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CoCo Pujer

応援してね、イブ・ロビン シリーズ

『ありえないことが、歴史上よく起こる。
ごく短期間の内に、ありえることが、ありえないことに、
ありえないことがありえることに変わったという
エピソードは、世界中にころがっている。
ありえないことを少しは信じてみよう。
しかしまた、そのために行動もしてみましょう。』

       エドガール・モラン (フランスの社会学者)



12月26日のスマトラ沖大地震でお医者さんの50%を失なったインドネシアのアチェ州へ、すばやくかけつけた"健康なお母さん財団"ブミ・セハット(バリ島のNPO)のメンバーたち。なんとそのリーダーはケーキの世界基地カフェ・プジョールの友人、アメリカ人助産婦のロビンさん!だったのです。

友人からこのニュースを聞いて、誇りと心配が入り混じっていたところへ、ロビン本人からとっても具体的で、あったか~いレポートが届きました・・・☆"インドネシア語の話せる小さなバリ島の"健康なお母さん財団"が、地元の人たちと国際的なNGOや赤十字、ユニセフらをつないで奔走している姿は、売れ筋の「ヒーロー映画」以上に感動的でスペクタクルです(@v@)ノ

「おそらく私たちは世界を変えることはできないかもしれない、それでもやってみるだけよ!」

そんな言葉をささえにしながら、果てしない絶望感や矛盾の中でがんばるロビンたちの姿は、いつの間にか私たちにも伝染して、「大事なことを大事にする」そんな魔法になってるようです・・・。

「これはもう、とにかく何か応援したい!」 

ロビンのレポートを読んでいると、あまりにも大きな災害に意気消沈気味だったピース・オブ・ケーキ!でも、なんだかできることを捜しだせそうな気持ちになってきました。

みなさんも、もしこのあったかいレポートを読んで、「ホントだ、これはすごく大事なことだね。」などと感じてくれたら、どうかみなさんの周りの"仲良しさん"にも話してあげてください。

ロビンほどではないかもしれませんが、そんなみんなのクリーンで前向きな小さな行動が動きだせば、地球が本当にボロボロになってしまう前に、「持続可能」でピースな"true blueな星"へシフトさせることもできるんじゃない? なんて。

こんな仮説、非・現実的かな? それともけっこう科学的?(・v<)

Cake Report 
応援してね、イブ・ロビン!~スマトラ沖地震とむきあって。

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『ありえないことが、歴史上よく起こる。
ごく短期間の内に、ありえることが、ありえないことに、
ありえないことがありえることに変わったという
エピソードは、世界中にころがっている。
ありえないことを少しは信じてみよう。
しかしまた、そのために行動もしてみましょう。』

       エドガール・モラン (フランスの社会学者)

       Give Travel a Baby*s Hope!  
 応援してね、イブ・ロビン!~スマトラ沖地震とむきあって。
             repoted by Ibu Robin
transelated by y.shigeta and y.takashima(Cake No.1)
                    解説y.kato(助産婦)

ブミ・セハットチーム アチェから戻る。の巻
~長いのでおいしいコーヒーとともにどうぞ。

Robin Lim, ロビン・リム 2005 年 3 月 4日

2月、スマトラ島、アチェ州の西インド洋の海は、ちょうど涙と同じ温度・・・。私たちが海に足をつけると、カナダ人助産婦のケリーが、子供用のスリッパを見つけた。彼女はそこに貝殻やさびた鉄線、石、そして壊れたプラスチックを集めて小さな祭壇を作ったわ。

Ari Tueku が砂浜に詩を書くと、静かな波がそれをかき消していった。ちょうど津波が、彼の祖母や仲良しだったいとこや、70人以上の大切な仲間たちを連れ去ったように。

12月26日、スマトラの北大西洋沖で起こった大地震とそれに続いた津波によって、地球は物理的にも、感情的にも大きく変わってしまったといわれる。地質学者は、はるかフロリダで地下水の増加があったと報告し、精神的指導者は、「私たちが心を開くチャンスだ」と言う。
実際、世界中では多くの人たちが、心を開きつつあるのかもしれない・・・。

