sustainability
僕は、昨日、大学の恩師でもある、カナダでsustainability( 地球の持続可能性)についての研究をしている方と4時間たっ ぷり話してきました。 さらに、今日、児童労働反対世界DAYの映画と講演に行ってきました。 この土日は、僕にとってとても深い学び・触発・直面があった 2日間でした。 sustainabilityとは、日本語訳で、地球の持続可能性という意 味です。 日本では、『エコ』という言葉が流行っていますが、これから は、sustainabilityという言葉が主流になって議論されていく のではないかと、その方がおっしゃっていました。 直面的なデータがあります。 2050年に地球の人口は、100億人まで膨れ上がるといわ れているそうです。 現時点で地球は、資源消費量の臨界点を越えているのに、さら に人口が増えるというのです。 このままの計算でいけば、2050年には、地球が8~10個 必要になるらしいです。 これは、僕にとってかなり直面的でした。 その中で、先進国が、なんと地球の8割もの資源を消費してい るそうです。 僕ら、日本人は、一日に3000万人分もの食料を捨てていま す。 100年後も1000年後も地球が生き残る為に、僕ら先進国 の人たちが行動をシフトさせる責任を感じます。 昨日、会話した方がおっしゃていた言葉があります。 『社会全体の8%に広まれば、一気に指数関数的に社会全体に 広まる』 携帯電話もそうだったらしいです。 僕は、この言葉を聞いて勇気がでました。 その方は、続けてこう言いました。 『あなたが変われば世界が変わるんだよ!』 なるほど!! 「複雑な世界・単純な法則」でもありましたが、僕たちは、8 人の人を介して世界中の誰とともつながっているわけです。 なので、僕たちのありかた一つが世界中の人に影響を与える可 能性が十分考えられます。 なので、できることから始めたい。 始めます。 いま、僕は、仲間とブレイクスループロジェクトというものを 立ち上げ中です。 【ブレイクスループロジェクト】 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=465198163&owner_id=4418887 その中でも、sustainabilityについて行動を起こしていこうと 思います。 是非みなさんも一緒にやりませんか? ほんの少数のコミュニティーでも世界にインパクトを創れる可 能性は、十分にあると思います。 ある方向性に向かって進むコミュニティー同士は、引き合い、 力を合わせます。 そんな感じで、人と人とがつながり、世界にシフトをもたらす ことが出来ると思います。 やっぱり、一番インパクトを作れるのが一般人・消費者だと思 うのです。 政府にせよ企業にせよ、民間人がシフトすれば変わると思うの です。 なので、小さな変化からでも、僕らが是非起こしていきましょ う!! やれることから、やれるだけでもいいと思うのです。 僕らに何ができるかといったブレストなんかが、塾でできたら いいですね! さて、次は、児童労働の話ですが、これもsustainabilityと密 接に関係していると、昨日会った方がおっしゃていました。 いま、資本主義国家で主流の経済学は、資源が無限にあるとい う前提条件の上で成り立っている理論だそうです。 なので、developing(発展途上国)のことを議論する際は、有 限な資源について考慮した経済学で議論する必要があると思い ます。 児童労働の話を聞いていて、ショックなことがたくさんありま した。 8歳の少年が兵士として戦っている事実。 シエラレオネでは、戦術として相手側の子供を拉致して、手足 を切り取るという残虐で非人道的なことが起こっていたそうで す。 それは、体が不自由なひとを相手側に多くつくって、その人達 の介護に人を裂かせることで、戦力を低下させるというねらい らしいです。 ありえない・・・。 僕らがいつも飲んでいるコーヒーや、チョコレートの原産国で も、児童労働が関係している可能性があるそうです。 平和な日本という国に生まれ、僕らは、彼らに対して何ができ るんだろうか? 彼らが、国単位で自立していけるように、どうかかわればいい んだろう? 直面とともに、そんな探究が始まった日でした。 まずは、周りに伝えていこうと思います。 僕が今日知ったことは、先進国の人にも関係すると思うからで す。 自分自身もっと勉強をして行動していきたいと思います。 最後に僕の恩師が送ってくれた言葉をみなさんにお送りします 。 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 北米ネイティブのことばです。 When the last tree is cut down, the last river poisoned, the last fish caught, then only will man discover that he cannot eat money. (最後の木が切り倒され、最後の川が汚染され、最後の魚が捕 獲されていなくなった時、 そうなって初めて人はお金(それ自体)は食べられないことに 気付くのだろうか。) ついでに、Henly Daid Thoreau(ソーロー)著・森の生活(Walden) の中で述べられた一節です。 Voluntary Simplicityに関連した示唆をふくんでいます。 「私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実の みに直面し、 人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめた かったからであり、 死ぬ時になって、自分が生きていなかったことを発見するよう なはめに陥りたくなかったからである。」 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■