628948 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

言語学の嘘(ソシュール記号学の再考)

PR

Free Space

《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和元年で満53歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


Copyright (C) 2009-2018 Naomiki Sato All Rights Reserved

Profile


CLG2009

Category

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

CLG2009@ Re[1]:言語とは何か?という問い再び。。。(推敲中)(11/20) New! みゅうさんへ 私もそう考えています。た…
みゅう@ Re:言語とは何か?という問い再び。。。(推敲中)(11/20) New! 示唆に富む内容でとても参考になります! …
CLG2009@ Re[3]:イタリア語の聞き取り練習。。。(11/11) みゅうさんへ 開けてよかったです。 こ…
みゅう@ Re[2]:イタリア語の聞き取り練習。。。(11/11) CLG2009さんへ ありがとうございます! …
CLG2009@ Re[1]:イタリア語の聞き取り練習。。。(11/11) みゅうさんへ 正しく分節化できるように…

Freepage List

Headline News

全41件 (41件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 >

アイデンティティー

2019.10.07
XML
言語学者たちが長年行っている言語の起源論争で一つ決定的に欠如しているものがある。

それは、言語が成立する前に、先ず人類という種の個体が、自らのアイデンティティー(自己同一性)を確立する必要があるという前提である。そして、このアイデンティティーの確立というのは、他の生命体の種では見られない現象ということである。

更にに重要なことは、人間だけが確立可能なアイデンティティーを論じる前に、それ以外の動物が何をしているかを理解する必要がある。動物の状態に、何らかのプラスアルファがあって人間へと進化したと考える方が、自然な論理であると考えているからである。

(続く)






Last updated  2019.10.11 17:51:32
コメント(6) | コメントを書く
2016.11.25
アイデンティティーというのは言葉によって形成されるとしたが、この2つは完全に一致するものではない。

例えば、在日朝鮮人で日本語しか話さない二世や三世が居るが、彼らのアイデンティティーは日本人ではないし、思考回路も朝鮮人の方に近いだろう。ただ、日本語だけしか使えないことで全く朝鮮人であるとも言えないだろうが。

外国にだた支那人の場合、日本人と違って絶対に地元に同化しないというのがある。何代も経ると支那語を話さなくなってくるだろうが(中には、最初に支那語を教え、移住先の国の言葉は後回しというのもあるが)それでも、中華のアイデンティティーはなくならない。

中華のアイデンティティーというのは華夷秩序、つまり支那を中心として朝鮮を従え、その下に日本を位置づける秩序のことである。海外の華僑にとって「南京事件」は、それを肯定する格好の材料である。つまり、日本は残忍だ、日本はひどいことを我が国にした、だから日本人は差別されてもいいのだという論理がすんなり展開する。しかも、彼らの判断基準は欧米であって、欧米諸国が認めている南京事件なのだから、真実であろうと他力本願している。つまり、自分たちの「祖国」がいかにひどい国かということを認めない。認めたとしてもそれは共産主義のせいにする。もともと持っている支那人の気性が、特権階級だけが甘い汁を吸い、民を搾取し、民を虐殺する共産主義と非常に相性が良かったことは認めようとしない。

人間のアイデンティティーというのは言語で形成されるのであるが、それだけではない。底の部分を十分に説明できるようにならないといけないと思う。






Last updated  2016.11.25 17:51:10
コメント(0) | コメントを書く
言語は平等でないというのは私の持論でもあるのだが、どうも端切れが悪い。

言語がコミュニケーションの道具であるということは否定しないのなら、それがどのような場面で使われていて、それ以外の場では、どのように使われているかを考えたほうがいいと思い始めてきた。

コミュニケーションとして一番使われるのが、これからする予定と何をしたとの記述かも知れない。新しいことはない、ただただわかりきっていることを予定したり記録したりするだけである。

また、言語というのはもともと価値観の塊であるとも考えている。ここで価値観というのは、何か刺激が合った時にどのように判断して行動するかである。これは、その個人の生き方を決めることになり非常に重要である。

