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言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

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《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和二年で満54歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


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2019.07.27
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カテゴリ:カテゴリ未分類
今、私の課題となっているのは、認知の起源である。

認知は、一朝一夕に生まれたわけではない。先ず、時空間を生んだ物質的自己同一性が進化して生物的自己同一性が生まれるのだが、この2つ目の生物的自己同一性の誕生と同時に、認知的自己同一が生まれ、進化を始めることになる。

生物的自己同一性というのは、物質的自己同一性の延長線上にある。生命体はあくまで物質であるからである。しかし、生物的自己同一性が成立したと同時に、新しい次元の自己同一性の進化である認知的自己同一性が成立し、生物的自己同一性と並行して進化を始め、その後、言語的自己同一性の誕生へとつながっていく。

物質的自己同一性には、自己が選択的に外界に対して行動を起こすことがない。物質同士に働く「力(離散融合更新循環)」によって全ての相互作用が決まる。ただ、それは全くランダムなわけではなく、例えば太陽系というシステムを生み出し、それを構成する天体の一つである地球という惑星において生物的自己同一性が誕生することになる。

物質的自己同一性は、物理的な相手が存在することで、自分の存在を確かめることができる。ところが、その相手によって自らの物理化学的な構成が変わってしまい、その自己同一性は流動的であり、一定していない。

これに対して生物的自己同一性は、遺伝子によって定義された自己同一性を継続的に更新することで成立している。原子や分子ではなく、有機体としての自己同一性をもっているということになるのだが、それまでの物質的自己同一性では、原子や分子のレベルで自己と他己の境界線が引かれていたのが、生物的自己同一性となると、有機体としての境界線が生じるということである。

では、自己と非自己の境界線ができるということの意味はなんなのだろうか。

物質的自己同一性で、原子や分子が境界線を形成するのは、特に原子が自己同一性を更新しながら、同じ姿を維持しているからである。生物的自己同一性では、この自己同一性の更新が有機体の中で行われることになる。

問題は、この有機体が自己と非自己にどう離散分裂するかということであるが、その一つが細胞分裂であろう。単細胞生物の場合、分裂すると2つの個体になる。

一つの個体は、もう一つの個体を認知しているのだろうか。単細胞生物の場合は、生殖のために異性を探す必要もないし、多細胞生物のように、自分と同じ遺伝子を持つものを自己の延長として認識し、免疫を適用しないという必要もない。しかし、同じ遺伝子を共有し、細胞分裂によって生まれた個体同士には何らかの親和性があるのだと思う。そして、この親和性があることが、多細胞生物になったときに、別の細胞、つまり別の個である細胞に対して、攻撃を加えることなく自己とみなすことができるのだろう。

そして同時に、自分とは違う物体を、「非自己」あるいは「他己」と認識できるようになるはずである。この場合、自分とは違うというだけでなく、どのように違うかを判断するかである。


(続く)





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Last updated  2019.07.27 01:36:32
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Re:何故、生命体は動くのか、認知の起源は何か。。。(07/27)   ともちゃん さん
佐藤さん

『認知は、一朝一夕に生まれたわけではない。
先ず、時空間を生んだ物質的自己同一性が進化して
生物的自己同一性が生まれるのだが、
この2つ目の生物的自己同一性の誕生と同時に、
認知的自己同一が生まれ、進化を始めることになる』

佐藤さんは、誰でも分る簡単な話を、
抽象的で難しい言葉に置き換えてしまっているのではありませんか?
「生物的自己同一性が生まれる」は、
「最初の単細胞生物が生れた」で良いと思います。
この様に書いておけば、普通に知識がある人なら、誰にでも理解できます。
(2019.07.28 02:07:30)

Re:何故、生命体は動くのか、認知の起源は何か。。。(07/27)   ともちゃん さん
佐藤さん

『2つ目の生物的自己同一性の誕生』

この文章は、マズい文章です。
「2つめの」と言うからには「1つめの」があるはずです。
読者は、「1つ目の生物的自己同一性の誕生」とは何だろうかと、
佐藤さんの文章を、頭を捻って読み直します。

しかし、そんなモノは、何処にも存在しません。
なぜならな、「1つめの誕生」は、ビッグバンで物質が誕生したことです。
そして、「2つめの誕生」が、
「単細胞生物」つまり最初の生物の誕生です。

