1242993 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Free Space

《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和二年で満54歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


Copyright (C) 2009-2023 Naomiki Sato All Rights Reserved

Profile

CLG2009

CLG2009

Category

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

CLG2009@ Re[1]:無関心。。。(03/24) ななみさんへ コメントありがとうござい…
ななみ@ Re:無関心。。。(03/24) 3月6日のコメントのご返事ありがとうござ…
ななみ@ Re:西洋とインドの「consiousness」の研究の永遠の限界。。。(03/06) 2月28日のコメントのご返事ありがとうござ…
CLG2009@ Re:意識について考えるのに有利な言語はあると思います(02/28) ななみさんへ コメントありがとうござい…

Freepage List

Headline News

2019.09.05
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
今、生命の起源と、認知の起源をワンセットにして考えているのだが、認知の起源というのは「意志の起源」でもあることをふと思った。ただ、「意志」という単語に囚われると目標を見誤る可能性がある。

私にとって、生命は物質的記憶の進化の延長線上にある。これは、この宇宙での「存在」を支える進化である。これに対して認知は、その存在何らかの意思を持つことになる。認知の枠で考えると、自分という存在以外を認識して、それに応じて個別に対応するということになる。そして、その次の段階で、言語を通して宇宙に思いを馳せることができる人間が誕生する。

今は、生命と認知において、「同じだけど違う、違うけど同じ」という離散分裂更新循環の原理がどのように実現しているのかを考えている。「意志」であると気が付いたことで、また別の見方ができたと思う。頑張ろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.09.05 13:58:41
コメント(13) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


哲学的ボキャブラリーと詩的ボキャブラリー   ともちゃん さん
佐藤さん

「生命の起源」とは、単細胞生物が生れた瞬間の事ですね。
この時が「認知の起源」であり同時に、
「意志の起源」であると言う意味だと想います。
この辺までは、一般の人にも理解できます。しかし、その次の、

『「意志」という単語に囚われると目標を見誤る可能性がある』
と言う所に問題があります。
佐藤さんの「目標」に取ってはそうなのかも知れません。
しかし、佐藤さん以外の人、つまり「読者」からみれば、
「単語に囚われ」なければ、佐藤さんの仰有る意味がつかめないのです。

同一の「単語」に対して、同一の「意味」を共有する。
これが言語の基本です。
同一の「単語」に対して、「話し手」と「聞き手」が
別々の「意味」を思い浮かべていたのでは
コミュニケーションは成り立ちません。

ただし例外があります。それは、詩や文学です。
歌謡曲の歌詞の事を考えて下さい。
作詞家は、ある単語に対して、
一般の人が思い浮かべる意味には囚われていません。
一般人が想いもよらない、「単語」を組み合わせる事によって、
ある「単語」に、別の「意味」を与えます。

たとえば、旨(うま)い食べ物を紹介するテレビ番組があります。
出演されているタレントさんは、一口食べた瞬間に、
「ヤバイ」と口にすることがあります。
我々の年代では、食べ物が腐っていたのかとヒャッとします。

しかし「ヤバイ」と言うのは、現代用語では、
「信じられない」と言う意味なのです。
この時、タレントさんが発した「ヤバイ」は、
「信じられないほど旨い」と言う意味なのです。

あまり上品とは言えない表現ですが、ボキャブラリー(語彙)の乏しい
若い人は、この様な表現になるのだとおもいます。
しかし、ここにはトリックがあります。
中年のおっさんが、マズそうな顔をして
「ヤバイ」と言ったら、番組には成りません。

しかし軽薄そうな若者が、顔を輝かせて「ヤバイ」と言えば、
その発せられた「単語」の今までの意味は失われます。
そして、まったく別の意味が浮かび上がるのです。
これが「詩的な表現」です。

詩人はタレントさんの様に、「表情」では表現できません。
それでは、どうするのか?
他の「単語」との「あり得ない組み合わせ」によって、
その単語に全く別の意味を生み出すのです。

