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言語学の嘘(ソシュール記号学の再考)

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《自己紹介》
佐藤直幹(さとうなおみき)と申します。令和元年で満53歳になります。丙午です。現在、フランスのパリ近郊在住で、翻訳を中心に仕事をしています。
nsato75@yahoo.fr

記憶による自己同一性進化論という、テーマに取り組んでいます。言語の本質を追い求めているうちに、人間とは何か、認知とは何か、生命とは何か、太陽系とは何か、時空間とは何か、物質とは何かという問いが生まれ、これらの根底に流れているが「記憶」という概念だと気がつきました。

ただ。ここでいう「記憶」の概念は、端的に言うと私の造語で、我々の知っている「記憶」をカバーしてますが、全く新しい概念で「すべての存在を生み出し、支え、進化させる」ものです。

記憶による自己同一性進化論は、今の科学の枠組みとは全く違うものになりますが、今の人類の知識を、新しい枠組みで捉え直すというプロセスと考えれば、矛盾は無いと思います。一言で言うと「科学のパラダイムシフト」を起こしたい訳です。

今は、ソシュールの記号学を「記憶による自己同一性進化論」という枠の中で再構築することを課題としています。ソシュールの「一般言語学講義」を再読しながら、記号学を新たなレベルに引き上げることを目標としています。


日本の大学では経済学を専攻しました。卒業後、金属素材メーカーに就職しましたが4年後の1995年に退職、直後にフランスに渡航し、言語学の勉強を始め今に至ります。一応フランスで修士と同等の免状(DEA)を取得していますが、博士論文は途中で断念しました。

高校三年のときにアメリカのイリノイ州に1年間のホームステイ留学、大学3年に上がる前に韓国に一年間、語学留学していました。最近は大分忘れましたが、フランス手話もフランスで勉強し、私の言語理論の重要な支えになっています。

始めはフランス語で発信しようと思いましたが、フランス語の語彙の概念を借用しながら、日本語で書く事にしました。あまりネガティブなコメントにはおつきあい出来ないと思いますが、興味があれば読者の方々と色々とディスカッション出来ればと思います。

「日本人の為のフランス語自習室」というブログもあります。最近は更新していませんが、フランス語に興味の有る方は是非どうぞ。
http://francais75.exblog.jp/

趣味は折紙ですが,最近は半分プロとしてやっています。
折紙のバラが専門です。ここに作品を発表しています。ミクシーでは、もっと多くの作品を公開しています。ハンドルネームは「Mikki」
http://pliagedepapier.com/gallery/index.php?cat=11645

2015年8月に、「バラの折り紙 ROSE」という本が出版されました。
http://www.amazon.co.jp/バラの折り紙-1枚の紙から作る-佐藤直幹/dp/452905466

2018年1月27日に「美しいバラの折り紙」という本が出版されます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%8A%98%E3%82%8A%E7%B4%99-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9/dp/4529057674/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1516427564&sr=1-1&keywords=%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%B9%B9

2019年9月24日にアメリカのTuttle社から「美しいバラの折り紙」の英語版「Naomiki Sato's Origami Roses, create lifelike roses and other blossoms」が出版されます。
https://www.tuttlepublishing.com/other/naomiki-satos-origami-roses


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日本のアイデンティティー

2017.01.01
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ともちゃんさんのご友人には歴史に興味がある方がいらっしゃるようですが。以下の命題を、ともちゃんさんご自身と皆さんはどう思われるのか気になりました。

「中国にとって歴史はプロパガンダ、
韓国にとって歴史はファンタジー、
日本にとって歴史はヒストリー」

私は、誰が言ったにせよ、これは言いえて妙であると思っています。ここ数年、ネットで中国と韓国ウォッチをしてきて私が出した結論です。

ともちゃんさんのコメントを見ていると、ご自分の経験や価値観をどの時代のどの国の歴史にも投影されているようですが、支那人や朝鮮人が書いた歴史についてはどう思っていらっしゃるのでしょうか。

それに、ご友人の皆さんがどう考えているのかも気になります。特に在日韓国人の方々です。

お忙しいと思うので、機会があったときに聞いていただけたら幸いです。






Last updated  2017.01.01 21:15:44
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2016.11.29
言語がコミュニケーションの道具だと見ているのは、人間を認知主体、つまり動物であると考えていることに起因する。人間を真の意味で理解知るとなると、記憶の進化のためである。