そして、生物の誕生と同時に「認知」が生れるのです。
佐藤さんの文章から、その事を読み取れる人は、
おそらく存在しないとおもいます。

これは、「視点をずらす」と言う様な事ではなく、
ただ単に、佐藤さんには文章が書けないと言うレベルの
話ではないかとおもいます。

右翼思想を書くように、
もっと自由な気持ちで書かれてはいかがなモノでしょうか。
そうすれば、もっと分かりやすい文章になると思うのですが・・・。



(2019.07.28 02:25:50)

Re[1]:何故、生命体は動くのか、認知の起源は何か。。。(07/27)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

これは、もう少し推敲して投稿しようと思ったのですが、ちょっと詰まったので、とりあえずアップすることにしました。

前にも申し上げましたが、このブログは私の備忘録である意味合いが強いです。

それと実は、私がこういうことを書くときは、殆ど自動書記に近い感覚があります。つまり、一つの文を入力すると、それが終わらないうちに別の新しい文が頭に浮かんできます。それを順番に入力していくわけです。つまり私は、次に何を書くかが分かっていないのです。

そして、とりあえず入力した文を後から自分で読み返すことになります。自分でもわけがわからない思うこともありますが、一つの道筋ができていることがある場合、それはそれで勝ちです。

私は、考える機械です。ちゃんとした問題提起をすれば、そこから自動的に答えが出てきます。そして、その答えから、また新たな問題的がおこなわれ、この繰り返しが佐藤哲学になっていくのだと思います。

私が今自分で探しているのは、自分が知らないことです。でも、書くという作業を通して、その答えを導き出すことを私は今まで実践してきました。

そういう視点で私の投稿を読んでいただければ幸いです。




(2019.07.28 02:47:33)

Re[1]:何故、生命体は動くのか、認知の起源は何か。。。(07/27)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

私の投稿は、私の言葉による暗号解読だと考えてください。

これを理解する人がいたら、私は嬉しいですが、あまり期待はしていません。 (2019.07.28 03:20:57)

Re[2]:何故、生命体は動くのか、認知の起源は何か。。。(07/27)   ともちゃん さん
佐藤さん

おそらくは、そう言う事だろうとは思っていました。
しばらくは、静観して読ませていただきます。

(2019.07.28 19:00:13)

Re[3]:何故、生命体は動くのか、認知の起源は何か。。。(07/27)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

ご理解いただきありがとうございます。

私がしているのは、言語に見られる「離散融合更新循環」を、物質的自己同一性、生物的自己同一性、認知的自己同一性に当てはめて、それぞれがどのように機能しているかを探るというものです。

これは、これらの自己同一性は同じ原理あるいはメカニズムで発生し進化していると仮定しているからです。

生物に関しては、私もかなり知識が足りないので、どこまでいけるかわかりませんが、もう少し頑張ってみようと思います。 (2019.07.28 19:47:21)

Re:何故、生命体は動くのか、認知の起源は何か。。。(07/27)   桜葉佳代 さん
先日はありがとうございました。
ツイートされてたのは、この記事の関連ですね。

最近私の頭から離れない事柄なのですが、『振動』というのがあります。
存在の本質に係るものではないかと感じています。

物質は固有の振動数を持ってると聞きます。
クオーツの振動数を利用して時計が作られました。
生命体は個体ごとに振動していますがこれは脈拍です。
同種の生命であれば近い数値で拍動しますが、種が異なると速さが大分変ります。
同種の生命でも、個体ごとに拍動数が若干違ったり、タイミングが違ったりしますが、一個体の中では共通の拍動で生命活動を維持しています。
心理的な働きにも係わってきます。

自己同一性を考える時に、この振動数についても加えてみていただけませんか? (2019.08.19 00:30:56)

Re[1]:何故、生命体は動くのか、認知の起源は何か。。。(07/27)   佐藤直幹 さん
桜葉佳代さんへ

コメントありがとうございます。

振動に関しては、前から注目してはいたのですが、ちょっと忘れていました。記憶喚起感謝します。

物質の振動のような一定のリズムがあり、それからまた新しい振動のリズムが生まれるということの繰り返しだと思っています。

今一度、振動と自己同一性の関係を念頭において、今思索を続けようと思います。 (2019.08.19 13:56:50)

ゾウの時間 ネズミの時間   ともちゃん さん
桜葉さんの「振動」に関する考察を読んで、
『ゾウの時間 ネズミの時間』を想い出しました。
この本は、本川達雄と言う、動物生理学の先生が書かれました。