佐藤さんは、ご自分でもお認めになっておりますが、
哲学・科学・数学に関して、非常にボキャブラリーの乏しいタイプです。
佐藤さんの「単語」の使い方は、
おそらく軽薄なタレントさんのような表現になっているのだと想います。

これが現代の若者言葉なのです。
それを理解できる若者同士の間ではこれで良いのです。
しかし若者言葉を理解できない、頭の固い人に
「ヤバイ」なんてことを言ったら怒り出します。

ここにボキャブラリーの乏しい佐藤さんが、
哲学的な表現をする難しさがあります。
私は以前から、佐藤さんに漫画家になってはどうかと、
何度も言ってきました。
諸星大二郎は、『無面目』で、
「認知」の始まりを見事に表現しています。
一般の人と学問的なボキャブラリーでは隔絶している佐藤さんです。
佐藤さんには、漫画表現が一番適しているのではないかと想います。

何度も言いますが、
「単語に囚われる」とは、「単語を共有する事」なのです。
佐藤さんが言う「単語に囚われるな」とは、
自分の表現を詩的に捉えてくれと言う意味なのだと想います。

そこを充分理解して、文章を書かれて行けば、
何とか成るのではないかと考えております。 (2019.09.07 10:24:51)

Re:哲学的ボキャブラリーと詩的ボキャブラリー(09/05)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

何度も申し上げていますが、私を利用しようとするのはやめてください。自分で言いたいことがあるのなら、自分でブログでもなんでも作ってそこで発信してください。

ここは、私のブログです。私が好きなように自分の言葉で表現しています。ですから、それで何かを感じる人がいればめっけもの位に思っています。別に、誰にも理解されなくても私には関係ありません。

これ以降、こういうコメントがある場合、ともちゃんさんを再び出禁にしなくてはならなくなります。

よろしくお願いいたします。

(2019.09.07 17:56:50)

Re:認知の起源は、意思の起源でもある。。。(09/05)   みゅう さん
意志と認知・・・
参考になりそうなキーワードです・・・
植物も外界を認知していますが、意志はあるのでしょうか・・・
あるいはウィルスやプリオン。外界を認知しているというか、外界に左右されているだけかもしれないし・・・

(2019.09.08 19:11:41)

意志と認知   ともちゃん さん
みゅうさんへ

外界認知は、面白いテーマだと想います。
たとえば、「眠り草」と言われる植物があります。
ミモザとかオジギソウと言う呼び方があるそうですが、
彼等は植物でありながら外界の刺激に反応します。

「食虫植物」の一種であるハエトリ草も、ハエが止まったと言う、
外界の刺激で葉を閉じて虫を捕まえます。
「外界からの刺激」と言う意味では、太陽に向かって顔を回転させる
ヒマワリなども、同じ機能を持っていると言えます。

植物の「外界からの反応」と、
ウイルスやプリオンなどの動きは、何処が違うのでしょうか?
どちらも「外界を認知している」といえます。
「認知」と「意志」の関係で言いますと、癌細胞などは、
まるで「意志」を持った者のような動き方をします。

ウイルスやプリオンや癌細胞に「認知能力」や「意志」があると言うのなら、「睡り草」や「食虫植物」にも、「意志」があると言わなければ成りません。

「眠り草」や「食虫植物」には「意志」や「認知能力」がないと言うのなら、ウイルスやプリオンや癌細胞にも、「意志」があると言う事ができません。

ウイルスやプリオンの段階なら、まだ良いのですが、
これが「単細胞生物」に進化し、さらに多細胞生物の
海綿や海百合やイソギンチャクや珊瑚(さんご)に進化した場合、
この場合でも、これらの生命体は、
「意志」や「認知能力」を持ってないと言えるのでしょうか?

魚類に進化した場合、は虫類に進化した場合、哺乳類に進化した場合、
あるいは人間に進化した場合。
生命進化のどの時点で、「認知能力」が生れ、「意志」が生れるのか?