ただ、全ての発話や思考が直接に進化につながるわけではない。プラスとマイナスの両方があって、総合的に進化の方向に向かっているだけなのだ。つまり、進化させる言語と退化させる言語があるということである。

宇宙のスケールで考えたら、どちらも必要と言えるのだろうが、退化に専念している言語民族が隣にあるというのは、日本にとって幸運か不運か最近わからなくなっている。






Last updated  2016.11.29 07:16:19
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2016.09.16
FBに投稿したものです。

日本に帰国中、非常に不愉快な体験をしました。横浜から東横線に乗って渋谷に行く電車の中での話です。社内は非常に空いていて、立っている人は私を含めてごく一部でした。そこで居合わせたのが、十数人の日本の小学生と五、六人の大人のグループでした。どうも普通のグループではないと思ったのが、子供と大人の会話が「英語」だったからです。よく見ると大人たちは、黒人の女性二人を含む外国人の様で、一人だけ日本語と英語を一緒に使う女性がいて、その人は日本人だとわかりました。

その日本人の女性は、座っている子供たちの前に立ち、何かの本を片手に持ち、もう片手で本を指さしながら話しかけていました。よくは分かりませんでしたが、数字のゲームをしていたようです。つまり、それは日本人の小学生対象の英語キャンプだった可能性があります。時間も午後遅くでしたから、帰るところだったのでしょう。初めは、英語キャンプとはこんなものなのかと思っていましたが、日本人の女性が手すりにもつかまらず、非常に危険な状態で「英語を教えている」ことに不安を覚えました。今ここで急ブレーキがかかったら、彼女はそのまま車内を飛ぶロケットになり、本人どころか他の乗客にも非常に危険です。私が思ったのは、問題は公共の電車の車内の中で、英語の授業をしているため、彼女はそういう常識的なことを完全に忘れているということでした。どちらにしろ、電車の中で、かなり大きな声で数字ゲームに興じているのは、マナー違反だとも思っていました。

それで、その女性の肩を軽くたたいて「ここは公共の場所で教室ではありません。授業はやめてください」という内容のことを日本語で伝えました。その方は、分かったような顔をして、また振り向くと子供たちとゲームを始めました。それで「あなたにはわかってもらえないようなので、このグループの責任者はどなたですか」と聞いたら、彼女が「私です」と答え、またゲームを始めました。私も、いよいよ我慢がならなくなって「一番うるさいのはあなたです」と言いました。この一言が効いたらしく、少したってゲームを終了しました。

問題は、この後です。この女性は、少し離れたところに行き、そのまま立っていたのですが、座席に座っていた同行している若い黒人の女性二人が、英語で私のことをののしっているのが聞こえてきました。よくは聞こえませんでしたが、英語でなぜ言わない、日本語で日本人だけにいうなんて、という内容だったと思います。そして、さらに、私たちに一言もしゃべってはいけないとでも言っているのかと言い始めました。さすがに、これには私もカチンときて、そんなことは言っていないと英語で答えました。

彼女たちの私への攻撃は、この時点からさらにエスカレートします。私が日本語で注意したのも、日本語がわかる人がいるし、ここは日本であるのだから、日本語で言うので問題がないと思ったからです。私は英語が普通に使えますが、英語を日常的に使っているわけではありませんので、面倒くさいという点もありました。彼女たち(多分、アメリカ人)と、その後、口論になります。彼女たちの言い分では、ここは公共の場所であるから、そういうところで何をしてもいいという論法でした。日本では、公共の場所では静かにしていて他人に迷惑をかけないようにすることが当たり前です。彼女たちは、それとはまったく逆のことを主張してたのです。あたかも、英語を使っていればなんでも許されるという雰囲気でした。

とどめは、うるさいんだったら他の車両に移ればいいという彼女たちの言葉でした。これは頭に来ます。私はちゃんと料金を払って乗っているれっきとした乗客です。何故彼女たちのグループのために別の車両に私が移動しなければならないのか、日本人の私から見たらめちゃくちゃな論理です。この英語キャンプがアメリカで実施され、公共の電車の中でアメリカ人たちが皆温かい目で見守る中で行われるのであれば私はそれで構わないと思います。ところがここは日本です。日本では電車の中では騒がないで、しかも手すりにしっかりつかまっていることが求められるのです。