ネズミのような小さな動物は寿命が短い。
ゾウのような大型動物は長生きをする。
心臓の鼓動を計ると、ネズミなどは鼓動が速い。
しかし、ゾウは遅い。

本川さんは、ネズミ・猫・犬・馬・ゾウと、
色んな動物の脈拍を計り続けました。
そして「心拍数一定の法則」に辿(たど)り着きました。

すべての哺乳動物は、一生の間に、20億回脈拍を打ちます。
事故で死なない限り、どのような動物(哺乳類)も、
20億回鼓動を打って死ぬそうです。
ここまでは、科学的に証明可能な範囲です。

本川さんは、そこを乗り越えて次のような仮説をたてます。
すべての哺乳類は、同じ時間を生きているのではないか?
こう言う仮説です。

つまり「客観的な世界」から見れば、ゾウとネズミでは寿命は違います。
しかし「主観的な世界」から見れば、
どちらも同じ「生命の時間」を生きているのではないか?
こう言う考え方です。

これは客観的(科学的)に調べる事の出来ない「主観世界」の問題です。
しかし『ゾウの時間とネズミの時間』は、多くの人に読まれています。
そして多くの人に共感されています。

本川さんの考え方を、さらに発展させた人がいます。
事故で死ぬ人も、100歳まで生きて畳の上で死ぬ人も、
実は、同じ時間を生きている。

20歳の時に、事故で死んだ人は、
100歳で畳の上で死ぬ人より、5倍の濃密な人生を送った。
この様な考え方です。

こうなると、本川さんの考え方よりも、
さらに科学的な証明が難しくなります。
しかし、この考え方は、多くの人に共感を与えます。

坂本龍馬は30歳で暗殺された。
しかし90歳まで生きた人よりも3倍以上の濃密な人生を送った。
イエス・キリストは33歳で処刑された。
しかし99歳まで生きた人より、遥かに濃密な人生を送った。

この発想は偉人伝や英雄伝では、当たり前の様に表現されています。
小説を読み切った人の誰もが、この考え方に違和感を抱きません。
こう言う発想は、証明は出来ないけれども、
すべての人間が、心の奥底で共通に認識している心理だと思います。

この「心の時間」が、「振動の時間」と関係しているのではないのか?
私は、桜葉さんの文章を読んで、このように感じました。 (2019.08.20 04:11:15)

Re:ゾウの時間 ネズミの時間(07/27)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

動物は全て同じ時間を生きているというのは、ともちゃんさんのコメントで知ったような気もします。

他にも、犬は人間のことを妖精やエルフのようなものと考えていると聞いたことがあります。犬種にもよりますが、15年生きれば非常に長生きです。それに比べて人間の15年はまだまだ子供です。

子供に、人生を教えるのに犬を飼う人がいるということを聞いたことがあります。自分が愛したものに死ぬまで寄り添うことで命の大切さを学ぶということらしいです。

我々が感じている時間はそれぞれだと思います。たまたま物理的に時間を図るすべを覚えただけです。ただ、時計がなくても、一日は毎日更新されます。そして季節があれば、それも時間の目安になります。

時間というのは、記憶の進化のリズムであるといえると思います。そして私にとって、記憶と進化は、全く切り離すことができません。以前「進化記憶」という用語にしようかと思ったこともあるくらいです。

人間の人生に例えると「太く短い」という形容詞がよく使われましたね。 (2019.08.20 13:30:38)

時間論   ともちゃん さん
佐藤さん

佐藤さんの「時間論」とは、少し違うかも知れません。
あるいは、佐藤さんのお考えの影響を受けているのかも知れません。
私の「時間論」を、少し書いて見たいと思います。

「時間」とは何か?
それは、きわめて「主観的」なものだと思います。
物理学の世界では、「時間」は存在しません。
古代ギリシャの哲学者ゼノンは、「飛矢(ひや)飛ばず」と言いました。
つまり私達の目には、飛んでいる様に見える矢も、その瞬間瞬間では止まっていると言う意味です。

物理学で言う「時間」とは、
ゼノンの考え方を踏襲(とうしゅう)しています。
つまりニュートンは、「時間」を4番目の「空間」にしてしまったのです。

どのような「動き」も、その瞬間には、止まっています。
だから「動き」が、数学的に表現できます。
それが、「時間」が、4番目の「空間」であると言う証拠です。

すべての人類が、死滅した後の宇宙空間を考えて下さい。
すべての人類が死滅しても、物理学的には、この宇宙は消滅しません。
物理学的な表現では、人類の死滅後、永遠の時間が流れて行くだけです。