この判断前の価値観が渦巻いている状態が離散的カオスであって、すなわちアイデンティティーである。






Last updated  2016.11.25 08:53:58
コメント(0) | コメントを書く
2016.09.15
どうも「人間の視点を消す」という表現の「人間」が誤解を招いているようである。

私が人間を使ったのは、「私は自分の視点を消すことで、記憶の視点にたどり着くことができた、だから同じ言語を使う他の人達も、そこにたどり着くことは可能である」という意味を込めての事だったのだが、どうも「人間の視点」がひとり歩きしているようである。

この視点で、もう一度考えてみたいと思う。






Last updated  2016.09.15 17:36:46
コメント(3) | コメントを書く
2016.09.13
「離散融合更新循環」を実践する一種のエンジンとして存在する「言語の記号」であるが、これと人間のアイデンティティーとの関係が、少しづつであるが見えてきた気がする。まだ、どのようにシンクロし、どのように違いがあるのか、はっきりしない部分もあるが、何か形が見えてきた兆候がある。

そして今日、もうひとつ閃いたのは、記号というエンジンを使って記憶が進化するとき、具体的に何を「燃料」としているのかということ。普通に考えれば、それまで進化した記憶なのであるが、どのような形で記憶を燃料投入しているのだろうかとふと思った。

私の閃きやインスピレーションは、自分が考える枠組みに「穴」がある時、そこに何が入るのだろうと考えることから得ることが多い。今回の「燃料」も、「エンジン」という表現をしたところから発想が始まっている。いわば、これは必然的なインスピレーションなのか知れない。

とにかく「言語の記号」は、記憶を実際に進化させ記録する媒体であるが、人間のアイデンティティーの形成がこれとかなりの部分でシンクロしているのは間違いないだろう。日本語で言うところの「気」が「記号」とシンクロしているかも知れないという感じもある。

もう少し考えがまとまったらまた書こうと思う。






Last updated  2016.09.13 07:05:35
コメント(1) | コメントを書く
2016.06.19
コメント欄に返信すると、埋もれてしまう可能性もあるので、こちらにレスします。

Re:右翼と左翼は、集団と個人の対決か。。。(05/19) fractalemode さん
EUからの離脱の賛否を問う国民投票が行われるイギリスで、EUへの残留を呼びかけていた女性の下院議員が銃で撃たれ死亡しました。犯人はウヨクらしいですが、ウヨクとサヨクを集団と個人の対決と考える佐藤さんはこの事件に関して記憶(コメント)を残しておくべきではないでしょうか。 (2016.06.18 19:42:15)


色々と考えたのですが、ヨーロッパ人の中に、価値観の違う人間たちとの共存はできないという認識が広がっているのが、イギリスのEU離脱などの運動につながっていると思います。今までの移民は、ヨーロッパやアフリカからでしたが、キリスト教という共通点があったため、同化していきました。しかし、イスラム系は違います。価値観が根本的に違います。

同じ人間である。皆平等だ。だから移民を受け入れて皆共存しなければいけない。このような風潮がありました。他民族も共存できるのだという何か狂信的な思想ですが、最近ドイツでは公式に否定されていますし、これを信じる人達が徐々に減ってきているのは感じています。

それに、どう考えても移民は自国の富と自由を目当てにしているのは明白なのですが、これを大手を降って主張できない雰囲気もあります。私だって、フランスに移住したのは、自分なりのメリットがあるからです。一人や二人のレベルでは、あまり問題にはなりませんが、これが大勢になると社会保障費は増大していきます。

また、移民政策は帝国主義の裏返しという側面もあります。つまり、自国民が市内仕事を国内で移民に従事させるわけです。今までは、植民地でそれが実行されていましたが、それが今では自国内に移民が移住して行われ、次第に逆植民地化が進んでいると危機感があるのだと思います。

これは確かに、人間の個人としてのアイデンティティーを優先させるサヨクと、個人の集まった集団のアイデンティティーを重要だと考えるウヨクの対立が起きている構図になると思います。

