言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

2024/05/24(金)19:48

「バイバイ、デカルト」の実践。。。

記憶科学(350)

哲学も言語学もどうやら、人間の持つ「一人称の主観的な視点」がデフォルトとなっている様である。 私は、ソシュールの「言語には差異しか無い」という命題を記号のシニフィアンにも適用する事を通して、この「主観的な視点」を捨てる事を実践してきたのだが、そういう発想は、他にはないらしい。 私が「主観的な視点」を捨てる事になったのは、言語を話す上で人間が直接関与していない何らかの時空間があるのではという漠然とした仮説を立てたからだと思う。 その直接的なきっかけは、ミニマルペアが成立するは二つの単語を聴覚のみで時間軸に沿って平行に並べる事が可能でなければならない事。 我々は、音声言語の音素を弁別する為のミニマルペアを探すとき、二つの単語を意識的に時間軸に平行して並べているのではなく、二つの単語が聴覚的な記憶の上で、自然と並ぶ。 そこで私は、時間軸を基軸とした言語を形成できる時空間が、我々の認知システム上に確立されると考えたのである。 この「時間軸を基軸とした言語を形成できる時空間」を理解する為に、私が最初にしたのは、これの基礎となるヒトを含めた動物一般に共有されている認知システムを定義する事であり、その次に、この認知システムに何が起きて、この特殊な時空間が構築されたのかを解明する事にした訳である。 認知システムを理解するという事は、動物の心を理解する事に繋がるが、これに成功した事が、私の研究の方向性を決める事になった。 先ずは、この時空間は、記憶喚起という認知メカニズムが基礎にあるという事に気付いたのは幸運だったが、これは聴覚と視覚に共通なのは記憶であるという発想だった。 認知システムの重要な出発点である知覚による記憶の喚起は、知覚されたものと相似した認知的記憶が、個体の意志に左右されずに自動的に喚起されると考えた事が大きな突破口となった。 そして今では、認知システムの胚を成しているのが、自己存在から進化した自己意志であるという事まで辿りついた。 宇宙の歴史を、自己存在の確立、自己意志の誕生を通り、人間の人格となる自己意識の確立という、心という自己同一性の進化の歴史として捉える事で、今後、全く新しい形の科学のアプローチが可能になると思う。 自分の考えている宇宙論が、言語学だけでなく哲学の基本的な枠組みである人間な主観的な視点を大きく外れてしまっているのを最近、ひしひしと感じている。 私はこれを全て数学を使わずに解いてきた。 だから、誰にも理解は可能ではないかと密かに思っているが、そう簡単でないのも分かっている。 ソシュールの「記号」は、完全な形ではなかったが、それを修正する事で、我々が数学をするときに最低必要な離散的な自然数の概念を実現する胚になるという事を後から理解する事ができた。 この「記号の離散性」を数学で説明できるかは分からないが、量子力学にそのヒントがあるかも知れないと思う。 波動である認知的記憶から、離散的な記号が生まれる過程であるが、これを私は「離散分裂(再)融合更新循環サイクル」と呼ぶ。 この循環サイクルは、離散分裂と(再)融合更新という二段階で構成されていて、宇宙の意識である自己同一性を生み、維持し、進化させる動的なメカニズムである。 循環サイクルと考えると、離散分裂と(再)融合更新という時間軸上に前後に並ぶ二段階の過程になるように見えるが、二つ目の「(再)融合更新」という過程は、実は、時間にも空間にも制約されず、瞬間的に起きる事で、波動からの離散化を実現する循環サイクルを確立する。 これが重力である。 いや、逆に、重力という「(再)融合更新」の過程が、離散分裂という過程と同時に瞬間的に発動する事で、波動が離散化して粒になり、その粒の生成の連続が、物理的な時間軸という形で成立するのである。 言語のメカニズムを理解する事で、不可思議な量子力学の解決のヒントが得られるはずである。 言語のメカニズムの観察の利点は、先ず、数学を使わないという事。 だから、数学の素養の無い私でも可能だった。 しかし、一つ大きな障壁がある。 それは、言語のメカニズムの正しい観察をする為には、主観的な自分の視点を捨てる必要がある。 つまり「バイバイ、デカルト」の実践である。

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