アチェで亡くなった命の正確な数を計り知ることはできない。インドネシアでは、専門家たちが独自に統計的な予測を出し始め、500,000人のホームレスの生存者と、25万人の行方不明者がいると見積もっているけれども、死者は今も毎日、捜査チームによって見つかっているのだから・・・。

私はアチェで、私たち"健康なお母さん財団・ブミ・セハット"のメンバーが行った救援活動のレポートを書きたいと思っているのに、なかなか書き出せないでいる。なぜならそこでは、あまりにたくさんの赤ちゃんを腕から奪い去られた母親たちの自責の、苦痛に満ちた顔があったから・・・。
津波はとても激しかったので、母親たちが子供たちを愛すあの強い力をもってしても、彼らを守ることはできなかった・・・。

奥さんがまだ見つかっていないひとりの男性は、やはり腕から奪われた娘を思い出し
て泣いていた。彼にはもう、住む家もなく、商売道具も、ベッドマットも、食器も、家族の写真さえない。
彼の肌は皮膚病でただれ、12月26日の残骸で傷ついた怪我が、何週間もたって化
膿していたの。

                           ★


●ささやかな希望を届けるために。

私たちは津波によって打撃を受けなかったスマトラ島の大都市、メダン に着いた。
そこで非公式にWorld Food Bankのスタッフに会い、乳児用の粉ミルクの配給が、母親が赤ちゃんを母乳で育てることを妨げてしまい、それがのちに大きな問題になるということについて話し合ったの。
(解説1)
彼らは、母親が死亡した時にだけ、粉ミルクを与えるという私たちの勧めに同意して
くれた。同じように私たちは、インターナショナル医療隊、ユニセフ、 IRC/ CHRDI 、カトリック・リリーフ・サービス、そして、グローバル・リリーフの人たちとも話しあうことができたわ。

メダンでの慌ただしい2日間の中で、 Yayasan WALHI ( 地球の友人)のサポートをうけて、大きなトラック1台分の緑豆とピーナッツ を購入した。4週間以上、ココナツと白米と、救援組織から送られてきた
インスタント・ヌードルで生きのびていた人たちには、タンパク質が不可欠だものね。( レニー、 Monang 、Herwin 、 WALHI スタッフに感謝をいっぱい!)すでに支援がうけられた人たちは幸運だった。遠隔地には、いまだ医療や食物の援助が届かず、たくさんの生存者が支援を受けられずにいるのだから。

私たちはまた、バリ島の Yayasan Ibu Puduli ( 母親が行うNPO団体) から寄贈された学用品もトラックに積み込んだ。全てを失った家族のために、日用品をつめたキッチン・バケツも用意する。 アチェの村が再び今までと同じ暮らしを取り戻すことはないでしょうけれど、そのバケツがせめて日常の暮らしに戻る彼らの第一歩になればと願って。新生児のためには、プラスチック製のベビー・バスの中に、小さな小さな衣類や湯上りブランケット、布オムツ、高たんぱく質の"バース・ビスケット"といった赤ちゃん用品をつめてトラックに積めこんだ。
新しい"ポスト津波世代"へ、小さな希望をたくしてね・・・


もちろん貴重な薬を詰め込んだ大きなプラスチック製の箱も運んだわ。他にもビタミン剤や出血を止めるハーブ、水なしで手を洗うためのbetadineなども。必需品である女性用のベール(イスラム教徒の女性は頭をおおわないと外出できないが、これがあれば、救助を受けることができる)、配給するための女性用の下着、祈祷書、塩、包丁、虫除けスプレー、ろうそく、マッチ、水化させる気体の飲みもの(rehydration flid)生きぬくために必要なアイテムをどっさり、破裂しそうなほどトラックに荷積して、その上に3つのジェネレーター、道具類、燃料のドラム缶をつめこんだのよ!(´w`)ノ

トラックとレンタカーは、ベニー、アリ、イダを乗せて16時間を越える陸路を走った。途中、軍と反体制勢力が対立する"緊張ゾーン"(解説2)がある危険な山岳地帯を通り、アチェ北部へ。
残った私たち、Thoreau 、ウイル、 デジャ 、 オデッド 、ケリーの6人は、メルボ-までの赤十字社の無料のフライトに乗り込んだ。
( IRCRC の天使のようなディレクター、フィルに感謝を☆)