私は、それ以上反論する気にもなれず、渋谷に着くまで黙っていましたが、彼女達の挑発は終わりませんでした。渋谷に着いて、ドアの前に立ったとき、私の後ろに立ってさらに挑発を続けます。私もよっぽど、日本のルールに従えないのなら、自分の国に帰れと言おうと思ったのですが、そこまでエスカレートさせて私を差別主義者にするのが彼女たちの作戦だと思っていたので、そこはぐっとこらえました。私は最後に彼女たちに向かって「You guys are pathetic.(あなたたちは救いようがない)」と一言言うと、それに対してまた口での攻撃を続けます。あきれはて、電車を下りて歩き去る私の背にさらに罵倒を浴びせかけてきます。本当に気分の悪い経験でした。

このようなシチュエーションで日本人から文句が出るのをほとんど彼女たちは経験していないのだと思います。私はどこでも結構口を挟む方なので、嫌な奴だと思ったのでしょう。しかし、聞こえよがしに堂々と人の悪口を言う姿を見ていた日本人の小学生の子供たちはどう思ったのでしょうか。自分の権利を堂々と主張(?)する彼女達の姿を見て、頼もしいと思ったのなら彼らは日本の文化に不適応となるでしょう。実際、アメリカに留学して日本に戻ってくる子供たちは、日本で日米の文化のギャップに苦しみます。私も高校でのアメリカ留学経験者ですからよくわかります。しかし、日本に再適応することができて初めて異文化体験が完結することを学びました。彼女達のしていることは、日本の子供たちをアメリカナイズさせて、日本の価値を否定するように仕向ける行為です。

話が大分長くなりましたが、一つの結論としては、小学生の時にこのような形で英語を教えることは百害あって一利なしということです。自分の子供が英語をできるようになるのは、親にとって自慢できることかもしれませんが、そのおかげで日本人としての資質を身に着けることを子供たちが拒否することさえ考えなくてはなりません。バイリンガル教育というのは、子供にとって非常に負担です。なぜなら、価値観の違う文化の間を行ったり来たりしながら、精神に分裂をきたさない心の安定が要求されるからです。国際結婚した両親を持つ子供たちでも、すべてがバイリンガルになれるわけではありません。バイリンガルというのは一種の多重人格です。アメリカから帰国したばかりの私は、日本語を話すときと英語を話すときで、違う人格を使い分けていましたが、どっちつかずの自分が不安でたまりませんでした。

日本ではもうじき、小学生からの英語教育が始まると聞きました。これは由々しき事態です。日本文化は日本語という非常に難しい言語によって生まれます。特殊な日本語によって日本文化が守られているとも言えます。子供たちにまず、きちんとした日本語教育を施した後で、知識としての英語を教え、高校大学の段階で、それ以上求める人たちには、留学の道などを勧めるのが最良であると私は考えます。大人になっても必要があれば言葉は勉強できます。中学高校と英語を習って英語が使えないというのは別に問題ではありません。日本では全てのことを日本語で学ぶことができます。英語を使えなくても勉学は可能です。英語やフランス語でないと高等教育が受けられない国もあるのですから、これは非常にラッキーなことです。

ヨーロッパで数か国語を話す人たちが多いのは、共通する文化母体が大きいからです。つまり、もともとの発想が似ているのです。まず、日本の発想をきちんと教えたうえで、英語での発想の違いを教えた方が有意義です。

あと、私が英語ができるのは、それなりに苦労しているからです。もともと語学に才能があるのは認めますが、それ以上にちゃんと努力もしています。英語を勉強するのに簡単な道などないのです。日本の子供たちには、まず日本の教育をきちんと与えた上で、英語教育を選択しとして与えることで私は十分だと思います。

長くなりましたが、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。






Last updated  2016.09.16 06:34:12
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2016.09.09
このブログでも以前に、記憶科学の実践の舞台は日本になる可能性が高いという話をしたことがある。

記憶科学は、最終的に、人類の進化を科学の分野だけではなく、社会や思想の分野までを含めて扱うことを目的としている。この中で、独自の進化を遂げてきた日本文明が、人類の進化の1つのプロトタイプであると考えるようになったからである。

