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明日、祖母の49日の法要があります。お彼岸と重なるということでちょっと前倒しになりましたが・・・
11月のはじめから急性膵炎で入院していました。痛みはとてもきつくかなり重症化していました。一時は食事も始まり点滴も抜け車椅子で散歩できるまで回復していたので、お正月には外泊できるんじゃないかと本人も自分達も思っていました。 それが12月の半ばから腰のあたりが腫れだし痛みを訴えるようになりました。結局膵液が漏れ出し背中に膿がたまっていたのです。それを取る為背中に管を3本入れられ痛みはかなり軽減しました。その間ずっとレベルはクリアでよく話し冗談言ったりしてました。でもその後敗血症を併発して2日後亡くなりました。 。。。。。今初めて文章にしてみたけど。。。。なんかうまく表現できないな。。 祖母ははじめ私が勤めている病棟に入院しました。 はじめて祖母に付き添って泊まった日、夜中の病院が違ったものに見えた。夜の病院なんて今まで十分見ているのに・・・ 祖母は病室の窓から見える朝日を見るのがすごくすきで、「この太陽見てたらなんかすぐに元気になりそうな気がする」といつも嬉しそうに見てました。 とても努力家で勉強家でおしゃれできれいで優しくて厳しくて思いやりがあって完璧な主婦で社交的で・・・私達家族が頼りにしきっていた大好きな祖母でした。 祖母が亡くなった日私は夜勤でちょうど仕事していました。その時には別の病棟に変わっていたのですが、後少しで仕事が終わるというとき、病棟に電話が入りました。降りていきしばらくして息を引き取りました。 変なんだけどその瞬間私は妙に冷静で涙も出ず、ただその後の段取りを父や主人に伝え自分の仕事に戻りました。 それは「仕事をしなきゃ」という使命感みたいなのじゃなく、ただ「祖母の死」がその時点で理解できなかった。 仕事に戻り申し送りを済ませ残りのカルテを書いているところで、何の前触れもなく涙があふれてきた。「わ~、もうちょっと待って~」って思いながらも止まらなかった。それからはひたすら涙が止まらなかった。 祖父のときも思ったけど、私はもっと何かできたんじゃないかって。 看護師として孫としてもっとそばにいて何かできなかったかなって。 たくさんもらった愛情の少しでも恩返しできたのかなって。 隣に住んでいた祖母にはいろいろ話を聞いてもらってました。甘えてばかりいて本当にごめん、そしてありがとう ここまで書くのに、時間が必要でした。たくさんのことが頭の中で整理されてなくて・・・ 思いついたまま一気に書いたので意味がわかりにくいけど、一度ちゃんと祖母のこと書きたかった。今回はじめて自分がおばあちゃん子だったってわかった(^▽^;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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