語やフランス語と違って3倍位の情報量を盛り込むことができますが、それでも字数は限られます。その中で、思いついたことをどんどんとつぶやいて発散していると本人もおっしゃっていたと思います。それをFractalemodeさんは、離散化と呼んでいるようです。


>たぶんFractalemodeさんの頭の中は、
>まだ、まとまっていないのだとおもいます。
>1冊の完成された本となった時に、読んでみたいですね。

私も楽しみにしています。 (2017.04.03 22:16:01)

Re:演劇と憑依(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん

>『ガラスの仮面』第11巻が終わりました。
>この巻でマヤは、『通り雨』と言う一人芝居をやりました。
>マヤが演技を始めると、髪の毛をいじる癖(くせ)が出てきます。

通り雨はよく覚えています。かばんを叩いてお茶を拒否した演出をしてみせるマヤが印象的でした。

>統一教会でも、よく憑依現象が起こります。
>私が立ち会ったのは、祈りの時でした。
>統一教会の祈りは、みんなが、
>いっせいに祈るわけではありません。
>それぞれの都合に合わせて、祈りの部屋にやって来ます。

私は、本当に霊能力のある人は別にして、普通の人は憑依ではなく、自分自身の分身を生み出しているのだと思います。

人間のアイデンティティーは、1つの決まったものではありません。何らかのきっかけで全く違う自分を手に入れる人もいます。最初に学ぶ言語によっても変わります。


>そう言う私から見た場合、憑依現象もマヤの演技もどちらも同じです。
>ただ、彼女をよく知っている私にすると、
>そんな所で演技をする必然性など、彼女には全くありません。

シナリオを無意識に作っているのだと思います。一種の多重人格ではないでしょうか。


>佐藤さんの遊離人格も、
>「何らか」に憑依された状態ではないかと想います。
>憑依と演技に、境界はありません。
>ただ演技の場合は、劇が終わったとき、すぐに元に戻ります。

自分の場合、どんなきっかけで人格が分裂するのはわかりません。言語が重要な役割を持っていることは確かですが。


>宗教的な憑依現象は劇が終わっても終わらないのです。
>佐藤さんも、ご自分をそのような存在と規定された場合、
>今まで見えなかった
>いろんなモノが見えて来るのではないかと想います。

人生は1つの劇場なのかも知れません。私も含めて幕が閉じるまで演じ続けなくてはいけないということでしょうか。 (2017.04.04 07:27:39)

Re[1]:メモと発散(03/27)   桜葉佳代 さん
佐藤さん ともちゃんさん

>思いついたことをどんどんとつぶやいて発散していると本人もおっしゃっていたと思います。それをFractalemodeさんは、離散化と呼んでいるようです。


ここで『離散化』は凝固させる作用を見せるのですね?

『差異の体系』を調べているときに『分節化』という言葉が多く見られました。
『分節化』は人間が行うことで、自発的に起こる作用ではなさそうですし、凝固することもなさそうです。
凝固するから進化も可能になるのかしら?
『離散化』の特徴を一つ見た気がします。
『差位』はまだ見つかりません。 (2017.04.04 10:39:47)

宗教的な洗脳   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『私は、本当に霊能力のある人は別にして、
普通の人は憑依ではなく、
自分自身の分身を生み出しているのだと思います。