解説1:不適切な粉ミルク(formula)の支給による問題: 緊急物資で送られる粉
ミルクを溶くには水が必要ですが、被災地には清潔な飲料水がなく、そのことがさらに
深刻なリスクを生んでいるそうです。ミルクについては、日本の高栄養のミルクと違い、ほとんど栄養のないような成分だと聞きました。それを汚染された水を使って作ったら、栄養失調どころか病気になってしまいます。こんな状況だからこそ、安全で清潔な母乳育児が大切なんですね。 (y.kato)

解説2:内戦: アチェでは、1960年代から、その地で採掘される莫大な石油と
液化天然ガスをめぐって、アメリカの石油会社、エクソン・モービルとインドネシア政府
が、その利権を独り占めするために、長い間アチェの市民を虐殺、誘拐、レイプ、拷問し
てきたというバック・グランドがあります。本当に信じられないことですが、津波で亡
くなった命以上の多くの命が、この内戦の犠牲になっていたのだそうです。しかし、今だ
に、インドネシア軍 (←アメリカ政府から援助をもらっている)は、その1/3を、GAM(独立派グループ)のメンバーを捕まえるために動いているそうです。また国際NGOや海外の軍隊にできるだけ早く立ちさるよう圧力をかけているもよう。詳しくはWorld Peace☆"のアイコン、ノーム・チョムスキーさんの翻訳をされている益岡賢さんのHPがとてもわかりやすいです。
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/

                         ★


●悲しみの中で活動するヤヤサン・アニサの勇敢な女性たち。

メルボ-では、町の半分以上が破壊されていた。けれども、サーチ・アンド・レス
キュー・ チームが、まだ人々の遺体を回収しているかたわらで、もうマーケットが開いていて、オレンジやサラック、驚いたことに新鮮な魚さえ売られていたの!

アリーとベニ-のおかげで、私たちは幸運にも Ibu Rosni 、Ibu Dosni 、Elly、Ibu Makbidたち、ヤヤサン・アニサ(Yayasan Anisa )のメンバーと出会うことができた。(アニサはアラビア語で女性を、 ヤヤサンは非営利団体の意味)この"草の根"組織は、津波でオフィスを失い、スタッフのほどんどが家族を失っていた。それでも彼女たちは働き続けていたの。津波から生き残ったメルボ-の人たちは、この勇敢な女性たちによって、どれだけ励まされたことでしょう☆"

ヤヤサン・アニサのスタッフたちは、私たちのために、キッチン・バケツとベビー・バケツを計画的に配給してくれたわ。彼女らはまた、ホストファミリーのジレンマについても話してくれた。家が無事だった人たちは、時には20名以上の犠牲者に住居を提供し、津波がくる以前から決して充分とはいえない家計から、みんなに食事を与えていたの。私たちは、そんなテント・キャンプから退去させられた人たちが、食糧援助を受けていないという事実を、World Food Bank に報告し、彼らは早急にその問題に取り組むことを約束してくれたわ。

ヤヤサン・アニサの主催で、ケリーと私は、"安全で穏やかな出産"のノウハウを 指導して、人材を育成していくために、助産婦のための1日がかりのワークショップをはじめた。そこで私たちは、41人のBidans( 助産婦 ) が出席していることを知って驚いたわ。この女性たちの大部分もまた、家族や家を失っていたのよ・・・。ある助産婦さんは、3日間歩いて参加してくれたのだけど、彼女は、夫も子供も家も失い、おまけに妊娠 6ヶ月だった!それでも彼女にとってこのワークショップが、立ち直るよいチャンスになったようだった。きっと彼女はこれからも、多くの人々を助けてくれると思うわ。

ワークショップに出席した助産婦全員が、臍帯(へその緒)切断用の器材など、出産のための機材を全て失ってしまっていたので、ユニセフ・インドネシアのディレクターScott Whooleryと協議して、みんながユニセフの"助産婦キット"を受け取れるよう約束をとりつけた。彼は被災地にいる多くの女性たちが、アチェ市民のために、最初のヘルスケアをしようとしているのを見て興奮していたわ。これからはユニセフとヤヤサン・アニサが、全ての助産婦に助産婦キットを届けるために協力してくれるでしょう。

