サンレモの歌手たち 263 ファウスト・レアーリ 3 -1
★ファウスト・レアーリ (vm) Fausto Leali本名ファウスティーノ・レアーリ (Faustino Leali)1944年10月29日ミラノの東100kmにある小さな町ヌオーヴォレント(Nuvolento)生、歌手。その歌声からネグロ・ビアンコ(白い黒人)と呼ばれる。 RFL・ST-14047 所属レコード会社:Nuova Enigmistica Tascabile, The Red Record, Music, Jolly, Ri Fi, Philips Records, CBS, CGD, Itaca, Dischi Ricordiサンレモ音楽祭出場12回:1968年4位、69年4位、70年12位、72年参加、73年8位、87年4位、88年5位、89年優勝、92年9位、97年5位、2002年4位(ルイザ・コルナ(Luisa Corna)とデュエット)、03年13位 69年の夏のディスクに“Tu non meritavi una canzone”で再挑戦しますが、相性が良くないのか又もや参加曲に終わります。 A面は“フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン”をラテン風アレンジでカヴァー、B面はルチアーノ・ベレッタ作詞、ジャンフランコ・イントーラ作曲。年末のカンツォニッシマには“涙の想い“を歌いましたが、第1回戦敗退でした。RFN・NP-16365 (1969年 Ri-Fi - Ri-Fi) Portami con te(Fly Me To The Moon (In Other Words) フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン (他の言葉で言えば)/Sei stata troppo tempo in copertinaRFN・NP-16365 RFN・NP-16386 RFN・NP-16386 (1970年 Ri-Fi - Ri-Fi) Hippy (ヒッピー)/Una voce amica (貴方の恋人) 70年サンレモ音楽祭に“ヒッピー”3年連続出場、3年連続優勝をします。パートナーはカルメン・ヴィラーニ、個性が違いすぎるように思いますがそれが良かったのかもしれません、12位になります。 70年2枚目(リフィで最後)のシングル盤は42年ブラジルで作られた名曲“アヴェ・マリア・ノ・モロ”のカヴァーでした。B面は自作(と思うのですが)、こちらもブラジル風味の曲です。“アヴェ・マリア・ノ・モロ”でフェスティヴァル・バール(Festivalbar)に参加しましたが、決勝戦に残れませんでした。RFN・NP-16412 (1970年 Ri-Fi - Ri-Fi) Ave Maria no morro (アヴェ・マリア・ノ・モロ)/JasemineRFN・NP-16412 RFL・ST-14040 RFL・ST-14040 (1970 Ri Fi – Ri Fi) 30cm LP Fausto Leali "In" 1.Ave Maria No Morro (アヴェ・マリア・ノ・モロ) 2.Portami Con Te (FLY ME TO THE MOON (IN OTHER WORDS フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン (他の言葉で言えば) 3.Non L'hai Capito 4.Un'Ora Fa (過ぎ去ったひととき) 5.Una Voce Amica (貴方の恋人) 6.Ero Tanto Felice 7.Hippy (ヒッピー) 8.Tu Non Meritavi Una Canzone (君は歌を得なかった) 9Jasemine 10.Sei Stata Troppo Tempo In Copertina 11.Come Mai 70年サンレモ音楽祭出場でアルバムが作られましたが、かなりレア物のようです。かなり探してみたのですが“ヒッピー”以外トラック・リスト(収録曲目)全くわかりません。判ればまた載せる予定です。70年に入り急激に人気が低下し、年間ヒット・ランク100に入るヒットもなく、年末のカンツォニッシマに出場もできませんでした。 71年大成功を収めたリフィからイタリア・フォノグラムのフィリップス・レーベルに移籍しました。リフィ3枚目のアルバム“Fausto Leali Antology”は移籍後のリリースだと思われます。