ナショナリズムは、国のエゴです。EUはそのエゴを抑える形で発展してきましたが、国の主権を奪うという芸当をやってのけました。歴史上のナショナリズムは、多くの戦争を引き起こしてきましたが、今起こっているナショナリズムは、それとは異質の内向き運動です。アメリカが歴史上、定期的に内向きの政策をするように、ヨーロッパも自分たちのアイデンティティーを守りたいという動きが出てきたの私は考えています。




















Last updated  2016.06.21 20:02:02
コメント(16) | コメントを書く
英国での、EU残留支持の女性議員の右翼男性による殺人事件の詳細を素人して、BBC World を見ていたら、米国での黒人と白人の構図がオバマ大統領の誕生と共に変化を遂げているというルポに出くわした。

米国では、黒人は最初奴隷であった。南北戦争後、奴隷制は廃止されたが、社会参加は限られていた。公民権運動が広がり、黒人にも政治に参加する権利が与えれたが、それでも社会的に黒人の置かれている経済的状況は白人社会と比べて非常に低い水準であった。

その差を是正するために、黒人に対する優遇措置が取られたりしてきたのだが、アメリカが黒人(白人とのハーフ)を大統領に選出した時点で「アメリカが黒人を差別している」という主張が「一種の神話化」しつつあるというのだ。

この背景にあるのが、「貧しいのは黒人だけではない」という主張だ。実際、共和党の大統領候補トランプ氏を支援しているは「プア・ホワイト」と呼ばれる人達が多いとも言われる。こういう白人たちは、自分たちが貧しくても、政府から特に援助もなく、誰も見向きもしてくれないと思っているのだろう。

今までは、黒人という「差別された弱者」を救済する方向で政治が動いてきたところがあるが、今、これが根本から崩れようとしているとルポでは結論づけていた。直言は避けていた気がするが、黒人たちが、一種の「被害者ビジネス」を繰り広げてきたと、白人たちに受け取られている可能性がある。在日朝鮮人による被害者ビジネスは今日本で広く認識されつつあるから、何か通じるところがあるかも知れない。

ルポの中で、白人が多く住む住宅地のすぐそばに、黒人が多く住む貧民街が存在する町が出てきた。これが、白人と黒人を分けて住宅分譲をしてきた不動産会社のせいであるような見方があることも紹介していた。しかし、白人たちが開拓者時代から持ってきた気質と奴隷として連れて来られて南北戦争を通じてようやくアメリカの歴史を担う役割を得た黒人の気質には、大きな隔たりがあると思う。そして、この気質の違いが貧困層を生み出している可能性もあるということだ。

日本では、開拓者精神の権化である「大草原の小さな家」が人気だった。そこには、原住民であるインディアンを迫害・略奪してきた白人の姿はない。この番組を見て、インディアンや黒人たちはどう思うのであろうか。意地悪ネリー役の役者さんが、撮影当時のことをネタにしてショーをしているが、観客席に黒人たちは座っているのだろうか。









Last updated  2016.06.19 23:37:57
コメント(28) | コメントを書く
2016.03.17
日本で普通「集団的アイデンティティー」というと「郷土愛」とか「愛国心」という言葉を発想する人が多いだろう。これは、日本語を話して、それが日本という国に結びつくという非常に簡単な構造になっているのが理由だろうが、世界でこういうのは逆に珍しい。フランス語を話しているからフランス人というのは当てはまらないし、英語に関してはもっと極端である。朝鮮語は、南北にわかれているし、中国にも朝鮮民族がいる。

「アイデンティティー」を持つということは、他人と比較して、自分を優先して考えるということである。自分が生きたい、自分がいい思いをしたいという基準で行動が律される。しかし、そうなって全ての他人が敵になるわけではない。ここに「集団的アイデンティティー」が生まれるからである。

