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カテゴリ:新ソシュール記号学
私が考える、人間に備わった特殊な記憶喚起のメカニズムによる「自己同一性/アイデンティティー」について、一通り説明したので、「自己同一性を実現するための、相似的な過去と現在の自己の記憶の融合による自己の更新サイクル」が、心理学の分野で扱われているアイデンティティーにどのようにして行き着くのかを考えてみたい。
これを論じる前に、動物一般にみられる認知とは何であるかを定義する必要があるのだが、実は、その前に「知覚」とは何かを問う必要がある。 人間が意識の中で、記憶喚起と認知のメカニズムをベースにして築き上げる記号というのは、その「個人」の価値観である。記号には「意味」が込められているとソシュールは考え、フランス語の動詞の「Signifier(意味する)」を使って、「Signifiant/Sinifie」としたが、実は記号には意味ではなく、彼が別の章で扱った「Valeur(価値)」が込められているのである。 記号はフランス語で「Signe」あるが、私は「意味」を除外するために、「Signe(署名する、あるいは記憶として刻む)」という動詞を使い、「Signifiant/Sinifie」を「Signant/Signe」置き換える。これは、発話の形、それ自体には意味はなく、我々の意識上に記憶されるということを想定している。 認知という生命体の活動は、外界の知覚に対する反応が基本にあり、高等生物になると、これに個体の経験の記憶を基準とした判断の 言語によって、アイデンティティーの一種の標準化が行われるのだが、これは単なる概念、及び意味の構築方法(文法)の共有ではない。そこには、社会生活を営むための価値観の共有が関わってくる。 この価値観は、倫理観と密接に関わっているものであり、言語によって倫理観も変わってくることを意味する。同じ言語を話すということは、 端的にいうと、習得する言語によって別の人格を持つことを意味し、これが言語民族が作るいわゆる「国民性(必ずしも国を築くわけではないが)」を左右することになるのある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.10.17 02:20:20
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