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言語学の嘘(ソシュール記号学の再考)

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《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和元年で満53歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


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2019.08.19
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カテゴリ:カテゴリ未分類
以前、ともちゃんさんから勧められていた諸星大二郎氏の漫画「無面目」が帰省した実家に届いていたので早速読んでみた。

非常に短いチャイナの古典を下敷きに、古代チャイナの歴史を絡めて全く新しいストーリーを語っているのだが、読みながら岩明均氏の漫画「寄生獣」に出てくる田宮良子を彷彿させるキャラクターが出てきて、ワクワクしながら一気に読んだ。

付随的に、チャイナにこういう古典があることに感嘆するが、チャイナの俗世間は昔も今も全く変わっていないのだろうと感じた。日本人が目指す「ひと」と、彼らが実践する様々な欲の絡んだ社会との隔たりが大きすぎる。この差は今後一切埋まることはないだろう。

実は、実家の戻る前日の土曜日、有楽町の交通博物館内のギャラリーで開催された「妖獣神話展」に行ったとき、諸星氏の他の作品の原画を目にする機会があった。こういうことは、きっと偶然ではないのだろうと思う。

「無面目」では、混沌から直ぐに人間が生まれてしまうので、物質、生命、認知、言語という順番を追ってはいないのだが、この作品から受ける印象が、今の私のテーマである「認知の起源の解明」の助けになるかもしれないと思う。

並行して進む様々なストーリーは、見た目は違うのだが、その根底に流れるメカニズムは同じ。そこには「離散分裂(再)融合更新循環」がある。それぞれを比較しながら、その裏にある宇宙の摂理を解明する。これが私のライフワークである。






Last updated  2019.08.19 12:42:55
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無面目   ともちゃん さん
佐藤さん

『無面目』を読んで戴(いただ)けましたか。
この物語は、荘子の『混沌、七竅(しちきょう)に死す』を
下敷きにしています。
七竅(しちきょう)とは、七つの穴と言う意味です。
目が二つ、耳の穴が二つ、鼻の穴が二つ、口が一つ。
この七つの穴により、人間は外界を感じとります。

昔、「混沌」と言うノッペラボウの神様がいました。
「混沌」は、天地開闢の時から、瞑想を続けて来ました。
瞑想に五感は、必要ありません。
だから「混沌」はノッペラボウなのです。
彼は、宇宙の根源を知っています。
要するにビッグバンの瞬間を知っているのです。

ビッグバンの瞬間を知りたいと思った他の神様は、
「混沌」とコミュニケーションを取りたく思いました。
そこで「混沌」の顔面に、七つの穴をあけました。
外界を認識出来る様になった「混沌」は、
瞑想者である自分をわすれ、この世の汚れにそまり死んで行きます。

そもそも、この「混沌」という神様が、どのレベルの神様なのか?
それによって、この物語の、趣(おもむき)が変わって来ます。

堕天使ルシファー。
好色の心で、雲から落下した久米の仙人。
この様に、堕落した修行者の話は、他にも沢山あります。
皆、たいした神様ではありません。

しかし、この「混沌」という神様は、天地開闢の時から存在しました。
と言う事は、「混沌」とは、この宇宙を作った神様ではないのか?
私は、そのような「思い入れ」でこの物語を読みました。

中国哲学では、原初に太極が存在します。
その「太極」が「陰」と「陽」に別れ、この世界を展開して行きます。
「陰」と「陽」を組み合わせて八卦(はっけ)ができます。
さらに八卦を組み合わせると、六十四卦となります。
これで万象を占うのが「易」です。

要するに「混沌」とは、太極に匹敵する神様ではないのか?
この様に考えて読むと、この物語はさらに深みをまします。
つまり、この宇宙そのものが堕落した存在かも知れない。
そのような、東洋的な無常観を感じさせる作品ではないかと思います。

ところで、『寄生獣』の田宮良子を彷彿とさせるキャラクターとは
誰の事でしょうか?
『無面目』のヒロインといえば、麗華(れいか)しかおりません。
麗華と田村良子では、全く異なるキャラクターだと思うのですが、
もし麗華であるならば、何処が「彷彿」とさせるのか?
そこを、教えて戴ければ幸甚であります。
よろしく、お願いいたします。
(2019.08.21 07:52:36)

Re:無面目(08/19)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>『無面目』を読んで戴(いただ)けましたか。
この物語は、荘子の『混沌、七竅(しちきょう)に死す』を
下敷きにしています。
七竅(しちきょう)とは、七つの穴と言う意味です。
目が二つ、耳の穴が二つ、鼻の穴が二つ、口が一つ。
この七つの穴により、人間は外界を感じとります。

あとがきを読んで、これが諸星大二郎氏の翻案であることを知りました。すごい漫画家です。


>>>しかし、この「混沌」という神様は、天地開闢の時から存在しました。
と言う事は、「混沌」とは、この宇宙を作った神様ではないのか?
私は、そのような「思い入れ」でこの物語を読みました。

宇宙を創るというのは語弊がある気がします。混沌は宇宙そのものです。


>>>中国哲学では、原初に太極が存在します。
その「太極」が「陰」と「陽」に別れ、この世界を展開して行きます。
「陰」と「陽」を組み合わせて八卦(はっけ)ができます。
さらに八卦を組み合わせると、六十四卦となります。
これで万象を占うのが「易」です。

>>>要するに「混沌」とは、太極に匹敵する神様ではないのか?
この様に考えて読むと、この物語はさらに深みをまします。
つまり、この宇宙そのものが堕落した存在かも知れない。
そのような、東洋的な無常観を感じさせる作品ではないかと思います。

太極というのは相反する力と理解されると思いますが、実はそれのもとになるのは、その2つの力のコントラストが存在しない状態です。つまり混沌があるからこそ太極という力が働くわけです。

ただ、ともちゃんさんがおっしゃる「この宇宙そのものが堕落した存在かも知れない」というのは私にはわかりません。

例えば動物の心には太極がないので、彼らには善悪の判断はありません。できないというか、そういうことがあることを知らないのです。アニマル・コミュニケーターが口をそろえて言うのは、動物は我々を見てジャッジしない、つまり一つの価値観の下に我々を決めつける事が無いということです。だから動物は一種純粋な存在です。

人間は確かに堕落します。しかし、その中から自らを高めようとします。このせめぎあいが人間社会なのでしょう。


>>>ところで、『寄生獣』の田宮良子を彷彿とさせるキャラクターとは
誰の事でしょうか?