人間のアイデンティティーは、1つの決まったものではありません。
何らかのきっかけで全く違う自分を手に入れる人もいます。
最初に学ぶ言語によっても変わります。

シナリオを無意識に作っているのだと思います。
一種の多重人格ではないでしょうか。

自分の場合、どんなきっかけで人格が分裂するのはわかりません。
言語が重要な役割を持っていることは確かですが。

人生は1つの劇場なのかも知れません。
私も含めて
幕が閉じるまで演じ続けなくてはいけないということでしょうか。
(2017.04.04 07:27:39)』

この辺の考え方は、私と同じですね。

麻薬で身を持ち崩す人がいます。
裁判では反省するのですが、また同じ事をやってしまいます。
何事によらず、一度、洗脳されると脱出は不可能に近いのです。

宗教もこれと同じです。
一度洗脳されると、なかなか抜け切れないのです。
マルクスは、宗教は麻薬だと言いました。
今更ながら、うまいことを言ったモノだと想います。

私は、麻薬の経験はありません。
しかし、ギャンブル依存症の経験があります。
親からの仕送りを、すべてパチンコに使ってしまうのです。

それから喫煙。
タバコを簡単にやめられる人がいます。
しかし、私は死ぬほどの苦しみでした。

今は、パチンコもタバコもやりません。
私は、洗脳から抜け出す事が出来ました。
私は、洗脳に打ち勝った偉大な人間です。

Fractalemodeさんは、頭で考えているだけです。
だから心のメカニズムが理解出来ないのです。

微妙な違いが理解出来ずに、すべてをデジタル的に
「離散化(差異化)」して、
数学的に処理されているのだと想います。

Fractalemodeさんの、佐藤さんに対する分析力は
鋭い切れ味を示していました。
しかし、自分自身の事に関してはサッパリです。
私も、他人の事は正確に認識出来ます。
しかし、自分の事は理解出来ません。

自己反省の為に、私はこのブログを読み返しています。
自分にとって、このブログを読み返す事は、
ある種の宗教的な修行です。
(2017.04.04 11:20:19)

離散的なメッシュ   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『デジタルデータで扱うのは均質なメッシュによる
離散化データだと思いますし、数字は固定化された単位表現です。
(2017.03.30 14:39:34)』

これが数学で言う「離散化」でしょうね。

『記憶が「差異」から始まるのであれば、
扱われる対象ごとにものさしが変わるということ。
記憶が形成するメッシュは均質な編み目ではありえない。
(2017.03.30 14:39:34)』

下が佐藤さんの仰る「言語学的な離散化」でしょうね。
私は上の数学的な「離散化」しか理解出来ないのです。
だから、佐藤さんの文章に「離散化」と言う言葉が出てくると、
私は頭の中で「デジタル化」と言う言葉に翻訳しています。

自分の頭では、
「均質な編み目ではありえないメッシュ(格子)」。
これが、なかなか理解しづらいのです。

「差異」も「差位」も、
私には、数学的にしか理解出来ません。

ハラに落ちると言うか、ストンと入って来ると言うか、
つまり体験的に理解できないのです。
なにか、いいヒントはありませんか?
よろしく、お願いいたします。
(2017.04.04 12:13:38)

Re:離散的なメッシュ(03/27)   桜葉佳代 さん
ともちゃんさん 佐藤さん


>下が佐藤さんの仰る「言語学的な離散化」でしょうね。
>私は上の数学的な「離散化」しか理解出来ないのです。
>だから、佐藤さんの文章に「離散化」と言う言葉が出てくると、
>私は頭の中で「デジタル化」と言う言葉に翻訳しています。

>自分の頭では、
>「均質な編み目ではありえないメッシュ(格子)」。
>これが、なかなか理解しづらいのです。

>「差異」も「差位」も、
>私には、数学的にしか理解出来ません。


均質ではないメッシュをイメージする数学的な考え方は『集合』かもしれないと思ってます。
Aの仲間、Bの仲間、AかつBとか、分けたり繋いだり。
佐藤さんいかがでしょうか? (2017.04.04 12:25:59)

Re[2]:メモと発散(03/27)   CLG2009 さん
桜葉佳代さん
ともちゃんさん


>ここで『離散化』は凝固させる作用を見せるのですね?

少なくともFractalemodeさんはそのように使っていると思います。


>『差異の体系』を調べているときに『分節化』という言葉が多く見られました。
>『分節化』は人間が行うことで、自発的に起こる作用ではなさそうですし、凝固することもなさそうです。
>凝固するから進化も可能になるのかしら?
>『離散化』の特徴を一つ見た気がします。
>『差位』はまだ見つかりません。

人間の使う言語をフランス語でよく「Le langage articule(最後のeにアクセント有り)」といいます。つまり「分節化」された言語ということです。

これが、言語が分節化されていて、それを人間が高度な知性をつかって操るのか、人間に分節化の能力がある音で言語が生まれるのか、はっきりとはしていません。

この分節化というのを私は離散化という言葉で置き変えます。そして、人間の意識の離散化が言語を作るという発想をしています。人間は、この世界を言語を使ってカテゴリー化することで認識しています。

凝固といっても、また融解することはあるでしょう。化石化しまわない限り、まだ自由度があります。書記されたものは化石化の第一歩ですが、そこから新しい発想が生まれることもありますから、断言はできません。

私は「差位」のことを昔、「離散化力」と呼んでいました。この場合の力関係は相対的ではありません。ちょっと前に話題になりましたが、二人称的だということです。つまり、どちらも主体に、そして客体になれる関係です。私の中でもまだ固まっていない概念なので、今はこれくらいです。




(2017.04.04 20:56:24)

Re[1]:離散的なメッシュ(03/27)   CLG2009 さん
桜葉佳代さん
ともちゃんさん


>均質ではないメッシュをイメージする数学的な考え方は『集合』かもしれないと思ってます。
>Aの仲間、Bの仲間、AかつBとか、分けたり繋いだり。
>佐藤さんいかがでしょうか?

