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カテゴリ:新ソシュール記号学
最近、ある人との議論で自分で考えたことが少し前に進んだ気がする。
記号に関して、離散性とフラクタル構造を考えていたのだが、それが融合できるモデルが思い浮かんだ。 記憶というのは、認知という運動サイクルを動的な構成要素であるというのが第一の前提である。これは、記憶は、単に過去に知覚的・運動的に知覚した経験を情報として保存してあるものであるという定義ではなく、記憶自身に認知主体の反応を起こす原動力が具わっていると考える。そして、知覚というのは、それに対する反応を、自らの身体の運動という形で引き起こすために、外界の物理的刺激を一種の記憶として知覚器官に内在化したものであると考える。 つまり、運動があってこその知覚であるということになり、刺激を知覚して反応するという一般的な理解とは逆をいくものである。 生命体が新陳代謝という形で自らの自己同一性(実際は自己相似性)の維持するメカニズムを確立した際、自らの物質的な自己同一性と対峙するものを認識するメカニズムが同時に生まれたと考える。生命体としての内と外の境界線が確立されただけでなく、生命活動としての運動を、外界の物理的な刺激との関連で内在化(記憶)していくメカニズムが生まれ、これが知覚となり、それが発達して様々な知覚器官が進化していったのである。 認知のメカニズムは、生命の種としての進化を推進する一つの装置として並行して進化していくことになる。ここには、遺伝子によって紡がれていく種の進化と、その種の個の中に宿る認知(意識)の進化が同時進行することになる。前者の進化は、物質的進化の延長戦であるのに対して、後者の進化は、いわば個の意識の進化であると言える。 認知主体が自分とは違う他者を認識し、それに応じて運動を行うことは、その瞬間、そこにその個が意識として存在していることと同義である。 そして、個体が自らの経験を記憶するという場合、それは認知のサイクル自体が記憶されるわけであり、記憶というものは動的なものとなる。決して、過去の経験の情報だけが記録されているのではなく、それが喚起された場合、その記憶自体が反応を引き起こすメカニズムを内包しているのである。 (ただ、この記憶というのは脳を通して形成されるものであるが、脳のどこかに蓄積されるような類のものではないだろうと考えている。どこにあって、どのように喚起されるかは、未だ考察すべき課題である。) 生命的個体の認知(動物的意識)は、物質の進化の延長線上にあり、物質が最初に生まれた際に生まれたメカニズムをそのまま踏襲しているはずである。物質を生んだ火のリレーが行われ、生命を生み、同時に認知を生んだのである。そして、その先にあるのが人間という言語を手に入れることになる特殊な認知主体である。人間は一人一人、物質誕生からのリレーの火を託されているのである。 記号の離散性とフラクタル構造の融合に関しては、また追って書こうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.02.25 09:30:11
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