顔を持った混沌のことです。

「麗華 陰陽を和合するぞ」というところは、田宮良子が作品初頭で確かAと「セックスしてみた」というのと重なります。

麗華との会話で「そうか 私が笑ったか」という場面は、鏡を見ていつの間にか笑っている自分を認識した田宮良子を彷彿させます。

それに人間界で政治に興味を持つところも同じです。しかしそれは単純に人間観察の手段でしかありません。

田宮良子が自分が産んだ赤ん坊を守ろうとするところは、混沌が麗華を守ろうとするところと少しですが重なります。ただ、彼女は、人間になる前に、ここで生きることをやめても全く未練はない。人間化して死を怖がった混沌とは違います。

始めから、人間の言葉を解するという点では寄生獣一般と一緒です。 (2019.08.21 12:09:00)

無面目   ともちゃん さん
佐藤さん

なるほど、田宮良子が顔をもった「混沌」ですか。
彼女の産んだ赤子が、麗華ですね。
よく理解できます。

今、『寄生獣』を読み返しております。
田宮良子に、「混沌」を重ね合わせて読んで見たいと思います。
解説、ありがとうございました。 (2019.08.21 15:55:01)

Re:無面目(08/19)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

「無面目」と「寄生獣」。二つとも傑作だと思います。

「寄生獣」を再読なさった感想をお聞かせいただければ幸いです。 (2019.08.21 20:16:09)

寄生獣   ともちゃん さん
佐藤さん

『宇宙を創るというのは語弊がある気がします。
混沌は宇宙そのものです』

これは、まさに、その通りだと思います。

『太極というのは相反する力と理解されると思いますが、
実はそれのもとになるのは、
その2つの力のコントラストが存在しない状態です。
つまり混沌があるからこそ太極という力が働くわけです』

ここで仰有っている、「太極」は「陰陽」に変えた方が、
すんなりと理解できますが、いかがなモノでしょうか。

『「この宇宙そのものが堕落した存在かも知れない」というのは
私にはわかりません』

キリスト教では、神は完全であると言います。
人間は、それぞれの不幸を持っています。
しかし、それは神が悪いのではありません。神は完全なのです。
しかし、個々の人間には、持って生れた罪があります。

その罪が、あなた方を不幸にしているのです。
神は完全な存在である事を信じ、
希望を持って信仰の道を歩みなさい。

ほとんどの宗教は、この様に言います。
つまり神は、完全なる善であり、完全なる光である。
これを信じなければ、宗教などバカらしくてやっていられません。

これに対して、そもそも神などは、存在しないと言う考え方があります。
ニーチェの「神は死んだ」は、あまりにも有名です。
ドストエフスキーやカミュなども、「神は存在しない」と言う立場で
物語りを展開します。

日本で言えば藤村操です。華厳の滝から飛び込んだ明治の東大生です。
要するに、神も仏も存在しない。この人生には意味がない。
人間はいつか死ぬ。生きていても仕方がない。
こう言う考え方をニヒリズムと言います。

ドストエフスキーに到っては、我々が存在するのは、
何者かの悪意によるのではないか。
この様に考えます。

つまり、この宇宙は狂っていて、
我々のような無意味な存在を慰(なぐさ)み者として作り出した。
おおよそ、この様な考え方です。

『寄生獣』の考え方も、根底にあるのはニヒリズムです。
人間の作った「道徳」は、ただ人類の中でしか通用しない、
勝手な約束事に過ぎない。
この様に『寄生獣』では、すべての道徳が否定されています。

それでは「真の道徳」とは、何処から生れて来るでしょうか?
それは、「神は完全な善」であると言う概念からしか生れて来ません。
神は完全な「善」であり、その神の心に反する事が「悪」である。
「道徳」は、根底に宗教がなければ規定出来ないのです。

世界の国々は、その国に会った法律や道徳を持っております。
しかし、そんなモノは、あくまでも相対的なものに過ぎません。

「殺すなかれ」と言う、人類共通の道徳律も、ただ人類の内部に限った、
相対的な道徳でしかありません。これが『寄生獣』のテーマだと思います。
したがって、この物語は、
非常に虚無的でニヒリズムに満ちた物語だと思います。

『アニマル・コミュニケーターが口をそろえて言うのは、
動物は我々を見てジャッジしない、つまり一つの価値観の下に
我々を決めつける事が無いということです。
だから動物は一種純粋な存在です』

これは、面白い見解です。
自分を襲ってくる強いモノからは逃げる。
そして弱いモノを食べる。
まさに自然界は、弱肉強食の世界です。

これは人間も同じです。
人間は、人間の行為に対してジャッジします。
TVのワイドショーでは、いつも人間の善悪判断をやっています。
まるで、TV裁判所のようです。

人間がクマに襲われたとします。
その時人間はクマに対してジャッジするでしょうか?
ライオンであろうと、虎であろうと、人食い鮫であろうと、
人間はその者達をジャッジしません。