「認知能力」と「意志」、つまり「心」と言うモノがいつ生れるのか?
その存在を、誰がどうやって証明するのか。
おそらくこれは、何者にも絶対に証明不可能な問題ではないかと思います。

つまり生物学は、外からしか生命を研究出来ないのです。
その生命体に入り込み、その「生命の心」を読み取る事は絶対にできません。
その物体が、「認知能力」や「意志」を持っているのか?
これは、あくまでも外界からの判断に過ぎません。

相手に「心」は存在するのか。
これは、永遠に認識出来ない問題ではないかと私は想います
「我想う故に我あり」とデカルトは言いました。
要するに「心」とは、「自分の心」の存在しか確認する事が
出来ないのではないか?
私は、この様に考えております。

みゅうさんのご質問は、私にそのような事を考えさせてくれました。
どうも、ありがとうございました。 (2019.09.09 15:14:55)

Re[1]:認知の起源は、意思の起源でもある。。。(09/05)   佐藤直幹 さん
みゅうさんへ

>>>意志と認知・・・
参考になりそうなキーワードです・・・
植物も外界を認知していますが、意志はあるのでしょうか・・・
あるいはウィルスやプリオン。外界を認知しているというか、外界に左右されているだけかもしれないし・・・

今、これを考えるのに、我々が知っている認知が無い状態を先ず想像することにしました。

というのも、言語のメカニズムを理解するのに、言語を使えない動物のレベルで何が起きているのかを知ることが決定的だったからです。

物質一般、ウイルス、プリオン。。。どこに境界線があるのかわわかりませんが、頑張ってみます。

(2019.09.09 18:55:10)

Re:意志と認知(09/05)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>「認知能力」と「意志」、つまり「心」と言うモノがいつ生れるのか?
その存在を、誰がどうやって証明するのか。
おそらくこれは、何者にも絶対に証明不可能な問題ではないかと思います。

申し訳ございませんが、今私が研究しているテーマが正にそれになります。私は、それが可能だと思っています。言語では、それに成功したので、何とか解決できると思っています。


>>>つまり生物学は、外からしか生命を研究出来ないのです。
その生命体に入り込み、その「生命の心」を読み取る事は絶対にできません。
その物体が、「認知能力」や「意志」を持っているのか?
これは、あくまでも外界からの判断に過ぎません。

だから私は「記憶」という概念を持ち込み。内部から研究しようとしているわけです。


>>>相手に「心」は存在するのか。
これは、永遠に認識出来ない問題ではないかと私は想います
「我想う故に我あり」とデカルトは言いました。
要するに「心」とは、「自分の心」の存在しか確認する事が
出来ないのではないか?
私は、この様に考えております。

そういう風に考えてしまう哲学は私は要らないと思いました。哲学者は、自分で枠を作ってしまい、その先に行くことを自分で禁止してしまいます。私は、その先に行けると思っています。実現できるかどうかは別ですが、可能性はあると考えています。

(2019.09.09 19:00:09)

パブロフの犬   ともちゃん さん
佐藤さん

渋谷駅の前には、今でも忠犬ハチ公の銅像が建っています。
主人が死んだ後も、夜の7時には、駅まで迎えに行く忠犬の姿です。

しかし、ある生理学者に言わせると、
あんなモノは「条件反射」に過ぎないと言うのです。
条件反射は、パブロフの実験が有名です。
犬にエサをやる時に、必ずベルを鳴らします。
しばらく、それを繰り返すとエサをやらなくても、
ベルの音を聴くだけで、犬は涎(よだれ)を流します。

ハチ公も、7時の時報を聴くと、エサが欲しくて涎を流します。
涎を流しながら渋谷の駅まで急いだと言うのです。
ハチ公に取っては、エサの存在も、主人の存在も、もう関係ありません。
7時の時報だけが問題なのです。

これを人間にあて嵌(は)めると「お金」になります。
紙幣などは、ただの紙切れです。
鼻をかむか、尻を拭くぐらいしか役に立ちません。
しかし多くの人間は、お金を見たら涎を流します。

大金持ちも、さらにお金をほしがります。
金持ちに取って、金で何が買えるかは、問題ではありません。
とにかく、お金が欲しいのです。
お金を見ると、涎が流れて来るのです。
つまり人間は、お金で条件づけられているのです。
お金はパブロフの犬に取っての、ベルの音と同じモノなのです。

