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カテゴリ:「ともちゃん」さんのコメントへの返事
「真面目に考えるさん」の問題提起 ともちゃん さん (2022.01.15 00:12:33)
佐藤さん 「真面目に考えるさん」の主張は、 言語以前に「自己意識」が存在すると言う事です。 これが、オーソドックスな考え方なんでしょうね。 アカデミズム的な考え方と言っても、いいと思います。 >>>「真面目に考えるさん」のコメントに対して、あまり厳密に考えずに返信をしたのですが、ともちゃんさんには、甘い対応と映ったようですね。 私も簡単に理解できますし、 これは佐藤さんも理解されていると思います。 とりあえず現在は、 「真面目に考えるさん」の論理を基本に 考えるべきだと思いますが、いかがでしょうか? 「真面目に考えるさん」の基礎の上に、 どの様にして自分の論説を積み上げるか。 それが、佐藤さんの問題なのだと思います。 「真面目に考えるさん」と佐藤さんの大きな違いは、 「自己意識」です。 「真面目に考えるさん」は、 「自己意識」をアプリオリ(先天的)なものと考えておられます。 しかし佐藤さんは、 「自己意識」がどのようにして生まれてきたのか? これを問題にされています。 「真面目に考えるさん」は、原始人を例にだされました。 しかし実際は、猿で馬でも象でもネズミでも 「自己意識」が存在します。 だから他者を食い、強い者からは逃げると言う、 動物の本能がうまれます。 >>>やはり、この「自己意識」の定義が一番の問題ですね。 この「自己意識」は何処まで遡(さかなのぼ)れるのか? 魚までか、タコやイカまでか? あるいは貝やナマコまでか、 あるいは単細胞生物にも「自己意識」は存在するのか? 細胞未満のウイルスはどうなのか? 原子や分子に「自己意識」は存在するのか? 我々は、こんな議論を重ねてきました。 しかし佐藤さんは、認知メカニズムの記憶システムに 離散化が起きたことによって「自己意識」が生まれたと 語っておられます。 佐藤さんおっしゃるように、言葉の後に 「自己意識」がうまれたのなら、 言葉を話せない動物や植物、 あるいはそれ以下の生物の「自己意識」は、91326 どこから生まれてきたのか? ここに絞って考えれば、問題点が ハッキリしてくると思いますがいかがでしょうか? >>>ともちゃんさんのコメントを読む前に、新しい投稿をしました。 新年になって、これからどうやって持論を展開するかを今、必死になって考えている所なのですが、やはり思いついたことに集中して投稿するのが一番の様です。 一番の問題は「自己」とは何であるかですね。 以下、「真面目に考える」さんのコメントの引用です: 「自己は記憶の同一性連続性からなる。昨夜寝る前に覚えていた記憶が今朝起きたときにも保持されていれば自分という存在を当然に感じる。記憶が大事だ。」 私は、この「自己同一性(実際は、自己相似性)」の感覚が人間という種に生まれたからこそ言語が生まれたと考えますが、「真面目に考える」さんは、この扱いが非常に「雑」です。 つまり、物質的な自己同一性、生物的な自己同一性、そして認知的な自己同一性(実際は、自己同一性を維持しようとする限り無い自己相似性)の存在を全く考慮することなく、唐突に「自己意識」を持ち出しています。 ただ、「真面目に考える」さんだけが、こう考えているわけではなく、恐らく、人間や言語に関する持論を持っている人のほとんどが、このような雑な議論を展開しているのだと思います。 私が「現在の言語学は戯言である」と言い切ったのは、このような印象を私が持っているからです。 因みに私が「戯言」という言葉を初めて知ったのは、アニメ「機動戦士ガンダム」の登場人物シャアの台詞です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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佐藤さん
>>>私は、この「自己同一性(実際は、自己相似性)」の感覚が >>>人間という種に生まれたからこそ言語が生まれたと考えますが、 >>>「真面目に考える」さんは、この扱いが非常に「雑」です。 「真面目に考える」さんは、 「自己意識」の扱いが非常に「雑」である。 「自己意識」には、人間の「自己意識」、動物の「自己意識」、 単細胞生物の「自己意識」、原子や分子の「自己識意」がある。 「真面目に考える」さんは、 それらの「自己識意」を、一緒くたにしている。 わたしは、人間の「自己識意」だけを精密に分析し、 言語の生まれて来る課程を厳密に解説した。 佐藤さんは、この様に主張されている。 私は、そのように解釈しましたが、 これで宜しいでしょうか? (2022.01.18 20:49:25) |