ただ恐れるだけです。おそらくジャッジとは、同種の生物、
つまり仲間に対してだけ行われる判定ではないかとおもいます。

猿やライオンなどでも、仲間内のルールを破った者に対しては、
何らかの罰則が与えられます。我々の世界の法律や道徳と言っても、
それぞれの生物種の間に存在する、ルールのようなものだと思います。

なぜ、人を殺してはいけないのか?
なぜ、仲間を殺してはいけないのか?
これは、問い詰めて見れば、誰も答えを出すことが出来ません。
『寄生獣』のテーマはそこにあると思います。
だから『寄生獣』はニヒリズムの物語なのです。 (2019.08.22 06:53:53)

Re:寄生獣(08/19)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

『宇宙を創るというのは語弊がある気がします。
混沌は宇宙そのものです』

>>>これは、まさに、その通りだと思います。

この点は認識を共有出来ているようですね。


>>>ここで仰有っている、「太極」は「陰陽」に変えた方が、
すんなりと理解できますが、いかがなモノでしょうか。

作品の中では「太極」と使っていたのでそのまま使いました。「陰陽」も同じだと思います。


『「この宇宙そのものが堕落した存在かも知れない」というのは
私にはわかりません』

>>>キリスト教では、神は完全であると言います。
人間は、それぞれの不幸を持っています。
しかし、それは神が悪いのではありません。神は完全なのです。
しかし、個々の人間には、持って生れた罪があります。

キリスト教のことを言っていたのですね。了解です。



>>>つまり、この宇宙は狂っていて、
我々のような無意味な存在を慰(なぐさ)み者として作り出した。
おおよそ、この様な考え方です。

『寄生獣』の考え方も、根底にあるのはニヒリズムです。
人間の作った「道徳」は、ただ人類の中でしか通用しない、
勝手な約束事に過ぎない。
この様に『寄生獣』では、すべての道徳が否定されています。

この道徳の否定は私にとって非常に新鮮な描写でした。


>>>それでは「真の道徳」とは、何処から生れて来るでしょうか?
それは、「神は完全な善」であると言う概念からしか生れて来ません。
神は完全な「善」であり、その神の心に反する事が「悪」である。
「道徳」は、根底に宗教がなければ規定出来ないのです。

世界の国々は、その国に会った法律や道徳を持っております。
しかし、そんなモノは、あくまでも相対的なものに過ぎません。

「真の道徳」というのはないと思います。今、全世界で日本の道徳心が注目されていますが、それをそのまま導入できませんし、日本も他の国の道徳やモラルは直輸入できません。


>>>「殺すなかれ」と言う、人類共通の道徳律も、ただ人類の内部に限った、
相対的な道徳でしかありません。これが『寄生獣』のテーマだと思います。
したがって、この物語は、
非常に虚無的でニヒリズムに満ちた物語だと思います。

人類共通ではないですね。自分の民族以外は人間だと思っていない人たちも世界に多いですから。現在進行形の民族浄化がそれを物語っています。

>>>これは人間も同じです。
人間は、人間の行為に対してジャッジします。
TVのワイドショーでは、いつも人間の善悪判断をやっています。
まるで、TV裁判所のようです。

日本の朝と午後のバラエティー番組は、公開処刑そのものですね。


>>>人間がクマに襲われたとします。
その時人間はクマに対してジャッジするでしょうか?
ライオンであろうと、虎であろうと、人食い鮫であろうと、
人間はその者達をジャッジしません。

ただ恐れるだけです。おそらくジャッジとは、同種の生物、
つまり仲間に対してだけ行われる判定ではないかとおもいます。

危険を察知するのは生存本能が発揮されるからでしょう。


>>>猿やライオンなどでも、仲間内のルールを破った者に対しては、
何らかの罰則が与えられます。我々の世界の法律や道徳と言っても、
それぞれの生物種の間に存在する、ルールのようなものだと思います。

犬の躾は、それを利用しているみたいです。


>>>なぜ、人を殺してはいけないのか?
なぜ、仲間を殺してはいけないのか?
これは、問い詰めて見れば、誰も答えを出すことが出来ません。
『寄生獣』のテーマはそこにあると思います。
だから『寄生獣』はニヒリズムの物語なのです。

寄生獣同士でも殺し合いが行われます。そこに罪悪感は全くありません。そういうミギーと常に交わしているシンイチは、常に葛藤を余儀なくされますが、彼の心が寄生獣の影響を受けるにしたがって、変わっていくのは興味深いです。 (2019.08.22 20:22:49)

ホロコースト   ともちゃん さん
佐藤さん

『自分の民族以外は、人間だと思っていない人たちも世界には多いです。
現在進行形の民族浄化がそれを物語っています』

私は、この考え方に全面的に賛同します。
私は、人類と言う種の中にルールが存在すると言いました。
それが、道徳であり法律です。

しかし、これは「建て前」だと思います。
おそらく、人間の深い潜在意識の中においては、
「他民族」は、人間ではないのだと思います。

ナチスはユダヤ人の大量虐殺を行いました。
たぶんあれは、人間のごく普通の心情なのではないかと思います。
現在では、ナチスのホロコーストだけに、
特別なスポットが当てられています。
しかし、スターリンや毛沢東も同じ事をしました。

それからクメール・ルージュの大量殺戮でしたか?
あれは、佐藤さんに教えて戴くまで、全く知りませんでした。
おそらく、この様な虐殺は、世界の至る所で、
ごく自然に行われているのだと思います。

戦争で相手を制圧しますと、制圧された国の警察権力は全く意味を失います。
制圧した方は、やりたい放題です。
その時、人間の心の表面を覆っていた道徳律はフッとんでしまい、
純粋な「他民族殺戮の法則」が、目覚めるのだと思います。

そのような、無法者の兵隊でも、
「仲間の為に死ぬ」と言う道徳律は絶対に失いません。
「仲間の為に死ぬ」
「他民族を皆殺しにする」
おそらく、この二つの心情は矛盾しないのだと思います。