しかし、ちょっとまって下さい。
人類の死滅後に流れる時間の「今」とは、どの時点を指すのでしょうか?
人間の意識が存在しない世界に「今」は存在しません。

我々が感じる「時間」には、まず「今」があります。
そして、その前(過去)と、その後(未来)が存在します。

しかし、「未来」へ行くことは絶対に出来ません。
我々は、「明日」と言う「未来」へは行けません。
なぜならば、「明日」に成れば、そこはもう「未来」ではありません。
そこが「今」なのです。

これは、時間をいくら短く区切っても同じ事です。
1時間後の「未来」へ行こうとしても、1分後の「未来」へ行こうとしても、「未来」へは絶対に行けないのです。
なぜならば、行き着いたところは「未来」ではなく「今」だからです。

「明日」と言う「未来」が、「今」に成った時、
私達は、その次の日を「未来」として感じる事ができます。
しかしその未来へは、絶対に行けません。

つまり「未来」とは、「予想」の事なのです。
そして「過去」とは、「記憶」に過ぎません。
つまり、私達の存在する場所は、永遠に「今」なのです。
つまり「今」とは、私達の意識が存在する「場所」の事なのです。

私達の意識は、「4つめの次元」の中を移動して行きます。
それはあたかも、フィルムを見ているようなものです。
フィルムは「動き」のない物質です。
しかしフィルムが、私達の意識である、「今」の中を流れて行く時、
私達は時間の経過を認識します。

過去から未来まで、すべては「決定」しています。
私達の「意識」である「今」は、そのフィルムを見ているに過ぎません。
これが物理学の考え方です。

そして現代物理学では、「速い動き」と「遅い動き」によって、
「時間」が長くなったり、短くなったりする事を発見しました。
これが、アインシュタインの相対性理論です。

しかしこれは、あくまでも「物理学的」な時間です。
「心理学的な時間」は、また別に存在します。
その事が「ゾウの時間と ネズミの時間」の中に書かれています。

「心理学的な時間」でも、「時間」は伸びたり縮んだりします。
「幸せの時間」は、あっという間に過ぎ去ります。
しかし、「苦痛の時間」は、時計の針が動きません。

アルバイトなどでは「時給」が使われます。
つまり会社に拘束されている時間を、物理学的に表したものが「時給」です。
物理学的に、時給計算は正しいと思います。
しかし心理学的には、この時給計算は間違っています。

カネはいらないから、やらせてくれと言う仕事があります。
たとえば、売れない芸能人などは、
舞台に立たせて貰えるだけで幸せでしょう。
だから吉本興業などでは、出演料1円と言うケースがあります。

私は、学生時代にガードマンのアルバイトをした事があります。
あれは、全く時間がたたなかったです。
時計の針の動きがものすごく鈍(のろ)いのです。
針が全く動かないのです。
時間が止まってしまったのか?
そんな事を、経験した事があります。
しかし仕事が終わって、喫茶店で友人と話すときは、
アッという間に2時間3時間が過ぎて行きます。

結論として言える事は、「物理学的な時間」と「心理学的な時間」は、
全く別のものだと言う事です。
この2つを混同してしまうと、「時間」の正体が全く分らなくなる。
私は、この様に考えております。 (2019.08.21 01:52:06)

Re:時間論(07/27)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>どのような「動き」も、その瞬間には、止まっています。
だから「動き」が、数学的に表現できます。
それが、「時間」が、4番目の「空間」であると言う証拠です。

これは確かにそうです。
手話のサインを記すとき、時間の流れは平面上に矢印で表現されます。
時間を空間で表現しているわけです。


>>>すべての人類が、死滅した後の宇宙空間を考えて下さい。
すべての人類が死滅しても、物理学的には、この宇宙は消滅しません。
物理学的な表現では、人類の死滅後、永遠の時間が流れて行くだけです。
しかし、ちょっとまって下さい。
人類の死滅後に流れる時間の「今」とは、どの時点を指すのでしょうか?
人間の意識が存在しない世界に「今」は存在しません。

人間がいなくなったら、この世界も終わるという考え方ですね。
逆に言ったら、人間が進化して生まれる前まで、この世は存在しなかったとも言えます。これはこれで正しいと思います。