悲しいことに私たちはそこで、破傷風のために幼児の死亡率が高いことを知った。
(解説3)アチェの多くの地域では冷蔵庫がなかったからなの。(破傷風用のトキシド・ワクチンは冷却しておかなければいけない)
だから単にワクチン・キャン・ペーンが、この問題を解決するとは考えにくいわね。助産婦とOdukun bayi( 伝統的なバースアテンダント )が、アチェにおける出産の世話をしているのだけれど、「彼女たちには信頼できる水資源がない」ということも考慮しなくてはいけないわね。ケリーと私は、彼女たちに「へその緒を安全に焼く方法」を教えたの。

破傷風(はしょうふう)tetanusの蔓延:外傷から体内にはいった菌の毒素のため、中枢神経が冒される感染病。下あご(こうきん)の強直による開口不全にはじまり、顔面筋、その他手足の筋肉などが痙攣(けいれん)し、高熱を発し、重傷の場合、1日以内で死亡する恐ろしい病気。トキシド・ワクチンの注射による予防が有効。

(解説4)この方法は、破傷風やその他のバクテリア系の感染を防いでくれるわ。この方法を知った助産婦さんたちはみんな、「ずっと求めてきた技術をついに学んだ!」
という感じで、とても喜んでくれたわ。(・v<)

へその緒を焼く:破傷風の予防策としてへその緒を焼き切るやり方はとても効果的だと思いました。バリ島ではじめてそれを見た時、ろうそくの炎を使いじっくり時間をかけて焼いていた光景が、とても神秘的だったのを覚えています。もともとママとあかちゃんをつないでいた大切な緒を、はさみでチョキンと切ってしまうのはあまりにもあっけなく、この方法だとしっかり止血もできるし、切り口からの感染症予防にもなります。               
         (y、kato)



                              ★
                       
●ロズィータの難産。  

ある早朝、私たちは出産を終えたばかりの女性の家へ駆けつけた。 そこで伝統的な助産婦のイブ・ブランに会ったの。 ( イブは母、 ブランは月の意味 ) 彼女はすでに、古くて使いものにならないような学校用のはさみで、へその緒を切ってしまっていたけど、赤ちゃんは小さいながら 2 キロぐらい)なんとか無事だった。けれど4人目の赤ちゃんを 生んだばかりの35歳の母親、ロズィータ は、(そのうち既に2人は死んでしまったのだが)破傷風を患っているらしく良いコンディションではなかったの。  

彼女は大量に出血していて、胎盤が子宮内に残されていた。(解説5) イブがへその緒をひっぱったので、はすれてしまったのね。 私は急いで手袋をはめ、手でで胎盤の皮をはがしていった。1センチづつ、1センチづつ、彼女の子宮壁の内側で・・・。これは ロズィータにはとても痛いことだったし、文化的にも難しかったの。なにしろ彼女は命を救うためでさえ、足を開くことを拒んでいたのよ。イブが彼女を励ましている間、ケリーは私の隣で冷静に、的確な処置方法を伝えてくれていた。 最終的に胎盤、(かつて見たこともない最も不健康な)がでてきた時、イブ・ブランは、私の腕にすがってすすり泣いていたわ。
「ありがとう、こんなことは今まで起こったことがなくて、とても怖かったの。友人の娘を死なせたくはなかったから・・・」と。

やはりその8ヶ月前に同じ家で、ロズィータの義理の姉(妹)が、伝統的な助産婦のイブ・ブランの娘によって出産していたのだそうだけど、その若い女性はロズィータほど幸運ではなかった。彼女もやはり子宮内に胎盤を残してしまい、メルボ-の病院へ車で運ばれる途中、湿地帯の道の上で亡くなった。だからロズィータの困難だった出産も、アチェで私たちがうけたたくさんの祝福のひとつだったのね。