日本の特攻隊、あるいはイスラムの自爆テロ。
どちらも、人間が潜在意識の中にもつ、
深い正義感に支えられた行為ではないかと思います。

私は、特攻隊や自爆テロを推奨している訳ではありません。
人間の本質、もっと言えば、生命の本質にそのようなモノが、
存在すると私は考えております。

さもなければ単細胞生命が、
多細胞生命に成る事など出来ないのです。 (2019.08.23 01:39:22)

アポトーシス   ともちゃん さん
佐藤さん 

単細胞生物には、永遠の生命が保証されています。
もちろん、他の細胞に食われるとか、
火山の爆発などの「事故」よって死ぬ事はあります。

しかし、それはあくまでも、「外」から来た死です。
単細胞生物は、ただ分裂するだけです。
だから自己の内部では、永遠の生命を謳歌(おうか)しています。

人間の細胞で、永遠の生命を謳歌できるのは、生殖細胞だけです。
私の生殖細胞は、子供達に受けつがれ、永遠の未来まで生き続けます。
しかし例外として、人間の細胞の中にも、
永遠の生命を謳歌できる細胞があります。
それが癌細胞です。

培養された癌細胞は、永遠に生き続ける事ができます。
つまり癌細胞は、その主人である我々の為に、
ムダな死を迎えるのはイヤだと言っているのです。

我々の細胞は、
「仲間の為に死ぬ」「他民族を皆殺しにする」。
この2つの心情を失えば、癌細胞になってしまいます。

オタマジャクシがカエルになるとき、尻尾の細胞は自爆します。
これがアポトーシス(細胞死)です。
母胎の中で存在した、脊椎動物の指の間の水掻きも、成長に伴い消滅します。これもアポトーシスです。

我々の肉体の細胞は、半年もすれば、すべて入れ替わると言われます。
つまりアポトーシス(細胞の自殺)がなければ、
多細胞生物の生命維持は成り立たないのです。

それから免疫活動です。
我々の免疫システムは侵入者、つまり我々の仲間ではない者に対しては、
自爆テロを仕掛けます。
自己犠牲の下に他民族(侵入者)を殺すのです。

これは、ハチやアリの集団でも同じです。
クマバチの襲来に対して、ミツバチは集団でクマバチを包み込み、
ミツバチのダンゴを作ります。

そして羽を羽ばたかせ、熱を上げてクマバチを殺します。
しかし、ダンゴの中の多くのミツバチも死んでしまいます。
トランプ大統領の「移民締め出し政策」も、
この様な本能に支えられています。

単細胞生物から多細胞生物への進化。
そこに流れる精神と、特攻隊やイスラムの自爆テロ。
そこには、自己犠牲の精神が脈々と流れています。
私は、この様に考えております。 (2019.08.23 02:24:04)

田宮良子   ともちゃん さん
佐藤さん

『バラエティー番組は、公開処刑そのものですね』

民主主義の世の中では、この「公開処刑」が必要なんでしょうね。
裁判制度と言うものは、いつしか現実とかけ離れてしまいます。
たとえば少年法などは、全く現実を反映していません。
しかし一度でき上がった法律を改正する事は、大変な事なのだと思います。

組織には、その組織特有の価値観があり利害関係があります。
その牙城(がじょう)を打ち破るのが、マスコミの力ではないかと思います。裁判所もマスコミの力、つまり民意には逆らうことが出来ません。
徐々に少年法は、改正されつつあります。

憲法改正にも「ワイドショーの公開処刑」が、
大きな役割を果たしているのではないかと思います。
憲法を改正しなければ戦争が出来ない。
戦争が出来なければ、中国や南北朝鮮にやられる。
この様な意識が、ワイドショウ-によって全国に拡大されているのが、
今の時代ではないかと思います。

佐藤さんは以前、「SNSが民意を繋(つな)いだ」と言う意味の事を、
仰有っていました。
今まで民衆は、あくまでもニュースを「聞くだけ」の立場でした。
ただ「口コミ」だけが民意を拡大していました。
しかし今は、声なき民衆が、声を上げる事が出来る時代です。
それがSNSでありユーチューブです。

「NHKから国民を守る党」、略して「N国」党首の立花孝志(たかし)さんが、最近活躍されています。
「NHKをぶっつぶす」と言うフレーズが有名ですが、この人は元NHK職員です。

無差別に、NHKが受信料を取るのは間違っている。
NHK放送に、スクランブルを掛けろと言う主張です。
スクランブルを掛けると、NHKの放送が見られなくなります。

どうしても見たい人だけが、NHKにカネを払いスクランブルを解いてもらえ。
こう言う理屈です。
有料テレビは、すべてこの様な形式を取っていますが、NHKもやるべきだと言うのが、立花さんの主張です。

NHKにスクランブルが掛ったら、そこで俺の仕事が終わる。
その時、俺は政治家を辞める。
この様に、立花さんは言っています。

辞めてどうするのかと言う話ですが、たぶん彼は、NHKでの経験を生かし、
ユーチューブ放送を大々的に始めるのではないのか?
そんな感想を持ちました。

以前佐藤さんは、マスコミの一方通行は終わったと言われました。
これからはSNSの時代だ。民衆が意見を言える時代だ。
こんな事を言っていませんでしたか?

