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カテゴリ:「ともちゃん」さんのコメントへの返事
学問を超える ともちゃん さん (2022.01.19 17:23:49)
佐藤さん 佐藤さんの言われるアイデンティティとは、 「自己同一性」であり、「自己相似性」であり、 「自己意識」と同じものでしょうね。 >>>そう単純ではないと、一言だけ言っておきます。 「自己意識」とは、「自我意識」とも言われ、 哲学的には「自我」と呼ばれています。 要するに佐藤さんは、これまで「自我の研究」を されて来たのだと思います。 >>>この分析は正しいと思いますが、私は哲学を出発点にしなかった。この違いは大きいです。 「自我」とは、哲学でも宗教でも、 最も重要な研究テーマです。 「自分とは何か」 哲学や人生論の入門書として、 このような題名の本が出ています。 これを見ても「自我」がいかに 重要な研究テーマかがわかると思います。 佐藤さんはこの「自我」を、 言語学と結びつけて考えてこられました。 しかし、「言語学」をもちだすと、 かえってややこしく成ります。 >>>前から、断言していますが、私は哲学が大嫌いですし、哲学者は言語のメカニズムも知らない無知な集団でしかありません。 佐藤さんは最初「言語学のうそ」と言うテーマで 語ってこられました。 しかし、佐藤さんの「自我」のテーマは 本来は言語学とは関係ないと考えるべきだと思います。 つまり佐藤さんは、 言語の発生するその根底が、研究テーマなのです。 >>>「言語の発生する、その根底が(私の)研究テーマ」というのは正しい分析だと思いますが、私は言語という「小さな窓」を通して、哲学者が扱う「自我」をとらえようとしているのだと思います。 数学が成立するその根底、 物理学が成立するその根底、 歴史学が成立するその根底。 ようするに個々の学問が成立する その根底を研究する学問を 普通は「哲学」と呼びます。 しかし佐藤さんの場合は、 その哲学が「言葉」から出来ていると主張されます。 ここに「言葉が先か哲学が先か」の 「卵と鶏」問題が発生しているのだと思います。 >>>数学が成立するためには、「個人」つまり「1」という離散的な概念が生まれる必要があります。それが高じて、物理学や化学、そして生物学に発展します。 歴史学に関しては、私は分かりません。チャイナと朝鮮を見ていると歴史というのは、プロパガンダかファンタジーのどちらかになります。アメリカに関しても、あまり変わりませんね。米国人にとって歴史はハリウッドですから。 「数学の根源」を研究する学問は、数学ではありません。 同じく「言語学の根源」を研究する学問も 言語学ではありません。 このような発想で佐藤さんの研究テーマも 言語学から切り離してしまった方が、 分かりやすいと思います。 現在の佐藤さんの研究テーマは「言語学を超えて」です。 この「超えて」と言う意味ですが、 これは全ての学問が発生した、 その方向へ超えて行くと言う意味だと思います。 その学問を超えた部分では、 佐藤哲学に取っては、もう言語学は関係ない。 私は、そう言う事を申しあげたいのです。 >>>私は、新興宗教の教祖になるつもりはありません。あくまでも、一つの学問として「記憶科学」或いは、それに相当するものの実現を考えています。 だから、人類を構成する殆ど全ての人が普通に操る事の出来る言語のメカニズムを解明する事が、手っ取り早いと思っています。 ただ、現段階で、私の発想は「論理の飛躍」があり過ぎて、常人には理解ができない様です。でも、これは天動説と地動説の違いと同じで、発想の転換を受け入れるかどうかにかかっています。 私自身は、既に先に行っているので、誰かに発想の転換を指揮してもらう必要があります。私は、常に先に先にと進むだけです。それしか能がありません。私は当事者なので、それは不可能だからです。 今の世界はめまぐるしく変わっています。だから、私の「佐藤哲学」の理解者が出てくるのも時間の問題かもしれません。でも、私は妥協しません。今までも、そうでしたし、今後もその可能性はありません。 最後に復唱しますが、私は教祖になるつもりはありません。そんな強靭な精神も持っていません。 だから、私は自分一人でもがきながら、誰か分かってくれる人を探している。それだけです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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