離散的なメッシュですが、私は平面的はネットではなくて、折り紙でよく作られる球状の多面体のようなイメージがあります。

アメリカのエプコットセンターにある球状の建物です。エプコットセンターで検索すれば直ぐに出てきます。これなら、どこが中心ということはありませんし、理論的には無限にその表面は離散化できます。

集合という考えもあっていると思いますが、これは一旦メッシュが「凝固」した場合に使える概念でしょう。例えば、音韻体系の音素は集合で整理が出来ると思います。
(2017.04.04 21:02:38)

Re:宗教的な洗脳(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん


>この辺の考え方は、私と同じですね。

基本的なところで共感がもてるというのは安心できます。


>今は、パチンコもタバコもやりません。
>私は、洗脳から抜け出す事が出来ました。
>私は、洗脳に打ち勝った偉大な人間です。

タバコを吸わない新しいともちゃんさんに乗り換えたということでしょうか。


>Fractalemodeさんは、頭で考えているだけです。
>だから心のメカニズムが理解出来ないのです。

>微妙な違いが理解出来ずに、すべてをデジタル的に
>「離散化(差異化)」して、
>数学的に処理されているのだと想います。

確かに、直ぐに等式を出してきて、これとこれは同じものだと言い切ってしまうところは見ていてハラハラさせられます。


>Fractalemodeさんの、佐藤さんに対する分析力は
>鋭い切れ味を示していました。
>しかし、自分自身の事に関してはサッパリです。
>私も、他人の事は正確に認識出来ます。
>しかし、自分の事は理解出来ません。

Fractalemodeさんは、今深い思索に入ったと思います。多分ですが、今、千田さんと大議論中ですが、その反応がまるでFractalemodeさんの議論に対して私がやっていた反応のようで、見ていてドキッとします。


>自己反省の為に、私はこのブログを読み返しています。
>自分にとって、このブログを読み返す事は、
>ある種の宗教的な修行です。

少なくとも、ともちゃんさんには有益なブログになったようで嬉しいです。それ以上は、期待しないでこれからも続けたいと思っています。


(2017.04.04 21:08:47)

Re:離散的なメッシュ(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん


>下が佐藤さんの仰る「言語学的な離散化」でしょうね。
>私は上の数学的な「離散化」しか理解出来ないのです。
>だから、佐藤さんの文章に「離散化」と言う言葉が出てくると、
>私は頭の中で「デジタル化」と言う言葉に翻訳しています。

離散化というのは、サイクルです。このブログでお馴染みの「離散融合更新循環」のことです。記憶が発生するということは即、記憶が進化するということになります。だから離散化というのはダイナミックな動きのことです。

>自分の頭では、
>「均質な編み目ではありえないメッシュ(格子)」。
>これが、なかなか理解しづらいのです。

これに関しては、桜葉さんのコメントにコメントしました。


>「差異」も「差位」も、
>私には、数学的にしか理解出来ません。

差異というのは、人間が観察して得られる結果。差位というのは、記憶の視点でその「差異」を捉えるということです。

よけいわかりにくいでしょうか。
(2017.04.04 21:14:07)

同一の文体   ともちゃん さん
佐藤さん

『Fractalemodeさんは、今深い思索に入ったと思います。
多分ですが、今、千田さんと大議論中ですが、
その反応がまるでFractalemodeさんの議論に対して
私がやっていた反応のようで、見ていてドキッとします。
(2017.04.04 21:08:47)』

ここだけの話ですが、
Fractalemodeさんと、千田さんは同一人物でしょう。
文体が、そっくりですよ。 (2017.04.05 00:39:08)

集合と格子(メッシュ)   ともちゃん さん
桜葉さん

『均質ではないメッシュをイメージする数学的な考え方は
『集合』かもしれないと思ってます。
Aの仲間、Bの仲間、AかつBとか、分けたり繋いだり。
佐藤さんいかがでしょうか? (2017.04.04 12:25:59)

