見えない部分について想像してみる
やってみないとわからない
先日、インスタライブをやってみたのですが、ハンドメイド品のライブ販売をしてみようと朝6時頃に思いついて、やり始めたのが結局10時くらいになりました。
朝は家事もしていたというのもありますが、簡単そうに見えたライブ販売もいざ自分でもやってみようとすると、いろいろ準備があったからです。
商品に番号をつけたり、事前に写真を撮ってライブ予告の投稿をしたり、照明やスマホとタブレットのセッティングなどです。
見てるだけだとわからないものですね。
しかも、慣れない配信に緊張して最初は商品がまともに映っていなかったり、時間が思ったよりも随分と長くなってしまったり、コメントに対しての受け答えもぎこちなく、とにかく反省点はたくさんありました。
幸いフォロワーさんが優しいので、救われましたし、おかげでとても楽しい経験をさせてもらいました。
経験したことはわかる先日行った焼き鳥屋さんでも、たくさんの来客があり、そんな中マスクやソーシャルディスタンスなど感染症対策のためにアルコールや仕切りなどあらゆる準備をされていました。
そして、注文してから揚げ物は早いのですがやはり焼き鳥は焼く時間を要しますから、少し時間がかかりますよね。
私もバイトしたことがあるので、時間がかかることはわかっていましたが、店員さんはどなたも「大変お待たせいたしました」と一言添えて品物を出してくださいました。
居酒屋のようなお店は頼んだら、ものすごく早く食べ物や飲み物を出してくださいます。
でも、その裏では開店前に大量の仕込みをしておかなければなりません。
串に食材を刺すなんて、大変な量だと思います。
家で串カツをなかなか作れないのは、刺す手間、揚げる手間を考えると全部焼いた方が早い!って思うんですよね。
だから、そんなことを想像すると本当に店員さんにも感謝の気持ちが自然と湧いてきてしまいます。
これも自分で料理するようになるまで大変さがわかりませんでした。
知らない業界私も自分が全く知らない業界のことは見えている部分しか見ようとしていなかったなぁと気づきました。
YouTuberも遊んでるだけ、みたいに見えるのはそこしか見えてなかったからですね。
事前に企画会議や撮影準備、各所へ許可を取ったり撮影した素材を編集したり、サムネイルを作ったり‥‥と、そのへんのブラック企業よりも働いてるんじゃないか?と思えてきます。
病院も午後から休診とか、営業時間短すぎ!とかって感じるのは事務作業を知らなかったからだと思いました。
患者さんの問診という業務は病院のお仕事のごくごく一部でしかないんですよね。
美容院も飲食店も物販も、インフルエンサーも見えないところでたくさん地味な仕事こなしてるんですよね。
地味に大変主婦なんて特に!
ゴミ箱がゴミで溢れていないのも、洗濯物が山のようにたまっていないのも、床にほこりがたまっていないのも、洗面所がカビだらけじゃないのも、知らない間にお母さんが働いてるからですよ。
見えてなかった。
私もお母さんにそういう当たり前のこと感謝を伝えたことなかったなぁと思います。
自分がお母さんになって初めて、そのことに気づいて「今までありがとう」と伝えられました。
お父さんや夫への感謝お金を稼ぐことの大変さも、家族を養うプレッシャーも、お金のことに対する不安も、全部全然わかってなかったなぁと最近やっと思えました。
今までも今もずっと養ってもらう側なので、そういうことを考えたこともなかったんですよね。
恥ずかしい話ですが、社会に揉まれた経験があんまりないのでわからなかったんです。
これからもっと自分以外の、経験したことない立場でも、真剣にどんなかんじかな?って考えられる人になりたいなって思ってます。主婦、お母さん不安が強いときほど、自分以外の人をコントロールせずにはいられないという話を以前ブログにも書いていましたが、収入面で男性に依存しきっていると自分には稼ぐ力がないということやご主人がいなくなったら、自分は生きていけないというような不安を背負ってしまう女性もいるようです。
自立して働く女性を育てるスクールをされている、朝倉千恵子さんという方も、依存から自立していくことで不安を手放し人をコントロールしたいと思うこともなくなるというようなことをおっしゃっていました。
私はあんまり不安や他人に対するコントロール欲などがないタイプなのですが、やはり妊娠中や育児中というのは働きたくても働けない、子供との時間が幸せ!でもお金を自分で稼げない不自由さというのはすごく感じました。
今でも家事に時間をとられて好きなことをする時間が減っている、自分の何かを奪われているような気持ちになるときがよくあります。
自由ではない毎日というのが、私にとっては苦しいんです。
奪われる、減っていく、そんな気持ちに焦点を合わせてしまい、もう何も奪われまいこれ以上減らされまいと思っていたとき、現実もその思考通りにもっと「時間を奪われたくない」を叶えてしまっていました。
私が時間や労力、お金を出し惜しみすると1番身近な家族も同じように、時間や労力をできるだけ使わないようにしているように見えました。
実際にどうだったか、ではなく、私にはそう見えたのです。
こんなに、時間や労力に執着してなくなるのを恐れるようになったのは何故か?