「条件反射」に対して、「無条件反射」が存在します。
これは動物が示す先天的な反射です。
たとえば,パンをかじると唾液の分泌量が増えます。
煙が目に入ると、涙が多量に出て、眼球の表面を洗い流します。
医者は足に異常がないかを調べる時に、膝の下を軽くたたきます。
異常がなければ、足が跳ね上がります。
これらは、後天的に条件付けられたモノではありません。
生物が生れながらに持っている反射であり、
これらを「無条件反射」と言います。

生物に外界から与えられる「信号」には、
「第一信号系」と「第二信号系」が存在します。
色、音、匂い、味、触感など、言語を仲立ちとしない
直接的な信号で発生する条件反射の総和が「第一信号系」です。

人間の脳では、第一信号系と相互に作用しあいながら、
第二信号系が発達します。
これが言語刺激のもとに形成される第二信号系です。
第二信号系は、第一信号系と相互に作用しあいながら、
複雑な心の作用を行います。
幼児の心は、第一信号系が主導します。
小学校の低学年になると、第二信号系の発達が顕著になります。

生理学者に言わせると、ハチ公が主人を迎えに行くのは条件反射です。
これと同じく、人間が言語を覚え「第二信号系」を発達させたのも、
条件反射の一種だと言うのです。
つまり、この生理学者は、犬には心など存在しないと言いたいのです。
これを推し進めて行くと、人間には心など存在しないと言う事になります。

パブロフの条件反射が偉大なのは、彼が「認知」や「主体性」
つまり「意志」と言う存在を、
「条件反射」と「無条件反射」で説明仕切ったからです。
ここまで来ると、デカルトの「動物機械論」になります。
あるいは、人間機械論と言って良いかも知れません。

佐藤さんは、哲学は嫌いだと仰有っています。
しかし論理を、生理学的に勧めて行けば、
どこかに接点が生れるのではないでしょうか?
(2019.09.09 23:26:55)

Re:パブロフの犬(09/05)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>しかし、ある生理学者に言わせると、
あんなモノは「条件反射」に過ぎないと言うのです。
条件反射は、パブロフの実験が有名です。
犬にエサをやる時に、必ずベルを鳴らします。
しばらく、それを繰り返すとエサをやらなくても、
ベルの音を聴くだけで、犬は涎(よだれ)を流します。

それは私も聞いたことがあります。でも違うと思います。犬はちゃんと人間を特定して認識する能力があります。


>>>これを人間にあて嵌(は)めると「お金」になります。
紙幣などは、ただの紙切れです。
鼻をかむか、尻を拭くぐらいしか役に立ちません。
しかし多くの人間は、お金を見たら涎を流します。

お金というのは、人間が「価値」という概念を言語と一緒に手に入れたことによって成立しました。


>>>大金持ちも、さらにお金をほしがります。
金持ちに取って、金で何が買えるかは、問題ではありません。
とにかく、お金が欲しいのです。
お金を見ると、涎が流れて来るのです。
つまり人間は、お金で条件づけられているのです。
お金はパブロフの犬に取っての、ベルの音と同じモノなのです。

いつもの通りですが、人間を常に悪者に仕立て上げないと気が済まないんですね。


>>>人間の脳では、第一信号系と相互に作用しあいながら、
第二信号系が発達します。
これが言語刺激のもとに形成される第二信号系です。
第二信号系は、第一信号系と相互に作用しあいながら、
複雑な心の作用を行います。
幼児の心は、第一信号系が主導します。
小学校の低学年になると、第二信号系の発達が顕著になります。

言語刺激というのは、正確ではないと思います。なぜなら、そういっている科学者たちが言語のメカニズムを理解しているとは思えないからです。


>>>生理学者に言わせると、ハチ公が主人を迎えに行くのは条件反射です。
これと同じく、人間が言語を覚え「第二信号系」を発達させたのも、
条件反射の一種だと言うのです。
つまり、この生理学者は、犬には心など存在しないと言いたいのです。
これを推し進めて行くと、人間には心など存在しないと言う事になります。