私たちがこれから、深刻な被害を受けている津波の犠牲者たちのコミニティを助けていくためには、イブ・ブランの信用は不可欠!彼女は今、ブミ・セハット助産婦チーム2のジェニーとインダーと共に出産を手伝ってくれているの。はるかに安全なへその緒を燃やす方法に、イブは今、すっかり夢中よ。(・v<)
                         
(解説5) 癒着胎盤:胎盤は普通出産後に自然にはがれてくるものですが、待ちきれなくてへその緒を引っ張りながら出す方法もあります。 というか、本当は引っ張ってはいけませんが、引っ張ると早く出せるのでそういう方法を取る介助者もいます。まれに強く引っ張ると、へその緒が切れてしまって、胎盤が子宮内に残されたままになります。そういう胎盤のことを癒着胎盤といいますが、この場合は手で胎盤そのものをはがす処置が行われ、それはとても大変なことです。 普通日本でこのようになったときは、手術のときと同じように麻酔をかけてするくらい痛い上に危険を伴います。子宮の中に手を入れて少しずつ少しずつはがします。私はこれを読んでいて、とても怖いと思いました。彼女が助かって本当によかったです。(y. Kato)


                              ★

●流木で作られたクリニック。

私たちは津波によって生まれた国内難民のそばでキャンプをはった。 キャンプでは、メキシコ人の医師やアメリカ人の水質調査士を含むWALHIとIDEP(解説1)のメンバーと、16人の熱心なバリ人スタッフたちとともに働いていた。青い防水シートをはった竹製の診療所で、私たちは1日30人~70人の 患者さんを診察していたの。(本当に激しい雨が降っていて、おまけに地震まであったのよ!)
15村以上のトイレを作り、井戸からポンプで塩水をくみ上げたり、それらの井戸の地図を作っている間に、Cot Seluamat集落では、WALHIのバリ人スタッフが、津波で破壊されてバラバラになっていた木々を集めて、素晴らしいクリニックを作ってくれたのよ・・・☆  (´w`)ノ

この診療所で発覚したことは、村が津波に襲われるずっと以前から、「誕生2日以内に、ほぼ全ての赤ちゃんが死んでいた」ということ。 少なくとも 30年は続いている内戦が、 市民の栄養を著しく損ない、 母親や乳児死亡率を増加させていたのね・・・。

ブミ・セハット・チームと WALHI Baliのスタッフは共に、Pucuk Leung村と LhokBubon村の生存者たちが新しい土地に定住するために奔走した。村人たちが夜も怖くないようにジェネレータと電気街灯を用意し、オデットとクリスティーンは、Mercy Corps と協力して、ファミリーテントと灯油調理用コンロを用意してくれた。
オデットは村人たちを組織化して、モスクの屋根をなおしたり、洗濯用の"雨だめシ
ステム"を作ってくれたわ。
Oxfam は毎日か2日に1度、10,000リットルの「袋入りの飲料水」を届けて
くれたし、カトリック・リリーフ・サービスは、Lhok Bubon村のモスク の新しい屋根のために資金を提供してくれたの。

●残されたモスクの屋根で・・・☆"

この村の生存者の多くは、 津波が村を襲った時、漁のため、遥か沖へ出ていた男たちだった。
彼らはその晩村に戻った時はじめて、愛する妻、子供たち、年老いた人々、友人、さらに家までもが全て、完全になくなってしまったことを知ったの。

村に残った唯一の建物は、70人の人々がとり残されたモスクだけだった。その屋根に奇跡的に救われた女性の1人がサルジャニ。

彼女はその日の津波で、2 人の娘たちを失った。彼女が深い水の中でもう少しで意識を失い、死に身をゆだねようとしたその時、一頭のcarabou ( 水牛 ) が、巨大な角で彼女をつつき、彼女は思わずそれに捕まったの。 彼女は妊娠中で太っていたから、泳ぐことができなかったのだけど、この優しい動物は彼女を水面に運んで、モスクの屋根のそばへそっとおろした。
そして津波の水がひき、漁師たちが荒廃の悪夢へ帰宅した日没、 彼女の出産という大仕事がはじまったの・・・。 でもね、その屋根の上には、ひとりの助産婦さんが残っていたのよ!

