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テーマ:たわごと(26839)
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恋人や夫にどんなにバカにされても、女性は占いが好き。
私も、そんな占い好きの女の一人だが、最近、ミーハーな占い好きから一歩踏み出し、四柱推命なるものに、はまっている。 なぜ、四柱推命が、ミーハー以上のものかというと、四柱推命は、細木数子の六星占術などと比べると、とても鑑定が難しいからだ。というか、本を読んで、自己流に判断するのは、ほとんど不可能と言ってもいい。 というのも、四柱推命は、○○星だから、○○という性格、という方程式がストレートに当てはまらない。生まれた年、月、日、時間の四つの変数に対して、8個の干支が導きだされ(いわゆる命式)、性格や運勢や何やらは、全て、その8個の干支の陰陽五行のバランスによって判断される。 つまり、絶対評価ではなく、相対評価である。 「良い星(格局)」がありすぎても、ダメ。ぜんぜん、なくてもダメ。悪い星があっても、打ち消す星があればオーケー。そして、○○という星と、△△という星が隣り合わせにあると、○○でもなく、△△でもなく、××という運勢になる。そして、対立しすぎても、ダメ、相和しすぎてもダメ、という具合。 というわけで、自分の命式が分かっても、それが何を意味するのか、今、どんな運勢のなかにいるのかは、いまだもって、雲をつかむようで良く分からない。 分からないなりに、陰と陽のバランスという考え方や、元素の化合や対立という考え方には惹かれるものがある。 実世界には、「絶対的に臆病な性格の人」や、「絶対的に積極的な性格の人」は、存在しない。また、美人というのは、「ものすごく美しい鼻」を持った人や、「ものすごく目の大きい人」ではなく、目鼻のバランスが絶妙な人のことを言う。 人と人の相性。一緒に仕事をするには良い相性が、夫婦になるには良くなかったり、ウマが合うはずの人が、何かの拍子に関係悪化して、大敵になったりする。さらには、良くない相性の上司がいたおかげで、会社を辞めたら運が向上したり、貧乏な夫を持ったおかげで、自分が仕事をして結果的に金運があがったり。お金持ちになったと思ったら、お金が原因で人間関係が悪化したり。吉凶は、あざなえる縄のごとし、なのだ。 四柱推命の基礎になっている五行陰陽の思想は、昔の日本(そして東洋世界)では、暦、方位、健康法、民間信仰から、易、さらには株の相場観にまで、全部つながっていて、まことに奥深い。たとえば、土用の丑のイベント、というのは、夏の火気のはじめに、水気のおわりの象徴である丑(がウナギに転じた)を食べることで、火気を中和する、という意味を持つ。 分からないなりに勉強していくと、一番大事なのは、「中庸」「バランス」だということが分かる。陽が極まれば、陰が生じ、陰が極まれば陽が生じる。大事なことは、極端に走らないこと。人間は自然の一部。あせらない、あきらめない、期待しない、流れに任せる。 「あくまでポジティブに」「とにかく目標と夢を持ってがんばる」「悪は撲滅する」「成長し続ける」「自分で自分に責任を持つ」「絶対的真理や幸福を見つける」という考え方とは相容れない思想で、私には新鮮だ。 熱くなることなく、突き詰めることもなく、ゆっくり、ゆっくり、ライフワークとして勉強していきたいな、と思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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