今改めて考えると、出産から家事と育児のために毎日無理しすぎて頑張り過ぎていたのが原因かもしれません。
パパが手伝ってくれないとかそういうことではなく、自分自身が「しなくてはならない」というルールで自分の行動を縛っていたからです。
毎日夕方にはフラフラで貧血、頭痛を我慢しながら料理をしたり子供のお世話と掃除、洗濯、ほとんど座る暇もなく働いていました。
産後2ヶ月で母乳が止まるほど自分に無理をさせていました。
赤ちゃんは夜も授乳があるので、朝までぐっすり1人で眠ったり、1人でゆっくりお風呂に入ること、1人で好きなことをする時間を何年間も渇望していました。
だから、今その全てを手に入れて、絶対に手放したくない!と思いが強くなりすぎたのかもしれません。
そんな出し惜しみが過ぎた私も、最近になって、ある日子供が新しい習い事をしたい!と言い出したとき、ノートパソコンを買うために貯めていたお金を「もう全部子供のために使ってあげたい」と思えたんです。
なので、貯めていた自分のお金は全部あげてしまったのですが、そこから子供も主人もすごく家事を手伝ってくれるようになりました。
洗濯や朝ごはん、お風呂掃除など地味に時間と労力を使う仕事が私から自然と離れていきました。
私は自分のために使える時間を、それまでよりもたくさん得られるようになったんです。
私はただ、やりたいことやらせてあげたいと自分の気持ちに従っただけで誰のためでもないのに、こんなに見返りがあるなんて思ってもいませんでした。
お金を手放したら、違う形の豊かさが流れ込んできたように感じました。
むしろ私が本当に渇望していたものが手に入ったということですね。
孤独でやりがいも感じられなかった家事が自分1人じゃなく家族も一緒にしてくれる、それだけでもすごく気持ちが楽になれました。
その後はどんどん気持ちが軽くなってきました。
今まで「私が毎日掃除洗濯しても、ありがとうなんて言われたことないし、感謝どころか文句しか言われない」なのにたまに掃除しただけで「掃除しといたで」っていちいち言われて罪悪感をあおられて「ありがとう」を強制される、それが嫌で嫌で仕方かなったんです。
かたくなに、「ありがとう」と言うことさえも出し惜しみしていたんです。
無理やり「ありがとう」と絞り出したりはしていましたが、気持ちがのっていませんでした。
それが、ふっと「ありがとう」という気持ちになれた日がありました。
「波動が上がる」という言葉を聞いたことがありますが、もしかしたらこんな感じのことなのかなぁ?と思います。
水の波動や、この世界は全て波動でできているというようなお話も気になるので、また後日もっといろんな人の話や本など読んでブログに書きたいなぁと思っています。
過去の記事
幸せなお金の使い方って?
今読んでる本紹介
【中古】単行本(実用) ≪政治・経済・社会≫ 一瞬で人生を変えるお金の秘密 happy money / 本田健 【中古】afb
【中古】単行本(実用) ≪心理学≫ 未来を動かす バシャール×安藤美冬 【中古】afb
好きなYouTube紹介
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ブログでは内容が重複するような記事もありますが、はじめてブログに来てくれた人がどのタイミングでどの記事を読んでもらえるか、それぞれ異なるので関連があれば何回でも同じようなことを書くことになります。
既に知っているという人だけではなく、知らなかったという人にも理解を広めたいと思います。
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