アチェのイスラム教徒の人たちは、祝福されている時、Alhamdulilah ( アラーに全ての栄光を )と言うの。(´w`)ノ

                           ★


●全ての人が争いをこえて、やすらかな眠りを得るための努力。

村人たちがもとの村へ戻って再生活をはじめることは肉体的にも、精神的にも大切なこと。
けれども破壊された村に戻れない人たちは、たとえ祖先から受け継いできた土地を再建したいと願っていても、"移住世代"になっていくでしょうね。おそらく多くの人たちが、救助の食料に頼るテント町生活か、5~6人部屋で何百人でトイレをシェアする軍の兵舎で暮らすことになるでしょう。

村へ戻った人たちにとっても状況は厳しいわ。インドネシア政府は、海岸から500mの地域を再住を禁止する「保護管理地域」に指定しようとしている。だから小さな漁村の村人たちは、止められる前に家へ戻ろうと急いでいるの。

Lhok BubonとPucuk Leung村の再建計画は、IDEP(解説6)とWALHIチーム、そしてブミ・セハットのオデッドによって順調に進んでいた。彼らが行った全てのことは(死んだ木とチェーン・ソーと多くの協力を集めて素敵なクリニックを作ってくれたことも)まるで進行中のひとつの奇跡・・・



"村の人たちと世界をつなぐ絆も作ってくれた。ただそれらの活動費は、私たちの予算を大幅にオーバーしていたの。だから夜遅く診察に行くと、村人たちは豆やピーナッツを差し入れてくれたりして・・・それも素敵な思い出。
そうそう、噂ではオデッドが村の人たちのために、バレーボールのセットを一式プレゼントしたそうだけど、それだって私たちの予算にはなかったのにね! Oh dear(´w` )

IDEPが、クリスティンとヌガーの率いるこの素晴らしいクルーたちに資金を提供し続けてくれることを心から願っているわ。そうすれば彼らは、これからも清潔な水とトイレや下水設備のために奮闘することができるのだから!チームをまとめてくれたカトリック・リリーフ・サービスのグラハムも地元に密着して、生き生きとした成果を生んでくれた。(村人からのリクエストには、果物のBaby Treeなんていうのもあったわね。)

Mentorのニールとダリオ医師、そしてケリー助産婦のたゆまない努力にも感謝を。そのおかげで私たちはマラリアの緊急テスト用具を入手することができた。現在、私たちと交替して現地で活動しているブミ・セハット・チーム2が、(解説7)最近、小さな女の子がマラリアにかかっているのを発見したそう。
彼女を診断して、治療がまにあったことは本当に幸運だった・・・。

実は今朝、WALHIのメダン・チームのメンバーがひとりが、命をおとしてしまったの。救助活動中にマラリアに感染して・・・。もちろんブミ・セハットのスタッフは、マラリアの予防接種は受けているのだけれど、その効果は30%しかないのよ。だからどうか私たちのために祈っていてね。

バリ島のベースには、世界中からのボランティアが集ってくれているし、アチェのスタッフたちも成長している。
だから持続可能なこの夢はきっと確実に続いていくと思っているわ。このクリニック
(診療所)は、津波の犠牲者や彼らを助けるホスト・ファミリー、それに軍人や最も排斥されていた人たち(おそらく独立運動に関わっている人をさす)にとって、快く助けを求められる"中立の"場所になっている。それらの幾人かは、とても重い病気や感染症をわずらい、マラリアの患者たちも増え続けている。ある人は妊娠しているし、ほとんどの人たちは栄養不足。さらに100%の人がトラウマを抱えている。ただただ話しをしたり・・・亡くした子供や家族や友人の名前を呼んでいる人たちが、夜の眠りにつくためのやすらぎを、このクリニックは与えているのよ。


(解説6) IDEP インドネシアで、草の根の地元NGOと国際組織をつなぎながら、家庭、ビジネス、学校、さまざまなコミュニティやメディアと連携し、「持続可能な生活のための解決方法」を啓蒙、実行しているNGO(非政府援助団体)http://www.idepfoundation.org/aceh_aid.html