立花さんも、自分は「直接民主主義」を目指しているんだと言っています。
両者に共通する、新しい時代の新しいコミュニケーションの先取りとでも言う感覚を感じました。

『寄生獣6』の32ページで、田宮良子が以下のように言っています。
「人間と我々が大きく違う点、それは人間が何十・何百・何千と集まって1つの生き物だと言うこと。人間は自分の頭以外に、もう一つの巨大な「脳」を持っている。

今はまだ、SNSやユーチューブが、テレビをしのぐ大きな力ではありません。
あくまでもマイナーな存在です。
しかしユーチューブでは、一般の視聴者が番組を作る事ができます。
民衆同士の繋(つな)がりはもっと深くなり、立花さんの仰有る
「直接民主主義」の時代がやって来るのではないか?
その時本当の意味で、田宮良子の言う
「巨大な脳」ができ上がるのではないのだろうか?
そんな事を考えました。

佐藤さんの仰有る「汚れた民族」も、言葉によって、
「汚れた心」を遺伝させて行きます。
SNSやユーチューブは、佐藤さんの言われる「言葉」を
もっと強烈に拡散して行けるのではないか。
そして民族の「巨大な脳」を作り上げるのではないか?
私は、この様な感想を持ちました。
(2019.08.25 07:20:37)

Re:ホロコースト(08/19)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>しかし、これは「建て前」だと思います。
おそらく、人間の深い潜在意識の中においては、
「他民族」は、人間ではないのだと思います。

いつも思うのですが、人類への失望がともちゃんさんの原動力のような気がします。上記のよういなことを、肯定して何が面白いのですか?「それが現実だ」と言われたら言い返すことはできませんが、あなたの精神はどこかが病んでいるのかもしれないと時々思うことがあります。



>>>戦争で相手を制圧しますと、制圧された国の警察権力は全く意味を失います。
制圧した方は、やりたい放題です。
その時、人間の心の表面を覆っていた道徳律はフッとんでしまい、
純粋な「他民族殺戮の法則」が、目覚めるのだと思います。

チャイナやロシア、そして朝鮮は自国民の虐殺を行ってきました。日本人は、そういうことには組していません。この点は、どうお考えですか?日本人も、彼らと同じだお考えですか?


>>>私は、特攻隊や自爆テロを推奨している訳ではありません。
人間の本質、もっと言えば、生命の本質にそのようなモノが、
存在すると私は考えております。

さもなければ単細胞生命が、
多細胞生命に成る事など出来ないのです。

認知の源の解明のヒントの一つに、単細胞生物から多細胞生物への進化があると思っています。

自己(仲間)として認識するか、他己(敵)として排除するかの選択がなされていいる事によって初めて、多細胞生物が成立します。

ただ、その前に単細胞生物が、自分と自分以外をどうやって区切っているのか、こちらを理解することが先です。

そして、これが種の進化のアンテナになっていると考えています。つまり、認知と種の進化とは連動しているという考え方です。

そして、ここにも「同じだけど違う、違うけれど同じ」という構図があるはずです。今、それを見つけるために思索を重ねています。 (2019.08.25 10:25:27)

Re:アポトーシス(08/19)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>人間の細胞で、永遠の生命を謳歌できるのは、生殖細胞だけです。
私の生殖細胞は、子供達に受けつがれ、永遠の未来まで生き続けます。
しかし例外として、人間の細胞の中にも、
永遠の生命を謳歌できる細胞があります。
それが癌細胞です。

男系の天皇家も、永遠の命を受け継いできました。


>>>オタマジャクシがカエルになるとき、尻尾の細胞は自爆します。
これがアポトーシス(細胞死)です。
母胎の中で存在した、脊椎動物の指の間の水掻きも、成長に伴い消滅します。これもアポトーシスです。

自爆ではないでしょう。そういう役目を終えて、生を全うして死んでいくのだと思います。



>>>それから免疫活動です。
我々の免疫システムは侵入者、つまり我々の仲間ではない者に対しては、
自爆テロを仕掛けます。
自己犠牲の下に他民族(侵入者)を殺すのです。

ともちゃんさんの例えは、どうしても血なまぐさいですね。



>>>単細胞生物から多細胞生物への進化。
そこに流れる精神と、特攻隊やイスラムの自爆テロ。
そこには、自己犠牲の精神が脈々と流れています。
私は、この様に考えております。

私は、そういう発想には限界があると思います。何故なら、ともちゃんさんの場合、完全に結論ありきですから。そこから別の結論が出てくることはないでしょうね。
(2019.08.25 10:32:49)

Re:田宮良子(08/19)   佐藤直幹 さん
>>>民主主義の世の中では、この「公開処刑」が必要なんでしょうね。
裁判制度と言うものは、いつしか現実とかけ離れてしまいます。
たとえば少年法などは、全く現実を反映していません。
しかし一度でき上がった法律を改正する事は、大変な事なのだと思います。

私はそうは思いません。テレビのやっている公開処刑は、日本の学校などでよく見かける虐めの構造と似通っています。


>>>組織には、その組織特有の価値観があり利害関係があります。
その牙城(がじょう)を打ち破るのが、マスコミの力ではないかと思います。裁判所もマスコミの力、つまり民意には逆らうことが出来ません。
徐々に少年法は、改正されつつあります。

マスコミというのは、私的なプロパガンダ機関であることが、今日本人たちに理解されつつあります。それに流されないようにする動きがSNSにあります。


>>>憲法改正にも「ワイドショーの公開処刑」が、
大きな役割を果たしているのではないかと思います。
憲法を改正しなければ戦争が出来ない。
戦争が出来なければ、中国や南北朝鮮にやられる。
この様な意識が、ワイドショウ-によって全国に拡大されているのが、
今の時代ではないかと思います。

本当にそうお考えですか。驚きです。その逆を行っているのがワイドナショーです。今の日韓関係でも、私のように日韓断交を主張する人たちの声はワイドナショーでは黙殺されます。ソウル市民へのインタビューはあっても、東京でのインタビューはありません。今、インタビューを行うと、日韓断交を主張する人たちの声を拾ってしまうことになるので実施しないのだと思います。


>>>佐藤さんは以前、「SNSが民意を繋(つな)いだ」と言う意味の事を、
仰有っていました。
今まで民衆は、あくまでもニュースを「聞くだけ」の立場でした。
ただ「口コミ」だけが民意を拡大していました。
しかし今は、声なき民衆が、声を上げる事が出来る時代です。
それがSNSでありユーチューブです。

これは同意します。



>>>以前佐藤さんは、マスコミの一方通行は終わったと言われました。
これからはSNSの時代だ。民衆が意見を言える時代だ。
こんな事を言っていませんでしたか?