日本文明を支える最大の思想は、「感謝」である。日本人は感謝の心を通じて全ての物と通じる術を身につけ、それを実践することで日本文明を豊かにしてきた。

日本語の「ありがとう」は、「有り難い」という言葉から来ているというが、全てのことが実は「ありがたい」存在なのであり、1つとして「当たり前」のことはないと考える。茶の湯の「一期一会」は正にそれである。

当たり前の日常として流れてしまう様々なことに関心を持って対峙する時、そこには「狂気」が生まれるのだろう。元々狂気を持って生まれてくる天才肌の人もいるだろうが、日本人の様に後から自分の興味が高じて狂気を育むオタク肌の人もいる。

私の考える「離散融合更新循環」というのは、ありふれた日常とはなく、常に変化し続けているということである。その中で、何を磨くかですべてが変わってくる。お金は、他人の時間を買うことである。しかし、自分を磨く時間は買えない。

感謝の心を持つということは、一つ一つのことやものを自分の一部して取り込むことでもある。自分一人では生きられないということを、「ありがとう」という言葉を発する度に無意識に思い知らされ、いろんな人達の力を集結し未来を切り開く力となっていく。

ちょっと感じたことをメモしてみた。






Last updated  2016.09.09 08:26:26
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2016.08.04
今、長野の実家にいるのだが、テレビをよく見る。

NHKで「農民工」に関する番組があったのだが、NHKお得意の事実を捻じ曲げる意図が見え隠れしていた(ただ、番組を最後まで見る気力がなかったので、断言はできないが)。

中国では、都市の戸籍と農村の戸籍があり、人民の移動が制限されているという。しかし、都市に職を求めて移住し、そこで当然子供が生まれる。農村の戸籍の子供たちは都市の学校に通うことはできない。その中で、農村の子たちによい教育を与えようと頑張っている先生のことを紹介した番組だった。

しかしよく考えてほしい。これは、れっきとした人権侵害である。同じ国民でありながら、生まれにより差別されているのである。しかしNHKにこれを指摘する動きはない(世界でも、これを批判した報道をあまり聞いたことはないが)。かわいそうな農村工の子供たちと彼らのために奮闘する先生の感動話になってしまうのである。

こうすることで、日本人は中国人の子供はかわいそうと思うだろう。そして自分も何かできることをしたいと思う人もいるはずだ。しかし、これは巧妙な罠なのである。中国共産党政府は、人民のためになることをする気はさらさらない。同情する日本人から金や技術を巻き上げるのが中日外交の主目的なのだ。

今までの自分だったら、やはり「かわいそう」と思ったかもしれない。しかし、今はそうは思わない。NHKの記憶ロンダリングの魂胆がわかるからだ。今は、一人でも多くの日本人がこの策略jに気が付いて、中国を見放す決断をしてほしいと思う。

中国が脅威になったのは日本が援助したからである。これは紛れもない事実だ。それなのに、日本に感謝するどころか、日本の国(尖閣諸島、沖縄、北海道の水源)を脅かす動きをこれからもますます強めていくだろう。

お人よし日本人から、我々はもう卒業する時期に来ている。価値観を共有できる国は他にいくらでもあるのだから。






Last updated  2016.08.04 17:23:52
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2016.07.29
フランスでも、日本のテレビ番組は視聴することができるが、受信料が非常に高い。

それで、少し遅れてユーチューブにアップされているものを見たりするのだが、違法アップロードだとわかっていてもついつい見てしまう。

最近ハマっているのがテレビ東京の「日本に行きたい人応援団」だ。三味線、相撲、うどん、東京メトロ、わらじ、如雨露、合気道、競技かるた、舞妓、豆腐、そろばん、たい焼き、古民家、太鼓、大島紬、着物、墨絵と、とてもコアなテーマが多い。一人一人の日本文化に対する入れ込み様を見ていると、彼らがいかに日本の文化を愛してくれているのかが伝わってくる。

ここに出てくる人達は、私が見た限りではほぼすべてロシアを含む欧米人だった。少し前なら、日本の白人コンプレックスとか言われそうだが、結局日本文化や価値観を評価してくれるのは西洋文化をバックグランドにした人達なのではと再認識させられる