(解説7)"健康なお母さん財団ブミ・セハット"チームの助産婦さんたちは、3週間ごとに交替でアチェに入り、交替で活動をしています。ロビンは4月1日から、再び銃弾がとびかい、マラリアの蔓延するアチェへ出発する予定です。


                              ★

アチェへ出発する時点で、目指しているゴールが何なのか、私には全くわからなかったし、実は今もまだ確信はないの。ただ、IDEPのアチェ募金と多くの人たちの寄付によって、私たちは「行かされる」(We were asked to go)ことになった。そんなドナー(寄付をしてくれた人たち)とアチェの人たちに答えるために、私たちがいい仕事ができたと願っているわ。これからもクリニックを続け、スタッフを送りだせるように頑張っていかなくてはね・・・。たくさんのインドネシアの救助団体と国際NGOの掛け橋となり、アチェに素晴らしい友人を作れたんだもの。

バリ島のグランド・チームにも大きな感謝の気持ちを!あなたたちが私たちを支えてくれたから、私たちが他の人たちを助けることができたのだから!

(以下ここでロビンは、62名にもおよぶ個人名をあげて感謝の言葉をのべていますが、今までのレポートと重複する部分も多いため省略します・・・。SP Thanks for everyone!)

資金を集めてくれたIDEPのみんな、ブミ・セハットの成長したグラフィック・チーム(本やTシャツを売って資金を調達している)そしてメディアの協力に奔走してくれた夫のWilと息子Thor、看護助手をしてくれた娘のDeja.そしてこれから現地へ向かうブミ・セハット・チーム3のみんなにも、先にありがとうを言っておくわね。(・v<)そしてケリー。あなたの家族は1000%を捧げてくれた。どんなに苦しい時でも、いつもスマイルでいてくれてありがとう!


                      ★

赤十字の飛行機でのさよならフライトは、スマトラの西海岸にそって低く、おだやかに飛ぶ・・・その光景は全く絶望的。

かつて騒がしかったアジアの大都市が全てを奪われ、平地になり、大型船が内陸4,5kmに残され、メルボ-北部の道路の破壊は復旧不能。砂浜には、壊れた玩具や壊れた夢が散らかっている。

かつて助産婦の友人、シャーリー・タイディは私にこう言った。

"おそらく私達は世界を変えることはできないかもしれないわ。
 だけど、やってみるだけよ。" ( but we can give it a go! )

それからこの言葉は、私の呪文になったの。

12月26日の災害は私たちを震え上がらせている。
けれども私はアチェの夜に幽霊を感じたりはしなかった。
そこには平和と、人びとの間にある優しさと、癒しのための祈りがあったわ。

Om Shanti, Ibu Robin Lim
March, 2005, Bali, Indonesia

*Om Shantiは、バリ語で"あなたに平和を"という挨拶の言葉。



             アチェの復興のために何かできる?

"健康なお母さん財団・ブミ・セハット"の活動は、みなさんからの気風のよい支援を頼りにしています。 (・v<)
時間と資産を投じ続ける彼らの活動が、継続的に成果をあげられるよう、 私たちも周囲のあたたかい関心を広めるために協力していきましょう♪

    
   Give Travel a Baby*s Hope! ・・・希望を運ぶ旅、計画中☆

目下、ピース・オブ・ケーキ!では、"ブミ・セハット"のウイッシュ・リスト、(あったらイイなリスト)にある、赤ちゃんのおくるみ毛布 と 新生児用コットンの服と帽子を集めて、ロビンの基地のあるバリ島のニュー・クニン村へ届けたいと思っています・・・☆

"バリ島に来る人に預けたりして、直接持ってきてほしい。"というロビンのリクエストに答え、この夏、バリ島へロビンのサポートへ向かう日本人の助産婦さんたちとd-camp(Cake1号が企画している旅)のメンバーたちで、そんなリストの赤ちゃんグッズを届けようと企んでいます。(→郵送すると、受取る時に税関でかなりのお金と手続きがかかるため) 