今までのプロパガンダに対して、民衆が一つの武器を持つことになりました。しかし、それはまだまだ不十分です。世の中そんなに簡単に変わることはありませんが、もうプロパガンダに支配されないとする人たちの目覚めはもう後戻りすることはありません。


>>>立花さんも、自分は「直接民主主義」を目指しているんだと言っています。
両者に共通する、新しい時代の新しいコミュニケーションの先取りとでも言う感覚を感じました。

ともちゃんさんの政治の見方は何か偏っている気がします。



>>>『寄生獣6』の32ページで、田宮良子が以下のように言っています。
「人間と我々が大きく違う点、それは人間が何十・何百・何千と集まって1つの生き物だと言うこと。人間は自分の頭以外に、もう一つの巨大な「脳」を持っている。

今はまだ、SNSやユーチューブが、テレビをしのぐ大きな力ではありません。
あくまでもマイナーな存在です。
しかしユーチューブでは、一般の視聴者が番組を作る事ができます。
民衆同士の繋(つな)がりはもっと深くなり、立花さんの仰有る
「直接民主主義」の時代がやって来るのではないか?
その時本当の意味で、田宮良子の言う
「巨大な脳」ができ上がるのではないのだろうか?
そんな事を考えました。

直接民主主義というよりは、情報の統制に関してくさびを打ち込みたいということでしょう。


>>>佐藤さんの仰有る「汚れた民族」も、言葉によって、
「汚れた心」を遺伝させて行きます。
SNSやユーチューブは、佐藤さんの言われる「言葉」を
もっと強烈に拡散して行けるのではないか。
そして民族の「巨大な脳」を作り上げるのではないか?
私は、この様な感想を持ちました。

私は、認知の起源に関しての結論が出るまでは、これ以上の拡散努力はしないつもりです。




(2019.08.25 10:44:49)

「寄生獣」の真実   ともちゃん さん
佐藤さん

『「無面目」と「寄生獣」。二つとも傑作だと思います。
「寄生獣」を再読なさった感想をお聞かせいただければ幸いです』

佐藤さんのリクエストに答え、『寄生獣』を再読した感想を語ります。
佐藤さんは『無面目』に感動されました。
そして、もちろん『寄生獣』にも感動されています。

人が、ある作品に感動するのは、登場人物と自分を同化させ、
一体化する事が出来るからだと思います。
つまり登場人物の心の動きを、他人事としてではなく、まさに自分の事として捉える事が出来た時、人はその作品を名作と呼べるのだと思います。

勧善懲悪の娯楽作品、たとえば『水戸黄門漫遊記』などでは、
斬り殺される悪人に、観客は全く感情移入をしていません。
斬り殺された悪人にも、親がいて妻子がいるはずです。
しかし我々は普通、そのような悪人に感情移入をしませんし、
娯楽作品とはそう言う人達に、
感情移入をしなくても面白く見る事が出来る作品なのです。
そのように物語りが作られています。

しかし『寄生獣』や『無面目』は少し違います。
たとえば、『無面目』の「渾沌」や『寄生獣』の田宮良子は悪人です。
その悪人に佐藤さんは、自分自身の姿を見いだし、まるで自分の姿を
鏡の中に見るように、彼等の姿を眺めているのだとおもいます。

なぜ『寄生獣』や『無面目』が、人を感動させるのでしょうか。
たぶんそこには、人類の深い業(ごう)が、
見事に描かれているからだと思います。
そしてその「業」は、自分自身の「業」なのです。
それは決して他人事ではありません。
ここに描かれた人類とは、佐藤さんであり、そして私なのです。

古来、名作は徹底的に人間の業(ごう)をあぶり出します。
だから古典とか名作と言われる作品は、
娯楽作品ほど軽い気持ちでは読めません。
漫画の翻訳をされる佐藤さんに、こんな事を言うのは釈迦に説法です。
その事を前提にした時に、私は佐藤さんの不思議な言葉に出会いました。

『いつも思うのですが、人類への失望が
ともちゃんさんの原動力のような気がします。
上記のようなことを肯定して何が面白いのですか?
「それが現実だ」と言われたら言い返すことはできませんが、
あなたの精神はどこかが病んでいるのかもしれないと
時々思うことがあります』

これは『寄生獣』に感動された、佐藤さんの言葉とも思えません。
古来、名作と言われる芸術作品は、人間の業に深く根ざした作品ばかりです。
いったい佐藤さんは、『寄生獣』に何を見ていたのだろうか?
そのような疑問が、私の心の中に頭をもたげるのです。
(続く)

(2019.08.25 16:25:11)

「寄生獣」の真実   ともちゃん さん
(続き)
ひょっとして、佐藤さんは『寄生獣』を、
あるエンターテイメントとして見ているのだろうか?
そんな疑問が、私の心に湧いて来ました。
確かに岩明さんは、
この作品はエンターテイメントでもあると書いておられます。
つまりストーリー的には、青春学園ドラマですし、
ある種のバイオレンス小説とも、取れなくはありません。

しかし、そこで終わったら、この作品の意味は全くありません。
佐藤さんは以前、自分が佐藤哲学を完成させたとき、
『寄生獣』を副読本にすると言っておられました。
そのような深い内容の物語を、
単なる娯楽作品として読み飛ばす訳には行かないだろう。
私は、この様な思いから『寄生獣』を何度も読み返しました。

