遺体がない?
大事故が検証されると、公表されないのだが、予測被害人数と遺体の数が合わないことがある。と。正観さんは講演を始めた。?過去にもいくつかの例があるそうで、もしかしたら、人間の能力のうちには、いざというとき、絶体絶命のとき、心底から命だけはお助けくださいと神様にお願いすると時を飛んで命だけは助かるかもしれない。ただし、どこにいくのか、いつの時代なのか、自分の意思はないから、過去かもしれない。未来かもしれない。生きることができない環境かもしれない。でも、命だけは助かる、ということがあるのかもしれない。アメリカで200年前の兄弟が見つかったことがある。(詳しい年代も言っていたが、私が記憶おぼろげ)200年の後に身元不明の子供が見つかった。話しを聞いてみるとどうも200年前に兄弟を抱えた母が「どうか、この子達を助けてください。」という命からがらの状況であったらしい。兄弟を別々にして食え和紙苦聞いてもつじつまが合う、作り話ではないらしい。ふあtりして、命は助かったが200年未来に飛んできてしまったので暮らしは大変なこととなった。大事故などで、そこにいたかもしれないと家族が届けるとして、本人の確認ができなかったとしてもドラマのように記憶喪失で、どこかで生きていたということもなくかなりの数の遺体の数が無いらしい。もしかしたら、別に次元に飛んでしまい、生きているのかもしれない。生きられるのかもしれない。と、したら、あ~~~危ない、死よりも、生きたい、とお願いして、命が助かったとする。どうする?今を生きている、という。この時代、この人たちと今の自分であるから、生きているということなのに、命だけあったとしても、別の時代・まったく知らない人たち・環境・生活ひとりきりで旅行しているとはいえないくらい時代が違うかもしれないし、世界が違うかもしれない生きているといえるだろうか。生きること。いま、生きている、周りの人々とともに「喜ばれる存在」として生きていると生きている。