言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

2024/05/22(水)17:12

西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」

記憶科学(246)

Kastrup 氏の分析的観念論が、どうもしっくりと来なくて悶々としているのと西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の動画が流れてきた。 この短い論文を読んだ事はあるのだが、哲学の素養の無い私には、理解出来なかった。 しかし、自分の考えている事と何処かでシンクロする感じがしている。 只、Kastrup 氏も西田幾多郎も、哲学者であるので人間の主観という視点で全てが語られているようであり、これが私との大きな違いである。 私は、宇宙における「心の進化」の第三段階で、人間の自己意識になる「心」の進化の軌跡を記録する記憶の視点を取る事にしている。 哲学というのは人間について思索する学問であるし、対象は人間そのものであるし、この世界の現実もあくまで人間の視点から見たものである。 私のアプローチは、哲学者のアプローチとは全く違う。 それは、先ず人間の視点を捨てる事から始める事である。 私が、哲学を理解できないのは、私が「自分という一人称の主観的な主体の視点」を捨ててしまった事にあるのだと思う。 これは言ってみれば、究極の客観視であるが、人間の主観に付随する客観ではなく、神の視点であるというのが大きな違いである。 これをどうやって説明すればいいか分からないが。

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