RFL・ST-14047 (1971年1月 Ri Fi – Ri Fi) 30cm LP Fausto Leali Antology (※ジャケット写真は、顔写真用ジャケット画像をご参照)1.A chi (HURT [I] 涙の想い [伊])2.Deborah (デボラー) 3.Senza Di Te (あなたなしに) 4.Portami Con Te (Fly Me To The Moon (In Other Words) フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン (他の言葉で言えば)) 5.Angeli Negri (Angelitos Negros 黒い天使)6.Senza Luce (A Whiter Shade Of Pale 青い影)7.Ave Maria No Morro (アヴェ・マリア・ノ・モロ) 8.Non Importa Se (Luciano Beretta, Gian Franco Intra)9.Un’Ora Fa (過ぎ去ったひととき)10.Hippy (ヒッピー)11.Tu Non Meritavi Una Canzone (Andrea Lo Vecchio, Roberto Vecchioni)12.Potrai Fidarti Di Me (You Can Depend On Me 変わらぬ恋心) フィリップス移籍第一弾は夏のディスク出場曲“Si chiama Maria”でしたが決勝戦に残ることが出来ませんでした。この曲をジョルジョ・モロダー(Giorgio Moroder)が“"I'm free now”としてカヴァーし、モロダーのヒット曲“サン・オブ・マイ・ファーザー(SON OF MY FATHER)”の裏面に入っていたことも幸いしてヨーロッパでヒットしました。 B面の“America”は71年フェスティヴァル・バール(Festivalbar)の参加曲です。 6025-028 (1971年 Philips - Phonogram) Si chiama Maria/America6025-028 6025-040 6025-040 (1971年 Philips - Phonogram) Lei/Piango per chi イタリア・フィリップスのイタリア国内歌手では60年代前半から約10年、「らしい」ヒット曲を出しておりらず、ファウスト・レアーリは久々の大物歌手でした。そういう状態でしたからプロモーション活動もままならず、彼の曲もヒットさせることが出来ず、資料も皆目見当たりません。移籍した71年アルバムを出しています。フィリップスに74年まで在籍し、72年、73年とサンレモ音楽祭に出場しましたが、出たアルバムは最初の年の「Run ...Fausto, run...」のみです。6323-009・L (1971年 Philips - Phonogram) 30cm LP Run ...Fausto, run...1.America2.Run Billy Run3.Un Pezzo Di Terra4.La Mia Primavera5.Buongiorno Professore6.Piango Per Chi7.Lei8.Qualcuno Sa9.Il Vento Lo Raccontera'10.Canto Per Lei11.Sono Contento12.Si Chiama Maria6323-009・L 6025-049 6025-049 (1972年2月 Philips - Phonogram) L'uomo e il cane (男と犬)/La mia primavera 72年サンレモ音楽祭に“男と犬”で出場しましたが、参加で終わりました。サンレモ音楽祭はこの年から、長年続けていたダブル・キャスト制を一人で1曲を歌うシングル・キャスト制に変更しました。 「白い黒人」と仇名されるファウスト・レアーリですが、この“Karany karanué”などはブラック・ミュージックと言うよりはアフリカ音楽に近い感じをさせる曲です。6025-061 (1972年 Philips - Phonogram) Karany karanué/Buongiorno professore6025-061 6025-085 6025-085 (1973年 Philips - Phonogram) La bandiera di sole (太陽の旗)/Il vento lo racconterà 73年フィリップスで2回目のサンレモ音楽祭出場をします。曲は“太陽の旗”で8位入賞と言う久しぶりの好成績を残し、年間ヒット・ランク94位に入ることが出来ました。」 次の曲も資料がありません。ヴィト・パラヴィッチーニの詞にレアーリ自身が作曲しています。6025-094 (1973年 Philips - Phonogram) Samantha/Buongiorno, Professore6025-094 6025-105 6025-105 (1973年 Philips - Phonogram) Quando me ne andrò/Canto per lei ダイアノ作詞、ファウスト・レアーリ作曲ですが、この曲も手掛かりがありません。一部の歌手は行き詰まり打開に映画の主題歌を歌うなどして転機にするのですが、彼はそういう歌手でなかったようです。