「集合」と聞いてなるほどと想いました。
佐藤さんは、また別のお考えの様ですが、
私は「集合」でイメージが膨(ふく)らみます。
ありがとうございました。 (2017.04.05 00:50:47)

Re:同一の文体(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん

>ここだけの話ですが、
>Fractalemodeさんと、千田さんは同一人物でしょう。
>文体が、そっくりですよ。

そうだったら凄いですね。
(2017.04.05 06:05:33)

Re:集合と格子(メッシュ)(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん

>『均質ではないメッシュをイメージする数学的な考え方は
>『集合』かもしれないと思ってます。
>Aの仲間、Bの仲間、AかつBとか、分けたり繋いだり。
>佐藤さんいかがでしょうか? (2017.04.04 12:25:59)

>「集合」と聞いてなるほどと想いました。
>佐藤さんは、また別のお考えの様ですが、
>私は「集合」でイメージが膨(ふく)らみます。
>ありがとうございました。
-----

メッシュというのは、内部に境界線がめぐらされているという意味ですが、平面モデルは使えそうにないので別の概念が必要そうですね。平面モデルだと始めにメッシュがあるというイメージですが、集合という形にすると、中に入る要素で形が変わるというイメージだと思います。


(2017.04.05 06:12:37)

サタンの正体   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『そうだったら凄いですね。
(2017.04.05 06:05:33)』

千田さんは、何でも知っています。
サタン(悪魔)の正体も知っていました。

サタンとは本来、神様の部下の大天使のルシフェルです。
天狗になって地獄に落ちて地獄の王になりました。

統一教会で『堕落論』を聞いていると、
この「神様」が憑依(ひょうい)してきます。
特に女性が、これにやられます。
私の彼女も、これにやられていました。

『エホバの証人』『モルモン教』など
いろんなキリスト教系の教会があります。
しかし誰も、ルシフェルの正体は知りません。
千田さんは、いったい何者なのでしょう? (2017.04.05 12:31:31)

メッシュのイメージ   ともちゃん さん
佐藤さん 桜葉さん

『メッシュというのは、
内部に境界線がめぐらされているという意味ですが、
平面モデルは使えそうにないので
別の概念が必要そうですね。
平面モデルだと始めにメッシュがあるというイメージですが、集合という形にすると、
中に入る要素で形が変わるというイメージだと思います。
(2017.04.05 06:12:37)』

なるほど、そうですか。
桜葉さんの「メッシュモデル」を、佐藤さんが修正する。
こう言う「修正」を重ねながら、
イメージが形をなして来るんでしょうね。

桜葉さんが、小さな石ころを投げ込んで、波紋が広がって来た。
そんな感じがしています。
(2017.04.05 12:42:35)

Re:メッシュのイメージ(03/27)   CLG2009 さん
ともちゃんさん
桜葉さん

>なるほど、そうですか。
>桜葉さんの「メッシュモデル」を、佐藤さんが修正する。
>こう言う「修正」を重ねながら、
>イメージが形をなして来るんでしょうね。

>桜葉さんが、小さな石ころを投げ込んで、波紋が広がって来た。
>そんな感じがしています。

このブログはそのために作りました。

自分一人では直ぐに煮詰まってしまって何も新しい発想が出ない時に、他者の視点を借りることによってスランプから抜け出すことができます。

記憶を進化させるために一番早いのは、言語という媒体を通して、記憶の交換をすることのようです。インターネット社会になり、所謂情報が錯綜するようになりましたが、記憶にとっては水を得た魚のようなものなのかも知れません。

ただ、記憶の進化の目的は、より良い人間社会の実現ではありません。そこを見誤ってはいけません。インターネットはあくまで記憶のためであって、人間がその恩恵を受けることもあるが、不利益を被ることもありえます。どちらにしろインターネットの登場は不可避だったと思います。その先に、もっと「進化した」情報伝達の方法が開発されるのかも知れません。それが起こったらそれこそ「記憶革命」です。今では、ツイッター等でかなり情報の発信と受信の間隔と距離が縮まって来ていますが、自ずと限界があります。これに変わる新しい情報デバイスとネットワークの開発は、今後の人類の課題になると思います。






(2017.04.05 20:20:23)


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