日本は地理的には「アジア」に位置する。しかし「アジア的」というのは蓋をあければ「支那的古代社会」のことであり、日本は支那の歴代王朝の影響を受けながらも全く別の文明圏を築いている。この認識が、世界にまだまだ広まっていない理由としては、神道が、キリスト教や仏教の様に宗教として認識されていないこと、そして、この文化圏に属する国が基本的に日本だけということが挙げられる。

しかし今、日本文化は様々な国に広まっているし、そういうノウハウを日本人以上に認めて深めていこうとしている人達がどんどん増えているのだろう。漫画やアニメだけでない、もっとコアな日本をだ。

出演者が異口同音に自分を受け入れてくれた人に対して感謝の意を表すとき、そしてそれに対して日本人が逆に感謝で返礼をするとき、暖かいものを感じる。

感謝こそ、「離散融合更新循環」の実践につながるキー概念である。














Last updated  2016.07.29 20:36:43
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2016.07.26
東京都知事選の様子は、インターネットのおかげでフランスでも知ることができる。そして、あちこちから漏れてくるのが日本のマスコミの偏向報道だ。総数で21人が立候補しているにも関わらず、小池、増田、鳥越の三候補しかTV局に呼ばれないし、紹介もされない。辛うじて、NHKの政見放送があるくらいである。

私も最近まで、報道というものの力を過小評価していた。これに気づかせてくれたのは、支那・朝鮮問題である。彼らは、嘘でも言ったもん勝ち、嘘でも信じさせたら勝ちという価値観の持ち主である。日本人の常識から言ったら、全く想像がつかないが、実際にこうやって嘘を仕組んできた。真偽の程は確認できてはいないが、日本のマスコミ、特にテレビには在日枠があるという。テレビ業界に外国人が入る言うこと自体、危険極まりないことであるが、テレビの朝鮮人の通名報道などを見ていると信じざるを得ない状況である。

私が教科書で知った悪名高い「創氏改名」も、「氏」がなくて戸籍の管理ができないから「氏」を作れという制作をとった日本が悪いのであれば、今韓国人や北朝鮮人が姓として名乗っている「キム」や「パク」も「日帝残滓」であることになる。これに早く韓国人が気づいて、自分たち姓を廃止することを願う。何でも、韓国の山には日本原産のカラマツが多く植わっていて、それを日帝残滓として根こそぎ植え替える政策を取るそうだから、韓国で姓の廃止も近いかもしれない。日韓併合前は、女性に至っては名前さえ無かったのだから、廃止したらどうするんだろうか。

在日特権を許さない市民の会の前会長の桜井誠も出馬しているが、彼の演説の中で、朝鮮で行った「改名」には二円の手数料(現在の勝ちで三万円位)がかかっていたと聞いた。満州人にいじめられた朝鮮人が自分たちで進んで改名したことは知っていたが、手数料を払ったとは知らなかった。お役所仕事であるのだから、当たり前と言ったら当たり前である。しかし、ここまで来ると、朝鮮人というのは本当に情けない民族ということになる。自分たちでお金を払ってわざわざ日本風の名前に変えたのに、それを日本から強制されたと嘘を学校で教えているのである。

そして厄介なことに、今を生きる韓国人たちは、強制されたことが事実だと完全に思い込んでいるのである。これには小中華思想が関係している。支那の万年属国である朝鮮は、自分たちよりも低い地位になければいけない日本が国際社会で注目され尊敬されていることが許せない。だから、日本を貶めることであれば、それが嘘であっても信じることで自分の精神状態が保たれるのである。これに異議を唱えようものなら社会的に抹殺されることになる。「帝国の慰安婦」を執筆したパク・ユハ氏は今まさに抹殺されようとしている大学教授である。既に彼女の給料は官憲に接収されている。

今後、マスコミの報道とインターネットによる情報の拡散・共有とのせめぎあいが続くだろう。実際既に、日本における「記憶」の創出のプロセスに大きな変化が起きている。私が、自虐史観から脱出することができたのもインターネットによる情報のおかげである。

マスコミは今後も偏向報道を続けるのだろう。しかし、インターネットでそれが既にばれているので、ジャーナリストというのは自分たちは本当に最低の人間であることを、彼らは毎日宣伝しているのと同じである。

日本の記憶改革は今始まったばかりである。例えば朝日新聞が潰れたりしたら、それこそ多くの日本人に、この改革の異議が知れ渡ることになるだろう。それまで、私も自分のできる範囲で頑張ろうと思う。