この宇宙は人間を生み出すことで、ようやく自分を認識してくれる存在を得たのですから。


>>>つまり「未来」とは、「予想」の事なのです。
そして「過去」とは、「記憶」に過ぎません。
つまり、私達の存在する場所は、永遠に「今」なのです。
つまり「今」とは、私達の意識が存在する「場所」の事なのです。

西洋語の文法に「未来系」というのがありますが、これはあくまで「推測」あるいは「予定」や「意志」を表すものです。

過去というのは、時間のずれた「今」です。フランス文法でいうところの「半過去」がこれに該当します。これは、普通はナレーションに使われないのは、「その日は晴れていた」といった場面の情景描写に使われるからです。でも、これがナレーションに使われると、まるで目の前で見ていることを順番に情景描写しているような印象を与える記述になります。


>>>私達の意識は、「4つめの次元」の中を移動して行きます。
それはあたかも、フィルムを見ているようなものです。
フィルムは「動き」のない物質です。
しかしフィルムが、私達の意識である、「今」の中を流れて行く時、
私達は時間の経過を認識します。

今は、動画を再生することが可能になり、これが我々の時間感覚に大きく影響しています。動画は何度も再生できますし、ゆっくり再生したり、巻き戻しもできます。時間は物質的な二次元のフィルム上でなんでもなるものなのです。


>>>過去から未来まで、すべては「決定」しています。
私達の「意識」である「今」は、そのフィルムを見ているに過ぎません。
これが物理学の考え方です。

この「決定」しているというのがちょっとわかりません。


>>>そして現代物理学では、「速い動き」と「遅い動き」によって、
「時間」が長くなったり、短くなったりする事を発見しました。
これが、アインシュタインの相対性理論です。

相対的な時間ですね。


>>>しかしこれは、あくまでも「物理学的」な時間です。
「心理学的な時間」は、また別に存在します。
その事が「ゾウの時間と ネズミの時間」の中に書かれています。

「心理学的な時間」でも、「時間」は伸びたり縮んだりします。
「幸せの時間」は、あっという間に過ぎ去ります。
しかし、「苦痛の時間」は、時計の針が動きません。

時間の流れを判断するのが、桜葉さんのおっしゃる振動なのだと思います。この振動のリズムの感覚の差が時間の流れのスピードを決めるのです。


>>>結論として言える事は、「物理学的な時間」と「心理学的な時間」は、
全く別のものだと言う事です。
この2つを混同してしまうと、「時間」の正体が全く分らなくなる。
私は、この様に考えております。

私は全く別物だとは思いません。何故なら、どちらも記憶の進化のスピードであり、そのレベルが違うだけですから。


(2019.08.21 11:37:14)

時間論   ともちゃん さん
佐藤さん

「時間の流れを判断するのが、桜葉さんのおっしゃる振動なのだと思います。
この振動のリズムの感覚の差が時間の流れのスピードを決めるのです」

私も、そう感じております。
しかし問題は、その事をどのように科学的に証明するかだとおもいます。

桜葉さんのおっしゃる振動とは脈拍のことです。
つまり、私は私の脈拍で時間を計っている訳です。
佐藤さんは、佐藤さんの脈拍で時間を計っております。
ネズミはネズミの脈拍。
ゾウはゾウの脈拍で、時間を計っています。

しかし、それをどのように証明すべきか?
これが、問題だとおもいます。

「主観的な時間」こそが、時間の本質なのである。
Fさんだったら、その事を何とか数学的に証明しょうとされると思います。 (2019.08.21 16:25:04)

Re:時間論(07/27)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>桜葉さんのおっしゃる振動とは脈拍のことです。
つまり、私は私の脈拍で時間を計っている訳です。
佐藤さんは、佐藤さんの脈拍で時間を計っております。
ネズミはネズミの脈拍。
ゾウはゾウの脈拍で、時間を計っています。

しかし、それをどのように証明すべきか?
これが、問題だとおもいます。

ここに「違うけど同じ、同じだけど違う」という離散分裂融合更新循環のための原理を持ち込むことで何かが見えてくると思います。

物質では、これが元素の周期表になりましたし、生命では遺伝子構造になっています。言語では記号ですが、認知ではこれに対応するものが見つかっていません。それを今探しています。


>>>「主観的な時間」こそが、時間の本質なのである。
Fさんだったら、その事を何とか数学的に証明しょうとされると思います。

この「主観」というのは人間の主観だけではなくて、物質の主観もあります。難しいですね。 (2019.08.21 19:59:59)


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