私は、ここにある疑問を提示したいと思います。
佐藤さんは、田宮良子や「渾沌」の心を、
他人事として受け止めているのではないか?
そのような疑問です。

『チャイナやロシア、そして朝鮮は自国民の虐殺を行ってきました
日本人は、そういうことには組していません。
この点は、どうお考えですか?日本人も、彼らと同じだとお考えですか?』

これは真実だと思います。
しかし、佐藤さんの思考に一つ、納得できない事があるのです。
『チャイナやロシア、そして朝鮮は自国民の虐殺を行ってきました』
これは紛れもない事実です。佐藤さんの認識は正しいとおもいます。
私がどうしても首を捻ってしまうのは、
『日本人は、そういうことには組していません』と言う部分です。

人間の「業」の深さを佐藤さんは充分に知っておられます。
その事は、佐藤さん自身が語っておられます。
『自分の民族以外は、人間だと思っていない人たちも世界には多いです。
現在進行形の民族浄化がそれを物語っています』

クメールルージュの虐殺も含め、これらの行為は「人間の業」から生れます。
そして世界中の人間がやって来たことです。
どうも佐藤さんは、日本人だけが、その「業」から免れている。
こう言う事を仰有っている様に聞こえるのです。

ロシア・中国・朝鮮と、
確かに日本の周りには、怪しからん民族がうごめいています。
しかし日本人だけがその「業」から免れていると仰有りたいのですか?

それを言ってしまったら、単なる娯楽作品の視点でしょう。
「日本人の業」を覗き込む事だけでダメなのです。
一番大切な事は、「自分自身の深い業」を覗き込む事なのです。
それが人類が古来より営んできた、芸術活動であり宗教活動だと思います。

佐藤さんのお考えは、「臭い物に蓋」だとおもいます。
それでは、いつまでたっても真理は見えて来ないのではないのか?
私は、この様に考えます。
『寄生獣』は、決して娯楽作品ではありません。
人間の最も深い業をのぞき込んだ者だけが語れる物語です。

日本人だけは正しい。俺だけは正しい。
これでは、勧善懲悪の視点レベルです。
苦しいでしょうが、目を覚まして真実を見つめて下さい。
真実は、徹底的に醜いのです。
それが『寄生獣』の言わんとする所なのです。 (2019.08.25 16:27:16)

Re:「寄生獣」の真実(08/19)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>日本人だけは正しい。俺だけは正しい。
これでは、勧善懲悪の視点レベルです。
苦しいでしょうが、目を覚まして真実を見つめて下さい。
真実は、徹底的に醜いのです。
それが『寄生獣』の言わんとする所なのです。

その言葉をそのままお返しします。

日本人が戦後、自虐史観にさいなまれてきたことをともちゃんさんは全く意識なさっていないみたいですね。

私も日本人全てが聖人君子でありうということを言っているのではありません。しかし、他の民族の持つ残虐性は日本人の比ではないということを何故知ろうとしないのですか。

性悪説というより、「日本人だけ性悪説」を唱えているような気がします。

それは、もしかしたらともちゃんさんの世代なのかもしれません。一旦、しみついた自虐史観から覚めることができない。もしかして、ともちゃんさんは小国民世代ですか?(もしかしたら前に聞いたかもしれませんが) (2019.08.25 17:32:03)

Re:「寄生獣」の真実(08/19)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>これは『寄生獣』に感動された、佐藤さんの言葉とも思えません。
古来、名作と言われる芸術作品は、人間の業に深く根ざした作品ばかりです。
いったい佐藤さんは、『寄生獣』に何を見ていたのだろうか?
そのような疑問が、私の心の中に頭をもたげるのです。

私は人間の業のとらえ方が、ともちゃんさんと違うのだと思います。ともちゃんさんの場合、キリスト教の原罪みたいな気もします。

言語によって与えられてしまう業は私は確かにあります。だから日本人に生まれたことは、宝くじに当たったようなものだと思います。何故なら、最初に言語によって培われたものを乗り越えることは非常に難しいからです。乗り越える必要など感じない人が殆どであるということも言えます。

日本に生まれたこと、日本語を話すこと、日本文化をアイデンティティーの拠り所とすることは、これからの人類の進化にとって非常に意味を持つことになります。

ともちゃんさんとは、こういうことを共有することはできないようですね。 (2019.08.25 17:38:49)

Re:諸星大二郎氏の「無面目」に、認知の起源の解明のヒントがあるかもしれない。。。(08/19)   ともちゃん さん
佐藤さん

『一旦、しみついた自虐史観から覚めることができない。
もしかして、ともちゃんさんは小国民世代ですか?』

私は1948年の戦後生れです。
少国民世代と言うのは、私より一廻り(12歳)年上の世代です。
天皇陛下の為に死ぬ。
これが、少国民世代の基本的な考え方です。
彼等は、自虐史観とは反対でしょう。

左翼系の人達が自虐史観に走ります。
左翼系の人達は、何者かに支配される事に対して、
もの凄く反発します。
だから国家を最も憎んでいます。
かれらの考えを推し進めて行けば、
アナーキズムになります。
つまり、無政府主義です。

私の友人でも、右翼系は、「日本ばんざい神の国」です。
これは、佐藤さんと同じような連中です。
私は、心情としてはどちらも判ります。
彼等は、そのような「心情」で
自己のアイデンティティーを確立しているのです。

しかし、哲学者は「自己の心情」を乗り越えなければ成りません。
それが佐藤さんの言われる、「人間の視点を捨てる」と言う事なのです。
佐藤さんは、常に「人間の視点を捨てた立場で認識する事」を提唱しながら、佐藤さんご自身は、人間の立場を捨てる事が出来ないのです。
私は、ここに佐藤さんの限界を感じます。