やはり言語を理解していないととんでもない理論が出てくるといういい例ですね。


>>>パブロフの条件反射が偉大なのは、彼が「認知」や「主体性」
つまり「意志」と言う存在を、
「条件反射」と「無条件反射」で説明仕切ったからです。
ここまで来ると、デカルトの「動物機械論」になります。
あるいは、人間機械論と言って良いかも知れません。

私は「意志」という用語を使わずに、認知を説明しようと思っています。そこには「記憶」そして「自己同一性の進化」というキーワードがあります。


>>>佐藤さんは、哲学は嫌いだと仰有っています。
しかし論理を、生理学的に勧めて行けば、
どこかに接点が生れるのではないでしょうか?

全くそうは思いません。 (2019.09.10 17:12:23)

とらわれない心   ともちゃん さん
佐藤さん

『いつもの通りですが、人間を常に悪者に仕立て上げないと
気が済まないんですね』

そうでは、ありません。
私は、綺麗事に誤魔化されずに、キッチリと人間の本質を見ているだけです。
それから、私は、ヘイトスピーチが悪いとは一言も言っておりません。
人間には、人より優れたいと言う生物として根源的な「欲求」があります。

その欲求から、金銭欲がうまれます。
そしてまた自国民は、他民族よりも優れていなければ鳴らないと言う
幻想が生れて来ます。
ヘイトスピーチは、そこから生れて来るのです。

しかし私は、道徳家ではありません。
金銭欲もヘイトスピーチも、ネット右翼の人達の誇りが生まれ出る根源も、
あるがままに見ているだけなのです。

何物にも左右されない透明な心があれば、必ず真理は見えて来ます。
その事を佐藤さんに、学んで頂きたいだけなのです。





(2019.09.11 10:06:39)

Re:とらわれない心(09/05)   佐藤直幹 さん
ともちゃんさんへ

>>>何物にも左右されない透明な心があれば、必ず真理は見えて来ます。
その事を佐藤さんに、学んで頂きたいだけなのです。

私は別に宗教的な真理を求めているわけではありません。多分、そこがともちゃんさんとの大きな違いだと思います。

(2019.09.11 18:43:21)

Re[2]:認知の起源は、意思の起源でもある。。。(09/05)   みゅう さん
こちらこそありがとうございます。
鏡という物質も、光を認識し、反射するという意味で認知しているということになるのかなとか、ブラックホールは光を反射せずただ吸い込むだけという点で認知はしていないのかなとか、いろいろ考えさせられました。
とりあえず、認知のない状態を考えることから私も考えてみてみようと思いました。いろいろ考えさせられるご意見に感謝申し上げます!

(2019.09.13 20:19:05)

Re[3]:認知の起源は、意思の起源でもある。。。(09/05)   CLG2009 さん
みゅうさんへ

今既にあることがあり、その前の無かった状態を想像することはかなり難しいと思います。言葉を話せない動物の認知に関して、私は自分で理解できたと思っていますが、他の科学者たちは、そういう問いさえもしていない状況だと思います。

鏡の話は面白いです。物質同士が、どのようにお互いを認識しているのか。私はここから考えないといけないのだと改めておもいました。


(2019.09.14 00:43:06)

物質の視線   ともちゃん さん
みゅうさん

鏡と言う物体に、何らかの認識作用があるのか?
この問いは、面白いですね。

私は、カメラの事を思い浮かべました。
自分の恥ずかしい姿が、カメラに写っても、
人間は、その事自体で恥ずかしいと思うことはないと思います。
やはり、カメラの背後に存在する、人間の目が怖いのだとおもいます。

人間の目と言っても、カメラのような物です。
やはり、その背後にある「心」に自分の姿を
見られるのが恥ずかしいのだと思います。

たとえばスーパーマーケットに備えてある監視カメラよりも
ヨボヨボのガードマンさんの視線の方が
万引き犯には怖いのではないかとおもいます。

みゅうさんが、仰有っている事は、そのような「視線」が
物質の中にも存在するのではないかと言う感覚なんでしょうね。

(2019.09.14 01:59:44)


© Rakuten Group, Inc.