Last updated  2016.07.26 18:43:00
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2016.06.17
フランスのある科学雑誌のニューズレターが届いた。

テーマは「嘘と真実」。

ヨーロッパでは、一般論として「嘘は悪く、真実は正しい」という価値観の下に議論がなされているのだが、記憶言語学という立場をとると、嘘というのは1つの記憶の形でしかないことになる。それ自体は、人間の取る言語活動の1つであり、そう簡単に善悪の判断をつけることは難しいということだ。

ただ、真実が未来に対して社会の進化を推進するのに対して、嘘は社会を弱体化させ、最後には滅ぼすことになると考えている。なぜなら、進化のメカニズムである「離散融合更新循環」が機能するためには、真実追求という力が融合を促すことになるからだ。ここに嘘が入ると、離散融合の更新ができなくなり、不完全な形で循環することによって時間を追う毎に劣化していく。

日本が、いろんな意味で発展を遂げてきたのは、真実の力を知っているからだ。そしてそれが社会の隅々にまで浸透している。特に科学の分野に於いてはこれが重要である。これからも、日本のこの部分は変わらないで欲しいと思う。







Last updated  2016.06.17 19:49:10
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2016.06.13
最近、日本で在日朝鮮人に対する「ヘイトスピーチ」が問題になっている。

ところが、韓国での日本及び日本人の対するヘイト教育(世界最悪の植民地支配)と日本での在日朝鮮人の歴史捏造(代表的なものが在日の強制連行)による日本貶しは全く問題にされていない。そしてマスコミ(新聞とテレビ)は、それを容認し助長してきた共犯者である。

ネット社会が広がるにつれて、この日本人に対する「ヘイトスピーチ」が少しずつ認識されるようになった。そして起こったのが「カウンター・ヘイト」の動きなのである。つまり、これは自衛の作であると言える。やられたらやりかえせではないが、黙っていたら、やられっぱなしであるという危機感を持った日本人が、反撃にでたのである。

今の世界常識では自衛の為の武力行使は認められている。なのに、日本人が自衛のために行動を起こすことは認められないのだとしたら、これはおかしいことである。

しかし、今日本人はこの矛盾に気がついた。後はこれが全国的な運動に展開するのを待つだけであろう。

追伸

自分たちの国が植民地にされたのだから、そうした国に逆植民したっていいだろうというう動きは世界中にあるが、それは時代錯誤である。

自分たちの力で発展できないことは棚に上げて、他の国の繁栄に寄生して自分たちの人口を増加するというのはどう考えても日和見主義である。






Last updated  2016.06.13 09:18:02
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2016.06.05
最近、日本のテレビで日本の文化や伝統、そして特に職人技術を見直す目的で外国人を日本に招待する番組が多い。

よくネットで見るのだが、外国人とか海外とかを使うのだが、私が見た限りでは全て欧米からの来客であった。若い頃の私だったら「欧米一辺倒」と批判しかねないのだが、今は違う。欧米の人間は日本の技術や文化を理解できる文化的な厚みを持っているからだ。

ちなみに、中国と韓国から人を紹介した番組にはまだ出くわしたことがない。もし彼らを呼んだとしても「これは我が国起源です」とか言い出しそうである。

実際に、支那起源のものは多い。しかし日本で独自の発展を遂げ、逆に志那では滅んでしまったものもある。朝鮮に関しては、単に難癖をつけて、日本人が高め受け継いできたものを単に横取りしようとしているだけである。起源泥棒である。

日本はいわゆる「アジア」に位置している。しかし、本当にアジア的というのは支那的という意味であり、日本は独自の文明を築いている。このことを日本人はもっと知るべきだろう。

そして、その土台には、欧米と日本とで共有している、人と人との対等関係に根付いた平等意識がある。支那や朝鮮では、人と人の関係は対等ではなく、決まった秩序がある。無かったら作らなくてはいけない。つまり、彼らは平等という意識の中では生きていけない。

私が、新脱亜論を支持するのは、支那人と朝鮮人は、華夷秩序の下で日本人を下にしていないと、自分たちの存在が危ぶまれるからである。そういう彼らのつまらないプライドにかまっている暇などないのだから、断交して、対等な関係を築ける他の国との親交を深めたほうがいい。極々自然な論理だと思う。






Last updated  2016.06.05 20:20:11
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