1. もしみなさんのお家に、このような赤ちゃんアイテムが眠っていましたら、ぜひご協力ください。
2. またこれからバリ島へ旅行される方で、この輸送をお手伝いをしてくださる方も熱望しています!
3. さらにこれからのロビンのレポートの翻訳をお手伝い頂ける仲間も、かなり熱望中です!(´w`);

●"よぉ~し、協力するぞ~♪"とおっしゃってくれる元気な旅人はぜひご連絡ください。>>>dolfin@joy.ocn.ne.jp
●イブ・ロビンの"健康なお母さん財団・ブミ・セハット" 
>>>http://www.gentlebirthsbali.org/
●ブミ・セハットの日本語の説明はケーキの世界基地・カフェ・プジョールのサイトでもご覧頂けます。
>>> http://www8.ocn.ne.jp/~d-camp/Pujer  (peace actionのボタンをクリックしてください)

もちろんバリ島へ旅するみなさんが、その旅の途中で、各自で直接、ブミ・セハットのクリニックに、リストのアイテムを届けてくださるのも素敵です♪


●true blue な 星をめざして・・・・☆               
y.takashima(Cake No.1)

突然届いたワケのわからない英文レポート。それでもなぜかソレは、年に1度ほど、好きな歌をてきとうに訳すぐらいの私をつき動かし、英字辞書とパソコンに向かわせた。(・・・っということは?)ソレは確実に何かを、世界の一部を変えた・・・ってことですよね?(´w`)ノ

辞書の意味に身がふるえながら、時々まじっているロビンの「ユーモアのある視点」に救われながら、そしてワケのわからないソフトの英訳につっこみながら、なんとかいっぱいいっぱいで訳し終えた次第です。

その間に私はまた、こんなアインシュタインの言葉にも出会いました。(↓これは彼のスーパー・ジョーク?それとも直感?それとも・・・)いずれにしても、ロビンやアインシュタインのようを、少しでもみなさんにお届けできれば幸せです。(・v・)


●●● 研究室に用意した特殊な試験管の中で「笑いの原子」を観察できるようになった・・・?! ●●●

「笑いの原子」は、気のせいか笑っているように見える。
周囲には陽子や中性子が小惑星のように飛び回っており、何となく土星のように見えなくもない。
研究を進めるうちに明らかになったことは、「笑いの原子」には寿命があるということだった。
特殊な試験管の中に入れておくと、だいたいのところ、7万秒ほどで変質してしまうのだ。
その変質の仕方は、極端な酸化のようなのだ。すなわち 「笑いの原子」は、死んだも同然になってしまうのだ。サビついた「笑いの原子」は、心なしか、ひきつった笑顔に見えなくもない。
「笑いの原子」の存在だけでもミステリアスなのに、「錆びる」とは一体どういったことなのだろうか?

~それに関しては別紙の資料にまとめたのだが、ここで簡単にまとめてみると、 
「笑いの原子」は「欲望」に関係のある「概念」に触れると、サビつく。その一方
で、「風刺精神」に関係のある「概念」に触れると活性化。サビついてしまった「笑いの原子」も復活してしまうのだ。

私は思う。人類は今こそ「笑いの原子」ポジティブを活性化させるという進化論的な本分を思い出した方が良い。人類に必要なのは「笑い」なのだ。 私は、残り少ない人生を「笑いの原子」ポジティブの活発化に賭けたいと思う。 世界の最小単位が「笑いの原子」だとわかった現在、大真面目な顔をした抗議活動は無駄以外の何ものでもない。 ひたすら「笑いの原子」マイナスを活発化させるのだ。

 私は、最近、バカな顔をして舌をベロリと出した写真をワザと撮られてみせた。あれは「笑いの原子」ポジティブを 増やしたいと願うあまりの行動だった。あのイメージが、私の死後も、あらゆるメディアに露出することを望む。 最後に、この「笑いの原子」ポジティブを活発化するプロジェクトをコメディ・クラブ・キングと呼ぶことにしたい。 特に意味はない。その方が運動に広がりを見せるだろうからだ。

                                      
           Albert Einstein
 
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  ジョグジャカルタ在住のジャーナリストかにさんも、地元に力を与えるロビンの運動を応援してくれています。
  


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