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カテゴリ:新ソシュール記号学
今年に入ってツイートしたものを転載。
ここ数年、年末年始をカンボジアで過ごしているのだが、年を追うごとにカンボジア語が耳に入って来るのがわかる。と言っても特に勉強している訳ではなく、知っている単語も本当に僅かである。しかしカンボジア語のリズムがつかめて来ると、知っている単語を軸にして他の単語が「見えて来る」。面白い。 今正に、この「リズム」の重要性を感じている。聴覚発声言語の場合、先ずリズムを身につけないと発音がついてこない。日本語の場合、イントネーションには地域差があるが、発音は完璧でも抑揚が無いと理解が困難。昔、ケベックのカナダ人の全く抑揚のない英語の発表を聞いた事があるが、大変だった。 今考えているのが、音素への「文節」の前に、聴覚による認知システムの「離散化」である。前から時間軸の前後への離散化により子音と母音という二大カテゴリーが生まれたのは理解していたが、ここにリズム(イントネーション/アクセント/声調/ストレス)という時間軸に垂直に構成される軸が加わる。 この「前後」及び「上下」という互いに交差する二方向の軸があることにより、音韻論で言う所の「ミニマル・ペア」を支える特殊な認知構造「同じだけど違う、違うけど同じ」が形成される。ソシュールはこれを「パラドクシカルな原理」と呼んでいるが、私は単に「相矛盾する原理」であると考えている。 このメカニズムであるが、時間軸に垂直にかかる上下の軸により、音節の何処を軸にして、単語を認識するかの判断をすることが可能になる。声調のある中国語などは、一音節に、この垂直の軸がかかるが、日本語や英語、伊語では複数の音節にかかる。仏語は特殊で、母音のバリエーションという形で表れる。 聴覚認知をベースにした価値体系である音韻体系は、認知システムの二方向の軸による離散化が先ず初めにあり、それを基に子音と母音に調音するというプロセスを取る。これが、私が考えている言語理論の核心部分である。 視覚ジェスチャー言語である手話にも適用されるが、また別に投稿したいと思う。 一つ補足すると、これが「記号学」になる。ソシュールの記号学をベースにしながら、更に発展させたものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.01.16 10:47:49
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