佐藤さんは、これが自分のアイデンティティーだ。
だから、これを捨てたら、自分が自分でなくなる。
この様な意味の事を仰有っていました。

ここは目をつぶって、崖から飛び降りて見てはいかがでしょうか?
今まで見えなかったモノが見えて来ます。
さもなければ、同じ所を堂々巡りをするだけです。 (2019.08.26 11:19:07)

Re[1]:諸星大二郎氏の「無面目」に、認知の起源の解明のヒントがあるかもしれない。。。(08/19)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>私は1948年の戦後生れです。
少国民世代と言うのは、私より一廻り(12歳)年上の世代です。
天皇陛下の為に死ぬ。
これが、少国民世代の基本的な考え方です。
彼等は、自虐史観とは反対でしょう。

漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓二氏は小国民世代だったようです。この作品は10巻まであり、全部読みましたが、いろいろと問題のある記述があります。日本や天皇に対する恨みがページの端々に見られます。

昭和一桁と呼ばれる世代がいます。つまり、戦争が終わったとき、小学校高学年からら高校生でした。これくらいになると、戦争とは何であったのか自分の頭で考えられるようになります。ところが、その前の世代は、無邪気に戦争を肯定してきて、ある日突然、戦争は最悪だと吹き込まれます。このギャップに苦しんだのが小国民世代だと私は認識しています。



>>>左翼系の人達が自虐史観に走ります。
左翼系の人達は、何者かに支配される事に対して、
もの凄く反発します。
だから国家を最も憎んでいます。
かれらの考えを推し進めて行けば、
アナーキズムになります。
つまり、無政府主義です。

私も、昔はそういう考えに感化されていた時期がありますので、なんとなくわかります。でも昔から「何かおかしい」とは感じていました。



>>>私の友人でも、右翼系は、「日本ばんざい神の国」です。
これは、佐藤さんと同じような連中です。
私は、心情としてはどちらも判ります。
彼等は、そのような「心情」で
自己のアイデンティティーを確立しているのです。

私がともちゃんさんに感じる自虐史観には、先ず日本が悪い、日本人は汚いという感情があるように思います。そして、自分がそこに属することを拒否しているようです。


>>>しかし、哲学者は「自己の心情」を乗り越えなければ成りません。
それが佐藤さんの言われる、「人間の視点を捨てる」と言う事なのです。
佐藤さんは、常に「人間の視点を捨てた立場で認識する事」を提唱しながら、佐藤さんご自身は、人間の立場を捨てる事が出来ないのです。
私は、ここに佐藤さんの限界を感じます。

これが全く分かりません。私は日本人として生まれたことで、自分の言語理論を構築できたと思っています。なぜ、自分が日本人であることを否定しなければいけないのですか。普遍的な何かを求める必要があるのですか?

私が「人間の視点を捨てる」というのを、ともちゃんさんは完全に誤解しています。それは、自分自身を自然に重ね合わせるtいうことです。自分の人間性を除外することではありません。


>>>佐藤さんは、これが自分のアイデンティティーだ。
だから、これを捨てたら、自分が自分でなくなる。
この様な意味の事を仰有っていました。

自分を自然に重ね合わせると、確かに自分のアイデンティティーがなくなります。最近、私は暗算が全くできなくなりましたが、これは自分の立ち位置を常に変えることを繰り返してきたので、プラスとマイナスの極を固定することができなくなったからと考えています。



>>>ここは目をつぶって、崖から飛び降りて見てはいかがでしょうか?
今まで見えなかったモノが見えて来ます。
さもなければ、同じ所を堂々巡りをするだけです。

堂々巡りをしているのはともちゃんさんの方です。自分の出自を肯定することができないから、それを哲学という一種普遍性があるもので補おうとする。でも、そんなことはできません。自分自身が確立していないのに、そんなに都合よく哲学は味方してくれませんよ。
(2019.08.26 12:13:42)

ブラジルの「勝ち組」   ともちゃん さん
佐藤さん

これは、非常に面白い文章ですね。
この辺に、私と佐藤さんの、考え方の根本的な違いがあるのだと思いました。

「自分の出自を肯定する」とありますが、
それが、そんなに大事なことだと言う事が、私にはよく判りません。
今、ピンと来たのが、ブラジルへ移民した人達の中に存在する
「勝ち組」です。

太平洋戦争以後、日本はこの戦争に勝ったと言い続けた人達がいたそうです。
つまりブラジルの中で孤立する人達にとっては、日本が敗戦したと言う事実は、その人達のアイデンティティーがくずされてしまうのです。

先日、NHKの大河ドラマを見ていました。
ロサンジェルスオリンピックで日本の水泳選手が沢山の金メダルを取ります。
その勝利に、日系アメリカ人が喜ぶシーンがあります。
「俺たちは日本人だ」こう言って涙を流すのです。
「出自にアイデンティティーが持てない」と言う事は、
こう言う事なんでしょうね。

日系人は、虐げられていました。
ロサンジェルスの日系人は、日本人選手が金メダルを取ることで、
自分が、日本人であると言う事に誇りが持てました。
そしてブラジルの日系人は、
日本軍の勝利をムリヤリに作り出してしまったのです。

佐藤さんの言われる「出自を肯定する」とは、
こう言う事でよろしいでしょうか。
ここは非常に重要な所だと思いますので、よろしくお願いいたします。 (2019.08.27 07:50:06)

Re:ブラジルの「勝ち組」(08/19)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ


>>>「自分の出自を肯定する」とありますが、
それが、そんなに大事なことだと言う事が、私にはよく判りません。

この議論は何度やっても同じです。もうやめましょう。

ともちゃんは、ニヒリズムこそ最高の哲学と思っています。そういう人に人間進化のの哲学は理解できないですから。 (2019.08.27 09:47:08)


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