まず自分のアイデンティティー、つまり「個人的アイデンティティー」を確立した時、「集団的アイデンティティー」の及ぶ範囲は、まず家族であり、同じ界隈に住む住人である。そして、自分の使う言葉が通じる地理的人的範囲が、その人間の集団的アイデンティティーの及ぶところとなる。しかし、単に同じ言葉を使うことだけでは、同じアイデンティティーを持てなくなる。「政治的アイデンティティー」が発生するからである。

記憶言語学では、言語というのは「個人的/集団的アイデンティティー」を確立するものだとするが、日本語が日本を作るというような単純なものではない。特に「集団的アイデンティティー」に関しては、言語が重要な媒体であるが、その言語で表現される、文化や歴史、そして社会制度や法律などに至るまでの全てが「集団の記憶」が関わってくるのであり、それを受け入れ実行するのが「集団的アイデンティティー」なのである。

今の言語学は「文法言語学」である。将来、「アイデンティティーの言語学」が確立した時、一体言語学者は何を研究するようになるのだろうか。文法学を切り離し、全く別物としてやっていく必要があるのか。

その時、言語の特異性をどう説明するかというのも問題になる。いわゆる国民性を科学することができるかということである。例えば、日本語のもつ可能性をどのように説明したらいいのか、今後の課題になるだろう。






Last updated  2016.03.17 23:23:19
コメント(73) | コメントを書く
2016.03.16

一般的には、コミュニケーションが言語の目的であるとされている。私も、言語とコミュニケーションの深いつながりを否定するわけではない。しかし、コミュニケーションというのは、言語が誕生する前から存在していたのであるし、言語の登場によって、その質が変わり、人間の個人と集団のアイデンティティーの確立のために使われているとしたほうが自然だ。

ソシュールは、「ランガージュ(言語活動)」を「パロール」と「ラング」に分けたが、「個人のアイデンティティー」と「パロール」、そして「集団のアイデンティティー」が「ラング」になるかどうかは、今後検証してみる必要がある。

どちらにしろ、私が考える「個人と集団のアイデンティティー」は、言語活動だけに限らない。歴史や文化というものも含むが、必ず言語によって伝えられ、発展していく性質のものである。

ただ、ここで「集団のアイデンティティー」というのが「国のアイデンティティー」になるかどうかは、甚だ怪しい。「国への帰属感」を持っている「個人」は、世界中を見ても私は少数派だと見ている。でなければ、世界中なあんな数の難民や不法滞在者が出てくるわけはないからだ。

自分たちの住んでいる地域にある「国家や政府」が悪かったら自分で直せばいいのであるが、それをせずに他国に寄生するかたちで生きようとする。そして間違いなく、何らかの形でその「国家や政府」が倒れたとしても、後から続くものは、その前のものと同じ性質のものをもっている。直接選挙をして選んだとしてもあまり効果はない。賄賂や選挙妨害が横行するのは目に見えているからだ。

言語の目的を「アイデンティティーの確立」とすることで、今まで文法云々でお茶を濁していた言語学者たちが、社会の現実に直ぐに目を向けるとは思えないが、一つ一つ始めなくてはいけない。

今世紀のパラダイムシフトは、言語学から起きる。






Last updated  2016.03.16 22:04:12
コメント(15) | コメントを書く
2016.03.10

ソシュールの失敗は、「シーニュ」論から「意味」を排除できなかったこととと、「恣意的」という呪文を使ってしまったことであると指摘したが、もうひとつ彼が考えつかなかったことは、「シーニュ」というのは言語だけのものではなく、それから1つ上のレベル、つまり「人間のアイデンティティー」を作る核になるということだ。

今、私はソシュールから受けたインスピレーションを使いながらも、自分独自の言語理論を構築している。しかし、それは言語だけには留まらかい。元々、「記憶言語学」を超えて「記憶科学」としよと考えて入るが、その移行の前に「アイデンティティー」に関してもう一度はっきりすべきであるだろう。

以前に比べて、論点が大分はっきりとしてきた気がする。もっとがんばろう。






Last updated  2016.03.10 21:32:38
コメント(17) | コメントを書く

全41件 (41件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 >


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.