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今、私の課題となっているのは、認知の起源である。
認知は、一朝一夕に生まれたわけではない。先ず、時空間を生んだ物質的自己同一性が進化して生物的自己同一性が生まれるのだが、この2つ目の生物的自己同一性の誕生と同時に、認知的自己同一が生まれ、進化を始めることになる。 生物的自己同一性というのは、物質的自己同一性の延長線上にある。生命体はあくまで物質であるからである。しかし、生物的自己同一性が成立したと同時に、新しい次元の自己同一性の進化である認知的自己同一性が成立し、生物的自己同一性と並行して進化を始め、その後、言語的自己同一性の誕生へとつながっていく。 物質的自己同一性には、自己が選択的に外界に対して行動を起こすことがない。物質同士に働く「力(離散融合更新循環)」によって全ての相互作用が決まる。ただ、それは全くランダムなわけではなく、例えば太陽系というシステムを生み出し、それを構成する天体の一つである地球という惑星において生物的自己同一性が誕生することになる。 物質的自己同一性は、物理的な相手が存在することで、自分の存在を確かめることができる。ところが、その相手によって自らの物理化学的な構成が変わってしまい、その自己同一性は流動的であり、一定していない。 これに対して生物的自己同一性は、遺伝子によって定義された自己同一性を継続的に更新することで成立している。原子や分子ではなく、有機体としての自己同一性をもっているということになるのだが、それまでの物質的自己同一性では、原子や分子のレベルで自己と他己の境界線が引かれていたのが、生物的自己同一性となると、有機体としての境界線が生じるということである。 では、自己と非自己の境界線ができるということの意味はなんなのだろうか。 物質的自己同一性で、原子や分子が境界線を形成するのは、特に原子が自己同一性を更新しながら、同じ姿を維持しているからである。生物的自己同一性では、この自己同一性の更新が有機体の中で行われることになる。 問題は、この有機体が自己と非自己にどう離散分裂するかということであるが、その一つが細胞分裂であろう。単細胞生物の場合、分裂すると2つの個体になる。 一つの個体は、もう一つの個体を認知しているのだろうか。単細胞生物の場合は、生殖のために異性を探す必要もないし、多細胞生物のように、自分と同じ遺伝子を持つものを自己の延長として認識し、免疫を適用しないという必要もない。しかし、同じ遺伝子を共有し、細胞分裂によって生まれた個体同士には何らかの親和性があるのだと思う。そして、この親和性があることが、多細胞生物になったときに、別の細胞、つまり別の個である細胞に対して、攻撃を加えることなく自己とみなすことができるのだろう。 そして同時に、自分とは違う物体を、「非自己」あるいは「他己」と認識できるようになるはずである。この場合、自分とは違うというだけでなく、どのように違うかを判断するかである。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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